第8話「交換条件」
「許さない……」
白雪さんの顔を見つめていると、翠玉が目を吊り上げながら歯を喰いしばった。
まぁ、従者に更に恥をかかされたようなものなので、怒るのも仕方がないが……今更怒ったところで、どうにもならないだろう。
それよりも……雛との問題を解決できたとして、その後この子のことはどうすればいいんだ……?
天上院財閥を相手取る金なんてないし、かといってこのまま引き渡せば白雪さんが酷い目に遭わされるので、当然渡すこともできない。
得体は知れないが、多方面にコネを持っている真莉愛さんを頼るのが一番いいだろうか?
雛が大好きなあの人ならこの子のことも気に入る可能性が高いし、政治家にも顔が利くのなら、もしかしたら天上院財閥の人間ともツテがあるかもしれない。
そう結論付けた俺は、この場を凌ぐためなるべく天上院さんを刺激しないように、笑顔で口を開いた。
「約束通り、雛の件を――」
「黙りなさい」
「…………」
有無を言わさない態度。
もう彼女は雛や俺の件よりも、白雪さんのことで頭がいっぱいなようだ。
さて、どうしたものか……。
翠玉の圧に怯えて皆が委縮している今なら、この子を連れて逃げることも可能ではあるのだけど……結局それでは、雛の件が解決しない。
いっそ、転校を考えたほうがいいか……?
この学校に入学したのは真莉愛さんの命令だったので、彼女が許してくれるかわからないが……事情を話せば、許してくれそうな気もする。
偏差値が高いからこの学校、と言われていただけなので、同等の高校なら問題はないだろうし。
そう結論付けようとしていると――
「…………」
――風麗が、突然翠玉の膝から立ち上がった。
「風麗?」
「大丈夫……」
妹の思わぬ行動に翠玉が戸惑う中、風麗は一人俺に向かって歩いてきた。
何をされるのかわからないので身構えると、彼女は『ふっ……』と笑みを零す。
俺を見下す笑みではなく、『そんなに警戒しなくていい』とでも言いたげな優しさを含む笑みだった。
皆が注目する中、彼女はゆっくりと俺の元へと歩いてきて――白雪さんの頬に、ソッと右手を添える。
「馬鹿な子……顎、赤く腫れてる……。ヒビ……入ってないといいけど……」
どうやら、お気に入りが怪我していないか、確認に来たようだ。
ほんと、自分に従順な女の子には優しいんだよな、この子……。
先程の反発は、自分は関係なくて翠玉だけにしたもの、とこの子は捉えているのかもしれない。
そんなふうに風麗の行動を見守っていた時だった。
『3』、『3』、『W』、『C』
白雪さんの頬に添えられていた右手の人指しを風麗が不自然に動かし、そう文字を書いたのは。
俺にだけわかるように書かれていたので、俺はどういうつもりなのか、言葉にせず目で問いかける。
すると、風麗は『C』、『A』、『T』と書いた。
風麗が書いた文字を並べると、『33WCCAT』となる。
正直、なんのことかさっぱりわからない。
……いや、違うな。
『CAT』は、俺が問いかけたことで風麗が書いたものだ。
つまり、『33WC』とはわけて考えるべきで、『CAT』は言葉で考えるなら猫と言いたいのだろう。
でもそれなら、『33WC』はなんだ?
『33』の意味はわからないが、『WC』で連想されるのは――。
そこまで思考を巡らせていると、風麗は更に指を動かそうとする――したのだけど。
「風麗、いい加減氷を連れて、その男から離れなさい」
かわいい妹をなるべく男に近付けたくない翠玉が、珍しくも風麗に対して高圧的な態度を見せる。
「渡して……」
それにより、風麗は素直に従うのだけど……。
「渡したら、この子に酷いことをするんだろ? 渡せるはずがないじゃないか」
俺はその申し出を断る。
反発してもなお、白雪さんに優しい態度を見せた風麗のことは信用しても良さそうだが、後ろに控える女王様が信用できない。
風麗も翠玉に言われたら従ってしまうだろうし、どうにかして俺が守らないと……。
「――自分を倒そうとしてた子を守るなんて……意外と優しい……」
「ただのシスコンだと思ってたのに、実は結構紳士……?」
「ちょっと、いいかも……」
翠玉と睨み合っていると、外野から女子たちのそんな声が聞こえてくる。
俺ってシスコンだと思われてたんだな……まぁ、自覚はあるけど。
でも、聞こえるように言うのはちょっとどうなんだ?
そんなことを考えていると――
「…………」
「「「ひぃっ!?」」」
――翠玉がとても機嫌悪そうにヒソヒソ話をしていた女子たちを睨み、睨まれた女子たちは怯えてしまった。
八つ当たりをされて、可哀想に……。
「ふんっ……その子は代々天上院家に仕えている、白雪家の者なのよ? あなたが口出しをしていいことじゃないわ」
気を取り直すように鼻を鳴らした後、翠玉は椅子から立ち上がり、渡そうとしない俺に対して目を細めながら威圧をしてくる。
無理矢理奪おうとしないのを見るに、俺から奪い取ることが不可能なことは理解しているようだ。
「君がなんと言おうと、この子が目を覚ますまでは――この子の、安全が保障されるまでは、渡すことはできない」
「ふざけてるの……?」
従わない俺に対し、翠玉は睨んで来るばかり。
威圧をしてくるなら、風麗みたいに近付いてくればいいのに……。
少なくとも、俺が女子に手を出さないことは理解しているだろうし。
……いや、違うか。
雛の件で翠玉は俺に対してヘイトを買っているから、自分だけは例外かもしれないと思い、警戒しているのかもしれない。
翠玉が言葉と態度で脅してくるだけなら、状況は膠着する。
そんなふうになろうとした時だった。
風麗が、初めて威圧的な態度を俺に見せたのは。
「氷を渡さないなら……私たちも、君の妹を返さない……」
「――っ!?」
風麗の言葉に、俺は思わず目を見開いてしまう。
お気に入りを渡そうとしない俺に対し、風麗もキレた……?
いや、それにしても突然すぎる。
いったい何がトリガーになったんだ……?
「――ふふっ……」
風麗の急変に俺が困惑していると、何かを思い出したかのように、翠玉がニヤッと邪悪な笑みを浮かべた。
「そうだったわね……。あなた、私たちと揉めた後に妹を家に帰したようだけど――私が、おとなしく逃がすと思っているの?」
翠玉は実に楽しそうに笑みを浮かべ、俺はその言葉に耳を疑ってしまう。
「まさか……」
風麗と雛がぶつかった後に俺は、チャイムが鳴っても雛が荷物を持って帰るところを見届けた。
それは、帰ろうとしている雛を、翠玉がお付きたちを使って拉致する可能性があると考えたからだ。
その上で、雛には絶対何があっても、翠玉たちからの連絡は無視するように伝えていたが……。
「優しい子よねぇ、お兄さんのことを持ち出したら、すんなりと戻ってきてくれたわよ?」
「つまり、俺に危害を加えると言って、雛を脅したのか……」
迂闊だった。
俺たちが住む家は学校から徒歩十五分のところにあるので、そのくらいの時間なら翠玉は風麗のことで頭がいっぱいだったため、安全に帰れると思ったのだ。
何かあった時のために、スマホは持たせたままにしていたが……こんなことなら、預かっておくべきだった。
この冷酷で妹のことしか興味ない女が、まさか俺をダシに使うことを思いつくなんて……。
「君の妹がどこにいるかは……私たちしか知らない……。君が見つけられないように、既に学校の外にも連れ出してる……。だけど、君が氷を渡すなら……私たちも、君の妹の場所を教える……」
雛のことで頭がいっぱいになっている中、風麗は相変わらず俺を威圧するような態度を取りながら、交換条件を提示してきたのだった。







