3.お父様、どんな手妻をお使いに?
「まったく」
典礼官殿の乗る馬車が遠ざかる音を扉越しに聞きながら、父は強面を緩めるとため息を吐き出した。
「王子妃に選ばれるのは名誉なことだからとかなんとか、そんなもので我が侯爵家が釣れると思ったのかね、あの役人は」
父の言葉に深く頷きながら、母はわたくしと同じ菫色をした目で、扇子ごしにちらりと試すような視線を向けてきた。
「ヴェル、一応聞いておくけれど、あなた王子妃に興味はあって?」
「いいえ、まったく」
名誉と言うものは、自らの働きに対して得られるものだとわたくしは思っている。
ねぇねぇ欲しいよね? 欲しいよね?と、ちらつかせる名誉なんて、権力者が自身の懐を痛めずに都合よく働かせるための餌だとしか感じない。
その答えに、母は満足したように扇子を閉じて笑みを浮かべられた。
「その通りよ。望んで射止めてこその妃の座です」
うーん、我が母ながらお強いですわあ。
公爵家との縁談ぶったぎってヒーデル侯爵家に嫁いできたというのは本当なのかしら。
余談はさておき、トリアンリート王子のことですわね。
書面にある条件は言語道断とはいえ、この国唯一の王子が成長曲線に難ありというのは国としての重大問題だ。
婚約者云々はともかくとしても、王子をサポートする人材の確保は、国としては急務であろう。このままでは公の行事に姿を見せることすら危ういのだから。
けれど、ただ人を宛がうだけで上手く行くのかしら、と、わたくしは初めて会ったあの日に見た、トリアンリート王子のきらめく緑の目を思い出した。
気が強く、冷たく刺し殺すかのようと言われることもあるわたくしの視線からまったく逸らさず、むしろ睨み付けてきたあの眼差し。
怒りと苛立ち、それから拒絶。敵意としては弱いが、荒々しい熱がその目の奥から感じられた。
「……あのご気性では、ご友人を作るのも難しいのでは」
「ふむ?」
わたくしが思わず呟くと、父は真意を尋ねるように目を細めた。
「わたくしを正面から睨み付けるようなお方ですわ」
「ほう。それはそれは」
わたくしの言葉や表情をどう受け止められたのか。父は興味深そうに顎を撫でると何かを考え込むように沈黙した。
その反応、ちょっと引っ掛かるところがないわけでもございませんけれども、まあ父もわたくしの気の強さはご存知ですものね。
例のお茶会の件については報告してあったものの、わたくしからのトリアンリート王子の心証についてはあまり深く話していませんでしたから、改めてお聞きになった父は何か思うところが出来たらしい。
「これは、直接話を聞いてみたほうが良いだろうな」
マンナーカノ貴族としては、後継の問題を放置するわけにもいかん。
とかなんとか言い出した父は、翌日になると颯爽と国王陛下と対談しに直接王宮へ乗り込んで行かれた。
かつて学舎で机を並べた同士であったと言うが、それにしたってだ。
「……即断即決が過ぎませんこと?」
思わず漏れた言葉に、母はにっこりと笑った。
「そこが旦那様の良いところですわ」
***
そんなこんな、ふたりがどのような話をしたのかは知らないが、父は書面にあったあれこれの条件のほとんどを取り下げさせて帰ってきた。
「……どんな手妻をお使いになられたのです」
新たに父が持ち帰った書状は、せめて対外的に国家の恥にはならないようにフォローする役目さえ負ってくれればよい、というような内容となっている。
「これは、ほとんど白紙撤回ではございませんこと?」
目を白黒させていると、父はなんだか楽しげにニヤリと目を細めた。
「長い付き合いだからな。押すコツと言うのがあるのだ」
男の友情とかなんとか、よくわかりませんけれど、最後にはどうにか頼むと陛下に頭を下げさせたと言うから、我が父ながらどういう交渉をされたのか。ひと昔であれば不敬罪とかになってたのではないかしら。
どこか自慢げですらある父に「そんなことより」と切り込んだのは母だ。
「何故、引き受けることになったのです? お断りに行かれたのではなかったのですか」
母の声は大変に冷たく、断ってくると言ってたやろがい、とわたくしのよりも深い紫をした目が言っている。
わたくしは簡単に断れるものとは思っていなかったので、これでも十分な成果だと思うのだけれど。
「すまんな」
そんな母のキツい視線に、父は小さく苦笑するとその顎をさりさりと撫でながら眉根をしゅんと下げられた。
「まあアイツ……陛下も苦労しておられるようだしな」
言い訳のような言い方をしたが、その声は仕方なく折れた、と言うのとは違う、なにか面白いことでもあったような少し悪戯っぽいものなだったので、思わず母と顔を見合わせる。
そんなわたくしたちの頭をポンポンと軽く撫でた父は、わたくしを見下ろして炎のような色の目を細めた。
「ヴェル。お前には今しばらくの苦労を掛けるが、婚約者としてではなく、ヒーデル家の娘としての役目を果たすように」
いくつか気になる単語の含まれたその台詞の理由を、その時のわたくしはまだ知らなかった。
余談ですが、リルディアお母様は伯爵家のご令嬢で、公爵令息に見初められて妻に望まれていたものの、パーティーで面倒な男たちから庇ってくれたヴェルシュナーお父様に一目惚れ。
公爵家との繋がりの欲しい家族を黙らせ、侯爵家の外堀を周到に埋めつつ押しに押して婚約者の座を勝ち取った、とお母様専属の侍女たちが今でも誇らしげに語ります。




