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三本足の烏を助けたら、家に棲み着きました

作者: 星谷 明里
掲載日:2026/03/11

 ――それは、私にとって運命の出会いだった。


 月の見えない晩。ため息を吐きながら、私は帰り道を一人歩いていた。

 ひんやりとした夜風に、人っ子一人いない。

 どの家も灯りは消され、錆びれた街灯の灯りだけがぼんやりとあたりを照らしている。

 不意に、持っていたスマホの画面が明るくなった。


 もう、日付が変わりそうだ――


「はぁ……」


 また、ため息を吐いてしまった。

 大したものは入っていないはずなのに、肩に掛けたショルダーバッグがずっしりと重い。肩こりが治らないはずだ。

 浮腫んだ足に、ローヒールのパンプスがきつい。お腹も空いたし、早くお風呂にも入りたい。でも、帰ったらすぐに眠りたいくらいにヘトヘトだ。


(まだ、水曜なのになぁ……)


 私は、残業続きの日々に疲れ果てていた。

 明日からも、この代わり映えのしない毎日が続くのかと思うと、ため息しか出てこない。


 ふわりと、微かに臭う。

 視線を向けると、ゴミ捨て場だった。どんなに綺麗に片付けられていても、いつも何故か少しだけ臭うのだ。


「……ん?」


 そのとき、通り過ぎようとしていたゴミ捨て場の陰に黒い何かが蠢いて、私は足を止めた。


(黒猫……?)


 私は屈むと目を凝らした。

 それは、一羽のカラスだった。


「うわ……」


 黒光りする瞳と間近で目を合わせてしまった私は、思わず尻餅をつく。


(怖……)


 それが、正直な気持ちだった。

 意外と大きな体に、黒光りする羽と瞳。薄暗がりにいるせいで、その姿が余計に不気味に見えた。


(ツイてないなぁ……早く帰ろう……)


 立ち上がって帰ろうとした時だった。

 烏が小さく鳴いたのだ。ひどく、弱々しい声で――


 私は、思わず烏に手を伸ばしていた。

 理由はわからない。

 けれど、私はその烏を抱えると、家へと急いでいた。

 

 ◆


「飲める……?」


 そう問い掛けると、烏は黙って私を見上げた。

 こうして見ると、つぶらな瞳が可愛く見えてくる。

 烏の前に置いている器には、水を入れている。ちなみに、水道水でもミネラルウォーターでもない。


「それ、美味しいでしょ? 湧き水なんだよ」


 笑いかけると、烏は私をじっと見上げてから、再び水にくちばしを付けた。

 烏を眺めながら、私もグラスの湧き水を口にする。普段飲んでいるミネラルウォーターと違って、ほんのりと甘く、喉越しが柔らかい。

 また、週末に神社にお参りに行こう。決して湧き水だけが目当てではない――はずだ。


「怪我はしてないみたいだね。カラスさん」


 話し掛けても、もちろん烏から返事は無い。

 けれど、話しかける度に私を見つめ返してくれるので、つい話しかけてしまう。


「それにしても……あなた、足が三本あるんだね」


 ラグに膝を抱えて座ると、烏がちらりと私を見た。

 突然変異だろうか。気づいた時はぎょっとしたが、不思議と怖くはなかった。


(すごく大人しいよね……)


 烏は、大きめの段ボール箱の中に敷いたバスタオルの上で静かに休んでいる。

 今まで見てきた烏とはどこか違う気がして、少しだけ胸がざわめいた。


「早く元気になりますように」


 私は烏にそう話しかけると、ベッドに潜り込んだ。


 ◆


 翌朝、目が覚めると十時を回っていた。


(どうしよう……?!)


 大慌てで、私は職場へと電話をかける。


「え……? 休んで良いって、どういうことですか?」


 今朝、私の携帯から、体調不良だから休ませて欲しいと連絡があったそうだ。確かに発信履歴が残っているが、記憶は全くなかった。


(寝ぼけながら、休むって電話したってこと……?)


 自分が恐ろしい。

 それでも、休めることになったから結果的に良かったのか――


 傍らでは、いつから目覚めていたのか、烏が私を見上げていた。


「ご飯にしようか」


 そう声をかけると、つぶらな瞳が煌めいた。

 でも、烏って何を食べるのだろうか。確か、雑食だと聞いたことがあるが――


 白米を冷ましてから差し出すと、烏は静かについばんだ。

 私も烏の傍らに座り、遅い朝食にありついた。


 ◆


 烏が来て三日が経った。


(彼氏なんて、いないのになぁ……)


 職場で、何故か私に『彼氏ができた』と噂になっている。すぐに否定したが、「隠さなくて良いから」と言われる始末だ。

 羨ましがる後輩と、面白くなさそうにしていた同僚や先輩たちの顔が浮かぶ。

 連れ立って歩くような男友達はいないし、身に覚えは全くないのに――そう思いながら黒い羽を撫でると、烏は気持ちよさそうに目を細めた。


 ゴミ捨て場で弱っていたのが嘘のように、烏は元気になっていた。といっても、相変わらず段ボールの中で大人しくしている。


(水浴び? とかさせたほうが良いのかな……)


 “烏の行水”という言葉がある。

 連れ帰ったときから衛生面が気になってはいたが、烏は無臭だった。顔を近づけて嗅いだわけではないが、不潔な感じは少しも感じられない。

 夜道では不気味に黒光りしているように見えた体は、美しい艶のある漆黒だ。


 烏は、私を見上げて小首を傾げた。


「……水浴び、する?」


 そう問い掛けると、烏は段ボールからふわりと飛んで出てきた。一瞬だけ、翼を広げた烏の大きさに圧倒される。

 「こっちだよ」と声を掛けると、トコトコとついてくる。その姿がとても愛らしく、キュンとした。


(頭が良いって聞くけど、本当だ……)


 漬け置き用のカゴを洗って水を張ると、烏はそこへ入って体を浸した。

 静かに水に浸かる様子に、私は思わず声をかけた。


「バシャバシャしないの?」


 私の言葉に一瞬だけ固まった烏は、少しだけ翼を広げ水へ浸けた。バシャバシャするには、このカゴは狭いようだ。


「気持ち良い?」


 そう問いかけると、瞼を閉じた烏は頷いたように見えた。

 随分と物分かりと行儀の良い烏だ――私はそう思っていた。


 ◆


 烏を助けてから、九日が経った。

 今日は待ちに待った金曜の夜。私と烏の不思議な生活は続いていた。

 元気に羽ばたいていくことを期待してベランダに段ボールごと出すも、烏は出ていこうとしなかったのだ。


(もう、寝てるかな……)


 私は帰りのバスを待ちながら、段ボールの中で眠る烏の姿を思い浮かべた。

 明日は、湧き水をもらいに神社へ行こう。一緒に行けたら良いのに――

 烏は今や、まるで私の愛鳥のような存在になっていた。


「お姉さん、一杯どうですか」


 そのとき、突然に声をかけてきたのは、スーツ姿の男だった。正確に言うと、酔っぱらったサラリーマンだ。


(最悪……)


 聞こえないふりをしていると、顔を覗き込まれる。


「無視しないでくださいよー」


 思わず後退ると、手首を掴まれた。


 そのとき、私と男の間に黒い影が差し込んだ――


「痛……っ!」


 背の高い若者が、酔っ払いの手首を捻り上げた。瞬間、軽々と持ち上げられた酔っ払いの体に、私は目を見張る。

 助けてくれた彼はすらりとした体だが、相当な腕力の持ち主のようだ。


(誰……?)


「二度と近付くな」


 放たれた低い声。

 地面に降ろされた酔っぱらいは、「何だよ、彼氏かよー」とぼやきながら姿を消した。


(彼氏……)


 その青年の横顔を見つめる。

 ものすごいイケメン――というか、美形だ。少し無造作な黒髪のショートヘアがよく似合っている。

 こんな彼氏がいたら、どんなに素敵だろうか――そんな馬鹿げた考えが頭をちらついた。


「あの……助けていただいて、ありがとうございました」


 そう言って頭を下げると、酔っぱらいを目で追っていた彼がこちらを向いた。


(うわぁ……すごく綺麗な顔……)


 切れ長の漆黒の瞳に、私は息を呑んだ。

 とても同じ人間とは思えない。

 端正で凛々しい顔立ちに、思わず見惚れてしまった。


「礼を言うのは、こちらだ」


「えっ……?」


 深く腰を折った彼に、思わず抜けた声を出してしまった。


「私、何もしてませんけど」


 そう返すと、彼は微かに微笑んだ。


「湧き水、とても美味しかった」


 「おかげで助かった」と言ってきた彼に、思わず私は大声をあげてしまった。


 まさか――


「……カラス、さんなの?」


 「ああ」と無表情で答えた彼が、私が肩から落としかけたショルダーバッグを掴む。


「さぁ、帰ろう」


(これ、夢よね……?)


 目の前には、私のショルダーバッグを持って立っている彼。

 ちょうどやって来たバスに、私たちは一緒に飛び乗った。


 夜景がちらつく真っ暗な窓硝子に、彼の横顔が映っている。服装は、黒いジャケットに黒いパンツで黒ずくめなのに、不思議と清潔感に溢れていた。その見た目だけで、良い匂いが漂ってきそうな気配さえする。


(これは夢だわ。リアルすぎるけど)


 これが夢でなくて何なのだろうか。

 仕事で心が疲弊して、こんな夢まで見るようになってしまったのか――そう考えていると、最寄りのバス停に到着した。


 夜風が少し冷たい。

 月明かりに照らされる夜道を、二人で歩いた。


(やけに長い夢……夢って、こんな感じだっけ?)


「ここで、助けてもらった」


 ゴミ捨て場の前を通りながら、彼がしみじみ呟く。

 こんな夢を見る自分が、怖いというよりも、もはや恥ずかしかった。こんな空想癖があったのかと――


 そして、家に帰った私を待っていたのは、空っぽの段ボール箱だった。


(カラス……)


 段ボール箱には、今朝変えたばかりのバスタオルだけが敷かれている。

 胸にぽっかりと穴が空いてしまったようだ。これは、夢だというのに――


「炊けたぞ」


 低い声が落ちた。

 私たちの帰る時間に合わせたかのように、炊飯器の音が鳴っている。


(……これって……まさか、現実なの……?)


 私は、部屋に立つ彼をまじまじと見つめた。

 彼はただ、無表情に私を見つめ返している。


「……あなたが、炊いてくれたの?」


 そう問い掛けると、彼は静かに頷いた。

 私が炊飯器を使っているのを見て、彼は炊き方を覚えたのだという。


(そういえば……)


「先週、職場に休むって連絡したのって、もしかしてあなたが……?」


 頷いた彼は、「貴女は……疲れていただろう」と一言言った、どこか気遣うような眼差しに、胸の奥が熱くなる。


(もしかして、“彼氏”って――)


「あの……彼氏って、名乗ったりした?」


 恐る恐るそう聞くと、彼は無表情のまま否定した。


「名乗ってはいない」


 ああ。何となく想像がついた。

 まぁ、こんな美男子が彼氏だと誤解されるのは、とても悪くない気分ではある。


「……どこで、寝るつもりなの?」


 そう聞くと、彼は少し不思議そうな顔をした。


「私の寝床は、ここだ」


 段ボール箱の中で膝を抱えて小さくなった彼に、私は思わず吹き出した。

 彼は、少しだけ恥ずかしそうな顔で瞼を伏せると、一瞬で烏の姿へと戻る。


「あなたは……何者なの?」 


 屈んだ私は、つぶらな瞳で私を見上げる烏に問いかけた。


「八咫烏だ」


「やたがらす……」


 私は、低い声で喋る烏を呆けたように見つめた。


「帰る家は……?」


「色々あって……出てきた」


 「しばらく、ここに置いてもらえないか」と聞いてきた烏に、私は二つ返事でOKした。

 こうして、私と烏の不思議な同居生活は続くことになった。


 それから、どんなに仕事が遅くなっても、前ほど苦痛ではなくなった。

 それは、家にかれがいるからだろうか――


 今日も、三本足の烏は私の帰りを待っている。



 ― 終 ―

読んでくださって、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたなら、嬉しいです。

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