大三縞の稲荷
芸州瀬戸内に浮かぶ、大三縞という島に鎮座する稲荷は大小いくつか存在するが
それら複数の稲荷弟妹をとりまとめ、島の稲荷の代表たる稲荷を『穂旦山』と呼ぶ。
本来ならば、島の代表は山格のもっとも高い『大山積』清高が取り仕切るのが筋であったのだが、『紅葉山』派であったことで『葵山事変』の影響をうけて要職一切を他山へ任せて外向きの仕事は一切行わなくなった。
清高の馴染みであった総本山系稲荷『穂旦山』保望がその全てを代行する形で引き継いだのが、千年程前の話だっただろうか。
引き継いだはよいがその保望も代を変えることになり、現代は『穂旦山』は女稲荷が社殿を守っている。
『穂旦山』契里、大三縞においては末席の妹分でありながら、総本山系女稲荷としての才知を発揮して今では山の代表としての役目を立派に果たしている。
契里がいうには、大三縞の兄たちは(先代や本来代表であるべき『大山積』も)平和ぼけがしすぎるらしい。兄たち勢揃いで並んで握り飯を頬張りながら瀬戸内の波を眺めているのを観ると、なんだかため息が出るらしい。
隣の山と張り合ったりすることがないのはよいことだが、それが行きすぎてのんびりにも程がある。
──と、言っても実際大三縞は平和なのだ。
周囲は海に囲まれ、温和な気候に温泉と柑橘畑。
里の子の気性はそのまま稲荷たちにも反映される。
日が上がれば起き、沈めば寝る。晴れれば働くが雨が降れば一休み。
兄達が穏和であり、役目を半ば放棄するようにあるのもここ大三縞の特色なのだ。
「契里、侍従をやっと取ったそうだなぁ、いやいやその方がいい。筆頭の役目を侍従なしで勤めるのはいかん」
「いやいやめでたい、めでたい。それでその侍従がこれか。幼いのう」
山の稲荷が集まっての会合で契里はついぞ己の侍従にすると決めた小さな山ノ狐を抱いて会合に参じた。参じたといっても筆頭の社殿へ集まるのが慣わしであるので、兄たちが酒だなんだと担いで宴会にやってくるのを待つだけだったが。
「これまではお兄様方のご助力でなんとか参りましたが、周囲に心配をかけてばかりはならぬと思いまして、縁ある妹の元から一柱頂いて参りました。名は理緒とつけました」
大三縞の稲荷兄弟が契里の横で正座をしている小さな山ノ狐──理緒を紹介すると、理緒は慣れない所作で表を下げた。
頭の方が大きい理緒は、頭を下げるとその勢いで正座が崩れぽてりと音を立てて座敷に転がってしまった。
「おお、かわいいのう。まるで鏡餅じゃなぁ」
「理緒か、そうか理緒。契里をよくよく支えてやるのだぞ。『穂旦山』侍従というのは役割が大きい。この年から鍛えればさぞ長く勤めひとの子の信頼を受けて強ぅなるだろうの」
まるで孫を可愛がるように、失敗を咎める様子なく二柱は代わる代わる理緒の頭を撫で、己の阿吽侍従にも理緒を紹介した。
──全く、勝手なお兄様方だこと。
契里は思ったが口には出さなかった。それは今はじまったことではない。
大変だと分かっているなら、長兄が筆頭の役目代わってくれればいいだけのことだ。
「ところであれよな『呉山』のことだが」
「おぉ、そうじゃ、そうじゃその議題。大三縞としてはどう姿勢をみせようか」
兄たちは酒を飲む手を止め、何百年振りというような真面目な顔を寄せて契里を見た。
契里が筆頭であるから、というのもあるが兄たちは契里が『呉山』と縁が深い妹であるのを知っているからだ。
「新しい『呉山』は……先代『呉山』時雨様の縁ある妹が継ぐそうです。大きく体制が変わるとは伺っておりません」
「そうか、つまるところ『豊山』派が芸州筆頭である流れに代わりはないか。我らは大三縞は、芸州の一部であるからな」
「そうじゃそうじゃ。先代『呉山』時雨が『紅葉山』派に転じたというから、どうなるかと思っていたがなぁ」
「だが待て、『呉山』時雨は『葵山』となったわけだぞ。十色の位を持つ山の主となったわけだ。『葵山』は十色筆頭でもあるわけだし、それを排出した『呉山』が素知らぬふりで今まで通り『豊山』派でいると思うか」
兄たちはあちらこちらと思案を張り巡らせている。
どちらの派閥に身を置くか悩むことは、兄達には大きな問題である。
これまでは迷うことはなく皆総本山の旗本を名乗るか、『豊山』派であることを明言していたが、先だっての『葵山』崩御後、新しく『葵山』に着任した時雨の『紅葉山』派転向によって、その攻勢が大きく崩れた。
「契里どうだ、そのところ『葵山』のお兄様から何か聞いておらんか」
「大三縞の稲荷一同、今は時代を見極めねばならん時だ。『豊山』派に恭順しておくべきか、かわらず総本山派を貫くべきか、それとも新しい時代の流れを読み『紅葉山』派を注視すべきか──」
契里は筆頭として決断を迫ろうとする兄たちを、黙って見下ろしたまま、横に控えさせていた理緒を抱き上げた。子供をあやすようにして髪を撫で黙っていた。
「なんとか言わないか。これまでそなた何の為に『葵山』時雨と懇意にしていたのか」
「その言いようでは、私がまるで芸州大三縞筆頭『穂旦山』として時雨様に媚びていたように聞こえます」
契里はぴしゃりと兄の言葉を遮ると語意を強め続けた。
「私は『紅葉山』派として山を守る生き方を選びます」
「!? つ、つまりは……時代の流れば『紅葉山』にあると」
「時代の流れなどはひとの子が作るものです。私に読めたものではありません。ですが時雨様が進む先に私もついていくと決めただけです」
「なんじゃそなた、筆頭としてでなくただの契里の判断でそう決めたというのか」
「呆れた妹じゃ」
「その妹に、数百年もの間筆頭の役目押しつけておられたのはどちら様でいらっしゃいますか。見損なったと仰るのであればお兄様方の中で結論はもう出ているのではありませんか? 『豊山』派に準じ総本山系である主張を繰り返す。その方針は揺らいでおられないということです」
契里の言葉に兄たちは顔を合わせ、気まずそうに視線を下げて畳と見つめ合うほかない。
「『紅葉山』派が筆頭となれば、この島の方針も『紅葉山』の考えが及ぶ場所と判断され『豊山』派に敵視されることになります。それが嫌ならば筆頭の役目下ろさせて戴きますが」
「いやいや、少し落ち着け契里。『葵山』のお兄様に媚びてきたなどという失言は撤回する。私が言いたかったのは、身をもって大三縞の安寧を守ってくれていたなぁ、と、そういうことなのだ」
「ならばそろそろ、儂らは契里に感謝を示さんといかんということだなぁ」
会合に集まるべき稲荷の数は揃っていたところで、会席にふって沸いたひと声に全員は視線をやった。
障子を引いてひょっこりと姿を現したのは、本来筆頭であるべき『大山積』清高とその侍従だった。
「『大山積』」
「清高お兄様」
そぞろ彼の名をあげ、躊躇入り交じった視線を寄こした。
会合に顔を出すことなどここ数百年ないことだった。
契里に至っては、この兄が己の社殿から移動してくる姿など初めてみる程だった。
季節の折々に挨拶に伺うことはあったが、いつも社殿奥から一切動く気配なかった。とはいえ衰えた様子など全くなく、力を温存または充電するかのような風体であったので、足腰やられていたのではなかったのだなと再確認する程度である。
契里が上座を勧めると『大山積』はやんわりとそれを断り立ったままぐるりと兄弟を見渡した。
「やぁやぁ、ここ大三縞に信仰の芽がふき今代になれば大小かように兄弟が増えた。儂が隠居などして楽をしておった間、この数の自由きままな兄たちをよくよく面倒みたものだ、契里」
「あ……いいえ、いいえ。お兄様たちには助けて戴くことも多く」
「まぁな、こやつらも面倒な立場は妹に押しつけているが、それなりに契里お前のことを気遣っているつもりなのだよ。お前の出来がよすぎるからな、筆頭の立場が相応だと思っているがその実やはりそなた妹であるから、判断があまいこともあるし力足りぬこともある」
「……私が『紅葉山』派へ向かうことを、『大山積』は賛成できないと仰せですか」
「いいや、そうじゃないな。儂が言いたいのは、可愛い妹に冒険くらいさせてやれとそなたら大三縞の兄たちに言っておるのだ」
白い足袋が兄たちの席を縫い上座の契里へと向かう。
契里の横へつくと、くるりと身を反し『大山積』清高は改めて下座の稲荷兄弟を睨め回した。
「本日より儂が再びこの大三縞の筆頭となる。儂は根っからの『紅葉山』派である。よってこの契里を『紅葉山』派に転向させる。これはこの島で長らく儂の代行を勤めた縁ある妹だ。文句があるのならば儂と契里が筆頭を務めた数千年の功徳を同じだけ重ねた上で抗議いたせ」
「『大山積』……!」
「なんじゃあ……文句があっか。 儂が筆頭を務めておった折……『大紅葉山』が『葵山事変』を起こして立場が悪くなった時にひっこめひっこめと言って儂を隠居させおったあのクソ稲荷めは、お前だったかの」
「それはその……先代『穂旦山』で……」
「あの保望めが、さっさと消えてしまってざまぁにゃーわ。ひとんちの上浦うまくつかえねぇままでクソワロじゃい。まあ古い馴染みだったしな、どうでもいいことだが」
ばん、と勢いよく扇を閉じると、『大山積』は契里へ視線をやった。
隠居して何も言わず黙々と日々功徳を積んでいた稲荷の行動とは思えぬ快刀乱麻っぷりである。
「よいか大三縞は今後『紅葉山』派が一切を取りはからう。──とはいえ、別に何も変わることはないぞ『紅葉山』派というのはあってないようなものだしな。だから『紅葉山』派大三縞流の規律はつど多数決で決めるし、『紅葉山』本山からなんぞ申してきても筋が通らなければ無視をする。儂らは儂らでこの島とひとの子を護り、永劫の豊穣を約束しようではないか」
ひとまず、と『大山積』は契里を見てにやりと笑ってみせた。
「お前もそのうち面通しするだろうが、『大紅葉山』はなぁ……あの父はまことに良き悪狐であるよ」
それはどういう意味なのだろうか、契里はさっぱり分からなかった。
ただ自分はまだ井の中の蛙であるのだなということだけは理解できた。