侍従の対峙
「──それで、銀朱様を捕らえ『葵山』を牽制し、『穂旦山』と交換して取り戻そうと、そういう計略であると」
低い茂野の声が『和佐山』侍従の耳に届く。
その声が少し遠いのは『和佐山』侍従が、足を掴まれて逆さ吊りになっているからである。
両手を投げ出し、吊されるがまま。
つまり完全なる降伏状態であったが、まだ『和佐山』侍従には意識が残っている。
彼が茂野に捕捉されるのは一瞬だった。
個体差であるとか、地の利であるとか経験値であるとか、そういったもので力量差を測ることは、児戯と思えるほどだった。
挨拶代わりの狙撃数発の軌道を曲げ、茂野は真っ直ぐ突っ込んできた。
このままでは理緒と共にすぐ足を止められる。
『和佐山』侍従ができたことは、理緒に「先に行け」と命じるのと、追撃してきた茂野の手刀を受けることだけ。
失速し受け身を取ったが、その際に地に転がり跳ね返り、銃を手離すと茂野に空中で銃を奪取された。
茂野からすれば銃などという直線上の攻撃にしか応じられない人の子の武具など、武具には入らない。ただの鉄の棒でしかない。
こういうものは──こうするのが一番だ。
茂野は銃を箒に見立て『和佐山』侍従を塵芥であるかのように、力一杯払い退けた。
二度目は籠手で衝撃を抑えたが、勢いまで殺すことはできず二度『和佐山』侍従は跳躍した。
地に落ちると初手で受けた手刀の痛みで、体が思うように動かない。
痛みで細めた目に映る茂野は、手にした銃を岩に叩きつけて折り捨てると悠然とこちらへ向かってきた。
その足運びの悠然とした様が、憎らしさまで覚えるほどだ。
「いきなり発砲し名乗りもないということは、処断される覚悟であるということか」
『和佐山』侍従が初めて聞いた天才茂野の声は、老成し落ち着き払っていて、手負いとなり息の荒い己とは随分と違う。
呼吸を整え痛みを意識から切り離すために、彼は返答をせずに視線だけ投げた。
「私はここ雲海の満ちる『大江山』稲荷銀朱姫が侍従茂野。裾を踏んで行くだけならまだしも、敵意を向けるならそれなりの覚悟を持って立ち退いて戴こう。この先は『大紅葉山』の領域になる。不心得者が一度でも足を踏み入れ穢してよい場所ではないぞ」
投げやられた視線に応え茂野は口上を述べながらも、先に行かせた理緒を追う様子はない。
『和佐山』侍従など、すぐに叩き伏せて後を追えるという自負なのだろう。
茂野が名乗ったのにも関わらず応えない『和佐山』侍従に、茂野は諦めにも似た視線を己の手元、ゆがんだ銃身へ移す。
「稲矢に的の紋……」
粉砕した銃に彫られていた、和佐山の紋から侍従の素性を探ろうとしているようだった。
力量差は、対決前から分かっていたことだ。
侍従見立番付に西の大関として印された茂野は、守るべき山を変えても燦爛として刷られ続けている。
松の位を代わる者など存在しない。殿堂入りにされるべきの存在だった。
『和佐山』侍従は齢千年を越えた今も、風に乗せるべき二つ名もない。
たった一度、名を載せただけだ。
番付は娯楽としての評価ではないのだと『和佐山』侍従はきつく歯を噛みしめた。
だがここで諦めるには早すぎる。
銃は三丁手持ちがある。
距離があるうちに構えなければならない。
と、そこまで考え至り、跳ね起き全力で立ち向かったが、五分も掛からず──挙げ句、茂野側は武具を抜くこともなく、現状にいたる。
そう、足を掴まれ、逆さ吊りでぶら下げられている状態である。
「……『穂旦山』侍従を、行かせたのは、どうしてですか」
「残念だが『大江山』には『穂旦山』侍従を足止めする正統な理由がない」
「ふ、僕があれを『穂旦山』侍従と呼んだだけで、本当は違うかもしれないのに、いいのですか?」
『和佐山』侍従は茂野を少し困らせてやろう、と思ってそう吐いたのだが、茂野は難と無しという表情であった。
その顔に、動揺や不安が走ったようには見えない。
「侍従位を騙り詐称し計略するものたちであるなら、所詮はそれまで……『紅葉山一ノ宮麓』が処断するだけの話だ」
なるほどこの先にもまだ壁はあるということか。
『穂旦山』侍従がその壁を乗り越えて主の元へ辿り着けるか、『和佐山』が『大江山』を使って『穂旦山』を奪取できるか……どちらが早いだろう。
『和佐山』侍従は吊されたまま考えたが、頭に上る血がそれを攪乱させた。
意識を手放す方が楽だが、そうすれば茂野はすぐに理緒を追うか、本殿へ帰り『和佐山』の邪魔をするだろう。
「それに貴殿が侍従位を軽んじる者だとすれば、美智花に命じて葛緒を豊山に戻すように相談をする必要がある。一門の娘が品位のないものに囲われるのは見たくない。ましてや、葛緒は守夏様の御厚意を得たもの──地方で無駄に消費するべきものではない」
ぎくりと『和佐山』侍従の顔色が変わった。
「豊山茂野家に戻すのは簡単だ。仕えるべき相手──つまり貴殿が殉死すればいい、違うか」
掴まれた足に意識が向かう。
今、生きるのも死ぬも、茂野の意のままであるのだ。
『和佐山』侍従は深く深呼吸して、すべての敵意を解き消した。
「……うそは、ついていません。あれは『穂旦山』侍従で、僕は『和佐山』三那彌様の行動のための、足止めです」
「年長相手に駆け引きするのは、知恵と功徳が足りないな『和佐山』侍従」
茂野は『和佐山』侍従の足を掴む手を離した。
そのまま受け身も取れずに地に落ち顔に砂化粧をする彼を置き、茂野は背を向けた。
「待って下さい。僕を処断しないのですか」
地に落ちたまま問うと、茂野は足を止めて肩越しに振り返った。
霜のような白の交じる髪が風に撫でられ、青い目から柔らかな眼差しが降り注いだ。
この場でその笑みを浮かべる余裕がある事に、嫉妬すら覚えたが、優雅な笑みは己自身と『和佐山』侍従の向こう。遠く──和佐山の方に向いていた。
「姫様の山の裾を同属の血で汚す趣味もなければ、一族の娘が泣く姿を見る趣味もない」
「僕は貴方が、このまま背を向けた瞬間に、撃てますよ」
「撃てばいい。己の持つ侍従の誇りに傷をつけてまで、無用な時間稼ぎをしたいのならば」
茂野はそこまで言うと、あぁ、と優しい視線を『和佐山』侍従へと投げた。
「名乗らなかったのも時間稼ぎの為か。だが、そのやり方は田舎者と誹られる。次からはやめておくのだな」
茂野が返したのはその言葉だけ。
無防備に向けられた背に対して『和佐山』侍従は銃を構えたが、火を撃つことはできなかった。
構えた銃を地に落とし、最初に茂野に当てられた右腹部を押さえる。
痛みから燃えるような熱を感じたが、手刀であったからこうして命が繋がっている。もし白刃を振りかざされていたら、今頃まっぷたつになって自分の体が山の裾に転がっていたに違いない。
捨て身で稼いだ時間が、功を奏するかどうか。
重い体を引きずり『和佐山』侍従は大江山の本殿へ視線を上げた。




