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対馬の危機

安政7年(1860年)3月、江戸城桜田門付近にて大老井伊直弼が水戸藩脱藩浪士らによって殺害された。雪が江戸の町を覆う中での犯行であった。


小栗はアメリカでその報に接した。そして自らをアメリカに送る際に井伊がいっていたことを思い出して、涙に暮れた。井伊は自分がどうなっても小栗が無事でいられるようにと配慮をしてくれていたのだ。彼は自分がこうなることまですでに分かっていたのだろうか。


勝がその事実を知ったのは、帰国して浦賀に船をつけた時であった。上陸前に奉行所の役人が乗り込んできたため勝は、

「無礼者、お前ら何しに来やがった?誰の許しを得て来たんだい?」

と喝を飛ばした。


「井伊大老が水戸の浪士により殺された。そのためここに水戸の者が乗っていないか探れとの命を受けておる」

といったから勝は馬鹿らしくなって、

「アメリカに水戸人は一人もいねえよ、とっとと帰りな」

といって追い払った。


彼らが出ていくと勝は

「これは幕府が倒れる兆しだ」

と大声で叫んだものだから、その場にいた木村たちは呆れてものがいえなかった。


江戸城に入った勝は老中たちに呼び出され、アメリカで知ったことを詳しく話すようにいわれた。そこで

「人間のすることですから古今東西同じですよ。アメリカだからといって別に変わったことはありません」

と返したが、

「それでも何か変わったことがあるであろう」

と老中たちはしつこく迫る。だから勝が

「アメリカでは政府にせよ民間にせよ人の上に立つ者は皆その地位相応に利口でございます。この点ばかりは我が国とは反対のように思われますな」

と皮肉をいったから、老中たちは

「無礼者、控えおろう」

と勝を叱りつけた。


「世の中に無神経ほど強いものはない」

という言葉を勝は残しているが、この話ほど彼の無神経ぶりを発揮しているものは他にないだろう。無闇矢鱈に神経ばかり使っていては自らが疲弊してしまう。彼はそんな封建社会にあっては唯一無二の哲学を持っていた。


アメリカから帰国した小栗は外国奉行に就任していた。この頃小栗は、屋敷内に石造りの西洋館を建て始めている。彼はアメリカで耐火家屋に興味を持ち、その設計図を持ち帰っていた。これが日本で最初の石像の洋館である。


彼は他にも新しい機械や地球儀、さらにはアラビア馬をアメリカから持ち帰っていた。彼は江戸城への登城にもこのアラビア馬を使っていた。


彼は文久元年(1861年)4月に老中安藤信正より対馬に行くよう命じられた。文久元年に入ってからロシアの軍艦が対馬沖で武力による土地の占有を企て、発砲や殺人に至るまでの事件が続いていた。その解決のためである。


対馬の藩士たちはロシア側の艦長ビリレフの「対馬藩主に会いたい」という要求を受け入れていたが、5月に対馬に着いた小栗たちはビリレフと会談を重ねつつも、その機会を延ばし続けた。


それでもビリレフは強硬に要求し続け、5月18日の会談時には

「25日には藩主と合わせるように」

と語気を強めて迫ってきた。それに対して小栗は、

「もし私が承諾したことで幕府の命によりそれが叶わないようなことがあれば、この私を銃殺されよ。またもしあなたが自国にとって都合のよいことばかり主張されてこちらの主張を聞かれないというのならば、まず私を銃殺してから主張されるとよい」

と答えた。小栗の眼光は鋭く、その声は野太い。これにはビリレフも黙り込むしかなかった。


しかし状況はなかなか好転しない。そこで小栗は対馬を幕府の直轄領にするしか方法はないと考え、一度江戸に戻ることにした。


「対馬を幕府の直轄とし、そのうえでかの地の軍備を強めるべきでございます。それでなければロシアは追い払えぬかと思われます」

と小栗は老中の安藤に進言したが、

「対馬のことはもうよい。手は打ってある」

と安藤が答えたから小栗は拍子抜けした。


対馬の問題の解決に当たって目をつけられたのは、アメリカより帰ってから蕃書調所頭取助を命じられ、海軍の業務からは離れていた勝であった。彼は長崎で外国人との独自のパイプを持っている。外国奉行の水野忠徳と勝はイギリスにロシアの進出を伝え、その危機感を煽ることで解決することを考えていた。


5月に勝は長崎に行き、懇意にしていたイギリス公使オールコックに対馬でのロシアの所業を伝えた。ロシアが対馬を得て侵略の足がかりとすることを恐れたオールコックによりイギリスは海軍を対馬に派遣し、ロシアは対馬の占領を断念した。列強どうしの対立を利用した妙策であったといえる。


小栗は6月から7月にかけて対ロシアの事情を知るために函館に赴いており、この件が解決に向かったとしても、いずれにせよ対馬は幕府の直轄にすべきだという考えを強くした。幕府が自身の手ではロシアをどうすることもできずイギリスの力を借りるしかなかったとは屈辱的ではないか、という歯がゆさを小栗は抱えていた。


しかしそれを提案しても受け入れられることはなく、小栗は安藤に辞表を差し出した。


小栗はこの後も職位については辞すを繰り返すことになり、

「その任免は七十数回」

などと噂された。彼は地位に執着することなく立身出世にも興味はなかった。ただその職において事を成すことにだけ執着し、それが叶わないと分かるや職を投げ捨てた。


小栗が辞表を出した直後に、城内の廊下で勝とすれ違うことがあった。

「小栗殿、何も辞められることはないでしょう。ただでさえ幕府には人物が少ないのです。あなたのようなお方が辞められるべきではない」

「私の献策は受け入れられなかった。それだけではありません。私は対馬のことをどうすることもできませんでした。結局はイギリスの力を借りるということになってしまった」

「それは小栗殿のせいではありませんよ。今の幕府に対馬を救えるだけの力はなかったということです。だからひとまずは、ああするしかなかったのです」

「私は幕府の全権として対馬に赴いていたのです。幕府に対馬を救えなかったということは、私に対馬を救えなかったということだ。責任を逃れるつもりはございません」


勝は息を呑んだ。自分とは性格が合わないところがあると日頃から思っていたが、こういう公への意識はさすが古風を重んじる侍である。


「手段というのはいくらでもあるものですよ。何も幕府が自らの手で解決できなくたって、使えるものは何でも使えばいい。私はそう思いますがね」

勝の方針はあくまでも小栗より柔軟である。それに対して小栗は反論した。

「あくまで幕府の手でこの国を異国から守らねばなりません。それでこそ諸侯をまとめ上げ天下の信頼を得ることができるのです」


彼が外国奉行を辞したのはそれから数日後のことである。


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