~第二の錦織圭たちに贈る言葉(1)~ 『兵法を心得よ』
本文中に記述
〜第二の錦織圭たちに贈る言葉〜
『兵法を心得よ』
1. まえがき
2016年、リオ・デ・ジャネイロのオリンピックでテニスプレーヤーの錦織圭選手が銅メダルを獲得しました。
しかしながら、準決勝で金メダルを取ったアンリ・マレー選手には6−1、6−2のストレートで敗れました。
金メダルと銅メダルを分けるものは何なのでしょうか。
2020年、東京オリンピックで第2の錦織圭を目指す若きテニスプレーヤーに対し、これからの4年間で身につけるべき事を、目賀見勝利が40年に及ぶテニス研究から会得した事柄をリオ五輪やマスターズ大会などで見えた錦織圭選手のプレーの弱点を考えながら紹介します。
なお、参考にする兵法書は『孫氏の兵法』、『宮本武蔵著・五輪書』などでありますが、これらの文献には戦闘を科学的な視点・思考で分析した内容が書かれています。
2. 贈る言葉
まず、グラウンド・ストロークついて考えます。
マレー選手やジョコビッチ選手のグラウンド・ストロークと錦織選手のそれを比較すると、グラウンド・ストロークの本質を捉えているかどうかが問題となります。
マレー選手の気迫と強力なグラウンド・ストロークによってストロークをミスさせられた錦織選手はリオ・オリンピックの準決勝で負けてしまいました。錦織選手のストロークとマレー選手のストロークはどこが違うのでしょうか。
単なるストロークではなく、『グラウンド(地面)』の文字がかぶせられている意味を考えましょう。
テニスと云う球技は物理現象で謂えば、衝突問題です。
すなわち、ボールとラケットを握っている人間が衝突する問題です。
衝突問題に関係する物理法則は『運動量変化=力積』と『力の作用=反作用』になります。
ボールの飛んできた速度をVo、インパクトしている時にボールがラケットから受ける力をF、ラケット面から離れてボールが飛んで行く初速度をVi、ボールの質量(重さから重力加速度を除いた値)をm、ラケットを握っている人間の質量をM、ボールがラケット面にインパクトしている時間をdTとすると,
m(Vo−Vi)=F・dT が『運動量変化=力積』の法則です。
プロテニスプレーヤーのdTは0.003秒前後と推定されています。(テニスマガジン、2011年1月号より引用)
ボールの重さm=60gf、Vo=100Km/h (27.8m/s)、Vi=−150Km/h (−41.7m/s)
で計算すると
ボールが受けた力は、F=142Kgf となります。
この力がラケットを通じて人間の体に伝わります。
すなわち、ラケットを握る人体には、その反作用としての力F=142キログラムの力で0.003秒の間、後方に押されることになります。
この場合、体重が70Kgfの人体は2m/s の速度で後方に動きます。(運動量変化=力積)
0.003秒間には6mm動くことになります。
すなわち、ラケットをしっかり握っている人体は、ボールの力で態勢がぐずれることになります。(ラケットがしっかり握られていない場合はラケットも同時に動きます)
しかし、人体が地球と一体となっている場合、ボールの質量に比べて、人体+地球の質量は無限大の値と考えられ、ボールの反力で体が移動することはありません。
『人体が地球と一体になる』と謂うことが可能なのでしょうか?
完全に一体になることは不可能かもしれませんが、『気』を利用することで、それに近い作用を得ることができる、と云うのが『グラウンド』の意味なのです。
では、どのような訓練をすれば、真の『グラウンド・ストローク』が身に付くのでしょうか。
解答は「地球が発している『気』と人体が発している『気』を一体化させる」ことです。
日本の大相撲は英語では『グラウンド・スモウ』と呼ばれています。
なぜ、『グラウンド』の文字が冠されているのでしょうか。
相撲取(力士)は四股を踏む練習を基本としています。また、擦り足と呼ばれる、地面から足裏を離さずに前に進む練習を繰り返します。外見的には簡単な動作のように見えますが、力士は『臍下丹田』と呼ばれる臍の三寸下にある場所に力を集中させています。
空手や合気道などでは、『臍下丹田』に『気』を集中させる練習を繰り返します。俗に『丹田呼吸法』と呼ばれる技術を身につけることによって、足裏から地球の『気』を吸い上げることができるようになると考えられています。
相撲の力士は地面から体内に吸い上げた『気』を通じて地球と一体になり、多少の力で押されても後方に動かされることはありません。これを、日本語では『踏ん張る』と謂います。
トランペット奏者の日野皓正氏は言っています。「僕は椅子に座ってする押し合い相撲に負けたことがない。」と。これはトランペットを吹くために息を吸い込み、吹き出す動作が臍下丹田に力を籠めることに繋がっているからです。すなわち、日野氏は地球の気を体内に取り込むことが出来る様になっているのです。
『五輪書』の序の巻で宮本武蔵は「兵法の道、『二天一流』と号し」と述べています。
『二天』とは二つの天と云う事ですが、その二つとは何なのかです。
『五輪書』の水の巻で「兵法の目付のこと、観の目強く、見の目弱く」と述べています。『観の目』とは頭脳が直接感じることであり、これは『気』を感じることです。合気道の達人は対戦相手の『気』を感じ、操りながらが相手をほんろうします。『見の目』とは視覚を通じて頭脳が感じることを意味します。
『二天』とは目に見えない『気』と目に見える『視覚』の二つの世界を云っているのです。
宮本武蔵の『二天一流』とは『気』と『視覚』を一体に考え活用することなのです。
この『観の目』に関して、『五輪書』の火の巻には「相手の打つ気配を感じ取り、打つ気の『う』の字の時にこちらはそれに対応して、相手に打たせないことが大切である」とある。
これはテニスで云うところの『アンティシペーション(予感・予測)』のことです。
相手がコート内のどの場所に球を打とうとしているのかをボールが飛んでくる前に感じ取り、そこへ動く準備をすばやく出来るかどうかが勝利を左右します。
マレー選手やジョコビッチ選手などの一流選手は『アンティシペーション』に優れていると謂われています。
試合相手の『気』を感じる能力、すなわち『アンティシペーション』は実戦を通じて得られる能力です。より多くの練習試合を行う必要があります。
余談ですが、戸隠流忍法宗家の初見良昭氏が運営する武神館道場(千葉県野田市)では、竹刀を持った相手の「打つの『う』」を感じ、打たれるのを避けることができるのが五段への昇段条件になっているようです。
また、合気道の創始者・植芝盛平氏(故人)は「銃の引金を引く直前の人間から発せられる気(白い球)が目で見えた」と述べていたようである。
テニス相手から強打されたグラウンド・ストローク球をしっかりと返球するには『臍下丹田』の力を込めて踏ん張りながらラケットで返球することで、ネットを越えて行けるのです。『踏ん張る』ことが出来ないストロークではネットに引っ掛かります。
身長が低い錦織選手は腰を上に浮かして、単なるストロークでインパクトする場面が目立ちます。その弱点をマレー選手やジョコビッチ選手はグラウンド・ストロークで突いてきます。
ストロークのラリーで勝利するには、相手の真の『グラウンド・ストローク』に真の『グラウンド・ストローク』で対抗していける能力を身につける必要があります。
それにはスクエア・スタンスで地面を二本の足でしっかりと踏ん張り、『臍下丹田』に力を込めてボールをインパクトしなければなりません。そして、インパクト時間dTを長くするためにラケット面を平行に前に押し出します。
(トップスピンを打つ場合は上にラケットを押し上げながら前に押し出す感覚を覚えること。ナダル選手やジョコビッチ選手の場合のトップスピン・ストロークは、ラケット面を平行にではなく、ボールの丸い球面に沿って舐める様な感覚でラケットを押し出しています。これは、インパクトの瞬間に丸いボールがラケットのガットにのめり込み半球状態になるため、ボールに強力な回転を与える為には必要な技術です。実際のインパクト時間dTは非常に短いのでほとんど平行に押し出すのと変りませんが、ボールに大きな回転トルクを与えるのに役立つ打ち方です。)
ストローク練習する時の感覚としては『足の裏から地面に根を張りだす気持ち』で行ってください。そうすれば、あなたは今まで返球出来なかった相手の強いストロークのボールを打ち返した球がネットを越えていくことに満足できるでしょう。
相手にミスさせるには、更にプレースメントが加味される必要があります。
また、ボールがラケットからリリースする瞬間の感触で有効な打球になるかを感覚的に判断できるように神経を配る練習をしてください。(反力による手の感触や体への感触を知る)
次にサービスを考えてみましょう。
錦織選手の対マレー戦に於けるファーストサーブの成功率は50%以下でした。
サービスキープが勝利の前提ですから、ファーストサーブの成功率を60%以上にする必要があります。
錦織選手の場合、サーブを打つ前にサービスコートまでの距離を目視で確認する時間が短すぎます。0.5秒以下しかサービスラインを見ていないか、或いは全く見ていないのではないかと思える場合もあります。たぶん、サービス練習する時の感覚を思い出してサーブを打っているのではないかと私は想像しています。(脳内イメージのみの感覚でサーブするのは危険・常に現場の映像イメージを脳に伝えること)
これでは、サーブの成功確率0.5以下になっても仕方がありません。
人間は『観の目と見の目』を持っていると宮本武蔵は五輪書で語っています。
そして、試合の時は『観の目を強くし、見の目は弱くする』と述べています。
これは、相手の動きを感じ取る時には『観の目を強くし、見の目は弱くする』せよとの教えです。
しかしながら、サービスを相手のサービスコート内に入れることは相手の動きを感じ取る必要はありません。むしろ、狙った場所にボールを落とすには頭脳から発信される電気信号が体の筋肉に正しく伝えられて精密で適正な力配分を実行されねばなりません。
その為のデータ信号を、目を通じて正確に頭脳に伝え、正しい電気信号を筋肉に向かって送り出す確率を上げていく必要があるのです。そのためには、筋肉への命令信号の出発点がいつも同じ場所である必要があります。目から頭脳への映像情報がその補助役を務めます。
ファーストサービスが入らないあなたは、一秒程度はサービスラインを見つめて、頭脳にその距離を確認させてからサービスを打つ練習をして下さい。
頭脳と神経回路のメカニズムを正しく理解し、練習に励んでください。
次に、試合での戦い方における錦織選手の弱点を考えてみましょう。
リオ五輪の準々決勝のモンフィス選手との対戦では第二セットを取られましたが、第一、第三セットを取って勝利しました。
しかし、ストレートで勝てるチャンスがあったのですが、それを逃しました。
それは、気持ちが緩んで、ネットダッシュを失敗し、相手のモンフィス選手が勢いを取り戻したからです。
年間グランドスラムを2回達成している往年の名プレーヤーであるロッド・レーバー氏が言っています。
『6−0でセットを取れるチャンスがある時は、それを実行せよ。非情な殺し屋になれ。』
また、往年の名プレーヤーのケン・ローズウォール氏は言っています。
『勝っている時はテニスを変えるな。』
これらの意味は何なのでしょうか?
錦織選手はこの二つを確実に実行していない試合が多くあります。
錦織選手は、自分が勝ちパターンにある時に、自らそのパターン・リズムを壊すプレーをする場合があります。
準々決勝で戦ったモンフィス選手との対戦がそうでした。
一か八かの強力ストロークを放つモンフィス選手に第2セットを取られたのは明らかに気の緩みでした。第一セットを7−6で取り、第2セットの第1ゲームをブレークしたのに気が緩んだのか、戦術ミスのネットダッシュをして第2ゲームをブレークバックされてしまいました。そして、元気を吹き返し、リズムを取り戻したモンフィス選手に第二セットを4−6で取られ、第三セットも7−6でやっと勝ちました。
錦織選手の勝ちパターンはストロークのラリー戦でポイントを重ねることです。それなのに、突然『サーブ・アンド・ボレー』、『ネット・ダッシュ』をして、自らのリズムを壊すことがあります。対戦相手は負けているので、リズムを取り戻すためにテニスを変える必要があるのですが、相手がそれをしてくれるので助かる訳です。
ネットプレーが決まったとしても、相手にとっては戦いの場の雰囲気が変化するので自分のリズムを取り戻すきっかけになる訳です。
孫氏の兵法では『善く戦う者は、その勢い険しく、その節短し。』と述べています。
水に『勢い』があれば岩でも動かします。鷲が獲物を捉えるのは一瞬のタイミング、すなわち『節』を逃さないからです。『節』とは獲物に飛びかかる正しい間合いと一瞬の呼吸を見極めて行動する瞬間と云うことです。
孫氏いわく『勢とは利によりて権を制するものなり』です。
「勢いがあれば試合の主導権を握ることができる」訳です。
「主導権を握る」ことに戦いの本質があるのです。
『善く戦うものは人を致して、人に致されず。』である。
宮本武蔵・五輪書入門の著者である奈良本辰也氏は『天理に合う兵法』、『おのずから兵法の道に合致する鍛練』を説く武蔵の言から、
「勝利とは、天理における拍子の奪い合いに勝つ。」と云うことである、と述べています。
言葉をかえれば、「勝利するには勢いと良いタイミング・リズムが必要」ということになります。
実力が上の相手でも、勢いに乗り、自分のリズムで戦えれば勝てると云うことです。
それをさせないために相手は様々な技術を駆使してきます。
2014年の全米オープンの準決勝でジョコビッチ選手は錦織選手に敗れました。
その後、ジョコビッチ選手やマレー選手はコンピューター関連企業から錦織選手のプレー・データを入手したと噂されています。
ジョコビッチ選手やマレー選手はそのデータから錦織選手の弱点を見つけ、そこを突くプレーを覚えました。
『敵を知り、己を知らば百戦危うからず』
『兵の加わるところ、石を以て卵に投ずるがごとくなるものは虚実これなり。』(対戦相手の弱点を突く技術を持つこと)
※著者注記:卵は中味が弱い虚、石は中味が詰まった強い実
強いもので弱いところを攻めれば勝てる道理である。
それが、速く強い球を打つグランド・ストロークを主体とした戦術です。
『算多ければ勝ち、算少なきは勝たず』
このため、錦織選手はボールに追いついても返球がネットする場面が多くなり、全米オープン以後、ジョコビッチ選手には勝てていません。
最近は、何とか返球出来ているようですが、リオ・五輪でのマレー選手との試合では、まだ十分に対応できていないようでした。(マレー選手の気魄にも押し負けていた面があったと思いますが・・・。)
3.あとがき
1979年から1983年にかけて『ホンダ・ヤマハ戦争』があった。
オートバイメーカーの本田技研工業とヤマハ発動機のオートバイの販売台数を競う戦いであった。特に50ccバイクの薄利多売が主戦場であった。当時、定価が十万円くらいの原付バイクが三万円くらいで売られた。この戦争のとばっちりを受けたのがスズキであった。自社のバイクも三万円くらいで売らざるを得なかったのである。
『戦争』は自分たちだけでなく、周辺にも破壊と消耗・消滅をもたらすものである。
しかし、『競争』は共存・共栄をもたらす試合である。
相手が自分の技術や実力を上まわったなら、自分はそれ以上の実力をつけるべく鍛錬を行い、相手を越える力・技術をマスターする。自分に越えられた相手は、更に鍛錬を行い、自分を再び越えてくる。
スポーツは『競争』であり、『戦争』ではない。
対戦相手を尊敬し、互いの技を競い、お互いが向上して行くことを目指す人生の営である事を、第二の錦織選手たちは理解して、鍛錬に励んでください。
『諸君に健闘を祈る』
目賀見勝利より第二の錦織圭たちへ
2016年9月1日
参考文献:
いま忍者・初見良昭 NHK−BSプレミアム 2016年7月7日 放送
合気道開祖 植芝盛平伝 植芝吉祥丸著 出版芸術社 平成11年4月 第一刷発行
宮本武蔵五輪書 神子侃訳 徳間書店 1963年8月 発行
宮本武蔵五輪書入門 奈良本辰也著 徳間書店 昭和47年10月 発行
宮本武蔵五輪書入門 桑田忠親著 日本文芸社 昭和55年4月 発行
孫氏の兵法 安藤亮著 日本文芸社 昭和55年8月 発行
孫氏の兵法入門 高畠穣著 日本文芸社 昭和55年4月 発行
テニスマガジン ベースボール・マガジン社 2011年1月号
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