第44話
「すずこそ、その服かわいいよ。似合ってる。大人っぽいね」
「あ、そ? ありがとありがと」
照れくさそうに笑い、鈴音は手をひらひらさせる。
鈴音が着ているのは、襟付きのロングワンピース。落ち着いた紺色で、彼女のウェーブがかった髪型によく似合っている。白い襟とベルトがいいアクセントになっていて、普段よりも大人びて見えた。小さく主張するネックレスも、品が良い。
かわいい。
前回、みんなで遊びに行ったときもそうだが、こうしてオシャレした鈴音を見られるのは嬉しかった。
しかも、今日はふたりきりだ。
ふたりして大人っぽくオシャレをして、晩ご飯を食べに行く。
胸も弾むというもの。
けれど鈴音は自身を見下ろしながら、少しだけ不安そうな声を上げた。
「こたが綺麗めの服装で来て、って言うからこれにしたけどさ。そんなちゃんとした店に行くわけじゃないんだよね……? あたし、未だになに食べるか知らないんだけど」
「それ含めて誕生日プレゼントってことにしといて。俺、あんまりいいプレゼント思いつかないし。体験をプレゼント、みたいな」
「お、いいね。ふたりして大人っぽい格好で、マックでハンバーガー食べるのも悪くないよ」
思ったよりも食いつきがよく、ご機嫌そうに鈴音が笑う。
鈴音からすれば、あれこれプレゼントを悩まれたり、なにかを贈られるよりも、こういう工夫のほうが喜ばれるのかもしれない。
その事実はちょっとだけ不安になるけれど、まぁ喜んでいるのならそれでいい。
ふたり並んで、地下鉄への階段を降りていく。
桜通線に乗り込み、数駅運ばれていった。
名古屋駅周りや、栄、金山はかなり栄えているが、少し電車に乗れば名古屋でも落ち着いたものだ。
ビルの高さは少しずつ大人しくなり、細い道に入れば、静かな住宅街であることも珍しくない。大きい道はひっきりなしに車が通るものの、道を外れれば、通行人の数はめっきり減った。
鈴音とともに駅から出ると、外は既に真っ暗だった。
交通量が多い道から離れると、さらに辺りは静かになっていく。ほとんど住宅街と言ってよかった。
家以外はせいぜいスーパーやコインパーキングくらいしかなくて、記憶を頼りにその中を歩いていく。
鈴音は、「こんなところにお店なんてあるの~?」と楽しそうにしながら、小太郎の隣を歩いていた。
そして数分経ったところで、ようやく目的地に辿り着く。
「あ、あったあった。ここだよ、すず。行きたかったお店」
「……え?」
お店の前に立っても、鈴音はぽかんとしていた。
完全に辺りは夜の空気に染められていて、街灯の数も心許ない。
その中でも、その建物は煌々と辺りを照らしている。
周りに飲食店はほかにないので、そのお店以外の建物は眠っているような錯覚を覚えた。
「こ、ここ? え、嘘でしょ? え~、嘘だよ。そういう冗談でしょ?」
鈴音はお店を指差しながら、笑っている。
まぁそう言いたくなるのもわかる。
そのお店は一見、洋館のような佇まいだった。黒を基調にしたシックな外観で、一目でフレンチレストランであることが伝わる。辺りを観葉植物が飾り立てて、いい意味で周りから浮いていた。
白い看板と木製の扉は明るくライトアップされていて、ガラス越しに店内が窺える。真っ白なテーブルクロスが並び、その中を大人たちがナイフとフォークで食事をしていた。
まさしくレストラン、という雰囲気だ。
普段、小太郎たちが行くようなファミリーレストランではなく。
品のある佇まいと雰囲気、そしてどこか威圧感があった。
大人なお店。
高校生の小太郎たちからすれば、印象はその一言だけで、自分に関係がないから興味すら持たない。そんなお店だった。
それに今から入るというのだから。
鈴音の反応も致し方なしだった。
「いや、ここで合ってる。今からここで、ディナ~を嗜むんだよ」
「いや、ディナ~って」
小太郎の物言いに、鈴音はけらけら笑っている。
「もういいって。この辺に別のお店があるんでしょ? 早く行こうよ」
「や、本当にここだって。入るよ」
「え、あ、ちょっと!」
いつまで経っても信じないので、小太郎が先行した。
扉を開くとふわりといい匂いが鼻に届き、からんからん、と鈴の音が響く。
スーツ姿の男性がゆっくりと現れ、にっこり微笑んだ。
「予約した、夏目です」と伝えると、彼はさらに笑みを深くして、恭しく店内を示す。
「お待ちしておりました。こちらの席へどうぞ」
言われたとおり、小太郎はその男性についていく。
鈴音は辺りをきょろきょろしながら、「え、え、え?」と動揺した声を出し続けていた。
店内も外観と同じく、上品だ。
洋館、といった印象がより強まる。小型のシャンデリアがいくつも店内を照らし、椅子や小物も雰囲気に合わせたもの。テーブルの上にはフランス料理とワイングラスが並び、のんびりした時間が流れていた。
席の数はそれほどあるわけではないが、平日なのにお客さんが多い。
それでも店内に十代の少年少女は小太郎たちだけで、ほかは落ち着いた年齢の人ばかり。穏やかに談笑しながら、ワイングラスを傾けている。スーツ姿の人も多かった。
その席の間を、小太郎たちが歩いていく。
すると、鈴音は焦りながら小太郎の腕を掴んだ。
小声ながらも懸命に訴えてくる。
「だ、ダメだって小太郎! 高そうだよ大人っぽすぎるよ小太郎が破産しちゃうよ! あたしだって、今日そんなに持ってきてないんだよ⁉」
「俺が出すから気にしなくていいって……。大丈夫だよ、そんなに高いわけじゃないから。そこは本当。じゃなきゃ、鈴音を連れてこないって」
そりゃファミレスやファストフードに比べれば、お高いけども。
このお店の雰囲気と出てくる料理に比べれば、かなりリーズナブルだ。
それでも、鈴音は不安そうにしていた。
席に着いてメニュー表をもらうと、鈴音は緊張した面持ちでそれを開く。
ずっと強張っていた鈴音だが、そこで少しだけ肩の位置が落ちた。
「あ、あ~……。まぁ……、心配していたほどの値段、ではない、けど……」
「でしょ? まぁ高校生が来るような店ではないけどさ。すずは誕生日だし。ほら、すず。大人っぽいお店に連れてってほしい、って言ってたでしょ?」
「え? あ~……。理想のタイプの話でね? でもそれは、小太郎相手って意味じゃないよ~」
いや、そこは重要だった。
小太郎はいくつも『鈴音の理想の男性』の項目をクリアしている。
これも、その一環。
これで鈴音の理想に近づけるのであれば、多少の出費はなんともない。
とはいえ、鈴音はバイトもしていない普通の高校生。
普段食べる料理より桁がひとつ多い値段に、渋い顔を崩さない。
「う、う~ん……。でも、やっぱ、なぁ……。ねぇ、小太郎。今からごめんなさいして、サイゼでもいこ? 七百円でお腹いっぱいになろうよ。いくらなんでも、申し訳ないよ」
「いや、だからそこまでの値段じゃないでしょ……。俺、バイト代をぜんぜん使ってないから、お金あるんだって。年に一回なんだから、これくらいご馳走させて」
小太郎が落ち着いた口調でそう答えると、鈴音は唇を尖らせる。
この話はこれで打ち切り、とばかりに小太郎はメニューを指差した。
「すず、コースでいい? どれにする? 遠慮しなくていいから、好きなの選びな」
小太郎の言葉に、鈴音はより唇を強く尖らせる。
むぅ、という声が聞こえるくらいに不満そうな顔をして、小さく呟いた。
「なんか……、小太郎、余裕あってむかつく。本当に大人の男の人みたい」
「そんなことでムカつかれてもなぁ」
悔しそうにしている鈴音に、小太郎はついにやけてしまう。
これは、鈴音の照れ隠しだ。
ずっと弟だと思っていた小太郎が、自分の知らない場所で自分の知らない姿を見せている。
しかも、自分は動揺してばかり。
姉の自負があった鈴音からすれば、心を揺さぶられたに違いなかった。
やがて、鈴音は「あぁもう!」と少しだけ声を大きくして、メニュー表を指差す。
「もう知らないからね! 本当にご馳走になるから! いいんだね! なら、このコース! お肉がおいしそうだから!」
「はいはい。じゃあ俺も同じのにしようかな。あ、すず。飲み物とデザートも選んで」
「ん? あ、そっか。デザートも選べるのか……、どうしよ……」
むむむ、と悩みだす鈴音に、小太郎は心の中でそっと息を吐く。
上手くいきそうで安心した。
本当にお店から出ることになったら、どうしようかと。
そのあとは、特に問題が起こることもなかった。
運ばれてくる料理に舌鼓を打ち、のんびりとふたりで料理を楽しむ。
最初は緊張していた鈴音も、時間が経つごとに態度はほぐれ、あとはいつもどおりにしゃべっていた。
いつもより綺麗な服で着飾り、高校生にしては豪華な食事をして。
だれも知らない場所で、ふたりきりの思い出を作る。
小太郎にとっても、忘れられない鈴音の誕生日……、前夜となった。




