5.もっと褒めてくださっても結構でしてよ
「さあ殿下、特訓の時間ですわ!」
「帰れ!」
「お断りいたしますわ!」
王子宮の客間に、わたくしたちふたりぶんの声が響きわたった。
本日は、婚約者同士としての定例のお茶会……という体で、エスコート練習を開催中だ。
「次の新年の祝祭までに仕上げて参りますわよ」
「そんなもの、出る必要はない」
「そうも参りませんわ。わたくしは、婚約者となった意味を果たさねばなりませんの」
嫌そうな顔をひとつも隠そうとしない殿下に、わたくしもまた一歩も引くつもりはなかった。
実は、わたくしたちは婚約披露宴をしていない。
王族の婚約としては異例のことだけれど、王子のことを知る貴族の間では「さもありなん」と言う反応だ。披露宴の最中に暴れたしたり、騒ぎを起こされるくらいならなにもしない方がマシ、ということだろう。わからないでもありませんけれど。
けれど、王族としてはいつまでもそんな調子では困るのだ。
今はまだ、わたくしたちも子供であるし、国内のことなので見逃されてはいるけれど、あと数年もすれば公務として他国の賓客を招く場に立たなければならなくなる。
そこでいきなり本番なんてさすがに恐ろしいではありませんか。
つまりは将来への予行演習として、次の新年の祝祭はもってこい、というわけですのよ。
「お前の都合など知ったことか。祝祭など出んし、エスコートなどするつもりはない。帰れ」
「あら、わたくしは構いませんけれど、殿下はよろしいんですの?」
ことさら挑発的に言うと、殿下はぎろりとわたくしを睨んだ。
「何がだ」
「わたくしより先に根をあげることになりましてよ?」
それはひとつの賭けだった。
殿下が教育係を追い出した顛末は聞いている。物に当たった現場も見てきた。
お茶会のために用意された部屋からは、投げやすそうなもののほとんどが用心のために片付けられているが、それでもティーカップなどは残っているから、トリアンリート王子が癇癪を起こせばためらいなく投げつけて来るだろう。
恐怖がないわけではなかった。あの日盛大に鳴り響いた悲鳴のように高い食器の音が今も耳に残っている。
けれど、わたくしは王子の中にある、わたくしと同じ気配に賭けたのだ。
わたくしから目を反らさずに睨み返したトリアンリート王子の、その意地っ張りな性質に。
そして睨み合うこと数秒後。
「……本当に生意気な女だな、お前は」
殿下は舌打ちしながらも、帰れ、の言葉を飲み込んだのがわかった。
「では! まずは挨拶からですわね! ――よろしくお願いいたしますわ、殿下」
わたくしが丁寧にカーテシーをすると、王子が苦々しく口を曲げながらも姿勢を正す素振りをされ、それを見ていた侍従たちが銀盆をつるりと取り落とす音が響いたのだった。
***
「雪解けの清けき水面へ差す陽も美しき日に、新たなる年の始まりの祝いを共にできること、大変光栄に存じます」
「……いまだ遠い春の先駆けの訪れは、何よりの祝いと歓迎する」
何ヵ月にも及ぶ特訓の成果もあり、翌年の新年の祝祭では、わたくしの挨拶への応答も淀みが少なくなり、エスコートの手順は見違えるようだ。
わたくしたちのやりとりをご覧になった方々の間からはどよめきが漏れた。
婚約者を伴いながら笑顔のひとつもないところは減点ものだし、歩調にもわたくしへの配慮はない。パートナーとしてはあまりにダメダメだ。さっきの挨拶だって棒読みでしたしね。
けれども、祝祭で使用される大広間で王族に直接対面の挨拶が許されているのは王家に連なる者のみ。
王座の据えられた半円状の壇下まで近付くことを許されているのは大臣級の重役だけで、更にその一段下に並ぶことが出来るのは一部の高位貴族のみなので、そんなところまで見えるのは、事情を存じ上げている方々ばかり。
であればこの程度でも、十分に及第点と言ってもいいでしょうとも。
言い回しを考え、姿勢や手順の指導から、歩き方まで指導した成果ですわ。みなさま、褒めてくださってもよろしくてよ。
わたくしは自信満々に胸を反らした。
先述の通り、わたくしたちは婚約披露宴をしていない。
これまでの素行の悪さを鑑みて、ほとんどの行事で王子は不参加であったし、王族全員が揃わなければならないような儀式では、まだ婚約者であるわたくしは側に立てないので、公式な場でふたりで揃って出席するのはこれが初めてなのだ。
きっとハラハラドキドキされていたのだろうお歴々が、わたくしの手を取って陛下の側へ戻られる殿下の動きに息をのむ気配がしていたが、再び正面を向かれた際に頬の筋肉を緩めていらっしゃるのが見えた。
おかしいやら誇らしいやらで、わたくしの口元が笑い出すのをこらえてむにゃむにゃする。
目敏く気付かれた殿下は、わたくしにだけ聞こえる声でぼそぼそと尋ねた。
「何がおかしい」
「貴族の模範たらんといつも厳つい顔をされるおじさまたちが、わたくしたちを見て一喜一憂なさるのが面白くて。ご覧くださいませ、手前の大臣なんてお口がまん丸で、雛鳥のようではございません?」
「ふっ」
殿下が思わずといった様子で笑いをこぼした。
その自然な笑みに、更にどよめきが強くなったのに、わたくしの頬も思わず弛む。
「その調子ですわ殿下。良い笑顔でしてよ。皆さまの度肝を抜いて差し上げましょう」
なんといってもわたくしも殿下もまだ10代に足を踏み入れたばかりの若輩ですのよ。ドヤァという顔になっても許されてもしかるべきですわ。
「何故そなたのほうが自慢気なのだ」
殿下は呆れたように言われたが、眼下で目を見開かれるおじさまおばさま達の、貴族的表情はどうしたという有り様に気分を良くされたのだろう。
珍しくも笑みを浮かべられたまま、無事に祝祭の挨拶を完遂されたのだった。




