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Tales of Farn  作者: 小田島静流(seeds)
1.眠れる竜の目覚め
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1.眠れる竜の目覚め [1]


「ちっくしょ――!!」

 夕焼けに染まる絶景の谷に響き渡る、限りなく不釣合いな絶叫。

 その声に応えるかのように、風が谷を吹き抜け、砂粒がざぁっと谷底に舞い上がっては滑り落ちていく。

「いってて……くそっ」

 舞い上がった砂が目に入ったのか、怒声の主は目をごしごしこすりながら立ち上がった。

 炎のような赤い髪、日に焼けた肌。若さと好奇心に満ち溢れた鳶色の瞳は、乱暴にこすったせいで赤くなっている。

「うへえ、随分埃っぽくなっちまったな」

 バンバンと乱暴に服を叩けば、谷を転がり落ちてきた時に盛大についた土埃がぶわっと舞い上がった。

 土埃まみれの革鎧に革靴。その下に着込んだ服も丈夫な布で織られたものだ。腰帯には使い込まれた長剣が収められ、額には鉄を仕込んだ布が巻かれている。旅の剣士か傭兵か、風体だけ見れば歴戦の勇士という出で立ちだが、どう見ても十代後半にしか見えない青年は、先ほど転げ落ちてきた崖を恨みがましい眼で睨みつつ、着地点で強かに打った背中をさすりながらため息をついた。

「やれやれ……」

 見上げれば、峡谷に切り取られた茜色の空。東の端はもう暗くなってきており、日没までそう時間がないのは明白だ。

「参ったなあ、どうやって上がろう」

 とはいえ、この崖にはある程度の足場もあるし、体を動かすのは得意中の得意だ。頑張ればよじ登ることも出来るだろう。しかし、辺りが闇に包まれる前に登り切る自信は、と問われると正直言ってあまりない。

 途方に暮れて、夕日色の髪をガシガシと掻きむしったその時、遥か頭上から声が降ってきた。

「ラーン! 生きてますかー?」

 聞き慣れた声にぎょっと顔を上げれば、まるで空を飛ぶような格好で彼に向かって落下してくる人物の姿。すでに視界いっぱいに広がっていたその姿に、ほとんど反射的にその場を飛び退けば、「おおっと」などという能天気な呟きが聞こえてくる。

「これは失礼」

 くるりと反転して体勢を整え、ふわりと地面に着地してみせたのは、金色の魔術士。

 風に揺れる金の髪に海色の双眸。たっぷりと布を使った外套には不思議な文字の縫い取りが施され、本来は地面を引きずる長さを巧みに端折って動きやすくまとめている。

「リファ!」

 喜びの声を上げる青年とは対照的に、リファと呼ばれた魔術士は埃まみれの青年をしげしげと見回して、心底感心したように唸ってみせた。

「……あの高さから落ちて怪我一つないなんて、本当に頑丈ですねえ……」

「あのなあっ!」

 感心するところはそこか、と抗議しかけて、ふと口を閉ざす。そして、次の瞬間リファにがしっと詰め寄った青年は、感動の再会をぶち壊す勢いでまくし立てた。

「どーして助けてくれなかったんだよっ! 浮遊魔法の一つや二つ、お前ならお手のもんだろ!? それをお前、呑気に『あー……落ちましたねー』とか言ってただろ! 聞こえたんだぞ!」

「あなたがもうちょっと分かりやすく落ちていってくれれば助けましたよ、勿論」

 胸倉を掴まれたまま、しかし金髪の魔術士は笑顔を崩さない。

「すぐ隣を歩いていたのに突然ふっといなくなったかと思えば滑落していて、悲鳴が聞こえた時にはすでに茂みに紛れて姿が見えなくなっていたんですからね。助けろという方が無理ですよ」

 そう。彼らは何も谷底を歩いていたわけではない。

 この切り立った谷は山と山の間にあるのではなく、平野に刻まれた巨大なひび割れだ。西大陸ルースの脇腹に斧を入れたようなこの谷は《大地の爪痕》や《大地溝》などと呼ばれている。かつて大地震で割れたのだとも、巨大な竜が引っ掻いた痕だとも言われているが、真相は定かではない。

 そしてその大地溝と並行に伸びている街道を旅していたのが、剣士ラーンと魔術士リファの二人組だった。

 この大地溝付近では、旅人が誤って谷底に転落する事故がたびたび起きているという。今朝早くに出発した村でもくれぐれも気をつけるようにと念を押されたし、街道のあちこちにも注意を呼びかける看板が設置されていた。

 それなのに。

「だってよぉ、どこまで深いか見てみたかったんだから仕方ないだろ」

 拗ねた子供のように言い訳するラーンに、小さく肩をすくめるリファ。

 この人並みはずれた好奇心を持つ相棒に巡り合って約一年。この好奇心から事件に巻き込まれた回数は、もはや数えるのも面倒になってしまった。しかも一向に懲りないと来ているのだから、まったくもって始末に悪い。

「だからってわざわざ転げ落ちていくことはないでしょうが」

「違うよ! 谷底で何か光ってるのが見えたんだ。それで、もっとよく見ようと――」

「乗り出して、落ちたんでしょう?」

 図星を指されて押し黙るラーンに、リファはやれやれとため息をついた。

「この調子じゃ、いつまで経っても目的は果たせそうにありませんね」

 気になることにはとにかく首を突っ込みたがる性分のラーンに任せておくと、まっすぐの道も険しい山道に早変わりだ。

「うっせえ!」

 ぷいっとそっぽを向いた次の瞬間、ぐんぐんと濃さを増す藍色の空を見上げて、あっと声を上げる。

「見ろよ、一番星!」

 がくりと頭を垂れるリファ。ころころと興味の矛先が変わる相棒の相手をしていると、まるで小さな子供の世話をしているような気分になる。

「はいはい。一番星が見えるということは、夕飯時も近いということですよ」

 子供を釣るには食事が一番だ。案の定、リファの言葉にラーンは腹を押さえて悲しげな表情になった。

「そうだった! 俺もう腹減って腹減って……。夕飯までに次の村に辿り着けるかな?」

「さっき上空から見た限りだと、少し行ったところに小さな村がありましたよ」

「よっしゃ! それじゃさっさと行こうぜ!」

 俄然やる気を出した相棒に、はいはい、と投げやりな相槌を打つ。

「それじゃ、つかまって下さいね」

 リファは左手に握った杖を水平に構え、歌うように呪文を紡ぎ上げた。

『風よ! 我等を抱いて空へと舞い上がれ!』

 二人の回りに風が渦巻く。慌ててラーンがリファにしがみついた次の瞬間、二人の体は宙へと舞い上がった。

 谷底がぐんぐん離れていき、二人の体はあっという間に谷を抜け、大地を見下ろす高さまで急上昇する。

「おい、こんなに上がってどうすんだよ?」

「このまま村まで行きましょう!」

 手にした杖で、村があるという東の方向を示すリファ。なるほど、確かに指示された方角に民家の光が見える。

 夕闇迫る中、二人は小さな光を目印に、まだ見ぬご馳走を求めて空を駆け抜けていった。


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