表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

他チームファンへのカミングアウト

 残業なしの生活で、空いた時間をどうやって潰せばいいのか迷っていた時期が懐かしい。現在は、野球中継を見るために、仕事を早めに片付けて家に帰るようにしていた。無論、残業が発生するような日は諦めているが、出来る限りは家に帰ってみるようにしている。

 酒を飲みながらナイターを見ている父の姿を、自分が追っていくとは思わなかった。見たいテレビ番組があるのに文句も言えなかった幼少期は、ナイター中継はただの敵でしかなかったのに。

 缶ビールを開けながら、簡単なつまみを準備してテレビをつけた。有料の配信サービスに契約をして、ツインスターズの全試合を自宅のテレビで見られるようにしている。本にしかお金を使わなかった数週間前とは大きな変化を遂げた。

 大体、家に帰りつくのは午後七時あたりなので、プレーボールには間に合わない。その代わり、まっすぐ帰れば大体四回表には間に合う。わからないルールは多いが、解説で詳しく話してくれるので楽しみながら見ていた。

 この数日は打線が振るわず、チャンスで得点できない試合が続いている。イライラするが、その分得点につながった際には嬉しさが勝る。応援している選手の活躍が、自分事に感じられるようになってきた。

 筋書きのないドラマ。スポーツ観戦について、よく聞くコメントだ。今までは流していた言葉が素直に入ってくるようになった。

 理由は二つある。一つは、単純に野球を好きになったからだ。選手を知れば、野球を通して人間性が見えてくる。その人が試合に出るまでに歩んできたドラマを知ると、球場での応援が更に楽しくなってくる。由香里の好きな佐武選手の話もその一つだった。

 エリート街道を進んできた選手が、プロという更に選ばれた人間だけの世界で壁にぶつかり、挫折を味わいながらもチームに貢献する為、プロとして生きていくために技術を磨いている姿に自分を重ねてしまう。彼らからすれば、私の世界なんて小さなものかもしれない。でも、私も社会で生きていくために必死にしがみついている時期があり、その頃の気持ちが蘇ってくる。

 もう一つの理由は、その気持ちを素直に話せる人が出来たこと。赤田さんや由香里との出会いが私に野球を楽しませてくれる大きな存在になっている。知りたい情報はネットに溢れている昨今でも、身近にいる人間に聞けるならその方がいい。それに、試合の感想も知っている人間と共有するのがこんなにワクワクするものだとは想像もしていなかった。

 晩酌をしながら試合を観つつ、試合のチケット情報などを確認するのが日課になっていた。抽選には外れるが、なんとかファンクラブ会員先行の先着販売で席を抑えることが出来た。

 あと二週間後に、土曜日の昼の試合に行くことが決まった。昼はデーゲーム、夜はナイターというらしい。

 由香里もその日は空いており、喜んでくれた。三回目の野球観戦になるが、何をしようか今から楽しみで仕方ない。

 いい具合に酒が回ってきたあたりで、ツインスターズに追加点。今日は勝てそうな気がするな。この後は、確か冴島投手が出てくるのかな。少しずつ覚えた選手の名前を頭の中で思い浮かべると、ファンとしても成長できているようで興奮する。よく見る右投手だが、試合の途中のタイミングで出てくる選手だ。

 先発やクローザーといった言葉はよく聞くものの、このタイミングで出てくる投手は何という役割だっけ。考えながらも、ぼんやりしているためか、スマートフォンを開かずに缶ビールに手を伸ばした。

 そのタイミングで、スマートフォンの通知音がした。サイネージには赤田真帆という名前と一緒に、文章の最初の一行が照らし出されていた。

 お誘い

 この三文字で、内容が分かったのですぐに開こうとした。しかし、冷静になってテーブルにスマートフォンを置いた。いきなり既読を付けると、暇人に思われないかという不安がどこかから湧いてくる。

 冷静に、枝豆に手を伸ばして二粒食べた。少し落ち着こう。誘ってくれるのなんて、野球観戦に違いない。嬉しい話ではあるが、おそらくツインスターズではなく、赤田さんの好きなファルコンズになると思われる。

 野球観戦という大きなくくりでは嬉しいが、ファンにはならなかったのがばれるのが何となく怖くて最近は野球の話をする際には気にしながら話を進めていた。

 赤田さん自身は自分の周りに野球の会話をする人間がいないので、昼に時間が空くと食堂で私を探して一緒に食事をする仲には発展している。

 彼女とは、これからも野球を通して関係を続けたいと願っている。だからこそ、ファンの球団が違うと話をしてしまうことで、この関係をどうしても壊したくなかった。

 数十分くらいして、スマートフォンを開いた。文章はやはり観戦への誘いだった。

 お誘い

 神宮球場でのチケットが二枚取れました。レフト側のホーム外野席ですが、今週の土曜日のナイターです。もし、観戦いけるようでしたら一緒に行きませんか?

 絵文字もない、業務連絡にも近いチャットだった。華やかに見える人なだけに、もっと絵文字を使ったりしているのかなと勝手な想像していた。

 もちろん、行きたい気持ちが前に出てきている。喜んで行きますと返したい。しかし、心配している事項を先に聞かなければならない。

 レフト側のホーム席の意味がよくわからない。そして、応援グッズはまだ持っていないが、由香里からは外野席はしっかり応援をする席だと聞いていた。相手はツインスターズではないようなので、ファルコンズを応援する予定のはずだ。ただし、あくまでも私がにわかのファンであるのは変わらないので、この程度のファン具合で外野席に座っていいものか。

 もしかして、赤田さんはこの数日間で私がしっかりと勉強をしていると勘違いしているのか。

 変に期待されても、私は応えられない。なぜなら、気付いたら私はツインスターズのファンになっているからだ。

 すっと、背中が冷たくなった。これは、赤田さん流の踏み絵なのか。きちんとファンになっているのかを、外野席に座らせることで試そうとしているのかもしれない。

 急に恐怖が襲ってきて、ビールを流し込んだ。

 返事をしないといけないが、何を返していいのかわからない。失礼な返しは相手の気分を害する。無知な返信で赤田さんの気分を害して、今後誘ってもらえなくなったらどうしよう。

 彼女とは違うチームを応援しているのに、彼女と一緒に野球の観戦は行きたい。不思議な気持ちだった。たかが、趣味の世界なのにこんなに必死に考えるなんてくだらない。少し前の私なら、そうやって受け流していたはずだ。

 今は違う。もっと知りたい知識が一杯あり、野球を知りたい気持ちが勝っていた。

 結局返信できないまま、試合が終わり夜も遅くなっていた。さすがに、この時間に返信するのはやめておこう。質問もしたいので、別日に時間を頂くのが賢明だ。

 ぼんやりと結論を出したが、この誘いは確か今週の土曜日だったはず。そんなに流暢なことは言っていられない。

 飲みながら真剣に悩んだせいか、この日は体の隅々をアルコールに支配されるのはあっという間だった。何もかも起きてからすればいいか。散らかしたままの部屋で、私はゆっくりと意識を失っていった。

 翌日の強い二日酔いに悩まされながら、電車に揺られていた。あのまま寝てしまったため、尿意を感じて深夜に目を覚ましてしまった。一度目が覚めるとこういう日は中々寝付けず、結局片づけをしてから二度寝したので、睡眠不足も相まってつらい一日の始まりを迎える羽目になった。

 調子に乗りすぎたな。試合があまりに良かったせいで普段より進んだアルコールと、赤田さんの誘いへの返信で考えていたせいで更に飲みたした。こんなに飲む予定はなかったので、後悔しか感じていない。

 どうしたものか。

 結論の出ないまま、既読無視という一番悪手を選択している。頭の隅に罪悪感が残り、聞いている音楽が全く頭に入って来ない。小説もページが進まずに閉じてしまった。

 一度考えだすと、すべて後ろ向きになって長時間一人で悩む。この癖は社会人になってから消えることなく、私の短所として残っている。

 狭く深い人間関係の構築をしたせいか、周りの人間との社交辞令のような接し方になると、相手の顔が気になってしまう。人間関係の洞察力が高かったのはこの仕事では役に立ったものの、ストレスを無駄に溜めてしまい、精神衛生上好ましい状況とはいいがたい生活を送っていた。

 実際肌も荒れていたし、目の下の隈も取れなかった。このままこうやって年を取っていくのを諦めていたような時期に、辞令を受けて現在の部署に来たのだった。

 そう考えると、いや、やめよう。

 更に嫌な記憶を引き起こしそうになって、思考を遮断した。このコンディションで後ろ向きな感情を入れると、いよいよ吐きそうな気がする。

「おはようございます」

 先に来ている人に挨拶をして、自分の席に座った。パソコンの電源を入れると、チャットがきている。

 おはようございます。今日はお昼食堂ですか。

 赤田さんからのチャットだ。昨日個人所有の携帯電話を無視したので、会社の方に入れたのだ。あの手の美人にここまで追いかけられて、私も幸せだ。皮肉めいた冗談を頭の中に連想したが、エアコンの効いた部屋の中で、どっと汗が流れだした。

 もう、正直に言うしかないよな。

 いくら隠していても、いつか嘘は暴かれて失望をされる。赤田さんは優しくて、一緒にいるだけでこちらの心も癒される。野球も丁寧に教えてくれるし、せっかく本社で出来た気の許せる相手が離れてしまうのがなんとも悲しかった。

 甘えていても仕方ない。覚悟を決めて返信をした。昼にすべて話そう。ファンにはなれなくて失望させてしまったことを謝るしかない。

 それまでは、まずは自分の仕事に向き合うことにして、チャットの返信をして業務を開始した。

 こうなると、時間の流れは無情にも早く流れる。定期の事務作業をこなさなければならない日でもあったため、より集中しているうちに時間があっという間に過ぎていた。

「鹿島さん、お昼に行きなさい」

 長浜さんに言われて、我に返った。もう十二時か。予定より少し遅れていたが、十分取り返せる。

「ありがとうございます。お昼行きます」

 頭を下げて、私は立ち上がった。座りっぱなしだったので、まっすぐにした足に痛みが走る。一度伸びをして、歩き出した。階段を使うとかなりの段数を使うのだが、エレベーターは恐らく満員でストレスが溜まる。動いていないという自覚もあるので、階段をゆっくりと登っていく。時間はそこまで潤沢ではないが、赤田さんへの謝罪方法も考えておきたかった。

 食堂はかなりの人がいたが、いつもの奥の席に赤田さんは座って食事をしていた。

「遅くなりました」

 私は頭を下げると、赤田さんは軽く頭を下げた。いつものように笑顔を作るわけではなく、興味なさげな態度に違和感を覚える。

「あの、昨日はすみませんでした」

「ああ、忙しかったですか」

 定食の魚に箸をつけながら、質問をしてきた。私は、向かいの席に座ると買ってきたサンドイッチの包装を開けた。

「えっと、返信に悩みまして」

 嘘をついても仕方ない。それに、今日は嘘をつかないと決めてきたのだ。

「なんで。もしかして、嫌だったの」

 大きな目を細めて、彼女は訊ねた。まるで、浮気を疑う彼女のような表情をしている。

「いえ、実は・・・」

「あのさ、嫌なら嫌って言ってほしいな。遠慮されたりするの、私一番嫌いなの」

 箸をおいて、彼女は下を向いた。なぜか、勝手に進んでいって、勝手に落ち込まれている。

「いえ、そういうことではなくて・・・」

 いつも向けてくれる明るい眼差しとは対照的に、霞がかかっているように暗くなっていた。失望させてしまったのが伝わってきて、この時点で既に言いにくい雰囲気になってしまった。

「じゃあ、何なの」

 浮気を疑っている女性のように、言葉が重い。目を背けないので、視線が突き刺さる。私は一度大きく息を吸った。今日は何も言わないままで戻れはしないはず。覚悟を決めた。

「赤田さんと野球に行きたい気持ちは変わりません。でも、いや、だから、言わないといけないと思いまして」

 たどたどしくなってしまい、言葉に詰まる。

「どうしたの。何かあったの」

「実は野球に連れて行ってもらった際に、ファルコンズではなく、ツインスターズにはまってしまいました」

 意を決して、私は話し始めた。球場の演出に驚いたこと、その後の試合で由香里に出会って、更に好きになった話をすると、赤田さんの表情は少しずつ緩まっていった。

「そうだったの。じゃあ、今週末は行きたくないかな」

「いえ、ファンにならなかったのは事実ですが、赤田さんと野球にはいきたいです」

 嫌な話をしたと申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、予想外に彼女は明るくこちらを眺めている。

「いいの。ファンじゃない球場なのに」

「赤田さんといると、沢山わからないことも教えてくれますし、一緒に野球を見ていて楽しいです。むしろ、私の方がファルコンズのファンにならなかったのに、ご一緒をさせていただいていいのかと思っていまして」

 再び昼食に手を付けた彼女は、考えるように上を向いた。

「鹿島さんがいいのであれば、一緒に行きたいな。そもそも、どこかしらのファンになっているとも考えてなかったから」

「でも、今回は外野席ですよね」

「そうだけど、レフト側の方だからね」

 どういうことだろう。聞きたい質問に対して、中途半端な回答で止まってしまった。

「ああ、ごめんね。ライト側は立って応援している人が多いけど、レフト側は座って見られるから、まだファルコンズを知らない鹿島さんでも落ち着いて見られると思って」

 私の表情を察して、付け加えてくれた。優しい人だな。改めて感じた。

「私のことまで考えて頂き、ありがとうございます」

「当たり前だよ。鹿島さんと行きたいからチケットを抑えたのだから」

 そこまで考えてくれたなんて。気持ちが温かくなっていく。久しぶりに、自分に対して興味を持ってもらえたのが嬉しくして仕方ない。しかも、相手はあの赤田真帆さんだ。

 もしかして、夢でも見ているのか。

「あの、だからって強制するわけではないよ。予定とか考えずに空きがあったからチケット取っただけなの。隣空いてても、私気にしないから」

 気を遣って、彼女は訂正してきた。時折見せる焦った感じの表情が、たまらなく可愛い。目を左右に動かしていて、感情の波を素直に表現している。普段見る知的な彼女とのギャップに魅力を感じてしまう。

「そんな、むしろ行きたいです。ぜひ、一緒に行かせてください」

 ここまで受け入れて頂いたのであれば、行かない選択肢はない。それに、ファンにならなかったことについても、彼女は受け入れてくれた。

「よかった。じゃあ、集合場所とかは今日の夜にチャットさせてね」

 食堂であった時から一転して、明るい表情の彼女と別れた。

 休憩時間もあとわずかだったので、早足で階段を下りていく。私も足取りは軽くなっていた。不安で心にあったしこりのようなものが取れたので、気持ちは落ち着いている。

 考え過ぎはよくないな。改めて反省した。相手を過剰に考えて黙っている方が相手を心配させたり、傷つけたりしてしまうこともある。本音で話してもいい人には、きちんと気持ちを伝えようと思う。そうはいっても、そんな人間は片手で数えるほどしかいないのだが。

 赤田さんに関して、あんなに周りに人がいるのに、私なんかをわざわざ誘うのだろうか。そこだけは消えない疑問だった。

 この会社に長くいると、みんなの趣味くらいは訊く機会はいくらでもある。男性の多い会社だけに、野球が好きな人も多くいるのは以前から知っていた。以前参加したような上司ではなくとも、観戦に行ける人間はいそうなものだが。

 まだ気を遣ってくれているのか。普段から独りぼっちな私を見て、心配で放っておけないのだろうか。

 反省した直後に、また無駄に考えている自分がいた。

 やめよう。今は誘ってもらえた事実を素直にとらえた方がいい。週末を不安に感じないで、楽しめるように前向きにとらえることにした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ