第12話
一年生になったばかりの頃だ。
登校で電車に乗っている最中、ふっと体調が悪くなり、一花は扉のそばで座り込んだことがあった。
ちょっとした貧血だったのだが、そんな一花に真っ先に声を掛けてくれたのが小太郎だった。
一花の肩を支えながら、彼は低い声で囁く。
「大丈夫ですか? 吐き気はあります? ……はい、はい。なら、次で降りようか。すみません、一駅だけ席を譲ってもらえませんか」
小太郎が周りの乗客に声を掛けると、すぐさま近くにいたお客さんが席を譲ってくれた。
それでも気分が悪く、何も言えないでいる一花のそばに小太郎はいてくれた。
いきなりの体調不良に対する不安、周りに対する羞恥心、申し訳ないという気持ちが溢れたものの、小太郎のおかげでそれらが薄らいでいく。
ぼんやりした視界の中で、彼はいっしょにいた女子生徒に何やら話していた。
あとから知ったが、その相手は幼馴染である春野鈴音だ。
「先行ってて、この子見てから行くから」「大丈夫だって、俺だけで」「柚乃で慣れてるから」と鈴音に伝えている。
これ以上迷惑を掛けられない……、と一花は「大丈夫です」と言おうとしたが、声にならなかった。
宣言どおり、小太郎は一花とともに電車を降りてくれた。
ホームのベンチまで肩を支えてくれる。
「一旦、ここで休もうか。どれくらいしんどい? 救急車呼ぶレベルならちゃんと言ってね。一旦、水買ってくるよ」
小太郎はゆっくりと落ち着いた声でそう言うので、一花のほうも少しずつ落ち着いてきた。
救急車は必要ない、でも水は欲しい、ということを端的に告げると、彼は買ってきてくれた。
それを飲んで風に当たっていると、体調がよくなってくる。
その間も、彼は隣で黙って座っていてくれた。
気分と体調が落ち着いてくると、彼が夏目小太郎であることを一花はようやく認識する。
小太郎とは、全く接点がない。
でも、クラスの女子が「本当格好いい」「でも彼女いるんだよね」「残念すぎる~」と話しているのを聞いたことがあるし、通りすがりに指を差しているのも見たことがあった。
一花は、「あぁ確かに格好いい人だな」と思うくらいで、それ以上は何も思わなかったが……。
彼が助けてくれたとなると、いろいろと事情が変わる。
自分みたいな地味な生徒が、彼みたいなクラスカーストの高い人を煩わせていると、さらに申し訳なくなるものだ。
「……あの、すみませんでした。わざわざいっしょに降りてもらって。でも、落ち着きました。ありがとうございます」
たどたどしくお礼を伝えると、小太郎は嬉しそうに笑った。
「それはよかった。大事にならなくて。いやさ、妹が昔、結構身体が弱かったんだよね。今はいたって健康だけど。だから、こういうの慣れてるんだよ」
「そうなんですか……。でも、すみません。遅刻ですよね。わたしのせいで。本当にすみません」
自分のせいで、関係ない人まで遅刻させてしまった。
その事実はずしりと重く、一花は深々と頭を下げる。
けれど、小太郎は慌てたように手を振った。
心外だ、と言わんばかりに言葉を並べ立てる。
「いや、本当に気にしないで。純粋な善意じゃないんだよ。俺の隣に女の子いたの、見えてた? あの子にアピールしたかっただけなんだ。俺は困った人を放っておけないぞ、とっても善人なんだぞ、って。いいとこ見せたかっただけ。だから気にしないで」
それはある程度は本音で、ある程度は気遣いなのだろう。
恥ずかしそうに笑う彼の横顔に、一花の心臓は徐々に早くなっていった。
臆面なく、「アピールしたかっただけ」と言えるところも、やさしく声を掛けてくれたところも、落ち着くまで隣にいてくれたことも。
こう言っては恥ずかしいが――、まるで、王子様みたいで。
一花は自分でも恥ずかしいくらい、一瞬で恋に落ちてしまった。
結局その日は、一花は電車に乗って自宅へ帰った。
翌日からは普通に登校し、電車の中や学校内で彼の姿を探すようになった。
改めて、お礼を言いたい、と思ったことはある。
でも、学校で見掛ける小太郎は、自分とは別世界の人物だった。
背が高くて、顔立ちも肌も綺麗で、爽やかで、いつもオシャレに髪を整えていて。
隣にはとってもかわいい彼女がいて、彼も心から大事そうに接している。(恋人ではないらしい、ということは、後々わかったけど)
クラスでも一、二を争うくらいかわいい女子が彼相手に胸を弾ませ、密かにきゃあきゃあと騒いでいるのを何度も見たことがある。
片や、一花は目立たない地味な女子。
背も低く、スタイルがいいわけでもなく、口下手で、同級生に敬語を使ってしまうくらい気が弱くて、オシャレな眼鏡を掛ける勇気もなくて、本ばかり読んでいて。
そんな一花が、近付ける存在ではなかった。
それが、一年前の話。
それからも、小太郎のことは目で追っていた。
噂話にも聞き耳を立てていた。
でも、とても接触する勇気はなかった。告白するなんてもってのほかだ。
こんなにも、釣り合っていないのに。
想いを伝えることすら、おこがましい、と思っていた。
でも、卒業式直前に、先輩たちに言われたのだ。
去年度、文芸部の部員はたったの四名。
うち三名が三年生の女子で、一花はたったひとりの新入生。
それはもう、可愛がってもらった。
この淡い恋心も聞いてもらったけれど、「それでも当たって砕けてきなよ!」と発破をかける人はおらず、ただやさしい表情で頷いてくれた。
そんな先輩たちが卒業間際、一花にこう言い残していったのだ。
「この部室に、一花ひとりを置いていくのだけが、心残りだ」と。
引っ込み思案の一花は、とても上手く部活勧誘ができるとは思えない。
ただでさえ文芸部は人気がないので、一花がひとりぼっちで残る可能性が濃厚だった。
だからこそ、先輩たちはこんな魔法を掛けていった。
「この一年近く、一花はずっと夏目くんを想い続けていた。最初は、ただ単に格好いい人に助けてもらって、舞い上がっているのかと思ってた。でも違う。一花の恋心は本物だ」
「自分たちは学校からいなくなる。だからせめて、この恋のアドバイスをさせてほしい」