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嫁入り計略

 私、何をしているのかしら

 契里は度々その思いを浮かべながらも、視線は外の紅葉から動かせずにいた。

 場所は紅葉山二ノ宮にある、雅葉殿である。

 ここは本殿と距離もあるいわゆる『紅葉山』にとっては別邸にあたる。

 かつてひとの子の権力者がここ雅葉殿を建て茶人と秋の時間を嗜むための離邸であるのだが、なぜかそこに居座る形になっていた。

 ここには毎日契里の顔を見に『紅葉山』がやってくる。

 今日は『大江山』がやってくるらしいのだが、問題はそこではない。

 『穂旦山』稲荷神として守るべき山があるのに、なぜ自分はここ『紅葉山』に根をはっているのかということだ。

 しかし『紅葉山』に命じられてここにいる──監禁などという類ではない。

 ごく自然な流れで、しかも契里は自分から望んでここにいる。

 契里は自分が望んでここにいるということが、自分でも理解できていなかった。

「早く帰らないと、みんなが心配するのに。理緒は泣いているかもしれないのに、私──何をしているのかしら」

 今日何度めになるのか分からない自問自答に、いつもなら焦りくらい出るものなのに体が動かない。

 最初のきっかけは、『紅葉山』に山の造型を讃えたところからはじまった記憶がある。

 ──さすが紅葉山、まるでもみぢの海のようです

 ──十日もすればもっとも美しく山が染まるな

 ──ぜひ全盛の山の景色をご一緒したく思います

 その願いを、『紅葉山』はいとも容易く受け入れ、雅葉殿を契里に与えて最盛の山燃える様を待ってくれているのだ。

 ──その目に焼き付けて『穂旦山』に持ち帰るといい

 なぜだろう。そう御山の紅葉を契里に分け与えようとする兄の横顔に、得も知れぬ感情が湧いてしまったのだ。

「お姉様」

 声を掛けられて、契里は顔を上げた。

「『大江山』」

「失礼してよろしいですか。どうなさったのですか昼とは言え灯りもつけずに」

「あ……いいえ。こうすると、もみぢが際だって見えるでしょう」

 雅葉殿から開け放された窓の外の紅葉の連鎖が、漆黒の枠に縁取られている。

 絵画のような景色を、『大江山』銀朱も並んで見つめた。

「美しいですね」

「そうねぇ」

 軒下に控える茂野は、銀朱の求めに応じて持参した菓子を畳に滑らせた。

「今日は特別に何というわけでもなく、お姉様の膝元のお話など伺えたらと思って参りました。何もせずともこの景色を見ているだけで千日を過ごせてしまいそうですが、末妹にお付き合い下さい」

「ありがとう。でも、時雨様を放ってよいのですか」

 『葵山』時雨は契里と共にこの山へ入った。

 挨拶の際に後見としてたってくれたのだが

「いいのです。時雨様はおなごの気持ちというものに鈍感が過ぎます」

 銀朱はぷっと頬を膨らませて、茂野から差し出された茶に手をつけた。

「言い争いでもしたのかしら」

「しました。それと、お姉様のことです」

「私? あぁここに居座ってしまったから時雨様が気にしていらっしゃるねぇ。『紅葉山』の寝首をかくことができる距離ですものね。心配させてしまってるのね」

「違います」

 銀朱はやけにはっきりと言い放つと、持参した土産の箱を両手で潰す勢いで身を乗り出した。

「『紅葉山』のお兄様が『穂旦山』のお姉様に手をつけないか心配しておられるのです」

「は……」

「紅葉山にしばし逗留されると聞いた時、一番に心配したのがそれだそうです。言ってやりました。時雨様があれこれ言える立場ではもうないでしょうと」

「時雨様ってば、ふふ」

「時雨様にとって、『穂旦山』のお姉様がいままでもこれからも特別な妹であることは私も理解しております。でも『穂旦山』のお姉様がいつまでも御自分のことだけを思っていると思うのは片腹痛いと思いましたもので」

「そういう接し方を、私は時雨様にしてきてしまったのよね。傷ついて、苦しんで、悩まれてきたあの方を無条件で癒してあげるそんな妹でいたの。なぜそうしてきたかといえば、私もそうやって時雨様に無条件で心救って頂いたから」

 銀朱には背伸びしても覗くことができない、ふたりの関係。

 銀朱は時雨がこれまで、多くの妹と心通わせてきたという話を聞いている。

 これみよがしにそれを突きつけてくる『極楽山』のような姉に対してはむきにもなるが、『穂旦山』はそれとは違って、その在り方を教わりたいと思う正真正銘の姉のような存在だ。

 初めて顔を合わせた時に、契里は時雨のことを銀朱にこう耳打ちしたのだ

 ──時雨様、たまにとても、かわいい御方でしょう?

 契里は時雨にとって兄のはずでそのように兄を表現するには長い関係がないとあり得ないと銀朱は思えた。

 そういう一面を時雨が無防備に誰かに見せるとは、銀朱には思わなかったからだ。

 かつて二柱がどのように思いを交わしあい、寄り添って有り続けてきたのか純粋に気になっている。

「でも─そういった時雨様との関係も終いです。時雨様は新しい歩き方を選ばれたのだから。時雨様が心を休めるべき場所は、私の膝ではなくあなたの膝なのだから」

「私はお姉様のように、うまくはできないと思いますが……」

「うまく出来すぎていたのよ。私はもっと失敗をしてもよかったのだと、ここ数日思ってたのよねぇ」

「……というと?」

「箴言をすることもあったけれど、一度も言い争いなどしなかったわ。何でも許して差し上げてしまったし、認めて差し上げた。私の中で、時雨様は立派なお兄様であって何かを改めるべき存在ではなかった」

「理想の存在であったということですか」

「そうね。恥ずかしいけれど、時雨様の特別な妹だと実感できるだけで私は嬉しかったの。だけど『大江山』あなたは違う。色んな不足を補いながらも時雨様の隣について歩いていける」

 銀朱は契里の青い目の向こう、紅葉の折り重なる天空へ視線を揃えた。

「分かります。その気持ちは多分、私が『紅葉山』のお兄様へ向けていたものと似ているのだと思います」

「『大紅葉山』……正直びっくりしたのよねぇ。なんだか想像していた方と全然違っていて」

「でも、私の自慢のお兄様なのですよ。とてもお優しい方です」

「えぇ。それはお会いして感じました。ねぇ『大江山』分かって?」

「はい?」

「私が今、あなたへ時雨様を託す思いは、今あなたが目を輝かせて私に『大紅葉山』を語る気持ちと同じなの。時雨様は芸州の誇りでした。自慢のお兄様なの。だからどうか、支えて差し上げて」

 契里は銀朱を時雨を奪っていった嫌な妹だと今でも思っているのかもしれない。

 銀朱はそう考えていたが、その考えは捨てなければ失礼だと気持ちを改めた。

 自分の目と心に感じる契里は聡明な姉で、醜い感情で周囲に悪意を撒く存在ではない。

 こういうところは、まだ私には備わってないな。

 銀朱はがっかりもしたが、その分ないものを持つ契里に魅かれた。

「時雨様が未練たらたらなのも、分かる気がします」

 困った笑みを浮かべて己の袖を掴んで軽く弄ぶ妹が、契里としては可愛かった。

「ふふ。私はついぞまで芸州筆頭であった『穂旦山』契里です。そこまで魅力がないつもりはないのよね」

 でもそんな私が、なんでこんなところに居残ることを選んでしまったのだろう。

 と、冒頭の思いに立ち戻ってしまう。

 時雨に未練が残って悶えているわけでもなし、『紅葉山』への挨拶もそつなくこなせたはず。

 あとは帰るだけだった。そうすべきであったのに。

 山の全盛を見たいなどと言ってしまったのはなぜなのか。

 契里は茂野から差し出された洋菓子を手にして再度ため息をした。

「お姉様、何か不足があれば私にお申し付け下さい。紅葉山には従者の数に不足があって行き届かないところもあるかと思いますので」

「あ、違うの今のため息は、そういう類ではないのよ。なぜかしらね、自分でも分からないのよねぇ」

「差し出がましいついでに、申しますが……その」

 銀朱は視線を躍らせてから、茂野を押し出すようにして下がらせた。

 ひみつの話だと言って外に追い出す銀朱を、契里はののほんと見ていたが、茂野を追いだして戻ってきた銀朱は思い切り契里の肩を掴んだ。

「その、私は『穂旦山』のお姉様であれば『紅葉山』のお兄様とご一緒でも、悋気を起こす気はありませんので!」

「え?」

「お気づきですよね? お姉様……『紅葉山』のお兄様のことを──思っておられるでは?」

「私が? だってほんの一週間前にお会いしたばかりよ」

「でもお姉様が『紅葉山』のお兄様のことを見る目や言葉の端には、特別なものを感じます。少なくともこの山に残って全盛の山を見たいと仰るお姉様は私初めてお会いしました」

 銀朱はそこまで言うと、契里の肩に添えていた手を離し、ゆるゆると着席した。

「お兄様には、永劫を見守ると心に決めたひとの子がいます」

「あぁ、あの……悪狐と罵られる一端ですね」

「そうです。それゆえに嫁をとることは、一切ないのです」

 契里は急に胸に重石がのった気持ちになった。

「でも、誰かが側にいてあげなくてはと私はそう思うのです。お姉様なら……」

「待って『大江山』私は」

 そんなつもりはない──誤解だ。

 この気持ちはそんな、誰かを思うとか、好きであるとかそういった気持ちではない。

 これは望郷だ。

 胸を締め付けるような過去を想う気持ちが引き起こす引き潮のような現象なのだ。

 穂旦山に未熟な侍従を残し、山を離れていることで不安になった気持ちが情緒を不安定にしているだけなのだ。

 と、懸命に自分の不可解な気持ちに整合性をつけようとする。

 それを銀朱のまっすぐな青い目が突き破った。

「ご自身で気がついておられないのですか……?」

 『大江山』は不思議なものを見るように、契里を見てきた。

 違うと言いたいのに、契里は思うだけで口には出せないでいた。

 それにやっと自分でも気づく。

「違うのなら、私の思い違いです。否定して下さいお姉様」

 簡単なことなのに、契里はなぜか否定ができなかった。

「お姉様」

「私」

 私は失敗を恐れているのだと、喉の閊えが契里に囁いた。

「私は──」

 山嵐がもみぢ葉をかきあげる。

 紅葉を巻き上げる風は、山頂から麓までを駆け抜ける。

 葉の先が擦れ合う音の隙間から覗く契里の唇は、硬く結ばれたまま開かなかった。



「時雨様、ただいま戻りました」

 村上が『大江山』社殿の奥で本陣をとっていた時雨に戻ると、時雨は生返事だけ送り、手にしていた筆を置いた。

「『大山積』と契里の新しい侍従には話しを通したか」

「はい。『大山積』に至っては予想していたご様子でしたよ」

「たぬきめが……動き出すとやっかいだが、敵でないのだからよいとするか」

「むしろ『穂旦山』侍従の方がやっかいでした。契里姫を止め置く理由を教えろとかじり付かれました」

「まぁ侍従であるならそういう反応をするだろう。なにせ留め先が紅葉山だからな」

 村上は時雨の言葉に肩を上げて笑うしかない。

「しかし本当に『紅葉山』は『穂旦山』を気に入ったとお思いですか」

「間違いないな。あれが自分の膝元に長く妹を滞在させることを許可すると思うか」

 文鎮を掬い上げ、したためた文を書箱へ流し入れると、書机から脇息に重心を置き換える。

 時雨は戻ってきた村上を招き入れて声を潜めた。

「例え契里が全盛の山を見たいと我が侭を言ったとしても、のらりくらりと私に押しつけて山に戻そうとしたはずだ。今回はそれをしなかった」

「それだけで『大紅葉山』が妹御に興味を持ったと判断するにはあまくはありませんかねぇ」

「お前の目は節穴か。千載一遇の好機だ。父上がひとの子ばかりに懸想していては困る。悪狐の称号は返上してもらわねば『紅葉山』派は今はよくともこの先、立ちゆかなくなる」

「その昔の恋人を別の男に押しつけるような汚い技はどこで学ばれたのですか」

「お前だろう。それにこれが叶えば私はいくらか契里に恩を返せる」

「恩ですか」

「『葵山』の特別な二番目と、『紅葉山』の特別な二番目なら、お前はどちらがいいと思う」

「そりゃ、十色の稲荷の妾立場より、三朱の妾立場のほうがよいでしょうね」

「その汚らしい言い方はやめろ。私がいいたいのは、気に入られるならば私より『大紅葉山』の方がよいという話だ」

 目を線にする時雨を、軽く口笛を吹くような所作で誤魔化すと、村上は書箱に落ちた文へ目を落とした。「この文はどちらにお届けすれば?」

「『紅根山』だ。泉州紀州の境にあるあの一帯は契里と縁が深い妹たちがいる。契里が帰らないと騒がれてはせっかくの場が乱れる。今は『大紅葉山』と契里の二柱に邪魔虫を入れてはならん」

「なるほど、ふたりっきりにしてそうことにしてしまうのですか、汚いですねぇ時雨様」

「だというのに銀朱は全く……余計なことを言いに行っていなければいいが」

「まぁいいのでは? あまりに出入りが少ないと計略がバレますよ」

「そうだな。茂野には話をしておこう。帰ったら私のところへ来るように伝えておけ」

「楽しそうですねぇ、時雨様」

「お前もな」

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