行ってきます
夕方、僕は出勤すべく玄関前に居た。
対面には兄さん。どうやらここから見送ってくれるらしく、僕が向かうのに合わせて着いて来た。
まるで新婚の夫婦だ。同性とか、兄弟とか、色々と問題はあるが、端から見たらそうも見えなくはないだろう。
僕は思わず微妙な表情で兄さんを見るが、それで気づいた様子はない。
「僕は行って来るけど、電気とかあまり無駄遣いしないでね?」
「分かってるって。これでも家政夫していたんだぞ? 家計の管理ぐらいお任せってな」
「家計の管理までしていたの?」
「まぁな。お陰で母さんの苦労がよく分かった」
「そうなんだ……」
そうとしか言えない。いくら友達とは言え、家計の管理まで任せるなんて頭がおかしい。
危機感が無さ過ぎる、とは思うが、もはや今更の話だ。
その人が良いと言って任せたのなら、それで良いのだろう。
どんな友情の育み方をすればそれだけの信頼を得られるのやら。
呆れとも感心ともつかない表情で兄さんを見る。
「じゃあ、行ってきます」
「おう。行ってらっしゃい」
バタンと閉じられる扉の前、持ち上げた手を下ろすことも忘れて僕は思う。
久しぶりだった。誰かに見送ってもらえるなんて。
何も特別なことはない。少し前までは誰かに見送ってもらえるのは当たり前だった。
だけど、それもここ2年ですっかり縁遠くなってしまった。
電車のチェーンのロックに鍵を差し込み解除する。
座席に足を跨いで座り、ペダルに片足を乗せ、そこで1度部屋の扉を見る。
壁に覆われた扉の先は伺うことは知れないその中ではきっと、兄さんが何かしているのだろう。
果たして今は何をしてるのやら、と考えながら僕は知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。
懐かしかった。家族との生活が、兄さんの居る日常が酷く懐かしい。
失っていた物が戻って来たような、そんな感じ。
一人立ちしようと始めたのに、心の中では寂しく思っていたのだろう。
これから仕事だと言うのに、しんみりするなんて。
「なんだかんだ言いつつ、嬉しいがってんじゃん、僕」
クズだと知っても好きな気持ちは変わらないのだから、もはや不治の病だ。だからこそ、思う。
「いつか、何があったか聞かせてもらうから」
兄さんが居なくなったあの日から僕は信じている。
僕たち家族に、何も言わずに居なくならないって。
きっと、何か理由があるんでしょ?
何時かで良い。何時かで良いから、その時は教えて。兄さんに何があったのか。
それがどれだけ先でも良いと思いながら、僕は前を向いてペダルを漕ぐ。
もしかしたら書き直すかも。問題なければこのままの予定。