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魔王の娘と勇者様



「あれ? お兄ちゃんは死にたいのかと思ってた。難しいね、人間って」


 エリシアは軽い口調でそう言うと、俺が腰にかけていた短剣を抜き取った。血のような赤色で染められた柄を右手に持ち、銀の剣身を眺めている。


「そっかぁ。じゃあ、助けてあげようかな。でもでも、魔法を使ったらパパに居場所が知られちゃうんだよね」


 思考が追いつかない。たすけてあげる、まほう、居場所、パパ。

 理解するより前に、エリシアがぶかぶかのローブを腕まくりして、細腕に短剣の刃を押し当てた。


 ぷく、と溢れてくるのは、とろりとした青い液体。血色のない冷たい色。青白い肌を流れるそれは、魔獣を切ったときに嫌でも目につく血と同じものだった。


「魔族、魔獣の特性と弱点を教えてあげる。血だよ。血が、魔の生き物に力を与えるの」

「な、んで……お前……」

「私は生き物の血なんて絶対に飲みたくないから、分け与えられたパパの血の力で魔法を使うの。でも、それを使ったらパパに居場所がバレちゃう」

「なにを、いってる?」


 とめどなく溢れる青い血が砂を濡らしていく。


「私も本気で逃げるなら、パパの血ともお別れしなくちゃだよね。それに、お兄ちゃんは弱すぎて私のことを守ってくれそうにもないし」


 夜色の濁った瞳に真っ直ぐ見下される。異様な速さでコポコポと溢れていた青い血が止まった。

 エリシアは微笑む。残酷な、捕食者の笑顔で。


「ご飯のお金を払ってくれたお礼に助けてあげる。でも、血は貰うね」


 俺の外套を剥ぎ、防具のベルトを外される。赤い血がべっとりとついて重たくなった服を短剣で破くと、露わになった傷にエリシアは顔を寄せた。

 舌が這わされ、途端に衝撃が体を突き抜ける。傷口を抉られる激痛と、何か熱いものが全身からエリシアの口元に向かって吸い取られる感覚。金縛りにでもあったかのように、指の先から足のつま先まで固まった。


「う、ぁ……っ」


 傷を舐められ、吸われている。視界が狭窄していき、見えていた星空がぐにゃりと歪む。金属を引っ掻くような耳鳴りに襲われて、魔獣の暴れる音も聞こえなくなっていった。

 急に寒さを感じて体が震えだすのと同時に、エリシアが顔を上げ――広がった視界に映る姿に俺は目を見開く。


 夜色の瞳は、いつの間にか薄く澄んだ青色になっていた。暗闇に宝石のような青が光り、似合わないと思った金髪が映えている。

 ぶかぶかだった大人用のローブが体に沿い、腰のラインが浮き出ている。手足は伸び、身長も高くなり、顔つきは完全に大人のそれ。推定、俺と同年代。


「変なの。臭くない。お兄ちゃんの血なら、私でも飲めるみたい」


 お兄ちゃん、と呼ぶ声も微かに低い。血で汚れた口元を拭ったエリシアから目を離せずにいた。

 信じられない光景に呆然としてから、すぐに腹の傷の痛みで意識が飛びかける。


「わー。死んじゃう死んじゃう」


 エリシアが慌てて両手を俺の腹に翳す。口の中で何かを呟くようにして魔法を発動させたかと思うと、あっという間に痛みが引いた。


「もう大丈夫だよ。お兄ちゃんは死なない」

「なに、なにが……」

「あの子は可哀想だけど、私の獲物を狙うなら許しちゃいけないよね」


 『あの子』と呼ぶ声には親しみがあった。エリシアが短剣を右手に持ち立ち上がる。鳥型の魔獣が翼を地面に突き立てて動き出そうとしている。体を後ろへと引き摺っているようにも見えた。エリシアから逃げようとでもするように。


「ごめんね」


 魔獣まで近づいたエリシアが短剣を振りかぶる。剣身に青白い炎が吹いたかと思うと、一太刀で長い首が飛び、砂の上を何度か跳ねて転がった。

 頭を無くした首の断面から青い血飛沫があがり、エリシアはスキップするように軽快に避ける。くるりと翻って、俺に向かって微笑んだ。悪戯っ子のような笑みには、女児の姿の面影がはっきりとある。


 血が魔の生き物に力を与える。そんな話は聞いたことがない。10歳頃の生意気なガキだと思ったのに、いま目の前にいるのは同年代の女。エリシアが自分で切りつけた腕からは、青い血が流れた跡が残っていた。


 エリシアは頬を高揚させて笑っている。クスクス、ケラケラ。赤い血が口元を汚し、宝石のような澄んだ青い瞳は無邪気に輝いている。短剣を持った右手を夜空に掲げて、剣先よりもっと遠い場所を見つめていた。


「あは、あはは、パパの血を捨ててやった。もう縛られることはない。ここからは本当に自由だ。これで、もう、」


 そこまで言うと、エリシアは右手を下げた。無表情になった顔は人形のように無機質になる。


「違う。血を捨てただけじゃ、駄目だ。いつか見つかってしまう……」

「お前、何者だよ」


 痛みの引いた体を起こして、温度のない声で呟くエリシアにそう問うた。


 青い血を流すのは魔の生き物の証だ。血の色が違うこと以外はほぼ人間と同じ見た目、特徴を持つ種族を『魔族』と呼ぶ。

 魔獣がその名の通り本能に忠実な獣ならば、魔族には高度な知性があり、理性があるという。知性と理性を持ちながら、人間を攫い、食う。人間を捕食する魔族は明確に人類の敵だ。


「何者って、今更〜? 私は魔族の女の子だよ。見て分からなかった?」

「騙しやがったな」

「騙す? 違うよ、お兄ちゃんが勝手に勘違いしただけ。自分の間違いを私のせいにしちゃうなんて。お兄ちゃん、いけないんだぁ」


 軽い声で答えたエリシアの口角が上がる。でも表情には闇が滲んでいる気がした。

 大人の女性の姿になったエリシアが俺の近くまで戻ってきて、傷の塞がった腹の上に座った。

 痛みはないけれど、呻き声が口から溢れた。


「砂漠に入ったら気づくかなぁって思ってたけど、お兄ちゃんってば必死過ぎて全く気づいてくれないんだもん。おかしいね」


 見下ろしてくるエリシアを忌々しく見る。睨まれることなど少しも気にすることなく、エリシアは続けた。


「お兄ちゃん、そんなに弱くて本気で魔王城に行けると思ってたの?」

「うるせぇ、行きたくもない」


 雲の上にある城に棲むという魔族の王。どんな奴かも知らないし、どれほどの強さを持つのかも知らない。そもそもそこまで辿り着けるとも思っていなかった。

 家族を死なせたら後戻りできないから、逃げることもできずに前に進んでいただけ。きっと魔王城を拝むこともなく一人で死んでいくと、そう思っていたのだから。


「弱くて、傲慢で、でも結局は死にたくないよぉって泣いちゃう。お兄ちゃんって頭は悪くなさそうなのに、馬鹿だよね。すっごく可哀想。ねぇ、馬鹿なガキだと侮っていた可愛い女の子に助けられちゃうって、どんな気持ちなの?」


 迷惑で、馬鹿で、気味の悪い使えないガキだと思っていた。いつでも見殺しにしてやれると。

 でも結局はこのざま。エリシアが見捨てずにいてくれたから俺は生きている。

 目の下が引き攣り、ギリと歯を噛んだ。エリシアが興味深そうに見下ろしている。


「ふーん。悔しそうだね? そっかあ。へぇ。人間なんて臭いだけだと思ってた。雑草みたいで大嫌いだったけど、なんだか人間って面白いね」

「人間を食うお前らに雑草扱いされる謂れはないなんだよ、クソが」

「私は人間を食べな……あ、でもお兄ちゃんは食べちゃったもんね。そうだね、魔族は人間を食べるよ。正確には血を飲む、だけど」

「人間の敵だ、お前らなんて」


 そう言うと、エリシアが吹き出した。肩を揺らして笑っている。


「お兄ちゃん、まだそんなこと言ってるの? 慈悲深いんだね。お兄ちゃんは『人間』に騙されて、利用されて、砂漠で死ぬだけの運命を強制されていたんでしょ? 『私』はお兄ちゃんを魔獣から助けてあげたよ。ねぇ、お兄ちゃんの敵はどっち?」

「それ、は……」

「独りで死んでいくなんて惨めすぎるよ。生き方も、死に方も誰かに強制されるなんて、それって生きている意味あるの? 踏みつぶされて、心がないも同然と思われて、反抗しないと思われてる。そんな雑草みたいな生き方なんて、惨めすぎる」


 よく回る口が不快で言い返したいのに言葉に詰まる。だって、全て本当の事だ。


「お兄ちゃんを利用している人間たちは、お兄ちゃんみたいな弱い人間が魔王を殺せるって本気で思っていたのかな?」

「……さぁな。俺みたいな『勇者にされた奴ら』は他にもいるから。数打てばいつか当たるだろうってことなんじゃねーの」

「ふーん、可哀想な人間はお兄ちゃんだけじゃないんだね」


 倒れている俺を映していた澄んだ青が、暗く濁り始めていることに気がついた。違和感を覚えている俺に構うことなく、エリシアが独り言を呟くように言う。


「人間にパパが殺せるなんて思えない。でも、そこが落とし穴なのかも。お兄ちゃんも子供に助けられるなんて思ってなかった。私にしてやられた宿屋のおじさんも、薬屋さんも水屋さんも、私を侮った」

「パパ……?」


 さっきもパパと言っていた。

 話の中に、どうして『パパ』と『魔王』のどちらも登場する? 

 急速に心臓の音が激しくなっていく。


「パパも人間を侮っている。もしかしたら、お兄ちゃんみたいな弱い人間だけが、パパを殺せるのかも」

「お前は……」


 エリシア瞳が濁り、元の夜空のような暗い色に次第に戻っていった。腕や脚が縮んだことでローブの布地が余って、腹に乗った重みが軽くなる。

 持っていた短剣をローブの中に忍ばせたエリシアが、無邪気に微笑んだ。


「うん。決めた! パパを殺すお手伝いをしてあげる」

「パパって、嘘だろ」

「嘘じゃないよ? 魔王様は私のパパなの。大嫌いで死んでほしいの。でも、そんなこと無理だって思ってた。お兄ちゃんが殺してくれるっていうなら私が案内してあげる。――魔王の住む城まで」


 唖然と口を開き、ハッとして上体を起こした。エリシアが後ろにひっくり返り、砂の上に転がる。すぐに起き上がると、非難めいた顔を向けてきた。


「いたぁい! なにすんだよぉ」

「魔王の、娘!?」

「うん。魔王には5人の子どもたちがいて、私は長女なの」

「長女!?」


 理解が追いつかない。『魔王』なんて本当にいたのかと、まずそこから驚いてしまうというのに。まさかその娘が目の前にいて、殺しの協力をすると言っている。


「血を飲んで強くなれって強要されていて、私はそれが絶対に嫌だったの。生き方を決めつけられるのも、心のない存在みたいに扱われるのも限界だった。だから、逃げた」

「俺の血は飲んだじゃねーか!」

「うん。お兄ちゃんの血は美味しかった。またちょーだいね?」

「はぁ!?」


 ローブについた砂を払ったエリシアは、自分がとんでもないことを言っている自覚はないようで。


「一度立て直さない? オアシスに戻ろうよ」

「え、なっ、は!?」

「あはは、お兄ちゃん混乱しすぎ〜」

「いや、だって、」

「大物を倒したから、他の魔獣もしばらくは大人しいと思うよ。お兄ちゃんはボロボロだし、いったん戻った方がいいんじゃないかなぁ?」


 それも、そうだけど、でも。

 完全にエリシアのペースに飲まれながらも、オアシスには戻れない理由を思い出す。


「オアシスに戻ったら組合に捕まる。払う金はないし」

「組合? あの怒ってたおじさんたち? お金を払えば許してくれるの?」


 頷くと、エリシアは少しだけ考える。すぐに何かを思いついたようして、倒れた魔獣に近づいた。転がっている生気のない頭を鷲掴み、軽快な足取りで戻ってくる。

 邪気のないただの子供が、右手に魔獣の首を持っている姿は不気味だ。


「これ、手配書に書いてあった魔獣だよ。たしか」

「……え」

「ほら、お兄ちゃんと最初にお喋りしたところで見なかった? 討伐依頼って言葉と金額が書いてある紙が壁に貼ってあったよ。これを殺したらお金を貰えるんじゃないの? あ、もしかして逆にお金を払うことになるの?」


 エリシアと初めて会話をした路地裏には、確かに壁に討伐依頼の紙が貼ってあった。でも、この鳥型の魔獣が対象かなんて覚えていない。

 もしこいつが対象ではなかった場合、褒賞金は貰えない。つまり、賠償金が支払えずに組合に捕まり、俺は『逃げた』ということにされる。


 今までも、少しの後退は許された。

 でも捕まって強制労働させられる時間の猶予はない。オアシスに長く滞在することになったら、きっと王宮の人間は俺を逃げたことにする。


「なにを迷ってるの?」

「そいつが本当に討伐の対象なのか信じられるか」

「ふーん。私の言うことを信用できないんだ?」

「当たり前だろ」


 エリシアは笑う。子供の顔には似合わない、邪悪な笑顔で。


「もし、この子でお金が貰えなくても、別にいいんじゃない?」

「駄目だろ。それじゃ、金が払えない」

「だから、それがいらないんだよ。人間流でいけばいいじゃん」

「人間流って?」

「『言うことを聞かなければ、お前の家族を殺す』そう言えばいいでしょ? 人間のやり方、すごく良い方法じゃない?」


 ふざけているのか、まさか本気なのか。皮肉たっぷりにそう言ったエリシアはケラケラと笑っている。


「……いや、絶対にやめろよ」

「えー? どうして?」

「そういうことは、しちゃ駄目なんだ!」

「理由になってないよぉ。お兄ちゃんってやっぱり優しいんだね? ま、安心してよ。人間なんて殺さないよ。血が出たら臭いし」


 けろりと言い放つエリシアが、魔獣の首を持ちながら両手を向けてくる。引いた顔で見返すと、「おんぶして!」とふざけたことをぬかした。


「絶対に嫌だ」

「だってだって、私すごーく疲れたんだよ!? お兄ちゃんの怪我を治してあげるのにすごーく力使った!」

「う……」


 腹に手を当てると、もう完全に傷口は塞がっている。痛みはなく、あるのは貧血のような感覚だけ。死を覚悟するほどの怪我をエリシアは治した。

 倫理観も何もない女だけど、助けてはくれたわけで……。


 大きな溜め息をひとつ吐き出してから立ち上がり、エリシアの前に背中を向けた。しゃがむと、さっきまで俺が死にかけていたことなどお構いなしに飛びついてくる。


「わーい、ありがと! お兄ちゃんっ」

「その『お兄ちゃん』ってのやめてくんない? ガキじゃねーんだろ、お前」

「まーまー、いいじゃん。私、長女だから憧れてたんだ。お兄ちゃんってやつ〜」


 小さな体を乗せて立ち上がる。そうして、夜が明け始めた砂漠を歩いた。オアシスがある方向に戻る途中に何体か魔獣がいたけれど、エリシアを警戒したのか近づいては来なかった。

 地獄かと思った砂漠を引き返すことになるなんて。あの苦しみも全てが無駄だったのか。


 エリシアが脚を揺らしながら、朝日の登る方角を見つめている。 


「私、ずっと独りでつまらなかったの。甘い匂いの正体がお兄ちゃんで良かった」

「……は?」


 わけの分からないことを呟いたエリシアは、「なんでもない」と首を振る。

 エリシアは気を取り直したようにオアシスのある方角を指差すと、地平線の向こうが微かに明るくなってきていた。


「それじゃ、行こっか! 弱くて可哀想な、私の甘い餌(勇者様)


 無駄だった砂漠の旅は途中で引き返す結果となり、死ぬことも向こう側へ辿り着くこともなかったけれど。

 奇妙な同行者を得たということは、無駄ではないのかもしれない。ほんの少しだけ、そう思った。




【魔王の娘と勇者様】完結





お借りしたお題

【敵×勇者】

一見雑魚キャラっぽいふえぇ系の高レベル敵女×雑魚を見下してる見た目で判断する系の調子激乗り勇者様

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