黒船来航
少しずつ日差しの照りが強くなり始めた。麟太郎は急ぎ身支度をしている。
「そんなに急いでどこへ行かれるんですか?」
妻のたみが不審そうに尋ねた。
この頃麟太郎はすでに蘭学者としての名声を高めていた。また彼とたみの間には、長女夢子、次女孝子、長男小鹿の3人の子どもが生まれている。
「佐久間象山のところだよ」
佐久間象山は信州松代藩主真田家の家臣であり、天下随一の西洋兵学者として名を馳せている。西洋式の武器の製造に携わるとともに、今は深川の藩邸で砲術塾を開いている。
同じ西洋兵学を学ぶ者として、麟太郎と象山は深く交流があった。これからは陸軍だけでなく海軍も必要だと麟太郎に説いたのは象山である。嘉永五年(1852年)12月には、麟太郎の妹順子が17歳にして42歳の象山のもとに嫁いでいる。
麟太郎は象山の家に飾られている「海舟書屋」という額をもらい受けて自宅へ持ち帰り、それから彼は雅号を海舟とした。ここからはややこしいから、彼のことは姓の勝でよぶことにする
「象山が黒船を見たっていうんだ。どんなのだったか聞きにいかずにはいられねえと思ってな」
勝はたみにそう告げると外へ出ようとした。
嘉永六年(1853年)6月、アメリカのペリー率いる大艦隊が浦賀に姿を現した。黒船の噂はすぐに駆け巡り、江戸の町は騒然とした。
ペリーの目的はアメリカの捕鯨船と乗組員の保護を日本に求めること、アメリカの艦隊が航海するための寄港地と貯炭所を日本で確保すること、日本に開港させて交易を行うことであった。
艦隊と日本人の初めての接触は、浦賀奉行所のオランダ通詞堀達之助と与力の中島三郎助の2人の役人により行われた。彼らは旗艦サスケハナ号に近づくと英語で声を掛けて艦長室まで上がり、ペリーの副官コンティに対して無断での侵入は不法だと抗議しながらも、あくまで交戦を避けて対話による方針を貫き続けた。
来航からわずか6日後には、久里浜にて浦賀奉行所がアメリカ大統領フィルモアからの国書を受けとった。突然現れた巨大な艦隊に対して海軍を持たない幕府では為す術がないという、ときの老中阿部正弘の判断であった。
黒船を見物しようとする者は多く、佐久間象山もその一人であった。彼は黒船のことを聞くやすぐに江戸の藩邸から神奈川まで歩き、そこで雇った船で黒船をその目で見た。勝はそんな象山のもとへ行き、黒船のことを尋ねようとしている。
「だからといってそんなに急がなくても」
たみは呆れたようにいった。
「馬鹿野郎、天下の勝麟太郎が国を揺るがす黒船のことを知らねえでいられるものかよ」
「まるでお気持ちはお殿様のようですね。名を馳せたとはいえまだ一介の蘭学者ではありませんか」
「それが何だってんだ?人間要は気の持ちようだ。自分を偉いと思わないで何ができるってんだ。見ていろ、これから数年経てば世の身分などあっという間に吹き飛ぶぜ」
勝は時たま不思議なことをいう、とたみは思っている。身分が数年で吹き飛ぶなど、天と地がひっくり返っても起こり得ないことではないか。
勝は佐久間象山の屋敷に着いた。象山は勝に、自分の伸びた顎髭を撫でながら告げた。
「黒船は蒸気を吐きながらやって来て、海から空砲をぶっ放した。とんでもないでかい音で庶民は怯えきっています。あれは化け物というものだ。しかしこれは天佑かもしれませんな。これを機に国中が海の外へ目を向ける」
「やはり海軍がいりますな?」
「そうですな。幕府の頭の硬い連中にそれを分からせるには、あの黒船を見せるのが一番だ」
象山は大きく目を見開き、悠然とそう語った。彼は学識高く英傑であるに違いないが、高慢で人を見下したようなところがある。
「異国へ行かれることだ」
と象山はいった。
「敵を知り己を知れば百戦危うからずという。文字の上で異国のことを学ぶだけではもはや物足りぬ。実際に我々のような者たちが異国を見てそれを取り入れなければ我が国は滅びる」
象山は何事も大袈裟な言い方をするところがある。しかしこの発言だけは、勝には真実味があるように思われた。
ペリーは国書の返事を来年受け取りに来ると言い残して去っていった。決断を迫られることになった幕府では、老中阿部正弘によってアメリカの国書を諸大名や幕臣に示し意見を集めることに決定した。意見書は各藩士や学者、遊女からも出されたという。
絶大な権力を持って君臨していた幕府が下に対して意見を求めるというのは空前絶後のことであり、見ようによってはここから幕府の崩壊が始まるといっても過言ではない。これ以降も幕末動乱の中で、幕府が自身の権威よりも国の情勢を好転させることを優先して、自ら権力の座から下るような動きを見せることが時たま起きる。徳川幕府は革命で倒された政権としては異色であるといえるかもしれない。
意見書の多くは幕府始まって以来の祖法である鎖国を維持するべきで、アメリカの要求など跳ね返せというものであった。とはいえ中には開国論も存在した。
勝海舟の出した建白書はその最たるものであるといえる。彼の建白書における5ヶ条の意見の内容は、当時としてはあまりにも画期的であった。
一、人材登用を進め、広く意見を集うこと
二、船を造って清国、ロシア、朝鮮と交易し、その交易の利益によって国防を強めること
三、江戸の防衛体制を整えること
四、旗本を西洋風の兵制に編成し直してその困窮を救い、教練学校を作ること
五、火薬や武器の製造を進めること
この建白書が幕府の海防掛である大久保忠寛の目に留まり、後の勝の抜擢につながることとなる。
嘉永七年(1854年)1月、約束通りペリーは昨年以上の大艦隊を引き連れて浦賀へ再来した。
勝は、今度は黒船を自分の目で見ようと浦賀へと向かった。同行者は彼の氷解塾の塾頭、杉純道である。杉純道は後に杉亨二と名乗り、老中阿部正弘に仕え、その後日本近代統計の祖とよばれるに至る。
勝の足は速い。
「気の早い方ですね、先生は。そんなに急がなくても黒船は見れますよ」
杉は息を切らしながらいった。
「一刻も早く見てえんだよ。ほらがんばって歩けよ」
勝は明るい声でそういうと、杉の背中を叩いた。
海が見えた。そこに見たことのない黒い塊がそびえている。大量の煙を吐きながら、260年間眠りについていた日本を嘲るかのように、その化け物のような蒸気船はゆっくりと前進した。やがて礼砲が数発放たれた。
二人とも言葉を失った。これがこれから立ち向かわなければならない異国の船なのである。しばらくして勝が口を開いた。
「異国の野蛮人を斬れなんていう輩がいるが、とんだ思い上がりだよ。野蛮人にあんな船が作れるもんかってんだ。我々はあれを作った国の人々と友好を結ぶ必要がある」
幕府側とペリーとの対談は横浜にて開かれた。幕府側の応接掛筆頭は林大学頭であり、横浜での林とペリーの会談は数度に渡って行われた。
林はペリーの要求のうち、漂流民救助と薪水食料と石炭の供与を承諾したが、港を開いての交易には断固として反対した。またペリーによる、日本は人命を尊重してこなかったという主張も間違いだとしてはねのけた。
だが結局日米和親条約が結ばれ、下田と函館を開港することが決まった。そこはペリーの主張が通るかたちとなったが、いずれにせよ平和裡に両国間の交渉は終わった。
当時の幕府の外交能力が低かったかといえば、林大学頭の交渉ぶりを見れば決してそのようには見えない。しかし長きにわたり国を閉ざして近代化とは無縁にあったことを鑑みれば、当時の幕府にはこれが限界であったかもしれない。
2度目の黒船来航時に、下田において佐久間象山の弟子である吉田松陰が金子重輔とともに黒船に乗り込み、アメリカへの密航を企てる事件が起きた。師である象山もこれに関わっていたことが判明し、彼は松代にて蟄居を命じられることになる。
象山は勝に告げたのと同じように松陰にも異国へ行くことを薦めていた。人々の意識は明らかに変わりつつあり、時勢の歯車も少しずつ動き始めていた。
黒船の来航という幕末動乱の始まりを告げる出来事は、小栗の運命にも大きく作用していくこととなる。
彼は2度目の黒船来航の際、浜御殿の警備を命じられた。その最中のことである。
同じく警備にあたっていた者の中に、
「黒船など我らの刀があれば追い払えるわ」
と大声で騒ぐ武士がいた。周りの者も、
「そうじゃ、日本男児の底力を見せつけてやればいい」
と騒ぎ始めた。
そこに小栗が近づいていった。いつも通り彼の表情は固く、何を考えているか分からない。周りは何事かと息を呑んだ。
「どうやって刀で黒船を追い払うのだ?その算段を述べてみよ」
小栗はどすの効いた声でそう告げた。
「算段などあるか。だが我らなら負けぬ。我々は神の国に住み」
と相手が言いかけると、
「左様なことは聞いておらぬ。どのような手段で黒船を刀だけで追い払うのか話せと申しておる」
とまたも凄みを利かした声でいったから相手は黙り込んでしまった。
小栗は議論を煙に巻くことを許さない。常に数式を解くように、合理的な正解に行き着くことを至上命題としている。
安政2年(1855年)7月、小栗の父忠高が亡くなり、その年の10月に小栗は家督を相続した。
家督を継いだ日、小栗は母くに子に告げた。
「父上はよく仰せでした。小栗家は代々徳川家より篤い恩を受けてきた。そのことを胸に刻み、恩に報いるのが我が一族の務めであると。私もかくありたいと思います」
「よく申しました。あなたは昔から生真面目で曲がったことを嫌う。それは素晴らしいことですが、ときに人とぶつかることがある。うまくやる賢さも必要です。これからはそういう器用さも大事になりますよ」
「肝に銘じます」
痛いところを突かれた小栗は、珍しく頬を緩ませた。
その夜、小栗は自らの決意の程を妻の道子にも語った。
「これから私は一家の柱として恥じぬ行いをしていく所存だ。それを支えるとともに、私に過ちがあれば申してほしい」
「はい。旦那様が人と上手くいかなそうなことがあれば、私がご忠告致します」
「お前まで母上のようなことを申すな」
「失礼致しました」
「黒船が来てから世は騒がしい。御公儀(幕府)も多くの決断を迫られることになろう。この国も大いに変わる。いや変わらねばならぬ。そうでなければ異国にとられてしまう」
「それほどまでに異国とは強いのですか?」
「強い。日本国も強くならねばならぬ。そしてその要には御公儀がなくてはならぬ。200年以上もの間、国を統治した徳川家をおいて他にはこの国難は乗り切れぬ。私は徳川に忠義を尽くすとともに、この国をあるべき姿に変える必要がある」
小栗には珍しく多弁である。いつも本心をあまり明かさない男だけに、道子には少し奇妙に感じられた。
夜空には星が美しく散りばめられていた。
「きれいでございますな。あのような夜空をいつまでも旦那様と見上げていとうございます」
道子がそう呟くと、
「世は乱れる。あの夜空のようにはいかん。私がもしいつまでも無事であったなら、年を重ねても2人で見上げられよう」
と小栗は真面目に答えた。
「縁起でもないことをおっしゃらないでください。私は旦那様に無事でいて頂かなければ困るのです」
「私の身は徳川とこの国に捧げたのだ。自らの安泰を考えていては大事は成せぬ。その覚悟はしておいてほしい」
「かしこまりました」
道子はそれだけいって黙ってしまった。どうやらとんでもない亭主に嫁いでしまったらしい。
夜はまだ深い。空に白みがかかるまでには時間がかかりそうだ。




