第11話
小太郎はひとり、昇降口に向かう。
一花と話し込んでいるうちに、随分と時間が経っていたらしい。学校のチャイムが鳴り、完全下校時間が迫っていた。
一花はまだ部室に用があるらしく、小太郎だけ先にお暇している。
帰宅部の小太郎がこんな時間まで学校に残ることは、今までなかった。
なんだか新鮮だ、と思いながら、弾んだ足取りで下駄箱に近付く。
すると。
「あ。こたろー」
その声に顔を上げると、昇降口に鈴音の姿があった。
どうやら部活帰りらしく、同じ部員だろう女子生徒が何人かで固まっている。
こんなところで会えるなんて、幸先がいい。
小太郎が思わず笑顔になって手を挙げると、ほかの女生徒がぽっと頬を赤くした。
そのまま立ち去っていくかと思いきや、鈴音がなにやらほかの部員と話し始める。
そして、部員と別れて鈴音だけがこっちにやってきた。
「? どうしたの、すず。ほかの子、行っちゃったけど」
「あぁ~、こたと帰るって言って、先に行ってもらったんだよ。ほら、帰ろ」
……なんと。
わざわざほかの子と帰るのを断ってまで、小太郎の元に来てくれたらしい。
え、なに、それ。
めちゃくちゃ俺のこと好きじゃん。
そんなにいっしょに帰りたかったの……? とドキドキしていると、鈴音は困ったように笑った。
「だって小太郎、ひとりで帰るんでしょ。なんだか寂しそ~って思っちゃって。みんなはいっしょに帰れるけど、小太郎ひとりで帰すのも可哀想だと思って」
「……………………。別にいいのに……」
どうやら、お姉ちゃんが出てしまっただけらしい。
たま~に鈴音は、小太郎をまるで小学生のような扱いをするときがある……。
確かに小学生がひとりでとぼとぼ帰っていたら、お姉ちゃんとしては心配になるだろうけど……。今もう高校生なのに……?
「さ、帰ろ帰ろ。お腹すいちゃった」
小太郎は複雑な気持ちになったものの、鈴音は気にせずに前を指差している。
まぁいいか。
いっしょに帰れるのは、嬉しいし。
小太郎は彼女の隣に並び、久々にいっしょに下校していく。
登校は毎日いっしょだが、下校は本当に久しぶりだった。
「それにしても、こたろー。こんな時間まで学校で何してたの?」
「作戦会議」
「作戦会議……?」
鈴音は可愛らしく首を傾げる。長い髪が、ふらっと揺れた。
確かに今は、弟扱いかもしれない。
だけど見ていろ、と小太郎はそっと拳を握る。
今の自分には、頼もしい味方がついているのだ。
綾瀬一花は、部室の扉が閉まってもまだ、手を持ち上げたままだった。
小太郎は去り際、「それじゃ」と爽やかな笑顔を浮かべ、軽く手を挙げて部室から出て行ったのだ。
一花はそんな彼に無意識で応え、小さく手を振っていた。
そのことに気付き、だれに見られているわけでもないのに、一花は慌てて手を下ろす。
そして、その手をぎゅっと握りしめた。
さっきまでここに、あの夏目小太郎がいた。
通い慣れた文芸部の部室が、まるで別空間のように感じる。
お互いに向き合い、かなり長い時間、目を合わせて話をしていたのだ。
「~~~~~~~~~~~~っ!」
一花は声にならない声を上げ、その場でしゃがみこむ。
顔はあっという間に赤く染まっていった。
思わず顔を覆って、感情の昂ぶりをどうにか抑える。
「言っちゃった、言っちゃった、言っちゃった……っ」
熱い息を吐きながら、上がり切った体温を排熱するように何度も呟く。
震える手でスマホを持ち上げて、先輩たちに報告しようとした。
だけど、勇気を振り絞った身体はカタカタと小刻みに震え、上手く文字を打てない。
諦めて、スマホを額に当てた。
きっと、先輩たちは『よく頑張った!』『偉い! 勇気出したね!』『お疲れ。でもこれからだからね!』と叱咤激励の言葉を掛けてくれるだろう。
はあ、と大きく息を吸い込む。
「頑張ったなあ、わたし……」
自画自賛する。
実際、綾瀬一花にとっては大冒険だった。
一世一代の大博打と言ってもいい。
でも、その賭けには勝った。
あの夏目小太郎と、協力関係を結べたのだから。
「夏目くん、やっぱり覚えてなかったけど……」
綾瀬一花と、夏目小太郎は以前、接触している。
一花にとっては絶対に忘れられない出来事だし、小太郎も出来事自体は覚えていると思う。その相手が一花であることに、気付いていないだけ。