第20話「裁きの時間」
「きゃあああああ!!」
「お姉ちゃん……!」
翠玉の悲鳴と、彼女のことを呼ぶ風麗の声が、大浴場の中で反響する。
直後、バシャンッという音と、ドンッという音が鈍く響いた。
「――あ、あれ……?」
熱湯に落ちる――そう身構えていた翠玉は、ギュッと瞑っていた目をゆっくりと開ける。
「ど、どうして……?」
それは、どういう意味なのだろうか?
自分が熱湯に落ちなかった理由なのか、それとも――俺が、現在彼女をお姫様抱っこしていることだろうか?
俺は翠玉に視線を向けないようにしているので、彼女の表情がわからない。
「さすが、英斗君。いい反応ね」
戸惑う翠玉をよそに、真莉愛さんがパンッパンッと拍手を俺に送ってくる。
顔も笑顔になっており――相変わらず、目だけは笑っていなかった。
「それで、その行為は私に対する反発と捉えていいのかしら?」
直後、まるでここは極寒かと思ってしまうほどの寒気を帯びた殺気が、俺と翠玉を襲う。
本能が、『今すぐ逃げろ!!』と頭の中で警鐘を全力で鳴らす。
俺に格闘技や闘い方を教えてくれたのは、真莉愛さんだ。
この人は、バリバリの仕事ができるキャリアウーマンのような見た目と雰囲気を見に纏っておきながらも、同じ人間とは思えないほどに強い。
なんなら、俺は武器無しの勝負で過去一度も勝てたことがないし、これからも勝てる気がしないほどの、圧倒的な実力差がある。
正直、この人とやり合うのはそれこそ無謀でしかなく――反射的に動いてしまった俺は、数秒前の自分を恨んでいた。
「真莉愛さんと敵対をするつもりはありません。ですが、これはさすがに――」
「私は、反発なのか、と尋ねたのよ?」
俺が誤魔化すも、真莉愛さんはあっさりと見抜き、YESかNOを突きつけてくる。
誰がどう見たって、俺は真莉愛さんの意に反して翠玉を助けたので、反発でしかないのだが……。
「反発……と、捉えて頂いてかまいません……」
ここで嘘を吐くことはできるが、それはもっとも愚かな行為だ。
吐いたところで意味がないし、それを口実にしてこの人は正直に答えるよりも酷い罰を与えてくるだろう。
どのみちバレているのなら、正直に答えておいたほうがまだマシだ。
「そう……それで、どうしてその子を助けたの?」
真莉愛さんはすぐに俺をどうこうするのではなく、意図を尋ねてきた。
その間も殺気は収めてくれず、一瞬たりとも気を抜けない。
下手に気を抜こうものなら、俺は瞬く間に骨を折られたり、砕かれたりするだろう。
この人を、同じ人間とは思ってはいけないのだ。
そもそも、体の構造がどこか違うんじゃないか、と思うくらいには理不尽な動きをするし……。
「熱湯を浴びてしまうのは洒落にならず、火傷をしてしまいますので……」
「大丈夫でしょ、私の血を引いた娘なのだし。それに英斗君が、この熱湯に浸かっても問題ないことを、体で証明してくれているしね?」
確かに、その可能性は十分にある。
翠玉は、この涼しい顔で熱湯に手を付けていられた化け物の血を引いているのだから、耐性があることは考えられる。
でも、翠玉が熱湯に耐える俺を見て驚いていたということは、少なくとも本人は一度も試したことがなく、無事だという保証はない。
実際、性格は結構真莉愛さんに似ているところはあるが、化け物具合をどれだけ引き継いでいるのかわからないのだ。
少なくとも、真莉愛さんの脅威の十分の一ほども、翠玉からは感じないのだし。
となれば、一般人として見ておいたほうがよく、俺は幼い時から理不尽な目に遭い、もはや体の改造だろと思うほどに鍛えられてきたから耐えられるだけで、一般人はおそらく耐えられない。
それなのに、全身から突っ込んでしまえば命にかかわる可能性もある。
「もしものことがあったら、大事ですよね? 真莉愛さんにとって、大切な跡取りでしょうから」
熱湯の中にいたら何をされるかわからないので、俺は翠玉を抱えたまま湯船を出ようとする。
その間、もちろん真莉愛さんから一瞬たりとも目を離さなかった。
「大切な、跡取り……ねぇ?」
真莉愛さんは翠玉のことを、まるでゴミでも見るかのように冷たい目で見つめる。
《こんな子、跡取りとは思いたくないわ》と言いたげな目に、視線を向けずとも、抱き上げている翠玉が体を強張らせたのがわかった。
「お姉ちゃん……!」
湯船から出ると、風麗がパタパタと俺たちに近付いてきた。
俺はゆっくりと翠玉を下ろし、背に庇うようにしながら真莉愛さんと向き合う。
「私に歯向かったのだから、雛ちゃんと別れる覚悟はあるのよね?」
まるで地獄の審判かのように、真莉愛さんは俺を見据えてくる。
元々忠告してやっていたのだから、言い訳は聞かないぞ。
とでも言いたげな目に、俺が取った行動は――土下座、だった。
「……どういうつもり?」
まさかここで俺が土下座を選択すると思っていなかったのか、頭上から真莉愛さんが問い詰めてくる。
後ろにいる翠玉たちが息を呑んだのも、伝わってきた。
「たとえ、雛をどこに連れて行かれようと、俺は必ず見つけ出します」
「つまり、離れ離れにされてもいいということね。それじゃあ、その土下座はなんのためにしているの?」
「これ以上、彼女たちを追い詰めるのはやめてあげてください。もう十分、雛にしたことの報いは受けたと思います。これ以上辱める行為――ましてや、命に関わるようなことをさせるのは、俺も雛も望みません。ましてや雛は、自分のことがきっかけでそのようなことがあったなど知れば、間違いなく深く悲しみます」
この人なら、『言わなければいいだけの話』とバッサリ切るかもしれない。
だけど、雛は決して馬鹿じゃない。
もし、今日何かあって翠玉たちが学校にこられなくなったり、入院したりすれば、その情報を学校で聞いた雛には、俺の関与が間違いなくわかる。
俺が翠玉たちに会いに行っているのを知っているのだから、当然の流れだ。
逆に雛が俺と離されて今の学校には通わない場合でも、離された理由が天上院財閥関係であることはわかるし、きっと理由を知ろうと動き、翠玉たちの身に何が起きたのかを知るだろう。
そして、あの子は自分のせいだと思い込み、絶対に自分のことを追い詰めてしまう。
だから、やめてくれと俺は願った。
いったいどんな裁きが下るか……そう思いながら、土下座して身構えていると――
「ふ、ふふ……あっはっはっは……!」
――なぜか、真莉愛さんは笑いだしてしまった。
そんな彼女のすぐ近くでは――いつの間にか大浴場から姿を消し、そして気付けば戻ってきていた白雪さんのお母さんが、仕方のなさそうな笑みを浮かべているのだった。







