第39話
「わ、わ~……、夏目くん、夕焼けがとっても綺麗です」
「本当だ。最初は街中に観覧車なんてどうなんだ? と思ったけど、夜とかは映えそうだよね」
小太郎、一花のペアがゴンドラの中で揺られている。
外の景色は、徐々に高度を上げていった。
透明の小さな箱が、次々と空に運ばれていく。
思った以上にゴンドラの中は狭く、ふたりで乗っていてもあまり余裕はないくらい。
四人で乗らなくて、正解だったかもしれない。
ふたりで向かい合わせに座り、さっきから視線を行ったり来たりしていた。
ゴンドラが、夕焼けの名古屋の中を上っていく。
それをしばらくふたりで眺めていると、一花がぺこっと頭を下げた。
「すみません、夏目くん……。わたしが上手くサポートできれば、今頃、春野さんとふたりで乗れたのに……」
「あぁ、いやいや。そんな気にしないで。むしろ、綾瀬さんはすごく協力してくれてたよ。感謝してる。結果的にくじ引きになって、どうしようもなかったんだし」
結局、くじ引きの結果、小太郎と一花、鈴音と華蓮のペアでゴンドラに乗っている。
真下には、鈴音たちがいるはずだった。
わざわざ下を覗こうとは思わなかったが、彼女たちに想いを馳せる。
「でも正直さ、これでよかったな~、と思ってるんだ」
「え……? な、なんでですか?」
「いや、綾瀬さんがすずや華蓮さんとふたりきりになったら、緊張するかな~、と思って。ん、この言い方だと、俺が一番綾瀬さんと仲いい、って宣言してるみたいになっちゃうな。それはうぬぼれか」
特に何も考えずに話しているせいで、なんだか余計なことを言ってしまう。
すると、一花は席を立たんばかりの勢いで口を開いた。
「い、いえっ! 合ってます! わ、わたしも、夏目くんが一番よかったです! ……ぁ」
「え、あ、そう? それなら、よかったけど……」
「は、い……。すみません……」
一花は自分の言ったことが恥ずかしくなったらしく、俯いてしまった。
顔まで真っ赤になって、合わせた手を意味もなく動かしている。
なんとなく見ないほうがいいと思い、小太郎は視線を逸らした。
すると、いつの間にか、ゴンドラがかなり高度を上げていることに気付く。
外から見る分には大したことないと思っていたが、実際に乗ってみるとだいぶ印象が変わった。
こんな高いところで景色を見るなんて、あまりないことだ。
遠くの夕焼けが、ごちゃごちゃした名古屋の街並みを照らしていた。
その光景を観ていると、乗ってよかったなぁ、なんて思える。
「綺麗だな~……」
「あ、そ、そうですね……」
思わず独り言を呟くと、慌てた様子で一花が返事をする。
彼女は心細そうに三つ編みを撫でているものの、観覧車自体は楽しんでいるようだった。
キラキラした瞳を、窓の外に向けている。
小太郎は改めて、一花の姿を見た。
今日の一花は雰囲気によく似合う私服姿で、とても可愛らしい。
以前の買い物のときの髪型もよかったけれど、三つ編みだと彼女らしさを感じる。
そんなかわいい女の子と、ふたりきり。
それこそ、一花が言っていた、「もしデートスポットでふたりきりになれたら?」が実現しているわけだ。
相手は鈴音じゃなかったけれど。
それを考えると、小太郎は思わず笑ってしまった。
「? どうかしました?」
「いや。俺、女の子とふたりで観覧車に乗ったのなんて、初めてだから。いつかはやってみたい、くらいに思ってたけど、突然実現するもんなんだなあって」
「わたしが初めて――」
一花は呆然とそう呟いたかと思うと、そっと俯いた。
頬や耳まで真っ赤なのは、おそらく夕焼けのせいだろう、と小太郎は思う。
だから、その真っ赤な太陽に目を向けた。
綺麗だなあ、と再び呟く。
今度は返事がなかったが、おずおずとした一花の声が返ってきた。
「あ、あの……。夏目くん。恋愛小説の取材として、わたし、やってみたいことがあるんですが……」
「あ、なになに? どんなこと? なんでも手伝うよ」
一花のおかげで、鈴音との関係も少しずつ変化している。
新しい発想もたくさんもらった。
十年以上ずっと停滞していたことを考えれば、すごい進歩だ。
そのきっかけとなり、手伝ってくれた一花に言われれば、小太郎は何でもするつもりだった。
一花は、そっと顔を上げる。
彼女の頬はすっかり夕焼けに染まっており、その瞳も潤んでいる。恥ずかしそうに視線は逸らされ、眉はきゅっと下がっていた。唇がわずかに震えている。
それでも、一花は口を開いた。
「その……、観覧車でふたり並んで座るっていうのが……。どんなものか……、やってみたいんです……」
「あ~……。なるほど?」
観覧車は普通、向かい合わせで座るのが一般的だろう。
しかし、仲のいいカップルであれば、わざわざ隣同士で座り、その距離感を楽しむのかもしれない。
たま~に、飲食店でも隣同士で座るカップルを見掛ける。
「俺でよければ、ぜんぜんいいけど……。俺でいいの?」
そんなことでよければ、と小太郎は壁際にお尻の位置を動かす。
一花は真っ赤な顔のまま、こくこくと頷いていた。
まぁ、一応男女になるわけだし、参考にはなるか?
小太郎がそう納得していると、一花はゆっくりと立ち上がった。
その瞬間。
「きゃっ……!」
ぐらりとゴンドラが揺れて、一花が転びそうになった。
危ない! と小太郎は、咄嗟に彼女の肩を抱きとめる。
彼女の肩を掴んだ瞬間、「か弱い」「儚い」という印象が頭を駆け巡る。ほんの力を入れるだけで傷つけてしまいそうな、危うさ。
けれど、確かに感じる彼女の体温。
そして、びっくりするほどに近い、彼女の顔。
眼鏡越しに、一花の目と合う。
大きく見開かれながらも、小太郎から決して外れない視線。
まるで、恋人同士がキスするような体勢で、ふたり固まっていた。
もし、小太郎が手の力を緩めれば、彼女はそのまま小太郎に抱き着くことになる。
顔を逸らさなければ、唇が重なることもあるだろう。
そんな姿勢で、しばらく硬直して。
やがて一花は、見る見るうちに顔を赤くさせ、慌てて飛び退いた。
「すすすすすすみません、とんだ失礼をっ!」
「あぁいや……、怪我なくてよかった。気を付けてね」
元の席に戻った一花を見ないようにしながら、小太郎は自分の心臓の音を聞いていた。
ドキドキしてしまった……。
一花の細い腕にも、その息遣いにも、大きな瞳にも、やわらかさにも。
当たり前だけれど、女の子なんだなあ、と。
意識してしまった。
一花は、大きな眼鏡や雰囲気でわかりにくいだけで、とっても可愛らしい女の子だ。
そんな女の子にあれだけ近付かれて、あわやキスでもしそうな距離にいて、ドキドキしないほうがおかしい。
それは、わかっていたけれど。
やっぱり、自分が好きなのは鈴音であること、そのうえ、「観覧車にふたりきりで乗っても平気」と思ってくれている一花との友情を裏切るようで、後ろめたさが勝った。




