兄貴が泣いてる所為で街が沈みそう
ルリエルは相変わらず、青い目から涙を流している。外ではまだ轟々と風が吹いている音がする。兄を宥めてしまわなければ街が水没してしまう。
弟のジャックはとりあえず横に座ってルリエルを慰める。
愚図る兄の背をやさしく撫でてやる。
何故、成人した兄をこんな風にヨシヨシして慰めなくてはいけないのかと冷静になる自分がいるが、それは今は考えないようにしたい。
大体、ルリエルは涙を流す様な奴だったのだろうか。
「兄貴って泣くんだね」
「僕だって涙くらい出るよ。グスッ、ねえ、花嫁が攫われちゃった。聞いてくれる?」
「いいよ。攫われたって、誰に?」
この兄から花嫁を攫える様な者がいるのか。いかれた兄だが、魔法使いとしては上格の筈だった。と言っても、魔法が使えないジャックはその実力の軽重が分かるわけでないのだが。
しかし、魔法使いの兄から花嫁を攫うなど、そんなことが出来るのは魔法使い以外は考えられない。
「黒い魔法使い。どうしてあんな奴がここまで出てきた?海の底に居るんじゃなかったのか?うう、それにね、聞いてよ、ジャック!花嫁は、僕の見間違いじゃ無かったら、自分から奴のところに行ったんだ……うえぇん、僕、捨てられちゃった!酷い!酷い!」
「お、おう」
餓鬼かよ。ジャックは、そう思わずにはいられなかったが、今のルリエルの正直な気持ちではあるのだろう。ここで突き放しては、また癇癪を起こすに違いない。
「兄貴、行っちゃったのは仕方がないよ。うん、無理やり連れ戻しても余計に嫌がられると思う」
「じゃあどうすればいいの?黒の魔法使いは強い。勝てるかわからない」
「いやいや、それが駄目なんじゃん。何で黒の魔法使いに付いて行ったのか分からないけど、話も聞かずに殺し合いとか、そういうのが駄目なんだよ」
「魔法使いに交渉は無意味だよ」
「魔法使いには、だろ。花嫁のねーちゃんはちゃんと話できるだろ。何で出ていこうと思ったのか聞いてないの?」
「わからないよ!だって、黒の魔法使いが彼女を捕らえたから、すぐに取り戻さないといけなかったんだ!」
「いや、話しろよ」
「向こうに話をする気なんて無かったら、僕は、たぶん少しくらい千切れても平気だっただろうけど、花嫁は死んじゃうじゃないか!守ってあげないと!」
「ああ、うん、もうそれはいいよ。魔法使いのやり方がそうなら俺にはわかんねぇから。でも、ねーちゃんは話できるんだから、今度会ったら帰ってきてもらえる様に兄貴が、ちゃんとしてけばいいだろ?」
「ちゃんとって?」
「いきなり殺し合うとか、すぐ癇癪起こして嵐呼ぶとかやめる」
「うん」
分かっているのかいないのか、ルリエルが神妙に頷く。ジャックは続けた。
「もう少し自由にさせる。俺にも会えないようにしただろ。気付いてるからな。屋敷の中でずっと同じ道を走り回らされたし」
「だって、放っておいたら何処かに行ってしまうかもしれないじゃないか」
「それが息苦しいんだよ。そういう事するの、信頼してないからだろ」
「信頼?それはどうやったら出来るの?」
「人見りゃ分かるだろ、いや、兄貴にはわかんねえか。まあ、あれだよ、積み重ねだよ。一緒にいて色んな事したり、色んな話ししたりするだろ?それでこの人は大丈夫って分かってくるだろ……」
あまりうまく説明できなかった。
人間同士ですったもんだしていると、何となくこの人は信頼できる、というのが分かってくるものだがルリエルには、その経験がない。このニュアンスを説明するのは難しい。言葉を違えるとまた、花嫁を監禁しそうな気がする。
案の定、ルリエルは不服そうに言った。
「でも、居なくなっちゃったじゃないか」
「それは、まあ、そうなんだけど……兄貴は何でもやり過ぎだよ。もう少し、ゆっくり距離を詰めないとねーちゃんも吃驚するよ。最初はそんなに嫌われてなかったじゃん」
好かれてもなかったけど、という言葉は飲み込む。ジャックから見て、女は困っていたが、少なくとも嫌悪感は抱いていなかったと記憶している。
兄が無闇矢鱈と強引に近付こうとするから引いていただけで露骨に嫌な顔はしていなかった。
「き、嫌われてる?!僕、嫌われてるの!?」
「あ、いや、可能性ね、可能性」
「ウッ、酷いよ。こんなに頑張ったのに」
「それが駄目なんだろ。頑張ったから、振り向いてくれるって、兄貴のこと好きなって当然って思ってるのが駄目なんだよ。決めるのは、ねーちゃんなんだし。そこ履き違えてるから、ねーちゃん、ずっと困ってたじゃん」
「そ、そうなの?」
「そうだよ」
「じゃあどうすればいいの?」
「だから、ちゃんとねーちゃんはの事、見ないと」
「何時も見てたけど」
「いや、物理的に見てるとかでは無くて、ねーちゃんは何か好きで、何が嫌い、どういうことに喜んで何が哀しいのかとかもう少し考えてあげたら?兄貴のやってる事って、とりあえず金目の物をあげればとか、美味しいものを用意すればとか、そりゃ嬉しいけど、ねーちゃんが今欲しいのってそういうのだと思うの?」
「どういう意味だい?花嫁は喜んでいたよ?」
本当に分からないという顔をするので、ジャックは頭を抱えたくなったが、ここで放棄しては元の木闇である。
「あのさ、ねーちゃんは、一人で他所の世界から来たんでしょ?だから、何にも知らない訳。それをなんにも分かんないまま閉じ込めたら不安になるだろ。もっといろんな話をしてくれる人とか寄り添ってくれる人間とか必要だろ。どういう風にこの世界の人間は暮らしてるとか教えてあげないと可哀想だろ」
少なくとも、ジャックならばそうだ。ジャックの見立てでは、女は一般的な感性は持ち合わせているように見えた。
面白くなさそうにルリエルは答える。
「でも、ずっと僕が一緒にいるなら必要ないじゃないか」
「それを決めるの兄貴じゃねーから」
「でも、花嫁が他の人間と親しくしているのは嫌だよ」
「いや、それくらいは我慢しろ。じゃないと戻って来てくれても、また出て行かれるぞ」
「それはもっと嫌だよ!」
「なら、それくらいは出来るようになりなよ」
「はあ、仕方ないよね……」
「溜息つきたいのはこっちだよ」
なんて手のかかる兄なのだ。
ジャックは、少し問答するだけで疲れてしまった。なまじ、大概の事を成すことが出来る力があるだけに、幼子より酷い。これは女も出て行きたくなるだろう。
ジャックも時々なら耐えられるが、この兄とずっと一緒は辛い。初対面の女には相当ストレスだったに違いない。
ジャックは、この兄を宥めながら、女の気が変わって戻ってくれるのを待つのかと思うと気が重くなった。




