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死の砂漠



「ふざけるな。連れて行くわけねーだろ」

「えー? どうして?」


 胸元の高さにある顔が、きょとんとした表情を作って見上げてくる。生気を感じることのできない青白い肌を持つ不気味な子供は、なおも続けた。


「ひとりで砂漠を歩くのって本当の本当にすごーくつまんないよ? 一緒に行った方が楽しいと思うな〜」


 嘘をつくな、クソガキ。

 帰ってくる者も、向こう側へ辿り着ける者も少ないという砂漠をお前みたいな子供に越えられるものか。

 あちら側は魔王城が近くなるけれど、裕福な国も多いという。しかし、辿り着くには過酷な環境を乗り越えなければならない。歩けば半月はかかる上に、あそこは魔獣の棲家となっていると聞いた。

 だから砂漠に入る人間はパーティを組み、大金をかけて挑み、そして大半が死ぬ。


 言い返すのも面倒になってしまって、親しげに繋いでくる手を見た。妙に血色の悪い手だと思いながら、やんわりと離す。


「そうだな。薬と水を調達できたら考えてやるよ」

「薬? 水も? ふーん。そういうのが必要なんだぁ」


 思いつく限りの薬を読み上げるように言うと、女児が指を折りながら復唱する。そのたどたどしい姿は、かつて弟にお使いを頼んだ時のことを思い起こさせて、小さく唇を噛んだ。


 待っててね〜! と言って、女児が背中を向けて駆けていく。離れたところで立ち止まったかと思うと振り返った。砂埃にまみれた風が吹いて、女児の肩にかかっていた金髪がなびく。


「お兄ちゃん! 私、エリシアっていうの! 逃げても無駄だからね〜!」


 エリシア――確か、意味は【死後の楽園】。気味が悪いし、縁起も悪い名前。俺がこの状況で出会うには出来すぎている。そう、思った。



 駆けていったエリシアを待つ道理もない。すぐに歩きだして、食料の調達を始めた。携帯できるものを見繕って、次は武器や防具を売る店に入る。飲食代がなければ余裕で新調できたのに、と悔やまれながら何店舗か物色して、悩んで購入したのは短剣ひとつ。


 銀の剣身と、血のような赤色で染められた柄を嫌な色だと思いながらも、選り好みできる立場ではない。盾と片手剣を質の良い物に買い換えることは諦めた。


 短剣をベルトに挿して薬屋に向かおうとしたら、左腕を強く掴まれた。足が止まり、振り返る。


「お兄ちゃん、お薬とお水を持ってきたよ!」

「は!?」


 茶色の紙袋を片手に抱えたエリシアが、満面の笑みを携えてそう言った。手渡してくる紙袋を受け取り中を覗くと、数え切れない量の薬瓶や小箱が入っている。

 エリシアに視線を戻すと、気づけば先ほどまでと違って麻袋を背中に背負っている。


 引き攣る顔を隠すこともせず、慌てて紙袋を突き返すと、エリシアの体がよろけて水が揺れる音がした。

 嫌な予感しかしない。


「お前、これどうやって持ってきた!?」

「お前じゃないってばー! エリシア!」

「どうでもいい! まさか、お前」

「エリシア! エリシアって呼んでよ!」

「だから、これをどうやって……!」

「エリシアって呼んで!」

「あー! くそ! ――エリシア!」


 顔を歪ませてまた泣き出す手前だったエリシアは、パッと目を輝かせる。


「なーに?」


 金を持っていないというエリシアが薬と水を調達してきた。考えられる理由はひとつしか思い浮かばない。

 いや、俺は関係ない。俺は関係ない。俺は関係ない。そう唱えていると、エリシアがやってきた方から騒がしい足音がした。


「おい!!」


 怒号と、複数人の足音と、明らかにこちらに向かってくる男たち。

 俺は……関係ない……のに!


 ギリ、と歯を食いしばり一瞬の内に考える。十中八九、エリシアが盗んできた薬屋の商人たちが走って向かって来ている。目算、僅か30秒ほどでその手が届く距離。

 不可抗力だとしても、宿屋でエリシアの飲食代を支払ってしまった。組合から見れば、俺はエリシアの『アニキ』。そして今は薬と水が目の前にあり、エリシアは何故か懐いてきている。

 捕まったら賠償金を支払わされる。そんな金はない。支払えなければ砂漠に行けず、俺に腕輪をつけさせた奴らに『逃げた』ということにされる。


 今、できることは――。


 エリシアを見ると、未だに状況を判断できていないのか、単なる馬鹿なのか。夜空のような瞳を走ってくる男たちに向けている。


 エリシアに突き返した紙袋を今度は奪い取った。捕まってしまえば先に進めない。それならば今すぐにでも砂漠に行く方が、死なない命が増える。そのためには薬と水が必要だ。

 紙袋を鷲掴み、エリシアの背中に背負われていた麻袋を掠めとる。駆け出すとエリシアもすぐに反応してついてきた。


「お前は来るな!」

「えー? どこ行くの? もう砂漠に行くの? 『調達』終わり?」

「お前のせいで! 俺は! 死ぬ確率が上がったんだよ! 馬鹿が!」

「ねー! バカバカ言い過ぎ! ひどいよぉ」

「うるせぇ! 馬鹿ガキ!」


 こっちは全速力でオアシスの端まで駆けているのに、エリシアも涼しい顔をしてついてきている。今はその不気味さに構う余裕もなかった。

 大きすぎる紺のローブがひらひらと後ろになびく。



 舗装された道が途切れ、砂の盛り上がった地面に足がついた。横にいた小さな体がぐらりと倒れかかって、咄嗟に腕を掴む。


 オアシスの終わり、砂漠の入り口を知らせる砂の大地。足を取られて走りにくそうにするエリシアの腕を取ったまま、俺はなし崩し的に砂漠入りした。


 砂の山をひとつ越えただけで、すぐにオアシスが視界から消える。怒号も聞こえなくなり、風の吹き荒ぶ音だけがあたりを包んでいた。照りつける日差しと、見渡す限りの砂丘。

 遠くで鳥型の魔獣が滑空しているのが見える。


 無計画に来るべき場所ではないと分かっている。だけど、もうこれでいい。これで、死なない命が増えたのだから。

 そう思いながら、辿り着くはずもない魔王城を目指す。正体不明のガキと一緒に。



 水の入った麻袋を背負い直し、砂に足を取られながら歩いた。エリシアの腕を早々に手放したにも関わらず、頼りなく歩を進めていたのも最初の数歩だけで、すぐに慣れた調子で跳ねるようについてきていた。


 太陽はまだ頭のてっぺんに登っている。夜になれば足止めざるを得ない。できるだけ前へと進みたいから、エリシアのためにスピードを落とす必要がないことは助かった。

 いや、こんなガキ捨て置けばいいのに……。


 助かったと思ったのもほんの束の間。エリシアが立ち止まった。まだ太陽の位置は少しも変わっていないし、オアシスも近い場所で。 


「疲れたー! ねぇ、お兄ちゃんおんぶして!」

「ふざけるな」

「えー? でもでも、オアシスで子供がおんぶされてるの見たよ!」

「……だからなんだよ」


 無視して歩き続けると、エリシアは走って隣に来る。俺の方を見上げながら続けた。


「いいなーって思ったの! おんぶしてよー!」


 次は俺が足を止める番だった。数歩先でエリシアが振り返り、「おんぶしてくれるの?」とでも言いたげな顔をしている。見下ろすと、エリシアの青白い顔に影が落ちた。


「調子に乗るな。お前を殺すことも、見捨てることもできるんだよ、こっちは。死にたくないなら黙ってろ」


 そう言うと、エリシアが不機嫌そうな表情で、ぶかぶかのローブに包まれた腕を組む。


「嫌だね。どうしてお兄ちゃんの言いなりにならなくちゃいけないの? 殺したいなら殺せば? 見捨てたいなら見捨てれば? 言っておくけど、私、お兄ちゃんのことすぐに見つけられるよ? やってみる? 砂漠でかくれんぼ」

「はぁ?」

「黙っていたって気が滅入るだけだと思うけどな。何回も言ってるでしょ? ひとりで歩くのってすごくつまんないんだよ。せっかくなら楽しくお喋りした方がいいと思うな」

「……」

「お兄ちゃん、そんなだからお友達に見捨てられたんじゃない? あ、そっか。自分が見捨てられたから私のことを見捨てられないの? ふーん、結構優しいんだね」

「……」


 言葉を失ったのは、気持ち悪いと思ったから。見据えるようにこちらを見ながら宣うその長台詞と、愛らしくも見える子供の姿が釣り合わない。

 

「俺は見捨てられたんじゃない。あいつらが逃げただけだ」

「そうかなぁ? 見捨てられた。見限られた。そんな風に見えたけどな」

「俺はっ」


 照りつける太陽がエリシアの金髪を反射する。意地の悪い顔が憎たらしくて、自分の手を握り締めた。癒える前の傷の上に何度も怪我をして、かさついて、剣を握り過ぎたことで以前より固くなった手の平。

 耐えなければ、この鬱陶しいガキを殴りつけてしまう。


「……それ以上舐めた口を利いてみろ。本気でお前を見捨てる」

「可哀想なお兄ちゃん。なんだか共感しちゃうな。自分を必死に守ってるって感じ。ま、いいや! 気をつけまーす。あ! お兄ちゃん、見て!」


 エリシアが俺の背後に視線を向けた。指をさしてから、俺を通り抜かし小高い砂丘に登り、その先を見渡す。


「きっと、お兄ちゃんにとって砂漠の楽しいところはここからだよ」


 何を言っているのか分からなくて、エリシアの見ているものを確認するためにも隣に並んだ。


 その、広大な砂の景色は故郷にある海を思わせた。

 蜃気楼で揺らめいた地平線。終わりが見えず、所々にはキャラバンが残していった荷台が砂に沈んでいる。ここから見ると小さく見える竜巻が横切ると、さっきまで見えていた荷台が砂の中に消えた。

 僅かに点在する樹木の周辺には、蠢く影のようなものが何体も徘徊している。この砂の大地には、魔獣に食われた人間の骨が数え切れないほど埋まっているのだろう。


 あぁ、違うな。魔獣に食われたら骨も残らない。



 滑り落ちるようにして砂丘を下る。

 その先から、地獄が始まった。



 魔獣の視界に捉えられていないにも関わらず、何かで俺の存在を探知しているかのように一定の距離で気づかれる。

 数体の群れをなすそいつらが正面から襲ってくる。片手剣を右手に持ち、砂に足を取られながら剣先を薙いだ。首を切ると気味の悪い青い血が飛沫、その返り血を浴びないように躱す。

 エリシアを横目に見ると、呑気な様子で倒れた魔獣を眺めている。「うぇー」と言う軽い声には緊張感はゼロ。


 こいつ、死ぬかもな。と一瞬だけ思って、すぐに次の魔獣に視線を戻した。

 なんとか一群を退けて、先に進む。敵を迂回しようにも、遮る物のない砂漠ではどこを進もうと魔獣にぶつかってしまう。


 複数の群れをなんとか処理して、斃れた魔獣の体で剣を拭っているとエリシアが言った。


「すごい数だね」

「そうだな」


 俺の方は消耗して息を切らしているというのに、エリシアは涼しい顔をして傍らに立っていた。既にエリシアを守ってやる余裕なんてない。それなのに、怪我もなく、返り血すら浴びずにいるこいつはなんだ?


「お兄ちゃんって良い匂いがするから、寄ってくるのかな」

「匂い?」

「そう。しかも、血の匂いって強烈だから」


 強い風が吹いて、所々で小規模な竜巻が起こっている。視界に入っていないのに探知してくる魔獣たち。

 風下を意識して砂丘を越えると、避けられる戦闘が増えた。


 それでも消耗が激しい。匂いだけではなくしっかりと視覚や聴覚をもってして発見される。

 さっきまで一撃で斃せた敵と同種のものに対して、二撃三撃と必要な攻撃が増えていく。足を滑らせて仰向けに倒れた俺に、狼型の黒い魔獣が覆い被さり、真っ赤な口内が目の前に迫った。ねばついた牙に顔が引き攣る。

 生温い息がかかり、臭くて吐きそうだ。あぁ、死ぬ。死にたい。やめたい。そう思っても、体が勝手に反応して魔獣のごわついた横腹を蹴り上げた。


 すぐに体勢を立て直し向かってくる魔獣の体を袈裟斬りして、そのまま俺も地面に膝をつく。痙攣した黒い獣にもう起きてくれるなよと願っていると、魔獣もすぐに動かなくなった。


 太陽が沈みかけている。もう体力の限界も近い。

 ふらつきながら、近くにあった砂漠の樹木まで歩いて、倒れるように背中を預けて座った。


「今日はもう終わりなの?」


 エリシアがどこにいたのかも気にしていなかった。馴れ馴れしく隣に座って見上げてくる女児に返事をする気力すらない。


「もうすぐ夜だもんね。魔獣たちもお休みの時間だね、きっと」


 どうしてこいつはこんなに元気なんだ。

 「お兄ちゃんが良い匂いをしているから」とエリシアは言った。人間毎の個体差? オアシスにやってくる前も俺だけ狙われることが多かったように思う。

 ついていない、本当に。


 ぺちゃくちゃと話しかけてくるエリシアを完全に無視してしばらく休んだ。周囲が完全な暗闇になってから、小さなランタンをつける。

 魔獣の気配はなく、ここに棲む奴らは昼型なのだなとほんの少しだけ安堵した。


 鞄から携帯食料を取り出して、興味津々にそれを見るエリシアにも仕方がないので分け与える。手に取ったエリシアがそれを一口食べて、あろうことが「うぇ」と吐き出した。

 顔を歪ませて、不快そうに言う。


「不味い! こんなの食べたくない!」


 ……本気で殺そうかな、こいつ。




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