4.その挑戦、受けて立ちますわ
そんなわけで、ほんとうに不本意ながらわたくしが彼の婚約者に収まったわけだが、案の定と言うべきか。
婚約者となったからとトリアンリート王子がわたくしを丁重に扱うわけもなく、暴君は暴君のままだった。
***
「俺はお前のような女を婚約者とは認めんからな」
婚約の決まった後、顔会わせのために設けられた席でもうこれである。
わたくしはため息を飲み込みながらも、以前同様に微笑みを崩すことなく浮かべて見せた。
「殿下に認めていただかずとも婚約者ですわ」
呆れを表に出さないようにするのが精一杯な返答をすると、殿下は軽い舌打ちと共に、以前と同じようにガシャと音を立ててカップを持ち上げた。
あれから一年も経ったのにお作法が相変わらずとか、王宮の役人たちが彼をなんとかするための人材をかき集めんとする気持ちが痛いほどわかる。
それをわたくしのような子供に押し付けようとしたのはどうかと思いますけれどね。
「お互いの思うところはどうあれ、わたくしたちは婚約者同士となったのですから、お互いに歩み寄るべきでは?」
「必要ない」
「ですが、公式の場では常に行動を共にするのですから、お互いのことをもっとよく知るべきで……」
「お前のことなど知りたくもない」
「…………」
「…………」
トリアンリート王子専用の王子宮にあるティーサロンは、さすがに王族用とあって調度品も美しく、出された紅茶もお菓子も一級品なのだが、同席相手がこうではちっとも楽しめない。
その後も間を空けてあれこれと話題を振ってみたものの、返ってくるのは端的で拒絶の強いものだったので、次第にわたくしも面倒になってきた。
「なんだ、急に黙り込んで」
「殿下はわたくしとの会話をお望みではないようなので、お茶を楽しむことにいたしましたの。せっかく最上級の茶葉を堪能できるのですもの」
そんなわたくしの態度に、殿下はムッと眉をひそめたものの、意外にも咎めることはなく紅茶を傾けると、カツン、と前よりは静かにカップをソーサーに戻した。
「茶など、どれも同じであろう」
「あら、そんなことはございませんわ。種類や産地、時期によっても風味も香りも全く違うのです」
そんな風に雑に扱わず、きちんと味わってみればよろしいのに。そんな意味を込めて言うと、トリアンリート殿下は「ふん」と興味なさげに鼻を鳴らした。
「王子相手に意見するとは、生意気な女だな」
「……わたくしはヴェリアルデ・ヒーデルという名前がございますわ、殿下」
「それがどうした」
「どれほど不本意であっても、わたくしは殿下の婚約者ですもの。名前で呼んでいただきとうございます」
婚約者かどうか以前に淑女に対して「女」とか呼ぶやつがあるかこのやろう。というのをレースにくるむように言ってにっこり笑ってやるが、殿下は意に介す様子はなく鼻を鳴らすだけだ。
「どうせお前も、すぐ俺の前から消えることになるんだ。女で十分だろう」
「あら」
嘲笑を滲ませる声に、わたくしの口は反射的に動いた。
「わたくし、いただいた役目を投げ出したりはいたしませんわ」
その挑発、受けて立ちましてよ。
わたくしとしたことが、つい喧嘩を買ってしまう形になってしまいましたけれど、まあヒーデル家の「どんな時でもなめられてはならぬという」家訓に従ったまでですわ。ええ。
そんなわたくしの態度に、今度こそ新緑の目をきつく尖らせた殿下は、以前のお茶会同様にわたくしを睨み付けた。
「…………」
ばちりと音がしそうなくらいに視線が交わって数秒。日差しを受けて揺れる瞳が観察するようにじっと留まったあと、飽きた、と言わんばかりに殿下はふいっと目を反らす。
「どうだかな」
ぼそりと漏らされた言葉に嘲笑はなかったが、信用していないという気持ちだけは強く滲んでいる。
「お前のような高慢な女、すぐにでも耐えきれんと根をあげるであろうよ」
ガシャンとカップを叩き付ける勢いでソーサーへ戻す無作法ぶりも、そのまま席を立って行った礼儀知らずも相変わらずだ。
「…………ふう」
その背中が王子宮に消えていくのを見送り、華やかな紅茶の香りだけが鼻腔を満たす頃、わたくしは息を吐き出した。
これでも緊張しておりましたのよ。相手は王子様ですもの、わたくしだって気を張りますわ。
残った紅茶で喉を潤し、もう一度息をついたところでわたくしは密かに思っていたことを、侍女に向かって問いかけた。
「殿下は……その、少し変わられまして?」
礼儀作法は相変わらずだし、態度もまったく褒められたものではないが、何と言うか、以前のお茶会の時よりも軟化しているように見えたし、言い回しの語彙も良くなっているように感じたのだ。
勉強を拒否し、教育係を叩き出し続けていると聞く殿下にこの一年で何があったのかと遠回しに尋ねると、申し訳なさそうに頭を下げていた侍女がなんとも言えない顔をした。
「変わられた、と言いますか……殿下が趣味を持たれまして」
彼女によると、昨年のお茶会の席で何か思うところがあったのか、トリアンリート王子は手に取られた一冊の本をきっかけに、読書の趣味に目覚められたのだとか。
彼の私室に新しく運び込まれた本棚には、絵本のようなものから少しずつ活字の多いものが増えてきているらしい。
「まあ……では、本を読むためにお勉強を?」
「そうとも言えますし、そうでないとも言えます」
わたくしが「あの王子が」という疑いを隠さず目を瞬かせていると、侍女は複雑そうに笑って事情を説明してくれた。
王子に芽生えた趣味に目を付けた新しい教育係は、さっそく教材になりそうな本を取り寄せたのだそうだ。
しかしトリアンリート王子は相変わらずトリアンリート王子で、好きな本しか読もうとしない。説教くさい本などもってのほか、といった有り様。
そして、紙はそこそこに高級品であるので、子供向けの本というのは一部の上位貴族のためにしか作られておらず、どうしたって彼の嫌う教育本のようなものばかりだ。
そこで、教育係は何人かの絵師や作家を囲いこんで彼の気に入るような物語を作らせることを思い付いたらしい。
そのなかに教養や常識の身に付くような要素を散りばめるようにし、絵のほうにも姿勢や作法の参考となるような工夫をふんだんにもりこんで本を作ってしまったのだとか。
ちなみに現在で三巻ほど発行されているそうだ。なんとしても殿下に学んでもらおうとする教育係の執念がすごい。
「殿下は興味があることには熱心なところがおありで、読みたさを優先なされた結果、お勉強になっている、というのが正しいところであるかと存じます」
「なんとまぁ……」
国費の無駄遣いが過ぎませんこと?
と、口から滑り出そうになったが、さすがに不敬なので飲み込んだ。
幸か不幸か、当代の陛下の嫡子はトリアンリート王子ただお一人。つまり、本来ならば複数人分必要となるはずの品位維持費が一人分で済んでいる。
また、小さな城ひとつは建つだろう王妃様の外交向けドレスに比べれば、絵師やら作家やらに支払われる報酬や本を作る代金なんて安いものでしょうし、下手な散財をなさるより有意義な使い道である、と言えなくもありませんわね。
……たぶん。
まあ、どんな形であれ、あの王子にも素直に学ぼうとなさる一面があると知れたのは僥倖だ。
わたくしはわたくしに与えられた役割――婚約者と言う名のサポート役を果たして見せようではありませんか。




