青い檻と赤の呪い
性格も何もかも終わっている勇者君です。
◆
朝起きたら、パパに呼び出された。無表情の使用人に連れ出され、着せ替え人形のように青のドレスを身に纏わされる。
白と銀を基調とした城のメインホールを重たい足取りで抜けて、パパが待つ大広間に入った。
大きな窓からは明るい太陽の光が射し込んでいて、広大な薔薇園が窓の外に広がっている。一年中狂い咲く、気味の悪い青薔薇が青空の下で映えていて、嫌でも視界に入った。
でも、それよりも目立つのは、大広間の中央に仁王立ちするパパと、その目の前で床に跪かされ目隠しをした成人男性3人。
男たちは両膝を大理石の床につき、逃げることも、戸惑うこともない様子で並んでいる。パパに操られているのだということは、ひと目で分かった。
「食事をしなさい」
白と銀の城には似つかない、重く息苦しい闇のような出で立ちのパパが静かにそう言った。睨みつけるような鋭い目に怯えず、私は首を横に振る。
こんな【食事】なんて、絶対に嫌だね。こんな雑草みたいな、青臭くて、土の臭いのする男たちなんて食べたくないし、近づきたくもない。人間ってどうしてこんなに臭いの。どうして私たち魔族は、こんなものを必要とするの。
ふん、と鼻を鳴らすようにして顔を逸すと、パパが溜め息を吐いた。
「お前は本当に頑固だ。でも、これは許されない。本日中に食事をするように。お前が弱いことは許されないことだ。決して」
いつも厳しいパパの、いつも以上に厳しい声色に私はパパの本気を悟った。
私は【食事】をしなければいけない。人間の血を飲み、強い力を得て、人間を征服しなければならない。そのための食事であり、そのために私は在る。
「そんなだから、お前は貧弱なんだ」
見下ろしてくる顔には、愛情だとか、親愛だとか、本の中でのみ見たことのあるものは少しも存在しない。
逃げよう、そう決めた。この檻から抜け出すにはパパを殺すか、逃げるか。そのどちらかしかない。弱くて小さな私がこの闇の人から逃げることは容易ではないけれど、でも、それでも。
だって、窓の外の……薔薇園よりももっともっと遠くから、微かに甘い匂いがする気がするから。雲の上にある気味の悪い城から抜け出して、子供の頃から私を誘うように香るこの甘い匂いの正体を探しに行くのも、きっと悪くない。
地上には人間の住むたくさんの国があるという。人間は敵だし、大嫌いだけど、きっとあそこには自由がある。
◆
〇〇地方、△△国。砂漠の入り口にあるオアシスは出店と人とで賑わっている。厳しい砂漠を越えなくては、隣の国――そしてその先の魔族の国へは辿り着けない。
砂漠越えの準備の要衝、ひいては最後の休憩地点、それがこのオアシスだった。
何店舗かある宿屋兼食事処のうちの、比較的高価な店はたくさんの人で賑わい、店内は忙しなく働く店員から、商人、冒険者風の男や女たちで溢れている。その中の食事ができる6人がけのテーブルに、俺たち4人は座っていた。
テーブルを挟んで正面にいる仲間の魔術師が、顔を真っ赤にさせて乱暴に立ち上がる。椅子が後ろに倒れて大きな音を立てたけれど、喧騒の中では特に目立たない。魔術師の隣に座っていた治癒師の男が、難しい顔のまま倒れた椅子を元の位置に戻した。
「いい加減にして! もう、アンタとはやっていけない!」
悲鳴のような甲高い声が店内に響き渡る。耳障りな声に顔を顰めていると、魔術師はテーブルに置いてあったグラスを手に取り、中の水をぶちまけてきた。
近くにいた奴らが冷めた視線を向けてきたかと思えば、すぐに無関心に逸らされる。このオアシスでは喧嘩や騒動は日常茶飯事だから。
「なんだよ、冷たいだろ。いったい何をそんなにキャンキャン吠えてんの? 癇癪やめてくんない?」
「はぁ!? アンタの傲慢さにはついていけないって言ってんの!」
前髪の水滴を払いながら、テーブルの対面で目を吊り上げている魔術師を見上げる。こいつらとは4月ほどの付き合いだけど、この魔術師女の癇癪にはこちらもうんざりしていたところだった。
魔術師女はわけの分からないことを捲し立ててくる。嫌な顔を隠してやることもせず、両耳を塞いだ。それでも金切り声が聞こえてくるから心底辟易する。
やれ「自分勝手な行動が多い」だの。「仲間を守らないで何が勇者だ」「アンタのせいで戦士が怪我をした」「私たちは仲間じゃないのか」だの。
鬱陶しい。よくもまぁそんなに口が回るもんだ。弱いお前らを守らなければいけないのなら、どうして一緒に旅をする必要がある。仲間だなんだと都合の良い言葉を使っていても、結局は金で集められた集団だろうに。
「うるせぇな。弱いお前たちが悪いんだろ。戦士なら、お前の言うところの仲間様の盾になって怪我を負うのが役目じゃないのか? お前たちの【魔王討伐】の覚悟って、その程度?」
「あん、た、ねぇ!」
「お前がここにいる理由を思い出せよ。魔族に連れ去られた間抜けな父親のためにこんな旅してるって言ってたよな? なら、俺の身勝手さくらい我慢しろ。勇者様がいないと、魔王討伐なんて無理なんだからさぁ」
魔術師女の顔が引き攣る。右目の下が痙攣し、テーブルに置かれた両手の指が木目の天板を引っ掻いた。
まるで空気のように黙ったまま動向を見守る戦士と治癒師も、冷たい視線を俺に向けてくる。
馬鹿馬鹿しい。勇者なんかに選ばれたせいでこんな奴らと旅をしなければいけない生活も。魔族の命を狙い、狙われて、遥か天空にあるという魔王の城を目指さなくてはいけないこの人生も。くだらない。お前らなんて勝手にくたばれ。
「もう限界。私、抜けるから」
「あっそ。はい、お疲れ様。さようなら。お元気で」
ヒラヒラと手を振りながら答えると、魔術師女が口汚い言葉を吐き捨てた。ひらりとローブを翻して店を出ていく姿を忌々しく思っていると、治癒師も無言で魔術師女の後についていく。
「……アロン」
左腕に包帯を巻いた戦士が、傷だらけの顔を向けてきた。静かな声には非難の色がある。老年の戦士はこのパーティーの中でも一番付き合いが長い。それでも、一年ほど。
「んだよ」
「ここから砂漠越えがあるんだ。あいつらに謝って、ついてきてもらった方がいい」
「冗談。あんな弱い奴ら、いた方が迷惑だ」
そう言い捨てると、戦士が息を吐く。
「悪いな。俺も抜ける。思ったよりも怪我が重くて、これでは砂漠は越えられない」
「……は?」
視界に影がかかったことで、体の大きな戦士が立ち上がったことに気がついた。顔を向けたけれど、窓から降り注ぐ陽光が逆光となり、戦士の表情は見えない。
「アロン、お前のことは不憫だとは思う。でも、それでは仲間はついてこない」
今度は自分の顔が引き攣った。目を逸らすと、戦士が静かに去っていく。その驚くほどの無責任さに椅子を蹴り上げてやろうかと思った。
くそったれ。魔王の根城に行く根性もない奴らめ。
お前らはいいよな。逃げられるんだからさ。くたばれ。
こんな時だけ、周囲の人間からの視線を感じた。パーティーに捨てられた冒険者風の若い男が、いい見世物だとでもいうのか。睨みつけようとしたら、隣から怒鳴り声が聞こえて、全員がそちらに意識を取られた。
「――金がない!? このクソガキ! これだけ食って金がないってどういうことだ!」
喧騒の中でも際立って聞こえたのは、店主の怒号。6人がけのテーブルを2つ分挟んだ場所で仁王立ちした大柄の男が、椅子に小さくなって座る人間を睨みつけている。複数の人が壁となり、その矛先となる人物はよく見えない。
隙間から伺えたのは、魔術師がよく身につけるようなローブを羽織り、深くフードを被った子供のシルエット。
聞こえないけれど、ローブ姿の子供が何かを言っている。それに対して厳しく首を横に振る店主。興味も失せて顔を背けようとしたら、ふいに子供がこちらに視線を寄越した。
何故か目が合い、子供――10歳ほどに見える――が俺の方を指差す。
なんだ? と思っていると、店主が大股で近づいてきて、目の前で足を止めた。ローブの子供相手にしていたように、威圧的に見下ろしてくる。
「……なんだよ」
「あそこのガキ、アンタの連れだそうだな? 金を払え」
「は?」
店主が力強くテーブルを叩いたことで揺れたグラスの隣に、伝票の紙が置かれた。ひとまずそれを手に取り見てみると、ずらりと書かれた食事の一覧。そして書かれている大金とも言える金額に目を疑い、慌てて両手を振った。
「はぁ!? 連れじゃねーし!」
「嘘つくな。アニキだそうじゃねぇか」
「アニキ!? 兄弟なんていねぇよ!」
なんつー嘘つきやがった! と、さっきまでガキのいたテーブルを見る。釣られるように店主も目線を向けて、「やられた」と思った。
ローブ姿の小さな姿は既にそこにはなく、食い散らかされた食器だけが残されている。
店主に「ほらな」と言ってやろうとしたら、顔を真っ赤にした店主に怒鳴りつけられた。
「お前がアニキだそうだな!? 金を払え!」
「だからっ、違うっつの!」
いくら否定しても聞くつもりのない様子に、ガキにしてやられたことを認められないあげく、関係のない俺に金を支払わせようとしていることは分かった。
店主のクソみたいな要求を拒否していると、地面を這うような低い声で脅される。
「お前、ここで店の金を払わないことの意味が分かるか? このオアシスの全部がお前の敵になると思え」
「な、っ!」
知らない人間が飲み食いした金を払う義理はない。ただ、この店主は俺を「クソガキのアニキ」だと決めつけようとしている。違うと分かっているだろうに。
言葉に詰まった理由は、このオアシスでは小さな出店でさえ敵に回してはいけないから。組合を作っているこいつらは、敵と認定した旅人に容赦しない。莫大な賠償金を背負わせ、支払うまで強制労働を強いて逃さないという徹底振り。
それは、今ここで金を支払わなければ、砂漠越えの支度などできないということと同義だ。
砂漠に入らなければ、つまり『逃げた』ということにされる。
「クソが……っ」
腰のベルトにかけた財布を躊躇いながら取り出し、言われた通りの金を支払った。
これまでこなしてきた魔獣討伐で得た報酬は潤沢にあったのに、4人で分担して金を持っていたことが悔やまれる。財布がすっかり軽くなり、砂漠越えの支度でさえ怪しくなってしまった。
それだけでなく、さっきまでパーティーだった奴らの飲食代まで支払うことになって、更に忌々しい。苛立ちながら店を出ると、日差しの強さに目眩がした。
さてどうする……と考える。砂漠越えなんて俺だって初めてなのに、その上、金がない。
人通りの多い道を避けて路地に入った。魔獣討伐依頼の紙が何枚も貼られた土壁に手をつき、溜め息混じりに俯いていると、足元に薄汚れた何かが落ちてきた。
なんだ? と思えば、それはぐしゃりと丸められた紙。拾おうとしたとき、クスクスと笑う幼い声が聞こえた。
「お兄ちゃん、お金払ってくれたの〜?」
高く積み上げられた木箱の上に、フードを深く被った子供が座っている。日陰となったその場所で手には林檎を持ち、しゃくしゃくと音を立てて食べていた。
「お前!」
「ねぇ、お兄ちゃん。あのおじさんってば酷いと思わない? 子供にあーんな本気で怒鳴るなんて! わたし、怖くて泣いちゃったんだよ」
逃げられないように足早に近づいた。子供が木箱に座っていることで、目の高さが揃う。
大人用の紺色のローブは子供の体に合っていなくて、ぶかぶかのフードが顔を隠してしまっている。声の高さからして、おそらく女の子。
「どうでもいい。金返せ」
「だからぁ、持ってないんだよぉ。ご飯食べるのにお金が必要なんて知らなかったんだよ? だから仕方ないよね? お兄ちゃん、代わりに払ってくれたでしょ? ありがとう!」
にんまりと上がる口角に虫唾が走って、フードを鷲掴み顔を晒させた。現れたのは、気味悪いと思うほどに人形めいた金髪の女児。やはり10歳くらい。
「痛いっ! ひどい! 何するの!?」
「うるせぇ。金を返せって言ってんだよ!」
「だからっ、持ってないのっ!」
「親はどこだよ!」
「親は、親なんて、いないもんっ!」
「あ!?」
林檎を持った右手首を掴むと、女児の顔が歪んだ。
金の髪には似合わない深い夜のような色の瞳が潤んで、一瞬で涙が溢れだす。ギョッとして咄嗟に手を離し、後退った。
「ひどい! ひどい! 怒鳴った! うぇ」
うぇぇ、と泣く姿が弟と重なって居た堪れない気持ちになる。子供が泣くのを見るのはどうも苦手だ……。
「おい、泣くなよ。うぜぇ」
ひっく、ひっく、と泣きじゃくる様子を引いた目で見守っていると、しばらくして女児が泣きやんだ。
けろりとした表情に戻ったかと思えば、平然と林檎を食べ始めるから唖然とする。
「ねぇ、お兄ちゃんはこれからどこに行くの?」
「……見れば分かんだろ」
「見れば? どこを? 何を見るの?」
興味津々に身を乗り出した女児に呆れてから、左腕につけられている輪を翳してやった。
この子供は常識も知らないらしい。
「なぁに、それ?」
「勇者の証。知らないのか?」
「……ゆうしゃ……」
腕輪には故郷の国旗がモチーフとなった、赤い証が施されている。忌々しいそれを自分で外すことは叶わず、おそらく王宮に居場所を知らせる何かの呪いがかかっている。
まじまじと証を見た女児の暗い瞳が煌めいた。
「えー! お兄ちゃん、勇者だったの!? 聞いたことあるよ。魔王様を殺そうとしている人間がいるって」
――魔王様だぁ? と言いかけると、女児が更に質問を投げてくる。
「で? で? 勇者だと、どこに行くのかがどうして分かるの?」
「砂漠を越えないと魔王の城とやらに行けないだろ」
「あー! そっか! そうだね!」
ふーーーん、と何やら考える素振りを見せた。視線を彷徨わせてから、にんまりと微笑む。
「そっかぁ。お兄ちゃん、魔王城に行きたいんだぁ。ふーん」
「なんだよ」
「決めた! 私も砂漠に行く〜。お兄ちゃんについていくね」
「は!?」
女児は楽しげな表情で、林檎の芯を道端に投げ捨てた。ゴミが路上に落ちることを気にする素振りすらない。
ついてくることを許可するはずもないし、こんな子供に過酷な砂漠越えなど到底できるわけもない。本当に金は持っていないようだし、また泣かれても鬱陶しい。
金のことは諦めてこんな子供は捨て置くとしよう。そう思って踵を返そうとしたら、木箱から飛び降りた女児が目の前に立ち塞がった。
「どうして置いてくの〜?」
「お前みたいなガキが砂漠を越えられるわけないだろーが」
「そんなことないもん。だって私、砂漠を通ってこっち側の国に来たんだよ?」
地上に立った女児は、見るからに大人用のローブを地面に引き摺っている。
「……嘘つくんじゃねぇぞ」
「ひどーい。嘘じゃないよ? お兄ちゃんもひとりで行くんでしょ? 見てたよ。お友達とケンカするところ。お兄ちゃんって嫌われ者なんでしょ? 可哀想だね」
無邪気に笑う女児が、馴れ馴れしく手を握ってくる。振り払う気力すら削がれた。
「砂漠をひとりで歩くのってすごーく退屈だったから、きっと一緒に行った方が楽しいよ。嫌われ者同士仲良くしようよ。ね? 良い匂いのするお兄ちゃんっ」
仲間にも去られ、金もなく、砂漠越えの知識すらない。そしてその挙句、意味の分からないことを言う妙なガキに付き纏われる。
……最悪だ。くたばれ、なにもかも。




