第43話
こうして、意中の相手の着替えを見られる状況は、特別な関係でしかありえない。
鈴音と小太郎の間柄は、一般的に考えられる特別な関係――、恋人ではないものの、かなり特別と言えるだろう。
良くも悪くも。
小太郎は今の関係を、一般的に考えられる特別なものにするため、いろいろと動いてきた。
以前は目の前で着替えられて、ただただへこむだけだったが、今日はそうでもない。
秘策があった。
「ねぇ、すず。すずの誕生日、その前日の夜って空いてる?」
「前日? 十八日ってこと? あ~、たぶん空いてると思うけど? 部活のあとなら」
鈴音はセーラー服から頭を出し、髪を撫でている。制服を着用して、ようやくいつもどおり。
鈴音の誕生日当日は、家族で祝うはず。
だから前夜の予定を聞いたのだが、思ったとおり空いていた。
鏡で髪型を直している鈴音に、小太郎は何度も反芻した話を口にする。
「ならさ、ご飯でも食べにいかない? 誕生日プレゼントってことで。ご馳走するから」
「ご飯~?」
聞き慣れない言葉を聞いたように、鈴音がこちらを見る。
こんな提案は初めてだった。
案の定、鈴音は少しだけ訝しげな顔をする。
「……ご飯って、小太郎とあたしのふたりで?」
「うん」
小太郎は小さく頷く。
いろいろと言い訳は頭を掠めたが、なんだか墓穴を掘りそうなので黙っていた。
一花も言っていたが、あまり姉弟だけで外出することはない。
「ふたりでご飯を食べに行こう」なんて言われたら、たいていの姉はこんな反応になるのではないだろうか。
ある意味、ここが一番の鬼門だった。
鈴音は視線を小太郎から外し、少しだけ考え込んでいるようだった。
けれど、やがて流されるように口を開く。
「ん~。まぁいいけど」
よし、と心の中で拳を握る。
ここで躓いてしまえば、計画はすべて頓挫。それだけに緊張していたので、ほっと胸を撫で下ろす。
でも、勝算はあった。
わざわざプレゼントを買ってもらうより、ふたりでご飯を食べに行くほうが気楽かな? と鈴音は思ったに違いない。
鈴音は自分のために何かをしてもらうことを、どこか申し訳なく思っている。
そこはやはり、弟扱いではあった。
値が張る品物はどうせ受け取ってもらえないのだし、こういう方向に振ったほうがいい。
「じゃあ、俺が気になってるお店、予約してもいい? ずっと行ってみたかったんだけど、家族で行くようなところでもなくて」
「ん? うん。まぁ、いいけど……?」
鈴音は少し不思議そうにしていた。
高校生の中では、「店を予約する」のはそれなりに珍しい行為だし、家族と行くような場所ではない、というのが気に掛かったのかもしれない。
『相手の誕生日なのに、お前が気になってるお店に行くんかい』と鈴音以外には思われそうだが、ここで鈴音に「好きなお店でいいよ」なんて言えば、遠慮して「ならマックかサイゼ」と返ってくるので悪手だ。
むしろ、「相手が気になっているお店に行く」ということが、鈴音にとってはむしろ歓迎すべきことなのだ。
長年弟をやっていて、誕生日プレゼントを贈り続けていた小太郎だからこそわかる。
一応、安心させるために小太郎は笑った。
「あんまり高いものはご馳走できないけど」
「むしろ高かったら困るよ」
そこでようやく、鈴音は安心したように微笑んだ。
そして、誕生日前夜。
平日なのでいつもどおり学校に行き、授業を受け、鈴音は部活。
小太郎は家で念入りに準備をしてから、少し早めに家を出た。
夏に向けて日は徐々に長くなっているが、既に辺りは暗くなり始めている。
小太郎は癖で鈴音の家に向かいそうになったが、はっとして通り過ぎた。
今日は、名古屋駅で待ち合わせなのだ。
ひとりで東山線に乗って、名古屋駅に向かう。
平日だというのに、名古屋駅はたくさんの人が行き交っていた。学生服や大学生らしき人も多いが、速足で歩くスーツ姿の人もよく見かける。
待ち合わせ場所で定番の金時計前も、休日には負けるものの、多くの人たちが待ち人を探していた。
そして、鈴音もそのひとり。
金時計から少し離れて、壁際で時計を見ている女の子。
鈴音だった。
鈴音がこちらに気付いて小さく手を振ってきたので、小太郎は小走りで近付く。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、待ってないよ。まだ時間にもなってないし」
鈴音が若干ぎこちない笑みを浮かべる。
その理由は明白で、今の状況に違和感を覚えているのだ。
実際に鈴音はそれを口にした。
「それにしても、なんか変な感じ。小太郎と外で待ち合わせするなんて」
鈴音は苦笑し、小太郎も同じように笑う。
小太郎と鈴音の家は隣同士。
学校に行くときも、別の場所に出掛けるときも、わざわざ別々で行く必要がない。
登校の際は小太郎が彼女の家まで行っているし、家族同士で出掛けるときも家の前で集合だ。
どこかに待ち合わせ、という行為自体がイレギュラーで、記憶の中では初めてと言っていい。
この感覚が、欲しかった。
彼女には弟といっしょにお出かけ、ではなく、外で男子と会う、という意識を持ってもらいたかった。
それは、服装にも出ている。
「んん。こた、なんだか今日は大人っぽいね?」
鈴音は、小さく首を傾げる。
今日の小太郎は黒のセットアップに、中は白のTシャツだ。
普段、小太郎はカジュアルな服装を好むので、ジャケットは今まで着たことがなかった。
ただ、あまりフォーマルに寄りすぎるのも……、と思い、全体的にサイズを大きめにすることでその印象をぼかしている。
先日、わざわざお店に行って、店員さんと話し合いながら購入したものだった。
我ながら大人びて見えたし、普段しない服装は鈴音に違う印象を与えるだろう。
小太郎は自分の服を撫でながら、冗談めかして笑う。
「だって、すずと初めてのデートだし」
「デートって。ご飯食べに行くだけでしょ」
けらけら笑いながら、鈴音は小太郎の胸を叩く。
わかりやすくジョークとして言ったとはいえ、これを口にするのはかなりの勇気が必要だった。
もしこれで引かれてしまったら、それで終わってしまう。
そんなリスクを背負ってでも、冗談としてでも、鈴音の頭の中に「デート」という言葉を擦り込ませたかった。
最初の難関を突破してほっとすると、今度は小太郎が鈴音の服装に触れる。




