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大改革

徳川慶喜が正式に将軍に就任したのは、慶応2年(1866年)末のことである。その直後、小栗は慶喜のいる大阪城に呼び出された。この時の小栗の立場は勘定奉行兼海軍奉行である。


「これより私は幕府の軍事力を強大化したい。そのためにこそフランスとの関係が深く、かの国の軍事にも詳しいお前の力を借りたいと思う」

「ありがたきお言葉でございます。この小栗、幕府の強大化のために力を尽くします」

以前から慶喜という男は信用できないと思っていたが、それでも主君にここまでいわれたら奮い立つのが武士というものである。


「幕府の力を強めるには軍事だけでなく財政にも目を向ける必要がございます」

と小栗が提言したから、

「全てお前に任せよう。ともに幕府を立て直そうではないか」

と慶喜は彼に幕府の改革を一任することとした。


小栗は慶喜に幕府の威信を示すことの必要性も述べた。

「外国の公使たちには毅然とした態度でのぞむべきです。日本を治めているのは徳川幕府であり、その代表は征夷大将軍である公方様であることをはっきりと述べられませ」


小栗はここから数カ月間の間にありとあらゆる改革を幕府に施した。小栗がその生涯において最も業績を残したのはこの時期であるといっていい。


小栗は随一の財政、経済通である。彼は準備されていた不換紙幣発行を危険であるとして禁じ、兌換紙幣を初めて発行した。それにより急激な物価高や恐慌が起きるのを防いだ。また内国債を発行して財政を整えた。


また軍事面においても滝野川村に反射炉と大小砲製造所を建設するために千川用水を拡張し、それを動力源として実現させた。さらに小栗は滝野川に火薬製造所を造ることも提案している。この辺り一帯の工業施設は明治政府へと引き継がれることになる。


そしてフランス式を取り入れた幕府の陸軍を組織した。旗本に対しては「賦兵の制」により徴兵を行い、また「兵賦金制度」によって陸海軍建設のための分担金を要求した。これには反対も起こったが、小栗は意に介さない。


小栗は武士だけでなく農民、庶民からも兵を取り立てることも想定していた。長州藩にはすでに奇兵隊をはじめとしたそのような諸隊が多く存在している。そしてその長州藩の軍隊に幕府は敗れたのである。


慶応3年(1867年)4月には兵庫開港に合わせて日本初の株式会社を作って貿易を発展させ、それにより幕府の財政を潤すとともに社会基盤を固めるべきだということを提議した。


これまで横浜や長崎で港を開いても、日本の商人たちは利益を外国人の商社に持っていかれて全体で損失となっていた。だから兵庫開港の際には大坂の商人20名ほどから資本を出させて商人組合を設立して、役員、定款を決めて株を買うことで誰でも加入することができるようにする。そしてその組合のもとで貿易を進めて金札発行を許可し、その利益でガス灯、郵便電信制度、鉄道を設置する。


この小栗の案により設立された兵庫商社は半年ほど活動を続けたが、幕府が崩壊する時勢の中で解散することとなった。


またイギリス公使パークスが、幕府が築地に予定していた外国人居留地にホテルを新築するよう求めた際は、小栗は同じく株式会社の手法でこれを実現させた。


さらに小栗は信濃の小布施町の豪商高井鴻山の、北信越の富豪の資本による船会社の設立と貿易の振興を後押ししている。しかし後に小栗の免職と幕府の衰退という流れのなかで、その構想は実現目前にして立ち消えとなっている。


後に三井財閥の礎を築いた三野村利左衛門はかつて小栗家の奉公をしていたこともあり、縁が深かった。小栗は三野村に商工会議所や中央銀行の設立まで語っていたという。


小栗の頭にあったのは、パナマで見た株式会社の仕組みである。幕府が主導して株式会社を作って儲けを出し、それを社会のインフラへと還元する。ちょうどこの時期に幕府の命でフランスへ渡った幕臣の渋沢栄一がパリでそのことを理解して明治になって日本中で実現させるが、すでにこの段階で小栗がそのスタートをきっていた。


渋沢がパリの万国博覧会のために出港する直前に、小栗は彼に株式会社や銀行の制度を話して

「パリにてその仕組みをよく学んでまいれ」

と命じた。渋沢は商人の家の出身であり、かつて一橋家の財政改革を成し遂げた手腕の持ち主でもある。彼ならば自分と同じようにその制度を日本に持ち込めると考えたのであろう。


「徳川家はここからどうなるか分からぬ。しかし我々幕臣はそうなっても日本のために尽くすのだ」

とも小栗はいい、渋沢は恐縮しながら帰っていった。


小栗の改革によって幕府は力を取り戻し始めた。薩長側は警戒を始め、長州の桂小五郎などは慶喜のことを

「家康の再来」

とまでいって恐れた。しかし慶喜の政策はほとんどが小栗の案である。


薩長勢力は幕府の強大化を受けて、幕府および徳川家を倒さなければ自分たちの時代は来ないという認識をより強くしていくことになる。

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