第3話「人間の皮を被った悪魔」
真莉愛さん――小学二年生の時、俺と雛を孤児院から引き取ってくれた俺たちの里親で、見た目はとても温和そうな女性だ。
そう、見た目は。
いや、一応中身も結構温和で優しいところはあるのだけど――絶対に、怒らせてはいけない人なのだ。
俺が唯一、この世で何があっても逆らってはいけないと思っている人でもある。
だってこの人……人間の皮を被っただけの悪魔じゃないか、と思うことが多々あるのだから。
記憶に蘇るのは、彼女の期待に沿えずに受けた、罰の数々。
熱湯風呂に放り込まれたり、滝壺に突き落とされたり、ヘリコプターに吊るされて空中飛行させられたり――遺伝子操作した比較的優しいと思われる……という、熊と戦わされたり……。
今思い返してみても、やっぱりこの人人間じゃない。
絶対虐待として訴えられるレベルだ。
……まぁ訴えたところで、金と権力で手を回されて、俺が負ける未来しか見えないが。
なぜかこの人、警察や政治家にも顔が利くみたいだからな……。
自称二十代を謳っているが、出会った頃から既に大人だったし、見た目が変わっていないだけで絶対二十代じゃない――と思っていると、真莉愛さんが俺に対してニコッと微笑みかけてきた。
しかし、その瞳は笑っていない。
ゾクッと寒気がした俺は、冷や汗をかきながら口を開く。
「今日はどうされたんですか?」
「いえね、近くを通ったから、二人の顔を見ておこうと思って。特に――」
真莉愛さんはそこで言葉を止め、ゆっくりと近付いてくる。
そして――ガバッと、雛の体を抱きしめた。
「ここ最近、かわいい雛ちゃんの顔を見られていなかったからね……! 雛ちゃん成分を摂取しないと……!」
「わわわ……! うぷっ……!」
真莉愛さんの豊満な胸に抱き寄せられた雛は、顔を肉の塊に埋められてしまう。
そのまま、苦しそうにパタパタと暴れ始めた。
真莉愛さん……クールな見た目をしているのに、かわいいものに目がないからな……。
だから彼女は、雛のことが大のお気に入りで、昔からとてもかわいがっている。
俺にした仕打ちの0.1%くらいのことでさえ、雛にはしたことがない。
むしろ、服やお菓子、お金を沢山与えて甘やかしまくっているくらいだ。
「――っ! ――っ! ――っ!」
そんなふうに俺が昔のことを思い出している間にも、雛は苦しそうにもがき続けていた。
さすがに、やばいか……?
「真莉愛さん、雛が息できていませんので……」
「あら、ごめんなさい」
俺がトントンッと肩を叩いて諫めると、真莉愛さんはゆっくりと手を離した。
それにより、雛が『ぷはっ……!』と勢いよく顔を上げて呼吸をする。
本当に、息ができていなかったようだ。
若干涙目になっているし。
「ごめんね、雛ちゃん」
「い、いえ、らいじょうぶれしゅ……」
うん、全然大丈夫に聞こえないんだけど、本当に大丈夫か?
と、ツッコみたくなるが、聞いたところで雛は『大丈夫』としか答えないだろう。
「雛ちゃん、ケーキ買ってきたから一緒に食べましょ? 着替えてらっしゃい」
真莉愛さんは雛の背中を優しく擦ると、自分の部屋に行くよう促す。
それにより、雛は少し困った表情を浮かべた。
今日既に風麗にご馳走されてケーキを食べた後だろうし、ここ最近もお菓子やらケーキやらを沢山食べているので、食べすぎが気になるのだろう。
雛も、立派な女の子になったんだな……。
「どうしたの?」
「あっ、着替えてきます……!」
雛の事情を知らない真莉愛さんが首を傾げると、雛はハッとし、パタパタと自分の部屋へと向かってしまった。
厚意を無下にできないところもかわいい。
「仕事、ですか?」
わざわざこのタイミングで雛を遠ざけたということは、そういうことだろう。
高校生になって雛と二人暮らしができるようになり、平凡な日々を送れるようになった俺だが、真莉愛さんはこうしてたまに『仕事』と言いながら厄介事を持ち込んでくるのだ。
「話が早くて助かるわ。ただ……あの子、可哀想だからどこか連れて行ってくれないかしら?」
仕事の内容を言われる――そう思ったタイミングで、真莉愛さんが背後を指さした。
そこにいたのは、曲がり角の壁に半身を隠しながらも、ガクガクと震える体でこちらの様子を窺っている白猫だ。
去年、学校でボロボロの泥だらけになっているところを俺が保護した、みゃーさんだった。
「あぁ……そうですね」
俺は言われた通り、靴を脱いで廊下に上がり、ゆっくりとみゃーさんに近付く。
飼い主である俺には慣れているので、みゃーさんも逃げるようなことはせず、むしろ自分から擦り寄ってきた。
優しく抱き上げると、みゃーさんは安心したように『ミャ~』と鳴き声をあげる。
みゃーさんが怯えていたのは間違いなく真莉愛さんに対してだろう。
彼女は生まれつき、動物に怖がられるらしい。
……まぁ、その理由は考えなくてもわかるが。
きっと、動物は本能で見抜いてしまうんだろう。
真莉愛さんが、危険な相手だということを。
実際あの人は、敵対した相手には容赦がないし。
なんなら、俺たちがまだ孤児院にいた頃、子供の一人を誘拐した男をとっつかまえて拘束した後、気を失うまで笑いながらバットでボッコボコにしていたし。
その後警察に引き渡していたが、犯人は警察署へ連れて行かれる前に病院送りとなっていた。
隠れてその様子を盗み見していた俺は、その日の夜眠ることができなかったくらいだ。
「――それで、仕事の内容はなんですか?」
みゃーさんをリビングへと連れて行ったあと、俺は早速本題に入る。
あまりゆっくりしていると、着替え終わった雛が戻ってきてしまうからだ。
「君にとっては簡単なことよ。睡眠効果の毒を持つ蛇を遺伝子操作で生み出したんだけどね、新人の研究員がヘマして噛まれた際に逃げられちゃったらしいの。今、蛇の特徴や性質をまとめたデータを送ったから、どこにいるか探し出してくれるかしら?」
と、何事もないようにとても素敵な笑顔で無茶ぶりをしてくる悪魔。
平然としていい問題ではない。
「致死毒を持つ蛇じゃないだけマシですが、遺伝子操作でなんでもかんでも生み出すの、いい加減やめません……? てか、これ知られたら大問題でしょ……?」
「私の持つ会社の中でも、遺伝子研究はかなりの主力で今まで数多くの結果を出しているのに、今更やめられるわけないわ。逃げられたこと、政府の偉そうにしているだけのおじ様たちに知られると嫌味言われるから、早急に見つけてね?」
「…………」
うん、そんなニコニコの笑顔で言われても、無茶ぶりなの変わらないんですが……。
「お願いね? 見つからなかったら、あの研究員の子に責任取らせないとだし」
そう言って、再度ニコッと笑みを浮かべる真莉愛さん。
見つけても、ただでおかないくせに。
「頑張って探しますので、酷いことはしないであげてください……」
あまりにも気の毒なので、俺には関係のない見知らぬ誰かだけど、思わずそうお願いしてしまう。
「ふふ、英斗君ならそう言ってくれると思っていたわ。あっ、そうそう。ついでに、この男も見つけておいて。国に侵入していた他国のスパイらしいけど、マークしている間に逃げられちゃったらしいのよね。政府に恩を売るチャンスよ」
「絶対ついでにしていい案件じゃないでしょ!?」
何サラッととんでもない厄介事を追加しているんだ!?
――と、口と心の中で文句を言ってみるものの、真莉愛さんから笑っていない目で『や・れ』と暗に言われてしまったので、俺に拒否権はないのだった。
そして三時間後、蛇と男のいるであろう位置を割り出した別々のデータを渡すと、真莉愛さんはニコニコの笑顔で、メイドが持ってきた大金と新型超高性能パソコンを置いて去っていくのだった。
……えっ、まだ仕事しろと!?
と、俺がツッコみたくなったのは言うまでもない。




