渡しそびれたネクタイ
彼と私は夏の家のバイトで知り合い、付き合い始めた。
年は同じ年の大学2年。彼は名古屋、私は大阪での遠距離恋愛
が始まった。第2話にも書いた通りそれはそれは楽しかった。
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あれから2年。私たちの付き合いは続いた。体の調子が悪いとき
以外は、2週間に一回必ずデートをした。
私は、これからは、資格の時代だと思い、医療事務の資格を取り
家から車で15分のところにある大学病院に就職が決まった。
彼は、大手自動車メーカーの下請けに就職が決まり、いよいよ
2人とも社会人となった。
のんびり、しかも怠け者の学生に甘んじてた2人は
新社会人の忙しさを目の当たりにした。
まず初めは、覚えることが沢山あった。彼もそうだが
私も医療用のパソコンを覚えるのに毎日毎日必死だった。
朝の8時に出勤し、帰りは7時を超えていた。
しかも新人の私達など上司が帰らないと帰れない。
家に着くとバタンキューでそのまま寝てしまうことも
しばしばだった。おまけに病院は土曜も休みじゃない
半日で終わるとはいえ、帰り時間は遅い。
疲れで精神も体もすっかり疲れて行った。
あぁ彼の声が聞きたい。夜電話をしてもかれもまだ帰宅していない。
「今、まだ会社さ、研修、研修でやることが山のようだよ。帰ったら電話する」
それと、歓迎会やら花見会やらで新人は必ず駆り出され
飲まされる。それは私も同じだった。
帰ったら電話するといった彼。
夜中の2時まで待ったけれど掛ってこなかった。
待ちくたびれた私は仕事の疲れもあって眠ってしまう。
後で聞いてみるとやはり疲れて帰って気がついたら眠ってしまってたらしい。
私と同じ。ひとりで苦笑する私。
忙しくなってしまい、まして遠距離の私達にとって以前のように
2週間に一度のデートは難しくなってきた。
彼から提案を持ち出された。
「4年前2人が出会ったあの海へゴールデンウィークに旅行に行こう。
俺、給料も出るし車も注文した。助手席に初めて乗せる女はお前だよ」
私は、嬉しくて嬉しくて、仕事でどんな辛いことがあっても
これで我慢できる。早速部屋のカレンダーにハートマークをつけた。
一泊旅行。彼と初めての泊りでの旅行。だからそれまではデートはなし。
それでも構わない。一日終わるごとにバツ印をつけ、
その日を待ち続けた。深夜の電話はできたりできなかったり
彼も必死に仕事を頑張っているんだ。そっとしておこう。
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そして待ちに待ったその日がやってきた。私は、久しぶりに
会うために美容院にいき、前もって服も買いに行き、
彼に内緒でネクタイをプレゼント用に買い包んでもらって
いざ出陣。いつもの待ち合わせ場所で少し大人びた彼が待っていた。
久しぶりに見る彼はやっぱり眩しくて、新鮮な感じがした。
私の荷物を持ってくれ、駐車場に行くとピカピカの
トヨタのプリウスがあった。助手席を開けてくれ
「どうぞ」とよそよそしく言う彼に笑いながら乗ると
新車の匂い。でもレモンライムの芳香剤のいい匂いも
相まって私は、酔ってしまいそうだった。
初めて見る運転する彼は本当に素敵だった。
お互い仕事の話、たわいもない話、彼がするいつもの
ギャグに笑いながら、あっという間に目的地に着いた。
私達が出会った海の家。あの頃と全く変わらない。
思わず涙がこぼれてきた。ドキドキして告白した
まだ若かった、彼と私。手をつないで歩いたあの海辺。
まるで4年前にタイムスリップした様に感じる。
「ホテルはあそこだ、急だったからあそこしか空いてなかった」
見るととてもおしゃれとは言えない少しさびれたホテル。
でも彼となら何処でもよかった。チェックインを済ますと
早速部屋に案内された。狭いけど小奇麗にしてあるシンプルな部屋。
荷物を置くと、窓から見える海をしばらく無言で2人でみつめた。
私は4年前に戻っていた。あれからずっと彼への想いは変わらない。
たとえプロポーズされたとしても少し若いけれどOKしちゃう。
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夜になり入浴を済ませた私達は夕食を食べた。
海の幸、おいしい海の幸。彼は大好きな日本酒を何杯もおかわりしていた。
「そうだ、今日はお泊り。私にもちょうだい」
2人で乾杯するとほろ酔い気分の彼はよくしゃべり
私も聞いてるうちにいい気分になってきた。
懐石料理の最後のデザートの抹茶シャーベットを食べ終わると
私達は、テーブルを後にした。
お揃いの浴衣を着た私達はほろ酔い気分で腕を組み部屋へと帰った。
なにより星と月を見るのが好きな私は、窓からそれを眺め、
今までの彼とのいろんな出来事を思い返していた。
うしろから顔を赤くした彼が近寄ってきた。
「お前、昔から好きだったな、星を眺めるのが」
うん、と言おうとした瞬間、彼が私を抱き寄せた。酔ってるせいだろう
いつもよりちょっと違う彼。激しくキスをされ、眺めていた夜空が
歪んでいった。そのままベッドに運ばれるともう私はなされるがままだった。
私も酔っている。その夜はいつもより激しい夜だった。
でも幸せだった。このまま時間が止まってほしい。そう思うほど。
酔ってる分彼は先に眠ってしまった。
私はその寝顔をずーっと眺めていた。私が眠くなるまでずーっと。
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いつの間にか朝になっていた。私が目覚めると先に彼が起きていた。
「おはよう」と彼。「あははっおはよう、早いのね。すぐ支度する。
待ってて」と私。そして朝食を済ませると、彼がこういった。
「あの想い出の場所に行かないか?」ピンときた。私が告白した場所だ。
「うん、行きたい」チェックアウトを済ますと早速歩いて行った。
あのときの心境を無邪気に話す私と違って彼は、終始無言だった。
「あ、ここよ。ははっ変わってなーい」懐かしかった、建物自体さえ愛しく思えた。
「話がある」不意に彼が言った。「えっなぁに?」笑みを浮かべて
くるりと振り返ったその先に、妙にかしこまった彼がいた。
「別れよう」・・・・私の笑みが急にに真顔になった。頭が真っ白になった。
涙さえ出てこなかった。「なんで?なんでなの?」
しばらくして彼はこう言った。「俺は、お前のことが好きでたまらない。
だけど、今は仕事に一生懸命にならないといけないんだ。俺が、ずっと
考えた答えだ。ごめん。俺達出会うのが早すぎたと思うんだ」
「私のことならいいのよ。何年でも待つし…何十年でも・・・」
もう言葉にならなかった。ただ「ほんとにごめん」という彼の声が
ずっと遠くから聞こえた気がした。視線を落とした私の眼から涙が
とどめなく流れた。・・・・彼の顔は見れない、でもきっと悲しい顔を
しているだろう。・・・「さようなら」それだけ言うのが精一杯だった。
私は彼の前を後にした。走って走って走って行った。
フロントに預けてあった荷物を受け取ると最寄りの駅を聞いて走って行った。
涙が止まらない。なぜ?今まで辛いことも楽しいことも分かち合った4年間。
まさかこんな幕切れに終わるとは、自分が情けなく、どうしようもなかった。
今まで共に過ごしてきた彼との日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡っていた。
拭うことさえ忘れていた涙を拭おうと、カバンのジッパーを開けると
中から、かれの車のレモンライムの香り。
それと共に出てきた渡しそびれたネクタイの包み。
それを見た瞬間、私は泣き崩れた。
こうして私の一途な4年間に突然ピリオドがうたれてしまった。 END