由香里とのデート
由香里との待ち合わせは新宿にした。水道橋に行きつけのお店もないため、お店が多いという印象だけで選んだのだが、その安直な考えを今は後悔している。
とにかく、迷い続けた。そもそも、鉄道もピーク時間にすら一時間に二本の田舎で育った私にターミナル駅は迷路でしかない。
テレビでよく聞く場所なので、もっと万人を受け入れてくれる場所だと思っていたが、完全に見当違いだったようだ。
大学も都内では郊外のエリアにあったせいで、新宿にはほとんど足を踏み入れることはなかった。友達もそんな私を分かっていたからか、こういった都心の方が何か便利だったはずなのにこちらの地元に来てくれていた。
集合時間よりも早くついて、余裕のある大人であるアピールをしたかった。それなのに、しばらく下手なロールプレイングゲームのプレイヤーのように同じ場所を行ったり来たりして結局ついたのは時間ギリギリ。由香里の方が涼し気な表情で私を迎えてくれた。
「雪乃さん、こっちですよ」
大きく手を振ってくれた。前回と同じように、青いジーンズに白いTシャツにネイビーのカーディガンを羽織っていた。高校生のわりに派手さや幼さが無く、随分と落ち着いた雰囲気をまとっている。
「ごめんね、迷っちゃった」
「本当に分かりにくい駅ですよね。どちらに行きますか」
焦る私を落ち着けるように、彼女は相槌を打った。
「えっとね、この喫茶店にしようかなと思って。お腹空いている」
チャットに、お店の地図を送った。もう見栄を張るのはやめよう。一緒に迷わせるよりも、彼女に案内を頼んだ方がいい気がする。
「空いています。家で食べるべきか迷ったのですが、宿題が終わらずに結局何も食べられないまま来てしまいました」
長い髪をオレンジ色のヘアクリップで留めて、少しだけ化粧をしている。目鼻立ちが整っている美人で、すれ違う人の目線を気にせずに地図を見ながら歩き出した。
こんな友達が出来るなんて、想像できただろうか。
「口コミのナポリンタンがおいしそうですね。私パスタが大好きなので、お店に行くの楽しみです」
色々野球の質問をするつもりだったのに、それ以上に彼女のことも知りたい気持ちが生まれた。時間が足りるのか不安になる。
「由香里ちゃんは、高校ってどちらに通っているの」
無難な質問をした。彼女は表情を変えずに答えた。
「清心女学院という女子高です。本当は共学が良かったのですが、色々な事情でこちらに通うことになりまして」
「そうなんだ」
「もしかして、雪乃さんの出身は東京ではないですか」
歩きながら、こちらを振り返った。
「そうですけど」
違和感のある質問に、こちらも怪訝そうに返してしまった。
「いえ、高校の名前を出すとそれなりのリアクションをされるのですが、知らないのであればよかったです。その、調べないでくださいね」
そう言われると、調べたくなるではないか。しかし、その場で見るわけにはいかない。
「わかった。じゃあ、今日は野球の話をしようね」
私も最近まではコミュニケーションをとる仕事をしていたので、この辺りはわきまえていると自負している。本人が知りたくないことを掘り起こすほど鈍感ではない。
「気を遣わせてすみません。今はあまり話したくないことが多くて、いつか話せる日まではお時間をほしいです」
長くお付き合いをするつもりである意思を聞いた限り、関係を崩す行為はなるべく避けたい。
「うん、大丈夫。由香里ちゃんの話したいときに教えてね。そうしたら、今日はツインスターズのことで質問を沢山持ってきたから、沢山聞いちゃうね」
話が落ち着いたあたりで、お目当てのお店に到着した。西武新宿線の駅近くにある喫茶店で、混雑はしているがナポリタンが有名で、せっかくならおいしいものを食べたいと選んだ場所だ。
昼過ぎだったので、運よくすぐに座れた。ナポリタン二つにコーヒーとオレンジジュースを注文すると私はノートを出した。
「先日は、本当に楽しかった。改めて、いい席で一緒に観戦させてくれてありがとう」
「そんな、私も強引に誘ってしまったので。それに、こんなに仲良くしてもらってありがとうございます」
お互いにぎこちないお礼をして、同時に吹き出した。
「なんか、こんなに仲良くなるなんて思わなかったね」
「そうですね。でも、困っている私をためらわずに助けてくれた時から、いい人だなと確信していましたので、こうなるのは必然ですよ」
身を乗り出すように、彼女は言葉に力を込めた。
「ありがとう。私の方が年上になっちゃうけど、遠慮せずに何でも話してね。気を遣わせたくはないから」
「言われる前から、なんでも話してしまってごめんなさい。雪乃さんって優しい雰囲気だから、最初から遠慮をせずに話せてしまって」
年齢にかなり差があるはずなのに、話し方なのかそれをあまり感じさせない。年齢の近い友達のような彼女のおかげで、この時間を素直に楽しめている。
「じゃあ、よかった。そうしたら、色々教えてね」
忘れないように、メモをしたノートを眺めてから質問を始めた。
「えっと、まずはチケットの取り方を教えて欲しい」
ネットを見ていても、会員ページへのログインが必要になって進まなかった。ファンクラブに入るのが必要なようだが、全く経験のない素人の私が入るにはためらいが生まれていた。
「チケットは、ファンクラブに入らないと取れないですよ」
私の疑問を、直ぐに解決させた。
「やっぱり、そうなんだ」
「チケットサイトでも取れるのですが、ファンクラブは先行販売があるので、いい席を抑えたいならファンクラブに入るのがおすすめです」
そう言って、サイトを見せてくれた。ツインスターズのファンクラブは会費のかからないシングル会員から、年数経過した中から抽選で選ばれたトリプル会員まで三種類ある。
「お金はかかりますが、このタブル会員が一番いいかと思います。先行販売もありますし、年数経過で抽選も受けられますので」
「由香里ちゃんは会員なの」
「私はまだお金ないので、シングルです」
彼女は俯いた。私に勧めていながら、自分は違う会員だったので気持ちもわからなくもない。
「じゃあ、私はダブルで入会しようかな。一緒に行くときは、私が何とかするよ」
由香里が顔を上げた。困惑も浮かんでいる。
「お金かかりますよ」
「大丈夫、私社会人ですから。こう見えて、意外と給料も頂いているのよ」
そう言えば、私自身は彼女にどう見えているのか。
「雪乃さんは、どんなお仕事をされているのですか」
同じ考えだったように、彼女は訊ねた。そこで、お待ちかねのナポリタンが到着した。食べながら、私の仕事の話をする流れになった。
「私は、コンビニエンスチェーンの本社勤務だけど、そこで総務の仕事をしているの」
「内勤ってことですか」
「まあ、そうだね。事務手続きの書類の不備を確認したり、ファイルを整理したりね。その前は営業の方にいたのだけど」
内勤という言葉が素直に出てくるだけに、彼女は頭がいいのかもしれない。言葉遣いもきれいで、育ちの良さがうかがえる。
「営業から異動を希望したのですか」
これは、私にとっての嫌な質問。思わずフォークの手が止まってしまい、彼女が何かを察したように目を落とした。
「ごめんなさい。デリカシーがありませんでした」
「いいえ、普通は気になると思うからおかしくないよ。実は希望ではないの」
由香里はリアクションに困り、ナポリタンに手を付けながら私の次の言葉を待っている。高校生の由香里にとって、仕事のこういう悩みへのアプローチはさすがに経験ないのだろう。
「成績も出していなかったわけでもなく、上司とも信頼関係はあったと思うのだけど、突然の異動だったから実は心の整理はついていないの。これまで、毎日が空虚で仕事だけして過ごしていたから、仕事を取られて日々がつまらなくなっている時期でね」
一度水を口に含んだ。
「その中で野球観戦に出会い、由香里ちゃんに出会って何かが変われそうな気がした」
微笑み、彼女を見つめた。せっかくの休日を暗い話にしてはいけない。特に若い子に話しても意味のないことだ。
「辛かったのですね」
言葉少なに彼女は話した。わからないと言わず、極力わかろうとしている。それだけでも彼女の優しさは伝わった。
「いいの、今はこうやって時間も取れるようになったので、前向きに趣味に生きていこうと決めたから。だから、チケットも取って一緒に見に行こうね」
「はい」
彼女にも笑顔が戻った。ナポリタンも昔ながらの甘めの味付けで、二人とも満足だった。彼女から、ツインスターズの選手の話を聞きながら、スマートフォンで選手情報を見て勉強をした。
同じような顔に見えていた選手も、背景を知ると違いがわかっていく。ポジションや入団経緯など聞くと、それぞれの選手の性格や現在の立ち位置が知れていく。
選手にも人生があり、悩みも透けて見える。その姿に自分を重ねる意味も何となく分かった。
「華やかな球団だけど、選手も多種多様だよね」
「そうなんですよ。昔のイメージもあるから、各球団からいい選手を奪っているように見えがちですが、生え抜きの選手も頑張っています。だから、私も応援しているのです」
普段の姿からは想像もできない、前のめりで話す彼女が面白かった。彼女の熱のおかげで、選手のことが好きになれた。
「私ももっと知れるように、試合を見るようにするね」
「会員の方には会報誌も届くはずなので、情報は沢山得ること出来ます。焦らず、自分のペースで好きになれればいいですね」
「ありがとう。由香里ちゃんは、ファン歴は長いの」
「実は最近までは、父についていっているだけでした。父がファンで、誘われたからただ行っているって感じで。でも、見ているうちにはまってしまって、今では父のいないときでも一人でいくようになりました」
好きな父との会話をするきっかけに、一緒に野球を見に行っていたとの話だ。偶然誘われた私のように、みんな入りは様々なのだと改めて感じた。
「塾も忙しいだろうから、土曜日か日曜日に誘うね」
どこまでを知っていいのかわからないが、学校の話は無難なところでとめて質問をした。
「ありがとうございます。どうしても、平日は塾もありますから夜遅くなってしまって」
「そうか。部活は何かしているの」
「えっと、辞めました」
この質問も詰まった。先ほどの私のように、まだ話せるほど風化していないようだ。高校の話は、特に部活で何かあったようだ。
「そうか、じゃあ休日にチケットを取ってみるね。取る前に必ず連絡するから」
「ありがとうございます。雪乃さんがすごく優しくて、甘えてばかりです」
部活の話をせずに、早めに野球の話に戻した。そのためか、由香里の表情が変わることはなかった。
話したくないものは、話したくないはず。今の自分がそうなのだから、気持ちは十分わかる。仲良くなって話したくなれば話せばよい。
楽しい数時間はあっという間に過ぎた。大人びているとはいえ、未成年を長く連れ出すのは気が引けたため、ここでお開きにする流れにした。時計は午後の四時半を指している。
「あっという間だったなあ」
由香里が寂しそうにスマートフォンの時計を見て呟いた。
「また会おうね。次は球場で一緒に野球を見たいな」
「そうですね。行きたいです」
そのためにも、まずは家に帰って会員登録と使い方の確認だな。教えてもらったものは、なるべく時間をかけずにやってしまうのが身になる方法だ。
「由香里ちゃん、難しいかもしれないけど敬語で話さなくていいよ」
ここまで話せたので、私は試しに言ってみた。緊張はしたが、これからの付き合いでもっと距離を縮めたいと真剣に感じていた。
年齢は離れていても、彼女なら親友にだってなれるのかもしれない。淡い期待に、胸が高鳴っている。
「えっと、ありがとうございます。実は私も、そうやって考えていました。妹しかいないから、お姉ちゃんに憧れていて」
健康的な肌色が赤く染まっていく。
「でも、慣れていないので少しずつ変えていきますね。えっと、変えていくね」
出会って数時間で雪乃さんと呼んでくれたのとは打って変わって照れている。彼女が嫌でなければ構わないので、じっくり慣れていけばそれでよい。
「ありがとう、少しずつ関係も作っていこうね」
「うん」
逆に弟と姉しかいない私からしても、初めての妹のような存在に思わず頬が緩んだ。それと同時に、これは犯罪ではないよね、と心の中に何か不安が襲ってきた。
「そういえば、私の事って家族に話した」
後ろめたさが生まれたせいか、反射的に確認をした。
「はい、しましたよ」
全く気にしていないそぶりで、彼女は返事をした。
「親御さん、何か仰っていなかった」
「いや、特には心配していなかったかな。すごくいい人と話していますので」
そんな簡単な説明で信用してくれるものか。疑問は残る。
「心配されないようにしないとね」
「大丈夫ですよ。雪乃さんはいい人ですから」
こんなに信頼を受けるのもいかがないものか。そこまで、私は自分を明かしていない。彼女に言うのは気が引けるが、ここまで妄信的に相手を信頼していいものではない。
「雪乃さんと東京ドーム、楽しみだな」
「そうだね。チケット取れるように、頑張るからね」
由香里と約束をして、今日は別れた。
楽しい時間はあっという間。週が明ければまた仕事が始まる。でも、次の休みへの希望がある限りは頑張る気持ちが生まれてくる。
もっともっと、趣味の時間を充実させたいな。帰りの電車に揺られながら、初めて湧き上がってくる感情を私は楽しんでいた。