第33話
だって、光り輝いているのだから。
彼女は白のブラウスの上にニットカーディガンを身に付け、下はチェック柄のロングスカート。腰にぶら下げているポシェットは少し子供っぽいが、大人しい容姿だけにむしろ良い。
あどけない顔立ちと小柄な体型のせいで、中学生くらいしか見えなかった。それでも、愛しさを覚えるほどに可愛らしい。
さらに、彼女は文庫本に目を落としていた。
長い三つ編みを揺らし、眼鏡を掛けて本を読む姿は、まさしく文学少女だ。
華蓮の想い人、綾瀬一花その人であった。
かわいい……。
華蓮はつい見惚れてしまうが、一花は一花で様子がおかしかった。
落ち着きのない様子で、門の前に立っている。
彼女は文庫本を読んでいるが、一向にページが進んでいない。さっと顔を上げて、きょろきょろと辺りを見回し、ふぅ~……、と息を吐いてから本に戻る。そして、また顔を上げる……。それの繰り返しで、同じところばかり読んでいた。
なぜそこまで緊張しているのかはわからないが、その光景には衝撃を覚える。
もう来とる!
三十分前だぞ⁉
人のことは言えないとは思いつつも、既に待ち合わせ場所にいる一花に、胸が弾んだ。
そのせいで、華蓮は考えなしに彼女に声を掛けてしまう。
「い、一花ちゃん、おはよう」
「えっ……。あ、伊達さん……。お、おはようございます」
彼女は文庫本を一生懸命ポシェットに仕舞い、ぺこっと頭を下げた。三つ編みが大きく揺れて、視線が彷徨っている。
かわいい。
ついニマニマしそうになるのを堪えて、華蓮はとにかく目の前のことに触れた。
「一花ちゃん、めちゃくちゃ早くない? まだ待ち合わせの三十分前なのに」
「え、あ、はい……。お、落ち着かなくて、つい……。でも伊達さんも早いですね……?」
「あ、えー……。う、うん。あたしもちょっと、落ち着かなかった、っていうか……。あ、あー、一花ちゃん、服めちゃくちゃかわいいね? すっごく似合ってるよ」
「あ、ありがとうございます……。だ、伊達さんもすごく格好いいですね……。わたしにはそういう服、似合いそうにないですから、羨ましいです」
「あ、そ? ありがと……。え~……」
「……………………」
「……………………」
困った。
普段なら、女の子相手にいくらでも話題がスルスル出てくるのに、お互い無言になってしまう。
一花は、お世辞にもコミュニケーションが得意なタイプとは言えない。
だから、華蓮が気の利いた話を振るべきなのだ。
そんなこと、今まで何度も繰り返してきたのに。
服の話題だって、いくらでも広げられそうなのに、褒められて嬉しかったのに。
なのに、喉に詰まって言葉が出てこない。
伝えたいことは、こんなにもいっぱいあるのに。
……あぁくそ。
こんなにも、もどかしいなんて。
「て、天気がよくて、よかったですよね」
沈黙に耐えかねた一花が、苦し紛れにそう言う。
天気の話なんて、本当に話題がないときにしか出てこないだろうに。
「そ、そうだね。よかった」
かといって、華蓮自身も全く上手く返せない。
そのあとも、昨日なに食べた? といった、本当にしょうもない会話しかできなかった。
それでも、華蓮自身は楽しいと感じてしまうのだから、不思議な話だ。
少しずつ、どうにか話題を広げていって、ようやく「さっきはどんな本を読んでいたの?」という話から、やっと一花が滑らかに話せるようになった頃。
邪魔が入ってしまう。
「あの、今暇? どこか遊び行かない?」
そうやって話し掛けてきたのは、ふたりの男性。
おそらく大学生だろうか、やけに軽そうな見た目の男たちだ。
殺すぞ。
眼光鋭く睨め付けながらも、そこまで言わなかった己の理性を褒める。
これだから、同じところに留まり続けるのは嫌なのだ。
せっかく楽しく好きな子と話しているのに、なんで知らん奴に邪魔されなきゃならんのだ。
「暇じゃない。待ち合わせ。男いる」
移動中なら無視するし、待ち合わせでなければ黙って動くが、ここから移動するわけにもいかない。
なので丁寧に返してやったのだが、何を勘違いしたのか、それで脈ありだと感じたらしい。
「え~、それ本当~? ていのいい断り文句じゃないの?」
「じゃあ、その男が来るまで待ってていい?」
しつけえな、警察呼ぶぞ。
もし、一花がいなければ、そこまで言ってしまったかもしれない。
しかし、それで逆上されても困る。
一花は怯えたような目を、ふたりに向けていた。明らかに困っている。
どうしたもんかな。
華蓮が本気でイラついていると、ようやくその声が届いた。
「華蓮さーん、綾瀬さーん。お待たせー!」
露骨に大声を出して、こちらに駆け寄ってくる男子。
小太郎だった。
後ろにいた鈴音がやけにゆっくりと歩いているのは、男ひとりのほうが都合がいいと思ったからだろう。
小太郎はふたりの男性を見て、「だれですか? 俺、ふたりと待ち合わせしてたんですけど」と続ける。
夏目小太郎は、華蓮にとっては心底どうでもいいが、容姿がいい。
背が高く、身体は引き締まっており、顔立ちも整っていて、服のセンスもまぁまぁ。
並大抵の男なら、太刀打ちできないと感じる相手だ。
この状況なら、タイプの違う女を侍らせているようにしか見えない。そう誤解されるのは噴飯ものであるが、まぁいい。
一花はすぐさま小太郎の陰に隠れ、華蓮は「おせえよ」と眉を顰める。
「いや、遅くないし。十分前なんだけど。まぁでも、ごめんね、綾瀬さん」
「あ、いや、わたしはぜんぜん、待っていないのでっ」
「いや、待ってたよ。夏目、一花ちゃん三十分前には来てたからね。すんごい待った」
「伊達さん、なんでバラすんですかぁっ」
男たちそっちのけで話し始めた三人に、彼らは急激に冷めた表情になる。
小さく悪態をつきながら、そっと立ち去っていった。
その背中を見送ってから、何食わぬ顔で鈴音が合流する。
「あ、女の子来たなら、これで男三人とちょうどよくない?」と変に絡まれても面倒だったので、鈴音に親指を立てる。彼女も同じように返してきた。
そして改めて各々が挨拶を交わし、じゃあ行こうか、と歩き出したところで。
「あ、あの。夏目くん、さっきはありがとうございましたっ」
一花が小太郎にぺこぺこと頭を下げていた。
華蓮と鈴音が並び、前を一花と小太郎が歩き始めたところだった。
小太郎は軽く手を振り、なんてことはないように答える。
「あぁいや、気にしないで。たち悪い連中はいるからねえ。待たせてごめんね」
「い、いえ……。わたしが勝手に早く来ていただけなので……。そ、それより、助けてもらって、嬉しかったです……。夏目くん、格好良かったです……」
「え、ほんと? あれくらいなら、いくらでもやるよ~」
小太郎はお世辞だと判断したらしく、自然体で笑っている。華蓮と話すときと同じような表情で、よく知る小太郎の顔だった。
だが。
一花は、そんな小太郎をぽうっと見上げ、頬を赤く染めている。
その瞳はぼんやり潤み、手はきゅっと握られていた。
はあ、と熱いため息が聞こえるような。
まるで、王子様を見るかのような。
恋する、女の子の顔だった。
「……ん? んんんんんんんんんんんんん?」
「え、なに。どうしたの、華蓮」
華蓮は思わず、一花の横顔を見つめてしまう。
突然、おかしな反応をした華蓮を、鈴音は訝しげな目で見てくる。
でも、それどころではなかった。
一花を、まじまじと見る。見てしまう。
いっそ、気付かなければ幸せでいられたのに。
それでも、彼女の気持ちを探ることをやめられない。
そして、辿り着いてしまう。
その横顔は、どんな言葉よりも雄弁だった。
「――あぁ」
なんでこんな簡単なことを見落としていたんだろう、と唖然とした。
引っ込み思案であろう彼女が、用意周到にあんな手紙を書いたのも。
一花が取材のため、なんて苦しい言い訳で、小太郎とふたりでデートに行ったのも。
だれよりも早く、待ち合わせ場所に来ていたのも。
そもそも、小太郎に対する態度すべてが、それを物語っていたというのに。
華蓮は今の今まで、見過ごしてしまっていた。
恋は盲目。
それは、こんな場面でも使えるのだろうか。
あ~……。
そういう、こと、か……。
すべてに納得がいき、身体中の血が脚に落ちていくような感覚に陥る。
突然の、強烈な失恋。
いや、もしかしたら、見えないふりをしていただけかもしれない。
今まで、女の子にフラれたことは何度もあったというのに。
ここまで打ちのめされるのは、生まれて初めてのことだった。




