6 無能な神様が、死者に力を与えるとでも?
その日は、夏にしては妙に涼しい、まるで寒気がするような日だった。
俺は水に濡れている黒いスーツを病室の片隅に干した後、倒れている少女を見つめる。
「ユズカ……ユズカは大丈夫なの?」
俺は、中年の女性がそう泣き叫びながら医師に詰め寄るのを見つめていた。
……正直、いたたまれない気持ちになるが、医師は冷静な口調で答える。
「……ええ……幸い、発見と……そこの刑事さんによる蘇生処置が早かったので、今は何とか……。ですが……まだ予断を許さない状況です」
医師は刑事である俺の方をちらりと見つめながら答える。
ユズカの母親は、心配そうに医師に対して質問のようなつぶやきを行う。
「まさか……ユズカが死ぬなんてことは……」
「正直、今夜がヤマです……。意識が戻るかは、正直五分五分といったところでしょう……」
「どうして、ユズカが……娘が……身投げなんて……」
そう彼女は泣き崩れるのを見て、俺は彼女に近づく。
「お母さま……その……」
「刑事さん……なんで……ユズカは川に飛び込んだんですか……まさか、いじめによる身投げですか……?」
「いえ……それはないと思います……」
俺はこの町でここしばらく調査を行っていた。
その中でユズカさんについても耳にしていたが、聞き込みをする中で彼女の学校でいじめがないことは知っている。
「……それはないと思います……。ですが、ユズカさんの体内から違法な薬物が検出されました」
「薬物!?」
「はい。それに、何やら飛び込むときにはぶつぶつと独り言を呟いていました」
「独り言?」
「……なので……薬物による幻覚症状によって、川に転落したのかと……」
それを聞き、ユズカさんの父親は怒りに拳を震わせながら尋ねてきた。
「違法薬物? 誰が、ユズカにそんなものを売ったんですか?」
「恐らくですが……我々が現在追っている、老人からだと思います……。彼女が老人と接触していたという話は……日南田君から聞いていたのですが……」
俺はそう答えた。
……俺は、ここしばらくの間、この街に出没すると言われていた老人を追っていた。
奴は、以前隣町でも違法薬物を扱って何人もの少年少女を危険な目に合わせたからだ。
時代がかった着物を身にまとうことで妖怪のように自身を見せかけて、※コールドリーディングの技法によって、本人に『あなたは特別な力がある』と選民思想を植え付けて、そして違法薬物を購入させる。
(※事前知識を持たない状態で、相手のことを言い当てているように『見せかける』技術のこと。実際読み返してもらうと分かると思うが、老人はユズカが『元霊能力者』だと自分で言い当てていない)
そのような手口を何度も繰り返してきている奴だ。
老人について聞きながら、ユズカさんの母親も歯を食いしばるような表情をした。
「ここ最近、箪笥のお金が減っていたと思っていたけど……そのお爺さんから薬を買っていたってことですか……?」
「恐らくは……。何か家では変わったことは言っていました?」
「確か、娘の部屋からは……『私は霊能力者だったんだ!』『土地神様に会えるなんて!』なんて声が聞こえていました……」
「なるほど……」
それを聞いて、俺は大体の顛末が掴めた気がした。
「つまり……。彼女はその老人に『自分は霊能力者だ』と唆されて……。それで、違法薬物を使ってトリップしたのを『土地神様に会えた』と勘違いしていたということですか……」
「クソ……! 全部俺が……娘の話をもっと聞いてやればこんなことには……!」
父親がそう悔し気に呟くのを、母親は止めるようにして呟く。
「あなただけの責任じゃない……。私も……娘ともっと話し合えていれば……こんなことには……」
「…………」
それを聞きながらも、俺は何も言えずにユズカさんが眠っている病室に向かった。
「ユズカさん……目が覚めないんだな……」
そこでは、絶対安静の状態でユズカと呼ばれる少女が眠っていた。
本来関係者であっても彼女のいる病室に立ち入りは許されていないが、刑事である俺は特別に立ち入りを許可されていた。
「土地神様……私……結婚したの……? 嬉しい……」」
彼女はうわごとで何かを呟いているのを聞いて、思わず同情とともに侮蔑の感情が湧いてきた。
「はあ……。妖怪なんているわけない。『脳』を持たない物質が、人語を解せるわけがないだろ?」
俺は思わず呟いていた。
よく『精神』という言葉を使うものがいあるが、所詮精神というのは脳が生み出す産物だ。
そんなシナプスの電気信号が、この世界に物理的干渉なんて出来るわけがない。
「これから……ずっと……この町で……」
彼女のうわごとから推測するに、恐らくユズカさんは土地神様……という名の『自分に都合のいいことを言ってくれる幻覚』に『死んだら私と同じ土地神になることができる』とでも唆されたのだろう。
「……あのさ、ユズカさん……そもそも、神様は無能なケチ野郎なんだ。生きた人間にすら、ろくに恩恵を与えてくれないこと、君も知ってるだろ?」
彼女は学校で居場所がなかったことはすでに聞き込みで耳にしている。
……もし本当に神様がいるのだったら、とっくにユズカさんが居場所を作れるように、誰かとの橋渡しをしようと尽力していたはずだ。
「そんな『生きた人間』にすら何もしてくれない無能な神様がさ。『死んだ人間に力を与えてくれること』なんてあるわけがないんだよ。まして『土地神様』になれるような神通力を与えてくれるようなサービスなんて、あるわけないだろう?」
フィクションでよくある『死んだ人間が化けて出る』なんてことは、絶対にない。
神様がそんな力を与えてくれるような有能なお方なら、生きている人間にも超能力くらい分けてくれるはずなのだから。
(もし、神様がいるなら……妹だって……)
俺は思わず、腕に巻いているセドナストーンで出来た腕輪を握りしめる。
これは、交通事故で死んだ妹から貰った形見のパワーストーンだ。……だが、このガラクタが、実際に妹にご利益を与えてくれた試しなんか一度もなかった。
俺は、ユズカさんの耳に少しでも届くことと思い、呟く。
「……忘れないでくれ、ユズカさん……人間は、死んだら土に返るだけなんだ。神様も怪異も……この世にはいない。人間は転生なんて出来ない『異世界転移』なんて、もってのほかだ。人生は、一回だけなんだよ……」
怪異なんてものは、現実的に考えて存在するわけがない。
それなのに、わずかな金のために偽りの希望を与え、若者から金品を搾取して未来を奪っているあの老人のことを俺は絶対に許せない。
……命に代えても、奴は刑務所にぶち込んでやる。
俺は彼女に少し言い過ぎたかなと思ったこともあり、優しい口調を心がけながら眠っているユズカさんに答える。
「だからこそ、ユズカさんは……目が覚めたら、精一杯生きてくれよ……?」
そう俺は言い残し、ユズカさんのもとを後にした。