第50話
後日。
放課後。
一花は、そわそわしながら、小太郎が文芸部室に来るのを待っていた。
小太郎が鈴音とご飯を食べに行ったのは、金曜夜。
詳しい話を聞きたくとも、土日を挟んでしまっている。
もちろん、「上手くいった。ありがとう」というメッセージは事前にもらっているし、そんなに気になるなら電話してもいいのではないか? という考えが首をもたげたけれど、そこまではできなかった。
なので、ドキドキしながら小太郎が来るのを待っている。
そして、それほど時間が掛からずに彼はやってきた。
「パイセン、こんちは」
「あ、こ、こんにちは、夏目くん」
彼は爽やかに笑いながら、いつもどおり文芸部室に入ってくる。
高い身長も、やけに綺麗な顔立ちも、しっかりセットされた髪も、いつもどおり。
思わず女子生徒が振り返るほどの彼が、こんな部室に自分とふたりきりでいるのは、不思議で仕方がなかった。
でも確かに、彼は一花を頼りにしてくれているのだ。
その話を、早速彼に尋ねる。
「ど、どうでしたか、春野さんの誕生日プレゼントは」
「うん、綾瀬パイセン。聞いてほしい……」
彼は、その夜のことを語った。
一花たちの作戦どおり、落ち着いてディナーを楽しむことができたこと。ちゃんと誕生日プレゼントとして喜んでもらえたこと。
それでも、最終的には下見がバレてしまったこと。
一花とレストランに行ったことまでもバレて、その事実に一花はヒヤリとしたが、なんてことはなかったらしい。
それにはほっとするような、残念なような。
でも、小太郎はとても楽しそうに語っていた。
その夜は、小太郎にとっても物凄く特別な日になったらしい。
その表情は、とてもキラキラしていた。
好きな女の子とふたりきりで、レストランで食事ができたのだ。そうなって当然だ。
一花だって、先輩たちに下見に行ったことを報告したけれど、同じような顔になっていたはず。
一花は、彼との恋路は険しいもの、とわかっている。
表向きは小太郎を応援する形になるし、釣り合っていないのも承知していたはずだった。
覚悟していたのに、それでも「あぁ、本当に春野さんが好きなんだなぁ」と実感してしまい、胸がチクっとしてしまう。
それをひた隠しにし、彼の話を頷きながら聞いていた。
こんな状況でも、小太郎のことが好きでたまらないのだから。
もうどうしようもなかった。
「あ、それでね、綾瀬さん」
ひととおり話し、よかったよかった、と締めくくったあとで。
小太郎は鞄から、何かを取り出した。
小さくて白い箱に包まれたなにかを、小太郎はそっと差し出してくる。
「すずがね、『綾瀬さんには、いいお店を教えてもらったんだし、下見まで付き合ってもらったんだから、何かお礼しないと!』って言ってたんだ。俺もそう思って、これを買ってきた。よかったら、もらってくれる?」
思わぬ方向に話が動き、一花は戸惑いながら受け取る。
手の中の箱を、おそるおそる開いた。
そこにあったものは、一花にも見覚えがあるものだった。
うさぎの刺繍が施された、真っ白なハンカチだ。
「え、ハンカチ……?」
「うん。前に買い物に行ったとき、綾瀬さんが欲しがってそうだったから。どうかなって。綾瀬さんも、プレゼントにちょうどよさそうって言ってたし」
「――――――――」
はは、と照れくさそうに笑う小太郎に、一花は何も言えなくなる。
胸が詰まって、詰まって、こんなことがあっていいんだろうか、とハンカチを見下ろす。
そんな些細なことを覚えていてくれて、わざわざ買ってきてくれて。
プレゼントとして、渡してくれた。
小太郎の中には、自分の存在なんてこれっぽっちも残ってないんじゃないか、と思ったこともあるけれど。
彼の中は、鈴音のことでいっぱいだけれど。
それでも、こうして。
ちゃんと、小太郎の中に一花の存在はあった。
彼はきちんと、一花を気に掛けてくれている。
「――ありがとうございます。嬉しい……」
それ以外に言葉が出ず、一花は震えそうな声でお礼を言うのが精いっぱいだった。
きゅっとハンカチを握りしめ、温かい感情が溢れそうになるのを堪える。
なぜか小太郎は目を細め、そのあとに狼狽えたように「よ、喜んでもらえてよかったよ……っ」と頬を赤くさせた。
言葉が繋げずにハンカチを見つめていると、小太郎は慌てて立ち上がる。
「あ、ごめん、綾瀬さん。俺、実はちょっと用事あって。今日はそれだけ渡しにきたんだ。慌ただしくて申し訳ないけど、また明日」
「あ、は、はいっ。また明日……っ」
小太郎は本当に慌ただしく、部室から出て行った。
思わず立ち上がった一花だったが、見送った姿勢のまま固まる。
静かになった部室で、彼の気配がなくなるまで待って。
ゆっくりと歩き出す。
彼が座っていた場所まで歩み寄り、そっと机を撫でた。
そのあと、ハンカチを見つめる。
きゅうっと握りしめて、思わず、その場にかがみこんだ。
「……はぁ。好きだなぁ……」
改めて、自分の気持ちを吐露する。
顔は赤くなり、上手く考えがまとまらない。
小太郎が帰ってしまったのは残念だったけど、あのままいっしょにいたら、きっといつまでも感情が昂ったままだった。
今は彼の余韻を感じるだけで、十分。
身体中が小太郎を好きだと叫んでおり、その恥ずかしさに顔を膝の間にうずめる。
ハンカチを抱き締めるようにしながら、熱い息を吐いていた。