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正しい政

勝が長崎で学んでいる間に、国の情勢は揺らぎ始めている。


13代将軍徳川家定は暗愚にして病弱であると噂され、彼が生きている頃からその跡取りを巡る論争が起きていた。候補として上がったのは水戸藩主徳川斉昭の息子一橋慶喜であり、彼を将軍職にと考えていたのは老中の阿部正弘や薩摩藩主島津斉彬、福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂などであった。彼らは優秀な慶喜を将軍にすることで幕政改革も進められると期待していた。


一方で血筋から考えて、次期将軍は家定の従弟である紀州藩主徳川慶福こそふさわしいという勢力もあった。その代表は彦根藩主井伊直弼であった。


その頃小栗は、御使番として将軍家定のもとで働いていた。将軍の命令を幕臣や諸大名に伝える役目である。彼の独特の思想と人格は江戸城内で評判となっており、それは井伊直弼の耳にも入った。


ある日井伊は小栗を呼び寄せた。

「小栗又一、お前のことはよく聞いておる。国を開き軍備を強めなければ異国には敵わぬと申しておるそうな」

「日頃からそのように考えております」

「私は異国が嫌いだ。異国のものなど取り入れなくてすむのならその方がよいと思っている。しかし今のこの国ではそうもいかん。嫌でも異国の物や考えを取り入れなければならぬ。しかし水戸の斉昭公をはじめとして各地で尊王攘夷を唱えるものが多く、さらに斉昭公の子である慶喜殿を将軍にとする動きもある。小栗よ、私は血筋からも次は慶福様が将軍職に就かれるべきであると考えるがそなたはどう思うか?」

「私は慶喜様や慶福様がどのようなお方か存じ上げぬ故、何とも申せません」

小栗は正直である。相手に媚びるということをしない。


小栗は続けた。

「ただ慶福様はまだ子どもであるために将軍職が務まらぬと申す者がおるようです。しかし優れた家臣がお支えすれば問題はないかと思われます」

「よくぞ申した。私は慶福様を公方様(将軍)として新たなる政を行いたいと思っている。井伊家と小栗家はともに家康公の時代より徳川家を支えてきた家柄じゃ。ともにこの国難を乗り切ろうではないか」


安政5年(1858年)4月に井伊は幕府の大老に就任した。その年の6月にはアメリカ公使ハリスとの間に日米修好通商条約を結んでいる。異国嫌いであった孝明天皇からの勅許を得られぬままの調印であった。


6月24日、井伊による勅許のない条約調印を非難するため、水戸藩主徳川斉昭や福井藩主松平春嶽らが押しかけ登城した。それを受けて井伊は斉昭たちやその息子の一橋慶喜に隠居や謹慎を命じた。そして慶福を次期将軍とすることを正式に公表するとともに、各地に潜む一橋派の捕縛、および弾圧を開始した。


井伊が小栗にアメリカ行きを命じたのはそのような情勢のもとであった。アメリカのポーハタン号上で条約が結ばれた際に、幕府側はハリスに対して条約批准のための使節を日本から派遣することを約束していた。その使節の一人としてアメリカに向かえという。


「条約を結んだとはいっても、日本の立場は弱い。だからこそ日本人は毅然とした態度で臨まねばならぬ。それにはおぬしのような男が最適である。頭が切れて口が達者なおぬしにしか務まらぬことじゃ」

「かしこまりました。必ず役目を果たして参ります」

「それだけではないのだ。これからしばらくこの国では何が起きるか分からぬ。だからおぬしのような男には異国にいてほしいのだ」

「それはいかがなる意味でございますか?」

「私は恨みを買いすぎておる。だからこの先どのような目に遭うか分かったものではない。もちろん徳川と国に捧げた身じゃ。どうなろうと泣き言はいわぬ。だがそれにおぬしのように若くて優れた者を巻き込むわけにはいかぬと思ってな」

簡単に感情を動かされることのない小栗も、この時ばかりは目頭が熱くなるのを感じた。


「この国はこれからが肝心でございます。井伊様のような方がおられなければ立ちいきませぬ」

「例えばの話をしたまでじゃ。だがそれでももしこの身に何かあれば、これからの幕府の政はおぬしが正していくのじゃ」

そう語る井伊の声や表情から、小栗はどこか不吉なものを感じずにいられなかった。


安政6年(1859年)9月、小栗は正式に遣米使節としてアメリカに行くことを命じられ、その際にアメリカのポーハタン号に乗ることが決まった。そしてその護衛艦としてオランダ船咸臨丸が同行することとなった。これには日本人だけで船を動かしてアメリカに行くという目的があった。


咸臨丸の提督は軍艦奉行の木村喜毅、艦長は勝海舟である。勝はこのために長崎から江戸に帰ってきている。


そんな勝が小栗のもとへ挨拶に来た。

「勝殿、お名前はよく聞いております。黒船来航時に面白い建白書を出されたとかで」

「ありがとうございます。小栗殿のこともよく存じ上げておりまする。私は家柄だけで重役に就かれる方は好きにはなれんのですが、小栗殿はそのようなお方ではない。誠に国を憂い、そのために正しく知恵を使われるお方とお見受けいたしました」

聞いていた通りで、歯に衣着せぬ物言いをする男だと小栗は思った。だがそれについては小栗も人のことはいえない。


「勝殿は異国に関してはよく学んでおられるでしょうが、だからこそ異国を見てより多くのものを持ち帰ってほしい。それが幕府の進む道しるべとなるはずです」

「たしかに一刻も早く異国のいいところを取り入れなければ幕府は危ういかもしれませんな」

「勝殿、口が過ぎまするぞ」

さすがに呆れた小栗は注意した。徳川譜代の旗本の家に生まれた小栗にとって、幕府とは国の柱として当然のように立っていなければならぬものである。それが危ういなどという幕臣があっていいはずがない。


「いやもののいい方を間違えましたな。大目に見てください」

勝には失言をしても独特の愛嬌で丸めこめる不思議な魅力がある。ここが堅物の小栗にはないところかもしれない。


「とはいえ勝殿のいうとおりかもしれない。これから幕府が上手く国を治めるにはどうすればよいと思われる?」

「家康公が天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なりといったそうな。徳川が天下を私することがあれば人心は離れましょうな。国難であるからこそ、徳川は徳川のためではなく、天下のための政を行わなければなりません」

「これから天下は乱れましょう。その中で何が正しき政であるか、ともに考えながら進んでまいりましょう」


安政7年(1860年)1月18日、ポーハタン号と咸臨丸はアメリカに向けて出帆した。ときに勝38歳、小栗34歳である。

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