朝日と物臭
4月。はるか遠くにそびえる雲1つない青く遠い空の下、優しいそよ風が流れ、はらはらと静かに舞い散る桜の花びらの下、市川菜乃葉の叫び声が、8時も過ぎ、騒がしくなってきた住宅街に響いた。
「和樹ぃーーーーっ! あなた、やる気あるの!? 星ヶ丘高校という進学校に入学してきたくせに何よこれ! 春休みの課題、答え丸写しじゃないっ!」
「だってさぁ、高校生にもなって春休みの宿題なんて真面目にやってられるかっての。こんなの小学生まででいいんだよ。なあ、そう思うだろ、光?」
俺に会話が回ってくる。ここは2人がギャアギャア言い合っているところを見ている場面じゃないのか?
影になって。
実際、横の冬華もそうしているわけだし……
「まあまあ、しょうがない」
適当な答えを返しておく。
嵐は去るのを待つのみ。
静かに見ておこう。
しかし、菜乃葉は中立に立場が気に入らないのか、こちらにまで火をふるってくる。
「光、あなたもあなたよ。和樹と春休み一緒にいたのであれば、課題の進捗状況くらい聞けばいいのに」
「聞いたんだが、和樹はあらゆる課題の進捗状況を『良好だ』って返してきたんだ」
「だって良好だったもん。自分の中では。て言うか実際……」
「和樹、ちょっとあなたは黙りなさい。光、なんで和樹を信じたのよ? 結果、和樹、春休みの課題の『か』の字もしていないのよ? もっとしっかりしなさいよ。こうなったの、半分あなたのせいよ」
いや、絶対和樹を信じた俺のせいじゃない。誰がどう見ても和樹が悪い。
なぜ俺が怒られているのか。疑問を呈したいところだが、怖いのでやめておく。やっぱり自分の安全って大事だもんね。
全ての元凶で、怒られるべき存在である和樹は、俺を見捨て、飄々と反論を始める。
「聞き捨てならないなぁ。『「か」の字もしていない』だって? 僕はしっかりと春休みの宿題を全うしたよ。全てこなした。不正は一切していない。ただ、答えは全部わからなかったけどね」
「それが答え丸写しっていうのよっ! 何これ!? 解答欄空白で、全てバツにして赤ペンで答えの丸写しじゃないっ!」
菜乃葉はわなわなと震える手でノートを掴み、和樹のノートを彼に突き出した。
そして、鮮血の赤で赤に塗りつぶされたページを指し示す。
しかし、当の本人は反省の様子もなく、和樹は手を額に当てて、自信満々に自分の前髪に触れる。
「ふっ、気づいてしまったか。それが僕の実力なのさ」
言い終わると、髪を完全にかき上げて、目を細める和樹。
本人なりのカッコつけなのだろうが。
クソダサい。
これを本気でかっこいいと思っているのだから、余計にダサい。
「ククククククククッ」
横を歩く冬華が、笑いを堪えて、お腹を抑えている。が、顔が震えて全く笑いを隠せていない。
「知ってたわよ! あなたがバカだってことくらい! でも……ほんっとにもうっ! あなた、高校生になってどうなったのよ!
小学生の時は成績優秀で、中学生の時は、まだ平凡だったじゃない!
なのに、高校2年生にもなって、高校1年生の基礎的な部分でさえ何もできていないって!
地頭は結構いいのにっ!」
なのはが和樹に詰め寄りながら問いかける。
「過去は過去、今は今だ。過去に縋り付くのは良くない。あ、あれね、現在って書いて『いま』ってルビ振るタイプの『現在』ね」
「そんなことはどうでもいいわよっ! とにかく、真面目にしなさいって言っているの!」
「もう十分真面目さ。不真面目だなんて失礼な」
「もうっ。冬華、こんなのほっておいて、先に行こっつ!」
笑いを堪えていた冬華は、菜乃葉に手を引っ張られながら俺たちより先に高校へ向かっていった。
「追いかけなくていいのか?」
それを見ていた俺は、和樹に呆れながらも意味のないことを聞く。
「女の子のお尻を追いかけるのは、僕の趣味じゃないんでね。ていうか、なんで冬華は笑ってたの? あそこ、『わぁーっ! 和樹くん、かっこいいっ!』てなる予定の場面だったんだけど……?」
「なるわけねぇし、尻を追いかけるって、そういう意味じゃねぇよ。はぁ……。とにかく、あんまり菜乃葉を怒らせるなよ? あいつ、一応和樹のこと気にしているみたいだし」
「いやいや、あんなの怒っている範疇に入らないよ。春休みに何回か怪我する一歩手前まで怒られたし」
「どんなけ怒らしてんだ。課題くらい真面目にやればいいのに。せめてオンラインの課題はやったんだろうな」
「ああ、オンラインのやつはやったよ。提出もした。紙のほうはしょうがない。わかんなかったんだもの」
そう言ってスマホの課題提出一覧を見せてくる和樹。全て終了していた。
「まあ、オンラインのやつは答え合わせを学校側がやってくれるもんな……」
「はあ。疲れた。帰りたいーっ。憂鬱だ」
高校2年生になった最初の登校日だというのに、これだ。
あれだ、精神が小学生だ。
まあ、いつもの朝の風景であった。