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侍女のその後

作者: 黒桐

ネットカフェからの投稿です。

感想に対する返信等が行えません。

ご容赦ください。


11月5日「双子の学園生活」連載始まりました。

 少女は商人の両親とともにいくつもの町や村、ときに国境を越えて旅をしている。

 柔らかな笑顔の父親は最近太ってきたことを気にしていて、料理好きの母親はいつか料理の本を作ることを夢にしていた。

 少女は両親を心から慕い愛していた。

 だからこそその亡骸を前に大声をあげて泣いた。

 肥沃で魔獣の被害も少ない国、ザッハート王国。

 その国境付近にある村々を回っていた親子を隣国から侵入した山賊が襲った。

 両親により逃がされ、やがて力尽きた少女は隣国より連絡を受けて山賊を探索していた騎士たちに保護される。

 それから数日後、山賊たちは討伐され少女は骸となった両親と再会した。

 涙も枯れた少女の前に見覚えのある貴族が現れる。


「あいつの娘ならば捨て置くのも目覚めが悪いな。どうだ君が望むのならわたしの家に侍女見習いとして仕えてみないか?」


 天涯孤独となった少女、レニーはその言葉に小さく頷いた。



 辺境伯に嫁ぐことになったアイリス様とともにこの東の果てで生活をするようになって早一月がたちます。

 辺境伯領は『世界の果て』と呼ばれる絶壁とその先に広がる雲海をなぞるように南北に長い形をして、特別な産業や植物等がないこの地を一言で表すならば長閑な田舎といったところでしょう。

 ヴァルゴ公爵家令嬢であられるアイリス様は幼いころより王妃となるべく教育を受けた身であり、本来なら辺境伯の側室として送り出されるなど有得ないことだったのですが、婚約者である第一王子が一方的に婚約を破棄した結果、六十を超えた老人の妻になってしまいました。

 ですが、結果として今はそれでよかったと思います。

 王都では好色爺と噂される辺境伯ですが実際に会って、ともに生活しているとルーカス・ミソロジィ辺境伯はかなりの好漢でした。

 婚約破棄を初めて聞いたときは狭量な第一王子に心の中で考えうる限りの罵詈雑言を浴びせたものですが、辺境伯もその正室であるアイラ様もとてもよい方です。

 お二人は子供がいらっしゃられないためアイリス様をわが子のように扱ってくださいます。

 特にずっと王都で暮らしてきたアイリス様に辺境での暮らしは負担も大きいだろうということで、王都での生活を出来る限り再現するようにと命じて、わたしを変わらずに専属侍女としてくださったのには感謝しております。

 ただひとつ今の生活に不満があるとすれば、


「レニーさん外壁の掃除おわりましたよ。次は何をしましょうか?」


 わたしの同僚という立場にある辺境伯の侍従のベルクラフトのことでしょう。

 彼の仕事の出来には不満はありません。今も外壁の清掃をお願いしたのですが、わたしが室内の清掃を半分終えたところでこうして笑顔で報告に現れました。

 その仕事の速さに内心舌打ちをしつつ、


「汚れた服で中に入ってこないでください。そのまま庭や馬屋の清掃に移ればよいでしょう」


「ああ、すいません。気がつきませんでした」


 苦笑を浮かべて答えるベルクラフトを睨みつけてやると、慌てて外に出て行く。

 その後姿にため息をつく。


「まったく、気がついていないわけが無いでしょうに」


 聞けばこれまでこの屋敷にいたのは辺境伯夫婦を除けばベルクラフト一人だけ。

 三人で役割分担をして生活していたということだけでも驚きなのに、そのうちの雑用のほとんどを負担していた人間が仕事の段取りや効率的な動きというものを理解していないわけがない。

 本来なら先任であるベルクラフトがわたしを使う立場になるべきなのに、こうして無能を装いわたしが上になるように行動している理由は一つしか思いつかない。

 わたしに対しても王都と辺境での生活の差に負担をおぼえないように感じないように、以前と同じような生活を送らせようとしているのだ。

 それが辺境伯の命令というならば我慢も出来るが、おそらくはベルクラフトの独断。

 ちらりと、窓から彼の姿を覗き見る。

 にこにこと変わらぬ笑みを浮かべて庭の掃除をする姿はこのひと月まったく変わらない光景。


「まったく、もうまったくです」


 もやもやとした形にならない感情にため息をついて仕事に戻る。

 次の部屋はアイリス様の寝室。他の部屋の二倍、いや三倍は丁寧に掃除をしなくてはなりません。

 お客様のような扱いに不満を覚えたのかアイリス様は最近、裁縫をするようになりました。

 許可を得て入室したわたしはちらりとその出来を見てみると、さすがはアイリス様です。王都でも見事な刺繍をいくつも生み出しておりましたその腕を遺憾なく発揮なされているご様子。

 辺境伯も驚くこと間違い無しの出来にアイリス様はさぞご満足でしょう、わたしも上機嫌になり仕事も捗るというもの。


 「レニーは料理、出来る?」


 「……は?」


 いつのまにか裁縫をする手を止めてこちらを見ていたアイリス様の言葉に、一瞬呆ける。


 「以前話してくれたわよね。亡くなった母が料理好きだったと、そのお母様から料理の作法を教えてもらってはいないかしら」


 いえ、作法ではなく調理法という言い方のほうがただしいかと。

 などと心の中で訂正をしている場合ではない、復帰しろわたし。深呼吸一回。


「なぜ、とつぜんそのようなことを?」


 聞き返すとアイリス様はわずかに躊躇った後、口を開く。


「ルーカス様に裁縫以外で出来ることはないかと訊ねたのだけれど、少しずつ自分で見つけていけば良いと返されてしまって困っていたんです。

 ならアイラ様の料理のお手伝いをと考えたのだけれど、わたくしに料理の経験は無いから邪魔になってしまうだろうし、それで以前レニーの母親の話を思い出して基礎的な手順を知っているかと思って」


 たしかに一通りの基礎は学んでいますし、再現できる自信はありませんが母が教えてくれた他国の料理の調理法も覚えております。

 しかし今回その知識をつかう必要はありません。


「なるほど、ですがアイラ様でしたらお嬢様を邪魔などと思うわけがありません。話せばすぐに教えてくださると思います」


 明け透けに好意を示してくるアイラ様のことです、喜んで教えてくださるでしょう。


「そう、かしら」


「ええ、そうです。ただわたしから料理を覚える基礎を教えるとすれば最初は横で見ているだけでいいのです。見て少しずつ覚えていけばいいのです」


 皮むきなどの雑用を手伝うというのでも、貴族であるアイリス様にとっては早いかもしれませんからね。


「……アイラ様のところへいってくるわ。今なら厨房で昼食の準備の最中でしょうから」


「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 逡巡の後、部屋を出て行くアイリス様を頭を下げて送り出す。


「自分で見つけていけば良い。ですか」


 辺境伯が口にしたという言葉を呟く。

 おそらくですが辺境伯がその言葉に込めた願い通りの行動が出来ていると思います、アイリス様。



 アイリス様がアイラ様の料理の手伝いをするようになってそろそろふた月経つ。


 最初は失敗もあったが最近ではアイリス様が味付けしたスープは辺境伯にも好評で、よほど嬉しかったのだろうアイリス様は涙を浮かべて喜んでおりました。


「帝国の料理は味付けが濃いのね。びっくりしたわ」


「そうですわねアイラ様、でも行商から帝国の香辛料を手に入れられたのは幸いでした。でなければレニーの知識だけではここまでの再現は難しかったと思います」


「あの行商はこの領地出身だから、ここでは珍しいものを仕入れてくることがあるの。旦那様は自領を離れることがほとんどないのを知っているから、いい土産になるって」


 厨房の中、わたしを挟んで会話するアイリス様とアイラ様。

 和気藹々と会話を続けるお二人に間に立って、色あせた母との記憶を掘り起こしながら手を動かす。


「わたくしも帝国料理は口にしたことがありますが、あの国は北にあるためか体を温めたり頭をはっきりさせるための味付けが多い印象でした」


「なるほどねぇ、このあたりも寒くなってきたしちょうど良いかもしれないわね」


「ルーカス様のお口に合えばよいのですが」


「旦那様は寒がりなところがあるから喜んでくださるわよ。絶対に」


 ……なぜこのような事態になっているのでしょうか。

 突然アイラ様に呼び出されたかと思えば、材料が手に入ったから帝国料理を作ってほしいとお願いされ、いえそれ事態に何の不満もないのですが、お二人とともに料理などという事態は想定しておりませんでした。

 もともと貴族らしからぬ振る舞いのアイラ様でしたが、アイリス様にも影響が出てきているようです。

 公爵令嬢と辺境伯婦人に挟まれる侍女。

 正直に言いまして緊張で失敗しないかが心配です。


「あの、お嬢様もアイラ様もテーブルでお待ちになってくだされて良いのですが」


「あらだめよ。料理は見て覚えるもの、でしょ。レニーの考え方はその通りだと思うわ。だからせっかくの機会を逃すつもりはないの、ねぇそうでしょアイリス」


「そうですねアイラ様、わたしも見ていて勉強になります」


 至極真面目な表情で答えられると、わたしも言葉が返せない。

 ため息が尽きたくなるのを堪えながら、次の料理に移ろうとしたところで声がかかる。


「ずいぶんとよい匂いがするなぁ、今日はどんな料理を作っているのだ?」


 入口に立っていた辺境伯は興味深げにこちらを見ていた。


「あら旦那様、残念ですがこの場はわたしたち三人だけの特別な時間ですわ。出てくる料理に期待を膨らませながらテーブルで待っていてくださいな」


 アイラ様の言葉に近寄ろうとしてきた辺境伯が足を止める。


「ぬ、そうか、では二人の、いや三人のかな。皆で作った料理を楽しみにして待つとしようか」


 笑みを浮かべて立ち去る辺境伯。その後姿をアイリス様は不安げに見送るとポツリと呟く。


「あの、今日の料理はレニーに全て任せきりなのですが、良いのでしょうか」


 たしかに誤解したまま行ってしまわれた。

 後で訂正すべきだろうかとわたしも考えたが、アイラ様はくすりと笑ってから口を開く。


「いいのよ、今日は仕方がないにしても、今度三人で作った料理をお出ししてあげましょう」


 え、できれば今回限りにてほしいのですが。

 しかし名案だとばかりに笑顔を浮かべたアイリス様に、わたしはその言葉を口にするのを諦めた。



 帝国料理を披露してからというもの毎日のように三人で料理をするようになり並んでの作業が当たり前になってきた頃、ベルクラフトをつれて視察に向かった辺境伯についていったアイリス様はお戻りなるなりアイラ様に頭を下げた。

 何事かと近づけば聞こえてきた言葉に思考が停止する。


「まあ主は素晴らしい御方ですからね、アイリス様が本気になるのも当然だと僕は思いますよ」


 気が付けば、厨房で自棄ざ、もとい祝い酒をベルクラフトと飲み交わしていた。


「ええ、お嬢様が幸せになることに不満はありませんし、ルーカス様が良い方なのはわたしもわかっています。ですが王都の者達はお二人、いえ三人の気持ちなど無視して好き勝手な中傷をすることに腹が立つのです」


 窓から外を見ればすでに日は落ちている。アイリス様はアイラ様とご一緒に辺境伯の寝室に向かった頃でしょうか。経験はありませんがそれが何を意味するかは判ります。


「レニーさんの言いたいことはわかるつもりですが、僕としてはアイリス様の思いが通じて結ばれるのですからそれで十分だと思いますけどね」


「……まあ、それはわたしもその通りだと思いますが」


 わたしだってアイリス様が辺境伯に対して向ける視線の変化には気づいていました。年齢差を考えても、あの第一王子の万倍は良い男性だと断言できます。

 しかし夫婦として共にいられる時間はどうしたって短くなる。今のお元気な様子からはなかなか想像できませんが、辺境伯のお年を考えれば死別の不安はどうしても生まれてしまいます。

 でも確かに今はお嬢様の思いを受け止めてくださった辺境伯に感謝すべきなのでしょう。自分を隠れ蓑にして、アイリス様がたとえ平民相手でも結ばれることが出来るようにと色々と準備していたのは知っています。手伝わされましたから。

 ちらりと、向かいに座るベルクラフトを見る。

 しかし知っているのでしょうか。アイリス様と年の近いこの男はその候補として名が挙がっていたことに。

 普段と変わらぬ笑みを浮かべている男に、これまでとは違う形にならない感情が生まれ、酒とともにそれを飲み込んだ。



 アイリス様とアイラ様、辺境伯の三人はいくつもの本が開かれた食卓を囲み眉根を寄せていた。


「男の子ならばやはり家系図にある先々代のルーデルや開祖のレーベンなどのお名前いただくというのが良いと思うのですが」


「そうかしら、わたしとしてはグラディウスとかファルシオンなんていいと思うわ」


「アイラ……、それは剣の名前だ」


 堅実な意見のアイリス様に対して武器の名前をあげるアイラ様には辺境伯も苦笑いを浮かべています。


「いいじゃない。やっぱり男ならば強そうな名前でないといけないと思うわ」


「アイラ様、その、『斬鉄』を受け継がれるのに別の剣の名前を持つというのは、どうかと……」


 アイリス様はそう言ってちらりと視線を辺境伯が腰に佩くサーベルを向けます。

 『斬鉄』というのは辺境伯が見につけている剣の名前で、聞けば家宝であるその剣を代々当主は受け継いでいるのそうです。


「ならザンテツ? ザンテツ・ミソロジィ? ……あまりあってない気がするわ」


「べつにな、剣の名前から取る必要はないと思うぞ」


 妙な拘りをみせるアイラ様に辺境伯の顔にも引きつりが生まれています。

 アイリス様が辺境伯に思いを告げてから早四ヶ月が経ちました。毎夜のように寝室に向かったアイリス様を拒絶するなく辺境伯はお応えになりました。今では服の上から分かるほどにお腹が膨らんでいます。

 好色爺というのも、ある意味では正しかったですね。

 男の子の名前は保留して女の子の名前を考え始めた三人を眺めながらぼんやりとそんなことを考える。


「ねぇ、レニーだったら自分の子供に何て名前をつける?」


「わたしですか?」


 アイリス様から突然話を振られるうろたえるが、なんとか思考をめぐらせると一つの名前が浮かぶ。


「そう、ですね。アーシェでしょうか」


 まだ両親が生きていた頃、母がレニーとアーシェのどちらをわたしの名前にするか悩んでいたと父に聞いたことがあり自然とその名前を思い出しました。


「アーシェ、いい名前。ルーカス様、女の子が生まれてきたらリーナとかミーネなんて名前はどうでしょうか」


「ならばその二つをあわせてリーネというのははどうかな」


「リーネ、リーネ・ミソロジィ。いいと思うわ旦那様。なら男の子の場合はエストックなんてどうかしら」


 なにやらすんなりと女の子と名前が決まってしまいましたが、アイラ様は自分の主張を引っ込める気が無いのか再び剣の名前を挙げ始める。

 後日、ルークという名前に決まったのは辺境伯の頑張りの結果だと断言できます。

 それから数ヵ月後。

 生まれてきたのが双子の男女でどちらの名前も無駄にならなかったのは良かったと思います。

 母となったことで際限なく甘やかそうとする辺境伯とアイラ様を叱りつけるアイリス様のお姿は逞しく、そして幸せそうだ。しばらくして三人目の懐妊がわかりると、まぶしいほどに笑顔を浮かべるようになりました。

 それを見ているだけでわたしも幸せ分けていただけているかのように感じます。

 だからこそこの日々が一日でも長く続くことを願わずにはいられません。



 ーー葬儀は淡々と進みます。

 領地の村々だけでなく、領地の外にいた多くの者たちも参列のために帰ってきていました。

 みな涙を浮かべてその死を悼み惜しんでいます。

 棺が閉じられる前にその亡骸を見れば、うっすらと笑みを浮かべたその顔は幸せそうで今にも立ち上がりそうな雰囲気すらありました。

 身重のアイリス様は頬を涙にぬらしながらも、笑顔を浮かべていた。


「アイラ様、わたくしはルーカス様に嫁いできて幸せでした。アイラ様と家族になれて幸せでした。だから、アイラ様の望むとおりに笑顔、を見せて、お別れを、させていただ、…う、うぅ」


 別れの言葉を最後まで口にする前に、嗚咽で消えていく。

 葬儀の場でありながら笑顔を絶やそうとしないアイリス様のその必死な様子に、アイラ様の人となりを知る者達はただ沈黙を返すことで理解を示していました。



「それで、あなたは何をしているのですか。ベルクラフト」


 葬儀が終わると辺境伯は七日後に戻るとだけ告げて屋敷の地下、その先にあるという一族の墓所へアイラ様の棺と共に消えていきました。

 今屋敷にいるのはアイリス様とそのお子であるルーク様、リーネ様にわたし、倉庫の片隅で膝を抱えているベルクラフトの五人だけになります。


「お二人に大恩があるから仕えていると以前言っていたのは嘘だったのですか?」


 ベルクラフト本人から聞いたことです。

 母の素性を知らぬままに関係を持った彼の父は素性を知るなり逃げ出し、その逃亡劇の中で父は死亡。そして母の家族は生まれてくる子を不義の子として処分しようとした。

 それに待ったをかけたのが辺境伯であり、自分が今生きていられるのは辺境伯のおかげなのだという話に、どこかの貴族の庶子なのかと疑いを持ったのですがそれは今は関係のない話。

 重要なことは一つだけ。


「葬儀にすら参列しないなんて、恩を仇で返しているのと同じだと思いなさい」


 この男は腹立たしいことにアイラ様の死の後からずっとここに引きこもってるということです。


「……君に、なにが分かる」


 ちいさな呟き。

 だが、冷静さを失わせるには十分な言葉でした。


「ええ、わかりませんね! お二人に恩があると、だから仕えていると口にしておきながらその最後のお姿を記憶に残そうともしないあなたのどこに忠誠があるというのですか!

 アイラ様は笑っておられました、最後まで笑みをお絶やしになられませんでした! そのお顔を記憶に残さずにいて臣下などと口にするな!」


「知ったふうな口を聞くな! 君などより僕のほうが何倍もアイラ様のことを知ってるんだ!」


「たとえ共にいた年月が長くとも、今のそのなさけない姿では到底アイラ様を理解しておられたとは思えませんね!」


「この!」


 ベルクラフトは激昂し殴りかかってくる。

 恐怖よりも意地が勝ったわたしは目を瞑ることも反らすこともせずに迎えうつように睨む。

 しかし、その拳が暴力を振るうことはなかった。

 顔の寸前で止められた手は肩をつかみ、ベルクラフトは縋りつくように倒れていく。その口から小さくもはっきりとした呟きがもれた。


「お二人から取り残されるのは嫌なんだ、一人になるのが怖いんだよ。お二人がいなくなられたら僕はどう生きていけばいいんだ」


 慕い忠誠を誓っているからこそ死別が怖いと震える声で言葉を繰り返す。

 かつて、両親を失ったときのわたしも、こんな、今にも壊れてしまいそうな硝子細工のようだったのでしょうか。

 そう思ったらいつのまにか体はベルクラフトを包み込むように動いていた。


「ベルクラフト、あなたの恐怖は消せるようなものではありません。誰にだって死は訪れるものなのです」


 震える体を抱きしめるわたしの心に浮かぶのは両親との思い出、そしてその亡骸。


「でも、だからこそ、誰かと一緒に生きることが出来るんだと思います」


 亡くなる直前まで笑顔を浮かべていたアイラ様。きっとそれはアイリス様と辺境伯がいたからです。

 だから、言葉を続ける。


「誰にも見取られず、一人ぼっちの死は寂しいものです。そう、だから、きっと自分の死に涙してくれる誰かがいるだけで、すこしだけその寂しさは薄まると思うんです」


 思考はまとまらず、上手に形に出来ないままに口にした言葉。もっと上手い慰めがあるだろうにと自分自身を叱責したくなる。

 それでも他人のぬくもりを求めるように背に回された腕を受け入れる。

 ああ、まったく。

 わたしの中にあった形を成していなかった感情が、まとまり姿を現していくことに内心嘆息する。

 何を言ってもいつも笑顔を絶やさなかった普段の姿も、大切なものを失ってその先にあるさらなる喪失に怯える姿にも、そんなベルクラフトの全てに愛おしさを感じている自分自身にも。

 ああ、まったく。

 なにもこんなときでなくともいいだろうにと、もう一度心の中で嘆息した。



「レニー、これからはベルクラフトではなくベルと呼んでくれないか。レニーにはそう呼んでほしいんだ」


 互いのぬくもりを感じながら、恥ずかしげに呟かれた言葉に頷きを返す。


「……わかりました、ベル」



 アイリス様がを出産した三人目の子供はラミアと名づけられる。

 蒼い輝きを宿す銀髪銀眼の女の子にはその髪の中に小さな突起物が生えていた。

 その赤子に辺境伯は何かを考えているようでした。

 それから一月後。

 三人の子供たちをつれてアイリス様と辺境伯は屋敷の地下にある一族の墓所へ姿を消しました。


「すでに三日たちます、中で何かあったのかもしれません。すぐに追いかけるべきです」


「駄目だレニー。あの先に進んでいい人間は主の一族として迎え入れられた者だけだ。許可なき者が入るわけにはいかない」


 ベルと二人だけで屋敷に取り残されたわたしの不安と不満はすでに限界でした。


「ですが幼子を三人も抱えているのですよ。何か問題が起きているのかもしれません。助けを待っている可能性も、」


「そんなことは有得ないから、少し落ち着けレニー」


 わたしと抱きしめて落ち着くように諭してくるベルの言葉に、引っ掛かりを覚える。


「有得ない? どうしてベルはそんなことがわかるのです。何かを知っているんですか?」


「………」


 問いかければ沈黙が返ってきました。

 その無言こそが知っていると答えているも同然で、だからこそわたしは一つの推論が思い浮かぶ。


「ベルは、あの地下の先に入ったことがあるのですね。だから安全だと知っている。そうですね」


 わざと断定した問いかけをしてみれば、ベルはやがて観念したのかゆっくりと口を開いた。


「僕は入ったことはないよ。ただあの先に何があるのかを知っているだけ、見たことがあるだけだ」


「どういう、意味ですか?」


 入ったことがないのに、見たことがある。

 矛盾した言葉にとまどい、しかし答えを出す前にベルはわたしを引っ張って歩き出す。


「ちょっと、どこへ」


「見えるところへ連れて行くよ。だからそれで我慢してほしい」


 ベルはそれ以上は口にすることなく、屋敷の外まで連れてこられたわたしは彼に抱きかかえられる。

 突然のことに驚き言葉を発する前にベルは駆け出した。

 常人では考えられないほどの速度で走るベルの顔は覚悟に満ちていて、開いた口を閉じるしか出来ませんでした。


「ここは、『世界の果て』?」


 ついた先には視界を埋め尽くすように広がる雲海。

 辺境にすむ住人は誰一人として近寄ろうとはせず、わたしもこうして実際に見るのは初めてだった。


「ベル、何故ここに連れてきたのですか?」


 あの地下の先にあるものを見せると言っておきながら、この絶壁へつれてきた男の顔を見る。


「わからない?」


「ええ、わかりませんね」


 ここは世界の終わりの場所。この先には何も存在していない。それなのになぜこの場所へつれてきたのかが考え付かない。

 眉尻を下げた困り顔のベルはゆっくりと雲海を指差して口を開く。


「辺境伯たちはこの雲海の下に向かったんだ」


 わたしは、その言葉の意味を理解することが出来なかった。


「何を、言っているのですか。ここは『世界の果て』、ですよ?」


「ああ、そうだ。ここは『人間の世界の果て』だ」


 その言葉の意味を理解するよりも早く、周囲を何者かが取り囲む。


「ベルクラフト、気でも狂ったの?」


 その中の一人、黒い全身鎧に身を包んだ者が言葉を投げかけてくる。二本角が特徴的な兜で顔を隠してはいるが声から苛立っているのがわかった。


「そんなことはない。レニーは僕のつがいだ、ならば知る権利はあるだろう」


「……ッ、ルーカスのおかげで生きながらえている分際で生意気な口を利くのね」


 つがいって。

 その意味はすぐに思い至り、顔が紅潮するのがわかる。

 見れば周囲を取り囲んでいる者たちも驚きながらこちらをじろじろと無遠慮に見てくる。見返してみれば領内でちらほらと見た覚えのある顔もあった。

 しかし取り囲む中で全身鎧だけは苛立ちを隠そうともせずに口を開く。


「たとえ、その女が貴方のつがいだったとしても真実を知ればどうせ逃げ出すでしょうに、その時に傷つ…、いえ、それがどれだけの問題かわかっているの」


「僕はレニーを信じている。僕の全てを受け入れてくれる」


「そんな保障がどこにあるというの!!」


 全身鎧は怒鳴りつけてくる。だけどその言葉に宿る感情が心配だとわかったわたしは、二人の会話に割り込むことを選ぶ。


「なら、その真実とわたしにお見せください」


 全身鎧が息を呑むのがわかる。

 でもここにまでにベルが浮かべていた顔を思い出せば、囲まれることまで判っていてわたしを連れてきたのだ。そのうえでわたしが真実とやらを受け入れてくれると信じてくれている。

 そしてその真実とやらは『人間の世界の果て』という言葉にも繋がり、アイリス様が向かった先に続いていくものにちがいありません。

 ならば、ええ、ベルのつがいとして、妻としてどんな真実でも受け止めてみせるだけです。


「……わかったわ。レニーと言ったかしら、その言葉に偽りがなければよいのだけれどね」


 あざけるように、しかしどこか祈るような言葉の後、全身鎧は周囲の者たちに下がるよう命じるとこちらに歩み寄ってくる。

 そうてわたしの体を抱きかかえると、その背から巨大ななにかを広げた。

 それが蝙蝠のような翼だと理解するよりも早く、『世界の果て』へ飛び出す。

 悲鳴を上げることすら忘れ、ドンドン近づいてくる雲海を見ていることしかできないわたしの耳に声が届く。


「これぐらいで驚いていたらだめよレニーちゃん。……あの子を裏切らないであげてね」


 小さく、どこかお願いするような呟きに、この全身鎧を纏っているのは女性だといまさらながらに気づく。

 彼女に抱かれたまま飛び込むことになった雲海の中。果てることがないと思っていた白い世界はすぐに失われた。


 視界に広がっていたものは、海と大地だった。


 背後に視線を向ければ端が見えないほどに広がる土色の壁。それが『世界の果て』と呼ばれていた絶壁の底の部分にあたることに気づいたとき、ひらめいたかのように頭が理解していく。

 世界の果てを背にした辺境伯領。

 屋敷の地下から向かう先。

 入ったことはないのに見たことがある場所。

 ベルの口にした人間の世界の果て。

 背に翼を持った人間ではない存在。

 素性を知ったことで逃げ出した男。

 そして、雲海の底の世界。

 つまり真実とは、


「『世界の果て』。それが嘘だと、いうこと」


 無意識に口にした呟きに、全身鎧の女性は小さく頷いた気がした。


 ◇


 視界を覆いつくすほどの巨大なそれはわたしを計るように見下ろしている。

 頭に生える角、蜥蜴のような体に蝙蝠を思わせる翼、漆黒の鱗に身を包んだその姿は、ザッハート王国王家の紋章に描かれる神の使いとも最強の魔物とも呼ばれる存在。

 ドラゴン。


『Guruuuu』


 その巨大な口から地の底から響くようなうなり声が漏れる。

 その足元には先ほどの全身鎧の女性が寄り添うように佇んでいる。その背にはドラゴンと同じ翼が生えていた。


「きたようね」


 彼女の視線がわたしの背後に向かい、それを追うように振り返ればベルが立っていた。


「レニー。ごめん遅くなった」


 普段と変わらない笑みを浮かべるベルに、夢じゃないんだとどこかずれた感想を抱く。


「怖くなかった?」


「もちろん『世界の果て』から飛び降りることになったのには恐怖を感じましたとも。ですけどここまでくると恐怖すら麻痺してしまったみたいですね」


 思わず笑ってしまう。

 伝説の存在であるドラゴンの前に一人立たされていたあいだ、その強大さに圧倒されるばかりで逆に恐怖は生まれなかった。

 浮かべた笑みにベルも笑みを返すと寄り添うようにわたしのとなりに立ち、そっと腰に手を回してくる。

 伝わる温もりに安堵を得ながら、視線を再び漆黒のドラゴンへ向けた。


『GUu、Guuu、Gauuooo』

「禁を破り、なぜ、この地を明かした」


 ドラゴンが唸った後、それを追うように全身鎧の女性が言葉を投げかけてくる。それがドラゴンの言葉を訳しているのだとわたしが理解するよりも早くベルが返答した。


「禁は破ってなどおりません。今銀竜様にお目通りしているであろうルーカス様のつがいと同じく、僕のつがいも資格を持っております」


 ルーカス様のつがいというのがアイリス様のことを指していることにはすぐに思い至った。そしてわたしがアイリス様と同じということは、ベルと辺境伯もまた同じということになる。

 しかし、その推測はすぐに地の底から響いてきたかのような声にかき消される。


『GUUaaaaaaaa!! Guuuuaaaa、Guuuuuuaaaaauuuu、GuuuAaaaaa!!』

「笑わせるな!! 忌み子である貴様と、守り手たるあやつが、同じであるわけがなかろう!!」


 怒りをあらわにするドラゴンは家すらも一飲みにしそうなほどの大きな口を開き、その口内からは赤い火すら揺らめいていた。


「たしかに僕は銀竜様の縁者ではなく、黒竜様を始祖とー」


『GGAaaaaauuuuuuuuu!!』

「貴様は我が血族ではないわ!!」


 口内より炎を撒き散らし始めたドラゴンが怒っているのは明らかであり、ベルがどれだけ言葉を投げかけようと火に油を注ぐ結果になるのは明らかだった。

 しかし、わたしはそこで気づく。

 ドラゴンの言葉を代弁している彼女の視線がベルではなくこちらに向いていることに。


「ベル、後はわたしに話をさせて」


 小さく呟き、驚くベルの腕から一歩前に出る。


『GAaaauuu』

「なんだ人間」


 ドラゴンの目が細められる。

 瞬間、体を押しつぶされたと感じた。

 息が詰まる、全身が石でもなったかのような感覚に畏縮しているのだと頭が遅れて理解する。

 そこで初めて自分がドラゴンの意識を向けられたのだと、さきほどまでは視界に納まってすらいなかったのだと、そしてそれが幸運であったことがわかる。

 背筋が凍るように冷えていき、全身から汗が吹き出ていく。

 奥歯はがたがたと震えているし、失禁していないのが不思議なくらいだ。

 それでも、逃げるわけには行かない。

 アイリス様のことだけではない、私を信じてくれたベルのためにも逃げるわけにはいかない。


『Ggga、Gaaauuu』

「何か、言ったらどうだ」


 交わされた会話からベルとドラゴンの関係はわかった。

 いえ、おそらくは全身鎧の彼女がわざと明かしてくれた情報。

 なぜかは判らないが、彼女はわたしに味方をしてくれている。


「はじめまして始祖様。わたしは先日ベルクラフトの妻と、つがいとなりましたレニーと申します。本日は始祖様にご挨拶に上がりました」


 頭を下げ、一礼した。

 わずかな沈黙の後、ドラゴン、黒竜はわずかにその首をかしげた。


『Gaaaaauuuuu、Gaaaaaaauuuuuuuu』

「話を聞いていなかったのか人間。今は忌み子の禁破りについて話しているのだ」


「はい、ご拝聴させていただきました。ですが、だからといって挨拶をおろそかにするわけにはいきません。尽くすべき礼というものがあります」


『GUu、Guuu』

「ほう、たしかにな」


 黒竜の気配が変化する。

 押しつぶされそうな威圧から計るような洞察へと変わったそれに、わずかに息を吐く余裕を得る。

 それでも安堵には早い。

 必死に考えながら口を開く。


「……改めまして、始祖様にベルクラフトとわたしの婚姻をお認めになってほしいのです」


『GA、GGaaaaaaaa』

「……ふむ、助命を願うのではないのか?」


 黒竜は首を傾げる。

 そのしぐさにどこか愛らしさを感じられ自然と笑みが浮かぶ。

 だから、後は思ったままに口にしようと決める。


「はい、妻として、つがいとして共にあると決めた身でございますゆえ、生も死もベルクラフトとともにありたいと思うしだいです。もし始祖様がわたしのつがいの命を奪うというのでしたら、どうぞわたしの命も奪いください」


 腰を折り、最敬礼で頭を下げる。

 

『Guuaa、Gaaaaa、GUuuuaaaaaaaaaa、Ga……』

「なるほど、この地を知った人間もまた滅するべき命か、だが……」


 黒竜は空を見上げると、わずかにうなり声を上げる。

 それは訳されることなく、その代わりにその腕が伸ばされてその手に全身鎧が乗る。そしてそのままわたしたちの前まで一歩で近づくと眼前にその手が下ろされた。


「乗りなさい、銀竜様のもとへ行きます。かつて人と契約を交わしたかの方の判断に任せるとのことです」


「わかりました」


 差し伸べられた手を取ってその腕に乗ると、小さく鳴いたあと黒竜は飛び上がる。


「忌み子は地を張って追いかけてこいとのことです」


 彼女は一人地上に取り残されたベルに冷たく言い放つ。

 ……扱いの違いすぎませんか。

 そうは思ったが、今は不用意なことを口にするわけにもいかず小さくなっていくベルの姿を見送るしかなかった。

 それからしばらくの飛んでいると視線の先に大きな町が見えてくる。


「あそこはわたしたちの町です。その先にある岬に銀竜様がいらっしゃられます」


 彼女が言い終わる頃には、銀色の輝きをもつなにかが見えてきた。

 近づいていくことでその姿かたちがはっきりと判るようになる。

 黒竜と似た姿かたちを持ちながらもどこかスマートな印象を受ける体に、蒼い輝きを宿す銀の鱗に包まれた肌。その瞳もまた同じ色を宿していた。

 海に半ばその身をつけている銀竜の前には二つの人影が見えた。

 こちらの接近に気づいたのだろう顔を上げた銀竜の横を抜けて旋回すると、黒竜はその横に降り立つ。

 銀竜の前にいた人影の正面に来る形になったわたしは、その顔を確認するなり声をあげた。


「お嬢様!!」


 黒竜の腕から飛び降りてアイリス様の前に行く。


「レニー、 どうしてここに、それにその黒いドラゴンは?」


 頭に竜の角を模した髪飾りをつけたアイリス様はわたしの姿を確認するなり驚きの声をあげる。その後ろにいる子供たちを抱きかかえている辺境伯も目を見開いていた。


「えっと、話せば長くなるのですがーー」   


 アイリス様の問いに答えようとして言葉に詰まる。

 アイリス様のお帰りが遅いことに苛立ったわたしが、ベルに無理を言った結果、この世界の真実を知ることになって、ベルの実家のドラゴンの前に連れて行かれ、妻宣言をした。そして生きて帰ることが出来るかはこの銀色のドラゴン、銀竜の判断しだい。

 この半日ほどの間に起きた出来事をそのままに答えてよいものか迷い、思いついたままに告げる。


「お嬢様が心配でついてきてしまいました。お忘れですか? わたしはずっとお嬢様のおそばにおります。たとえそれが辺境でも、世界の果ての先でもかわりません」


「なによそれ、ふふ、ありがとうレニー」


 笑い出すアイリス様につられるように笑みを浮かべる。


「やれやれ、どうやって人間嫌いの黒竜様を動かしたのやら」


 近づいてきた辺境伯はどこか疲れた様子で、二体のドラゴンを見上げる。

 黒竜と銀竜は顔を近づけて、鳴き声を交わしていた。


「……ところでベルクラフトはどうした? 黒竜様が動いたということはこちらに降りてきているのだろう?」


「ベルは地上から追いかけてくるようにと言われました」


「ふむ、まあ、そうか。そうであろうな」


 何かを考えた後、辺境伯はため息をついた。

 そうして三人で話しているとドラゴンたちの会話も終ったのだろう、大きく鳴くことでこちらを呼ぶ。

 振り向けば二体のドラゴンに挟まれるように浜辺に下りていた全身鎧の女性が喋りだす。

 アイリス様たちは当然知りもしないが、わたしの命が左右される言葉を前に息をするのすら忘れそうなほどの緊張を感じていた。


「まずベルクラフトだが禁を破ったあやつはこの地へ降りることを禁ずる。かの地にて永劫守護者として生きよ。いまここにはおらぬゆえルーカスがわが言葉を伝えよ。

 そしてベルクラフトのつがいたるレニーよ。新たに黒竜妃という地位を用意するゆえ、さきほど銀竜妃となったアイリスとともにかの地を守り、契約を遵守せよ」


「まあ、」


「それは……、なんとも、」


 その言葉にアイリス様と辺境伯の驚きの声が背後から聞こえる。

 告げられた言葉ほどんどが、特に契約というがなんなのかはわからなかったが甘い判決だということだけはわかる。

 だから今ここでするべきことは一つしかないとわたしは姿勢をただして頭を下げた。


「謹んでお受けさせていただきます」


「よし、ではルーカスよ。後の説明はお前に任せよう。レニーといったな、証を用意するゆえ後日再び我が前に来ること、よいな」


 あとで辺境伯に説明されたのだが、証とはアイリス様が身に着けている髪飾りと同じ竜の特徴を現した装飾品のことであり、ドラゴンの一族に迎え入れたという証拠であるとのこと。

 つまりわたしはベルの妻として認められて黒竜の一族に迎え入れられたことになる。

 しかしこのときはそんなことは知らなかったわたしは、命を奪われなかったことに安堵して今にも倒れこみそうになっていた。

 それでもなんとか立っていたわたしの姿を見て満足したように黒竜は頷くと、全身鎧の女性を腕に抱えて飛び去っていく。

 銀竜もまたその姿を見送ったあとで辺境伯に向けて数度鳴いた後、海へと消えていった。

 二体のドラゴンの気配が完全になくなった頃、わたしはこんどこそ倒れこんだ。

 このまま眠ってしまいたい欲求にかられるが、浜辺でこちらに向かっているであろうベルをアイリス様たちとともに待つことになったので何とか意識を保つ。

 ……そういえば海を見るのは初めてですね。

 はじめてみる波打ち際というものをぼんやりと眺めているとアイリス様が訊ねてくる。


「わたくし、レニーとベルクラフトが夫婦になっていたなんて知らなかったわ。いつそんな関係になったの?」


「うっ、あの、それは」


 あの、アイリス様、できればそのあたりは秘密にしておきたいのですか。



 子育てなどに追われていると時間などはあっというまにすぎてしまうようで。


「父上、母上、ラミアも、行ってまいります」


「いってくるね三人とも。お土産期待してて!」


「お兄様、お姉様、お手紙出すからちゃんとお返事してね。ぜったいだよ」


 馬車の前でルーク様とリーネ様にラミア様が別れを惜しむように抱きついている。

 わたしは一年遅れで王都のルガール学園に入学することになったルーク様とリーネ様の世話役として王都に行くことになった。

 辺境に来てから十年近く。

 変わらぬ日々を送っていた辺境とは違い、王都のほうは少々きな臭い。

 優柔不断な王に病に倒れた王妃、子供のいない側室。後継者を選ばない公爵や後継者争いが激化する伯爵などなど。

 アイリス様がお二人の王都暮らしを心配してわたしに同行を頼むのがわかる。


「かあさん、アイリス様たちは僕がしっかりを守ります」


 考えるだけで気が滅入りそうな王都生活にため息を付いていると、わたしの天使が見送りにきてくれた。


「ローカス、表に出てくるなんてよく始祖様がお許しなられたわね」


 わたしとベルの息子、ローカス。

 竜人としての特徴を強く受け継いだ愛する我が子はラミア様と同じ角だけでなく、尾と翼をもって生まれてきたため今は向こう側で黒竜とともに暮らしている。


「はい、クリアーナ様が同行することを条件に許可をいただきました」


 ローカスの振り返った先、屋敷の玄関の前には全身鎧が立っていた。


「クリアーナ様、ローカスのことお願いいたします」


「私の命に代えても守るから安心なさい」


 頭を下げれば、なんとも大げさな言葉が返ってきた。

 そのことにくすりと笑いながら、心の中だけで言葉をづつける。


 ーーいってまいります、帰ってきたときには素顔をお見せくださいね。お義母様。


これにて一応の完結となります。

前作、前々作は多くの方にお読みいただけたようで、ここでお礼申し上げます。


感想を書き込めるようにしておりますので、三作を読んでの感想をいただければ幸いです。




……双子の学園生活に需要はあるのかな?

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― 新着の感想 ―
[一言] それにしても死ぬべき人間を間違っている。アイラ様は生きるべきでリリエッタは死ぬべき。
[一言] ワケわからん、突然ファンタジー成分増えて、アイリス強姦されたか睡姦されたのか間違いなく同意しての訳がないはずなのにラミアの存在を平然と受け入れてる。どっかの時点で壊れたのか?
[一言] 一気にファンタジー路線で驚きましたが 大好きなのでこのままお願いします。 >双子の学園生活に需要はあるのかな? ございますとも!
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