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ふたつの出会い

「あなたが、『紅葉山』」


 そこは、潮の香りも風もなく

 あるのは山を燃やすような紅葉した蛙手の葉

 赤黄橙の織りなす波斯国の絨毯のような一面に

 稲穂の髪に血潮の瞳をもってその兄は立っていた。


「いかにも、私が『紅葉山』稲荷神雅親朱秦である」






「ちぎー様帰ってこないのです」

 理緒は大三縞の稲荷長兄の一柱に大きな目を濡らして訴えた。

 ひとりの兄にそれを告げると、大三縞中の兄たちの耳にそれは入った。

 果実を食んでいた兄、侍従にお手製よもぎお灸を試していた兄、ひとの子の畑仕事を見守っていた兄。

 そぞろ役目を放り投げその場を侍従に任せて、『穂旦山』社殿にかけつけた。

「おぉ、泣くな理緒。ひとりの留守は辛かろうな、辛かろう」

 よしよしと理緒を撫でて慰める兄の横で、もう一柱は理緒から詳細を求め続けた。

「帰ってこないというのは何用で出てからだ。まさか紅葉山へ赴いたまま帰らないということではないだろうな」

「もみじゅやまにお出かけしたままです」

 小さな手で大きな目を覆い、しくしくと泣く理緒に、兄たちは顔を見合わせ困ってしまった。

「留守を任された折りに、いつ頃には戻ると言って出ただろう。その期限は過ぎたのだな?」

「理緒の漢字練習帳がいっぱいになる頃には帰ってくるって、おっしゃってたから」

 理緒は兄の腕からぽん、と抜け出ると本殿脇の湯殿から和綴じの本を持ってきた。

「うむたしかに最後までちゃんと練習しておるな」

「理緒は字がきれいじゃ、はよう文が書けるようになれば立派な侍従となれるぞう」

 おっと話が逸れた、と二柱が互いの目を合わせる間に、上から別の兄が練習帳をすくいあげた。

「あの、はやくちぎー様に帰ってきて欲しいから、昨日一気にやったのですが、ちぎー様帰ってこないのです」

「ばかものが、そういう意味で契里が言い付けしたのではない」

「しかしかわいいのぅ理緒。早く主様に帰ってきてほしかったのだな?そうなのだな?」

 一柱は理緒がかわいくてしょうがないらしい。

 桃のような理緒の頬に己の頬をすりつけて可愛がって話が進まない。

「これは、一日何枚鍛錬せよと契里から命じられておるのか」

「一日、五枚はと仰せでした」

 なるほどと兄が逆算すると、契里が帰ってくる予定の刻限までは五日ほど残っていた。

「あと、このお漬け物が美味しくなるころには、帰ってくるって。ちぎー様が一番に味見してくれるっていうから理緒いつもよりたくさんぬか床かき回した」

 奥から重そうな壺を抱えて運んでくる。

 壺を持ってくるというよりは、壺に運ばれているようにも見えた。

 兄がちょいと壺から胡瓜をひきぬいて味見をすると、それは美味であった。

「理緒は料理も上手じゃの。はよう大きくなってうちの侍従の嫁においで」

「『穂旦山』は信仰厚い山じゃ、すぐに大きくなる。うちの侍従の嫁にもおいで」

「話が逸れに逸れておるが、とりあえず理緒。まだ契里が帰ってくるには時間がかかる。あと五回は日没を見送って、それでもなお契里が帰らぬというのであればもう一度相談しにくるといい」

「あと五日も?」

 理緒が底抜けに寂しそうな声を出すので、結果兄たちは山ほど菓子を置いてなだめてから、念のためにと筆頭である『大山積』の元へ相談しに行った。

「理緒が心配する気持ちも分かるのぅ。向かう先が紅葉山であるからなぁ」

「そうじゃのう、悪狐に処断されてしまったとしたら、どう計らえばよいか」

「契里が理緒を置いていったのも、その配慮ではないか。理緒はまだ役に立たん。『紅葉山』の怒りに触れたら身を守る術などないぞ」

「はよう『大山積』のお兄様に話を通しておこう。先手必勝であるぞ貴兄ら」

 蹴鞠でもしあえる頭数を揃えて大山積稲荷神社にやってきた弟たちを、『大山積』は気怠そうな気配で迎える。

 喧々と意見を交換していたが、『大山積』は半分も聞いておらず、侍従に酒を出させて適当に酔わせて追い返した。

「清高様、まだ刻限はあるとしても、ただの顔合わせの挨拶にしては時間がかかっておるのは事実です」

 侍従の箴言に『大山積』は軽く首を傾げる。

「過保護がすぎる、ほっておけというのだ」

 背を伸ばすと、『大山積』は楽しそうに笑ってみせた。

「──儂の勘だが、契里は五日過ぎても戻らないな」


 理緒は五日目の日没を、『穂旦山』稲荷神社一ノ鳥居で見送った。

 一ノ鳥居は稲荷名所百景にも描かれる海中に聳える大きな朱の鳥居で、夕日に焼かれ水面に浮かぶ姿がいっとう美しいと評判の名所である。

 そこに小さな豆粒のように理緒は乗っていた。

 海の向こう、ずっと先本州の紅葉山がある方角をじっと見つめている。

 秋と言っても海辺は日没すれば気温も下がる。

 理緒は小さな体をさらに小さくして、海の向こうをじっと見つめていた。

 その時だった、理緒の背後から影が差し込んだ。

「ちぎー様」

「おっと残念、私は『葵山』侍従村上と申します。『穂旦山』侍従理緒殿」

 影は理緒が臨んだものではなかった。

 見知らぬ山ノ狐に、理緒は明かに消沈した表情と共に警戒を見せた。

「むらかみ……さま?」

「伝言に参りました。『穂旦山』契里姫は暫くこちらにお戻りになりません。代行を『大山積』にお願い申し上げております。あ、ご安心下さい。すでに私の方で手配済ませ、快諾頂いております」

「ちぎー様、もどらない?」

「はい。ですので『穂旦山』侍従理緒殿におきましては引き続き山の守りにつき周囲の山との調和を図られますようにと伝言でございます」

「なんで?」

 大きな青い目を涙でいっぱいにして、理緒は村上にくいついた。

「ちぎー様どうして戻らないの? ちぎー様のところ連れていって!」

 村上は少し困ったように頭をかくが、理緒は必死で裾を掴んで離す様子はない。

「そうせよと命じられたのですから、留守役をお続けするのが侍従のお役目ですよ理緒殿」

 理緒はどうにも納得ができない様子である。

 口上は続けないが村上の袖を掴んだままだった。

 仕方ないという様子で、村上は青い目を一度伏せて、大袈裟とも思える息を吐いて理緒を振り払った。

 真っ逆さまに水面に落ち、浮かんできたところで鳥居から下りてきた村上に拾いあげられた。

「げほっ、けほっ」

「理緒殿はたしか、『和佐山』侍従細君、葛緒の子だとか。守夏様系の山ノ狐なのですね?」

 襟を掴まれて浮く理緒を村上はいつもの線のような目で見つめて続けた。

「それで十歳で侍従職を得られたということ、いやぁ……私めはどうも七光りの侍従というのが大嫌いでございましてね、苦労もしないでいかようにもなるとお考えの侍従職は、まっこと気に入りません」

「えっえぅ……」

 突然投げ付けられる敵意に、理緒は対処ができず困惑する他になく、己を支えてくれる村上にすがる他にない。

「これは『穂旦山』からの命令です。子細伝えないのは『葵山』の判断ですが、それはあなたにそれを理解する経験も配慮もないからです。理緒殿」

 村上は襟を掴む手を再び離した。

 海面に再び小さな理緒の体が落ちて、派手な水音と共にぷかりと顔が浮くのを確認して、村上は背を向けた。

「詳細は『大山積』に伺って下さい。伝言は以上です。では、ごきげんよう」

 瀬戸内の波に揺れて、理緒は遠ざかる村上を視線で追うことしかできなかった。


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