第18話
名古屋駅から東山線に乗り、栄に向かう。
地下鉄の通路は圧迫感があり、乗るたびにいつも窮屈な気持ちになる。
でも今日は、隣に小太郎が立っているから、そんな気分も吹っ飛んでいた。
見上げるほどに背が高く、端正な横顔を見つめる。
その事実だけで、胸がどうしようもなく高鳴り、普段どおりに話すのも苦労してしまう。
「夏目くん、さっきバイトの話をしてましたけど、今もバイトしてるんですか?」
「いや、夏休みとかの長期休みだけ。すずが部活で忙しいから、暇で暇で。暇潰しでバイトするんだけど、別に使い道なくてさぁ。貯金だけが貯まってく」
一花は緊張して緊張してどうしようもないけれど、当然、小太郎はそんなことはない。
いたって、いつもどおり。
その事実に少しだけ目を細めてしまう。
それに彼の中心は、やっぱり春野鈴音なんだな、というのも伝わってくる。
でも、そんなことはわかっていたことだ。
先輩たちから今日のことを伝えると、『よくやった、頑張った』『既に恋愛強者』『割とマジでわたしたちの中で一番進んでる』『その調子で本気で落とそう。一花ならできる』と激励の言葉をもらっている。
がんばる。
今は全く緊張されていないし、これからもされないだろうけど。
それでも。
なにより、休みの日にこうして会えること自体が、とってもとっても嬉しかった。
今は、その幸せを噛み締めよう。
電車が栄駅に到着し、休日らしく混雑している三越に入っていく。
中はお客さんでごった返しており、油断するとはぐれてしまいそうだ。
『はぐれそうだから、手を繋ごうか?』という言葉が頭に浮かび、いやいやいや、と頭を振る。
恋愛小説じゃないんだから。
もしそんなことを彼が言ってくれたら、嬉しすぎて倒れるだろうけど。
気を取り直し、一花は空間に余裕ができたところで口を開いた。
「夏目くん。何か見たいものってありますか?」
「ん~。すずの誕生日プレゼントかなぁ。毎年あげてるんだけど、いつも欲しいものを言ってくれないんだよ。だから、こっちで気の利いたものを選ばないといけないんだけど……」
それが難しい、と小太郎は眉を寄せる。
一花に顔を向けて、苦笑いを浮かべた。
「付き合いも長いしさ、そろそろネタ切れもキツくて。あんまり高いものをあげると怒られるだろうし、かといって安いものは限られる。本当に困ってるんだよ」
「んん……。あんまり、物欲がない方なんですか? 春野さんって」
一花が尋ねると、小太郎は困ったように笑った。
「というより、弟相手にプレゼントをせびるのが抵抗あるって感じかな……」
「あ、あぁ~……。あぁ……」
あまりにあんまりな答えに、一花は上手く言葉を返せなかった。
慰めすら出てこない。
一花と実の兄とで、誕生日プレゼントを贈り合ったことはない。しかし、もしその習慣があったとしても、兄のほうから「これが欲しくて」とは言ってこない気がする。
母に、『母の日、なにが欲しい?』と尋ねると、困った顔で「別に気にしなくていいから」と言われるに近い感覚だ。
小太郎は家族扱い、弟扱いされていると口にしていたが、ここまでとは……。
というか、本当に脈がないのでは?
それは一花にとっては嬉しい事実ではあるものの、さすがに素直には喜べなかった。
とにかく、ふたりで誕生日プレゼントを探すことになる。
適当にエスカレーターに乗って、よさそうなものを見て回った。
「女の子がいっしょにいると、化粧品フロアとかも入りやすくて、いいね」と小太郎が笑っていたのが、嬉しかった。
それがたとえ、別の女の子のプレゼント探しであっても。
化粧品や服、雑貨などを見ていくうえで、いくつか良さそうなものは見つかった。
そのたびに、小太郎とあぁでもない、こうでもない、と話すのは楽しかった。
「あ、かわいい」
その中で一花が見つけたのは、ハンカチだ。
真っ白なハンカチにうさぎの刺繍があって、とってもかわいい。
子供っぽいとは思いつつも、惹かれるのだから仕方がなかった。
「どれどれ?」
隣にいた小太郎がひょいと覗き込み、ドキリとする。
あぁ、本当にデートをしているんだなあ、と実感して、落ち着かなくなった。
それをひた隠しにして、彼にハンカチを見せる。
「プレゼント、ハンカチとかどうですか? これはわたしの趣味ですけど、もっと春野さんが好きそうなデザインで。使いやすいですし、お値段も手ごろですし」
「ハンカチ、もうあげちゃったことあるんだよね……」
「ですよね……」
残念ながらすぐに思いつくようなものは、既に小太郎が渡している。
別に被ってもいいんだけどね~……、と言いつつも、小太郎の目は真剣だ。
心から「喜んでもらいたい」と思っているのが見て取れる。
こうして話していると、本当に彼女のことを大切にしているんだなあ……、というのが伝わった。
彼が鈴音のことを話す言葉のひとつひとつが、やさしくて、温かくて。
その横顔は、とても穏やかなものだった。
はずなのに。
つい一花が見惚れていると、その横顔が徐々に変貌していく。
この世の終わりを目の前で見ているかのように、険しい表情へと変わっていった。
その瞳は爛々と輝き、血走り、口は大きく「あ」の形に開かれていく。
そのまま、カタカタと小刻みに震え始めた。
小太郎はだれが見ても格好いいと認めるほど、顔立ちが綺麗な男の子だ。
だが今は、だれもが鬼の形相だ、と認める表情をしている。
「な、なつめ、くん……⁉ ど、どうしたんですか……⁉」
突然、想い人がおそろしい表情になって、一花は困惑することしかできない。
自分が何かやったのかと思ったが、一花がどれだけ小太郎を怒らせても、こんな表情になるとは思えなかった。
小太郎は、「あ。あ。あ。あ。あ」と呻きながら、ガタガタと震える手を持ち上げる。
人差し指がぶれすぎて見えにくいが、指を差しているのがわかった。
彼は前方を指差し、五十歳ほど老け込んだような声で、呟く。
「す、すずが……、すずが、男と歩いてる……!」