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稲荷姉妹の激戦

「うわぁあああ!! あああ! この! 妹のくせに、生意気な……!」

「同じ田舎者でも、私の方が技が優れていたということです『和佐山』のお姉様」

「このくらいで調子のるんじゃない! まだまだ」

「素直に降参すればよろしいのに……って、あっ! この──卑怯なッ!」

「隙を見せるから、こうなるんだよ。和佐山千年の功徳をばかにするんじゃない」

「うっ……く……ぐぬぬ……」

 茂野が山の裾である三ノ宮から本殿に繋がる表参道の石段を駆け上がると、女稲荷の声が聞こえてきた。

 茂野が『和佐山』侍従と対峙している間に、稲荷姉妹は対峙しすでに口上は終えて腕っ節の勝負になっているに違いない。

 本殿を破壊されては困る。

「銀朱様!」

 助力に向かわねばと強く障子を押し開くが、そこに稲荷姉妹の乱闘があるわけではなかった。

 向かい合って火花を散らしてはいるが、その間には盤がある。

 盤上を睨み合いながら、口争いをしているのである。

「……銀朱……様……?」

「あぁ茂野、この『和佐山』のお姉様が、中々手強い。必ず勝つからそこで待て」

「茂野、お前が茂野か。あーあ、ぷには撃破されちまったのか。成仏しろよぷに。私が敵取ってやるからな、とりゃー」

 ビシと飛車を動かし歩兵を弾くと、銀朱が負けじと歩兵で奇襲に出る。

 ──茂野は研ぎ澄ましていた感覚を。ふやかせたように肩を落とした。

「……お茶をお持ちしますか……?」

「姉様、当山は玉露一筋ですがよろしいでしょうか」

「うん、あ、これ何か使えるかなーとか思って持ってきた。よかったらどうぞ」

 『和佐山』はどこから引き出したのか、和佐山銘菓、弾丸かすてらの箱を楚々と押し出した。

 天才侍従茂野にも、この状態をすぐに把握することはできなかったが、すぐ横に時雨がついて耳打ちする。

「茶を出したらすぐに『紅葉山』のところへいくぞ、茂野」

「はい、しかしこの場はいかがしましょう? なにゆえ将棋勝負に」

 血気盛んな銀朱のことだ、売られた喧嘩は拳で返していると思っていた。

 茂野の記憶が正しければ『和佐山』三那彌という女稲荷も、力で物をいわせる性質があったはずだった。

 総本山分社の本質に、正直なこの二柱が向かい合ったら、その果てにはるのは焼き畑だけだろうと思っていたのだが……

「阿呆なこの姉妹達は、口で丸め込み将棋試合に転嫁させておいた。話は聞かないが、両方とも騙しやすい。将棋が終われば本来の状況を思い出すだろうが、暫くは終わるまい」

 さすが『葵山』と褒めたいところだが、茂野は盤上で争う二柱をどこか不憫に思ってしまった。

「とりあえず、ここは銀朱に押さえてもらえる。急ぐぞ」

 姉妹は将棋以外は目も入らぬ激闘っぷりである。

 茂野はその場の均衡を保つために、茶と和佐山弾丸かすてら、そして大江山銘菓も並べて時雨と紅葉山へ向かった。

「山の裾を踏んでいた輩はどうした」

「『和佐山』侍従と、そして『穂旦山』侍従の二柱であったようです。『和佐山』侍従はその場で押さえました」

「『穂旦山』侍従か、さすがに押し返すには体面が悪いな。私たちは無関係だからな──」

「『紅葉山一ノ宮麓』が押し返せば筋は通りますが……」

「朱善が『穂旦山』侍従を押し返せるとは思わない。急いだ方がいいな」

「なぜですか」

「──朱善は女に手をあげない」

 山並を駆け、霞みを足場にして飛躍すると、吹き寄せる秋の風に時雨と茂野の黒髪が靡く。

「『穂旦山』侍従がおなごという話は初めて伺いました。契里姫から『和佐山』侍従の子であるという話は、耳に入れておりましたが」

「新米も新米、豆粒のような侍従だ。あれに手を上げるのは立場ある者ほど難しいだろう」

 時雨はため息混じりに『紅葉山』の居場所を探した。

 一ノ宮でこの事態を知らずにのんびり契里と茶をすすり、切り絵などして遊んでいるに違いない。

 その状態を望んでいたとはいえ、想像すると力が抜ける光景だった。

 契里という女稲荷は、銀朱が言っていたように、自分には余りある妹であったのかもしれない。

 戯れに、もし先代『葵山』が存命で『紅葉山』に寄り添うことがあればどのような景色であっただろうかと、考えることもあった。その光景はとても和やかであっただろう。

 互いを強く結びつける多くの時と経験が、揺らがぬ絆をもたらしたに違いない。

 だがそれは時雨の妄想でしかなく、夢物語に過ぎない。

 どのように願っても、夢想でしかない。

 先代は『紅葉山』と和やかに語り、心温まる交流をすることなど、なかったのだから。

 先代の意志を継いで『紅葉山』に恋慕した『葵山』の思いを、誰よりも理解したというのに、それでも時雨がその役割を果たすことはできない。

 時雨が父『紅葉山』に示すことができる愛情というものは、先代『葵山』や契里のような、真っ直ぐな愛情では表せない。

 到底無理なのだ。

 侍従村上は、それを理解して時雨を「つんでれですね」などと言うが、それは認めざる得ない。

 『紅葉山』を思う年月を誰よりも深く織りなした『葵山』も、常に隣で兄を信じている『大江山』も『紅葉山』の隣につけば、恐らく契里のようには振る舞えない。

 多くの先入観や感情、理解しがたい思いやねじれた思いが邪魔をする。

 それらを無に戻し、自然に『紅葉山』と接する契里という妹に、敬意を払わねばならない。

「嫉妬だな、見苦しい」

「?」

「だがこれは、よい嫉妬なのだと、そう思おう」

 並んで空を行く茂野は、風の隙間で零れる時雨の呟きに顔を上げた。

 上げたが、それが自嘲であるのだと気づくと聞かない振りをして、顔を逸らし、山脈の向こうの紅葉山へ意識を集中する。

 目に映ったのは紅葉山二ノ宮の千本鳥居を、小さな影が駆け上がる姿。

「時雨様、いました。あれです──『紅葉山一ノ宮麓』の姿は……ないようですが」

「契里に追い返してもらうか、『紅葉山』に追い返してもらう他に手はないが──」

「しかし『穂旦山』──いえ、大三縞筆頭には連絡をしているはずです。それでも『穂旦山』侍従が参るということは、山で何かあったのでは」

 茂野の言葉に時雨は眉を跳ねた。

「契里が聞けば怒るだろうがな、穂旦山に何かあったとしても紅葉山の現状に優先される事項などない。大体その筆頭に連絡をつけているのだから、何かあったとしても『大山積』清高が処理するが道理であるぞ」

 茂野は時雨の言葉に、理解を示しながら解法を探った。

 ──使者は村上だろう。村上が伝達をしていないということは……

 芸州は村上には慣れた地だ。

 道草を食って牡蠣など食んでいたとしても、迷うことなどないし、余裕のはずだ。さすがに長く侍従を務める身であるから、伝言内容を曲解して伝えたということはないだろう。

 ……いい、とは思うが、だが信頼などという言葉を、村上に当て嵌めるには危険だ。

 もしや村上は……

「時雨様、村上はもう戻りましたか」

「いいや」

「恐らく村上めが何か仕損じたのです。それで『穂旦山』侍従は──」

 茂野はそこまで言って、大江山の方角へ振り返った。

「『和佐山』も『穂旦山』を紅葉山にしばし留めたいと願い出た、こちらの事情を知らないのは」

「どういうことだ」

「村上めが仕事をしていないということです!」

 時雨は一瞬、途方もなく愕然とした表情をして、目頭を押さえてから顔を上げた。

「茂野、お前は村上の所へ」

 時雨は茂野の肩を押し、それから『穂旦山』侍従の駆け上がる鳥居へ視線をやった。

「時雨様が、直々に対処されるのですか」

「私の侍従がしでかした不手際であったとしたら──いや、そうに違いないなら、先に私が直接手を打たねばならない」

 茂野は時雨に続いて額を押さえ、心の底からため息をついた。

 十色筆頭『葵山』稲荷神が、ついぞ侍従位を得たばかりの小さな狐に向かい合うという事態は、本来ならあり得ない。

 あってはならない。

 だが今ここで、その是非を問う暇はない。

 茂野は時雨に答えて、意識を紅葉山、大江山の領域から外へ向けた。

 ──今度ばかりは、村上めを処断するかもしれない。

 茂野は顔には出さないまでも、ここ数年振りの殺意を滾らせた。

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