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第二次長州征討

慶応2年(1866年)6月、幕府による第二次長州征討が開始された。一度幕府に恭順の姿勢を示した長州藩だが、倒幕派が再び政権を握り幕府に反旗を翻している。


またこの年の1月には薩長同盟が成立しており、それまで幕府に協力的だった薩摩藩は征長軍に参加していない。


5月に軍艦奉行に再任された勝は大坂に下るよう命じられている。その際に、江戸城内にて長州征伐の中心人物の一人である小栗に呼び出された。


「大坂に行かれるそうですな。その際に幕府の機密のことに携わるように命じられることであろう。そんな勝殿であるからこそ、これからの幕府の方針を話しておきたい。これから幕府は長州へと攻め込む。すでにフランスに借金をして軍艦を7隻廻してもらう手筈を進めています。そして長州を討った後には薩摩を討ちます。幕府に逆らう大名がいなくなったら、大名や藩をなくしてこの国に郡県制を敷くのです。勝殿もご同意いただけるかと思うが、幕府のもとで強大な統一国家を築き上げる」


勝は返事をしなかった。小栗は簡単に自分の意思を曲げるような人間ではないから反論こそしなかったが、幕府を主体とした統一国家になど勝は期待していない。


大阪に着いた勝は老中板倉勝静からもそのことに関する意見を求められた。

「小栗殿はフランスの力を借りて長州を討とうとされています。しかし内乱に外国の力を介在させることは危険です。下手をすれば侵略のきっかけを与えかねない。それに郡県制についても、徳川だけが残って諸大名だけを廃するというような都合のよい考えがまかり通るべきではありませんな。まず徳川が自ら倒れて領地を削り、真に能力のある者に政権を譲るべきです。郡県制をするというのならその後にすればよろしいでしょう」

「幕府が政権を手放すべきだというのか?」

「そうです。それでこそ諸藩にも同じことを説くことができ、日本は新しい体制へと移行することができましょう」

板倉は驚愕した。小栗の郡県制といい、勝のこの大政奉還論といい常人では思いつかないものばかりである。


板倉は勝に、京に行って会津藩と薩摩藩の間を調停するように命じた。それが勝が江戸から呼び出された理由であった。長州と同盟を結んだ薩摩がその征伐に反対したことから、幕府と親しい会津は薩摩を憎んで薩摩屋敷襲撃まで企む始末であった。


京で会津藩士に会った勝は徳川のためだけでなく日本のことを考えるように説くが、会津藩士たちは反発して彼の屋敷にまで押しかけてきた。勝は仕方なく、

「切羽詰まったら自分が軍艦を率いて長州を攻めよう」

といったから一旦彼らの怒りは静まった。


薩摩としては勝のいうことに文句はなく、話はすぐにまとまった。幕府としては薩摩に出兵を要求してほしかったが、勝にはそんなつもりはない。変わらず薩摩は征長軍には加わらない姿勢を崩さなかった。


勝は長州征伐など百害あって一利なしだと思っているし、幕府に対してその意思を建白もしている。


幕府軍は兵数では勝っていても、近代兵器を揃えている長州軍の前に苦戦を強いられた。また7月には将軍家茂が21歳の若さで世を去った。頓挫したとはいえ、勝の海軍への夢を理解して後押ししてくれたのはこの若き将軍だけである。勝は涙に暮れた。


次期将軍となった徳川慶喜は自ら征長軍を率いて形勢を逆転させようと息巻いていた。しかし勝と慶喜の関係は決して芳しくない。勝が薩摩、会津と交渉を終えた後に慶喜は板倉に勝を信用するなという書状を送っており、勝はそのことを知っている。


しかし状況は好転せず、各地で幕府軍は敗北し続けた。それを受けて越前藩主の松平春嶽は慶喜に大政奉還の建白をしている。そして長州との停戦するべきであり、そのために勝を使うべきだということも意見した。


「長州に談判に行ってくれないか。天朝でもお前の他にはないとおっしゃっている」

と慶喜は頼んだ。

「亡き公方様には大恩がございます。その恩に報いるため長州を説き伏せてまいりましょう」

勝はあえて家茂の名を使った。慶喜という人間からはどこか誠実味が感じられず、勝は苦手であった。


とはいえ慶喜が松平春嶽からの建白を受け入れたということは、彼の頭には大政奉還があるということだろう。勝はその点に期待した。長州と和議を結んだら幕府が政権を投げ出す、日本が変わるにはその手しかなく、将軍となった慶喜がそれを進めるべきだと思っている。


勝は芸州藩に長州との仲介を依頼し、8月25日に会談場の宮島に渡ったが、しばらく長州側の使者は現れず待ちぼうけをくらった。宮島には勝の命を狙わんとする刺客と思われる者たちが多く潜んでいる。だが例によって勝は気にしない。


9月1日に長州側の使節団が到着し、翌日に大願寺にて会見が行われた。長州側の使者は井上聞多(後の井上馨)をはじめとした8名である。


一同は縁側に座って恐縮しながら一礼した。勝が

「そんな遠くにいたらお話もできませんから、どうぞこちらへ来てください」

といっても

「恐れ多いことでございます」

と一同は遠慮した。そこで勝は

「あなた方が嫌だというのなら私がそちらへ参りましょう」

といって彼らが座っている方へ割り込んでいった。一同大笑いとなり、

「それでは御免を被ります」

といって一同広間にて談判を始めることになった。


「なぜあなた方は大坂に火をつけないんです?それで追いまくられますよ」

「それはそうですが名分がありますから」

勝は得意のユーモアと愛嬌で話し合いを進めていった。


しかしそれだけでは和議は成立しない。何せ長州は勝っているのであり、幕府側に簡単にへりくだりたくはない。だからこそ勝はあえて次のことを話した。

「ここだけの話ですがね、幕府はもう長くはないんです。公方様が大政奉還を考えておられる。つまり幕府から朝廷に政権を返上するんです。そのうえで公論衆議によって国事を決定する」

それを聞いた長州側は安心して和議がまとまった。


勝は幕末の動乱の中で数多くの外交交渉を行ってきたが、その心得は真っ直ぐに綺麗な心で臨むことであった。後に次のような言葉を残している。


「おれはこれまでずいぶん外交の難局に当つたが、しかし幸ひ一度も失敗はしなかつたヨ。外交に就いては一つの秘訣があるのだ。心は明鏡止水のごとし、といふ事は、若い時に習つた剣術の極意だが、外交にもこの極意を応用して、少しも誤らなかった」

「外交の極意は、誠心正意にあるのだ。胡麻化しなどをやりかけると、かへつて向ふから、こちらの弱点を見抜かれるものだヨ」


講話を取りまとめた勝が京に戻ると、彼は慶喜に裏切られた事実を知ることになる。彼は勝を使者として送った直後に朝廷から休戦命令の勅書を出させた。それも長州は侵略した土地を引き払えというような高圧的なものであり、長州側の怒りをかうことになる。勝は恥をかかされる結果となった。


失望して江戸に戻った勝のもとに小栗が訪れた。

「いきさつは聞き及んでおります。長州との交渉、ご苦労でございました」

「慶喜様にしてやられました」

小栗は心から同意した。長州藩と対等の講和などせず倒してしまおうという慶喜の方針には賛成なのだが、それにしても騙すようなかたちで勝を派遣したやり口は小栗からしても納得いかない。


徳川慶喜は才気あふれる人物であり、それゆえに薩長側にも恐れられた。しかしその場をどう乗り切るかということばかりに注力していて、長い目で見たビジョンを持っていない。だからその場しのぎの姑息な手を使うことがある。それが勝と小栗の共通認識であった。この2人は方針こそ違うことが多いが、お互いに国家のビジョンを持っておりそのために行動している。


「小栗殿、慶喜様のもとで国が立ち直ると思われますか?もはや幕府では立ちいきませんよ」

「勝殿、ここは江戸城でございます。幕府を悪くいうことは許しませぬ。たしかに幕府は長州に負けた。しかしこれから幕府軍はフランス式を取り入れて強くなります。そのうえで再び立ち直る。上様がどんなお方であれ、私は上様のもとでそれを成してみせます」

「あなたは真面目なお方ですよ。しかしそれゆえに足元をすくわれぬように注意なされた方がいい」

勝は本気で忠告した。小栗がどれだけ誠心をもって幕府に尽くしたとて、幕府がそれに応えるとは限らないのである。



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