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土蔵つき売家

この物語の段階より時代は経って明治45年(1912年)の夏、日露戦争で連合艦隊を率いてロシアの海軍を破った元帥の東郷平八郎が小栗上野介の遺族を自宅に招いた。そして

「日本海海戦において勝利を収めることができたのは小栗上野介殿が横須賀造船所を建設してくれたおかげである」 

と礼を述べたという。


小栗が幕府の施政下で築いた横須賀造船所は幕府の瓦解後も明治政府に引き継がれ、日本はその遺産を使うことで短い期間に強大な海軍を持つに至った。東郷はそのことをいっている。


小栗の最大の業績の1つといえるこの横須賀造船所の建設をともに進めたのが、彼の5歳年上でかつて安積艮斎の塾でともに学んだ仲である栗本鋤雲である。


小栗や栗本は幕府の立て直しのためには、フランスと同盟を結んでその力を借りる必要があると考えている。栗本は日仏交換教授として働いていたこともありフランスに詳しく、小栗は彼からその情報を仕入れていた。


オランダは歴史上最も幕府と親交が長い国だが、英蘭戦争での敗北からその勢いは翳りを見せている。自身が訪れたアメリカも南北戦争の最中である。またイギリスやロシアは国際政治上、倫理に反する行動が多い。最も頼るべきはフランスである。


小栗はフランスのロッシュ公使に近づき、日本に造船所を建設してそのうえで海軍を築き上げる構想を述べた。そしてロッシュからの協力を得ることに成功する。


元治元年(1864年)11月、小栗と栗本はロッシュらとともに江戸湾を視察し、当時小さな漁村であった横須賀村に造船所を建設することを決定した。地形上最もそれに適しており、フランス人たちは母国のツーロン港と似た地形であるといってこの地を推奨した。


造船所の建設には莫大な資金が必要であることが予想されたため、幕府内には反対意見が根強かった。特にこれまで通り幕府の軍艦はオランダに任せるべきだという考えが強く、オランダからも

「日本が自分で軍艦を作って発進させるのは、ずいぶんと先のことになるでしょう。それならばわが国に発注していただきたい」

といわれていた。しかし小栗は目先のことにとらわれていない。100年先を見据えている。

「そんなことは分かっておりますが、幕府が自らの手で日本の軍艦を造ることに意味があるのです」

といって聞かなかった。


資金についての反対意見を受けて、栗本が小栗に不安な気持ちをこぼしたことがあった。

「幕府の命運も今後どうなるか分からない。費用をかけて造船所を造っても、その時に幕府がどうなっているか分からないのではないか」

「もし仮に幕府の命運に限りがあったとしても、日本の命運には限りがない。徳川のしたことが後の日本のために利益になれば、徳川にとって名誉なことではないか。もし横須賀に造船所を築けば、土蔵つき売家の名誉を残すことができる。幕府がなくなるからといって、あとは野となれ山となれといって退散するべきではない」


栗本は息を呑んだ。常日頃から幕府のためを至上命題としている小栗も、幕府がどうなるか分からないということは頭に置いていたのだ。そのうえでもしそういう結果になったとしても、自分が幕府に仕える以上はできるだけのことをするべきである。そして後の日本のためになることを幕府のもとで行えたなら、それが幕府の散り際をより美しいものとして後世に語り継がせることができると考えているのだ。


後に薩長によって徳川家が攻め滅ぼされる危機に瀕した際、小栗は薩長への徹底抗戦を主張した。それが受け入れられることなく身を退くことになるのだが、その際に同じく抗戦派であった渋沢成一郎に対して

「薩長のもとで一応は戦いはおさまるであろう。しかしその後は強藩どうしが争って群雄割拠することになるかもしれない」

と語ったと伝えられる。これから先に起こる西南戦争のことを考えると、的を得た予言であったといえる。


小栗があくまで幕府、徳川を第一としたのはその忠誠心からだけではなかった。260年間日本を治めた幕府から急に政権が移行されたら、国内に混乱が起きることは避けられない。彼の思慮の先には幕府だけではなく日本のことがあったのは間違いない。


またこの時、小栗は造船所の資金については

「その資金を確保するためにかえって冗費を節約するという口実ができて、財政上むしろ利益である」

と栗本に語っている。小栗は勘定奉行として、幕府から無駄な出費が重なっていることを不満に感じていた。これからの日本のためには本当に必要な出費が他にあるはずである。だからこそ造船所建設のような莫大ながらも必要な出費を課すことは、不必要な出費を減らすことにも繋がるはずだ。


また小栗はその資金の確保のために、幕府が直営する貿易会社を作ることまで構想していた。それが実現に向けて動き出すのは2年以上先のことになる。


翌年の正月5日、フランスの技師ヴェルニーが横浜に入港した。彼は横須賀を測量して図面を書き、費用を計算した。建設費用は4年間で240万ドルほどだという。それを聞いた小栗は、造船所の建設をヴェルニーに一任することにした。


横須賀造船所跡地の対岸にあるヴェルニー公園には、小栗とヴェルニーの2人の像が並んでいる。彼ら2人の手により、日本海軍発展のきっかけとなるこの事業は実現へ向けて動き出した。


同月、日仏の間で造船所設立の約定書が調印されたが、そこに小栗の名がなかったからロッシュは驚いてその理由を尋ねた。

「私はまもなく軍艦奉行を罷免されます。オランダとの関係を重視する者たちをはじめ、フランスの力を借りることに反対する者たちが多いのです。その者たちの批判をかわすために私は身を退きます」

「あなたがいなければ造船所はここまで漕ぎ着けることはできなかった。あんまりというものではないか」

とロッシュがいうと、

「わずかの間でしたが、軍艦奉行としてあなた方の力を借りることができて造船所を建設へと進めることができた。思い残すことはありません」

とだけ小栗はいった。ロッシュには目の前のこの男こそ、日本を背負って立つに最もふさわしいのではないかと思えてしかたがなかった。


横須賀造船所を構想するうえで小栗の頭にあったのは、かつてアメリカで見た景色であった。アメリカではあらゆるものが鉄で作られていて、それに感動した小栗は日本にネジを持ち帰っている。物を木ではなく鉄で作ることを小栗は目指しており、製鉄所を造ることを目的とした。


造船所とはいっても、横須賀造船所は船だけを造るのではない。ありとあらゆる工業製品を造る総合工場であり、そのモデルはワシントン海軍造船所であった。


横須賀造船所は蒸気機関を原動力に用いており、それまでの日本のように川の落差による水力には頼っていなかった。それらの点で、横須賀造船所とは革新的でこれまで存在しなかった工場であった。


小栗は造船のための木材需要のために森林の保護育成が必要だと考え、そのための提案までも行っている。


また横須賀造船所の建設はフランス人が行うためその通訳が必要であり、小栗と栗本は横浜にフランス語学校を設立して旗本たちに通わせた。

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