小話5-2 ◇ 人生の休日を謳歌せよ(後編)
連載作品を投稿した記念に書きました。
第1部隊長ベイン流、長い長い待ち時間の楽しみ方。それに付き合わされるゼンとアスレイのお話。
よろしければ連載「駆け落ち聖女の懲役40年」とあわせてお読みください。
なお、こちらの小話は連載最終話の約1年前の小話になります。
「──あの!すみません!サイン貰えますか?」
「握手してください!」
「…………は?俺?」
今話題の王都南部の歌劇団。その看板女優【ナナリー】の、公演後の握手会。
彼女がゼンのウェルナガルド時代の友人か否か。真相を確かめるべく、我々三人は劇場の敷地内に設営されたテント奥へと向かった。……正確には、向かうために列に並んでいた。
現実で王国唯一の特級聖女【ユキア】と《駆け落ち》した男【ベイン】。
そんな奴が聖女の駆け落ちを題材にした歌劇を鑑賞し、さらにその主演の聖女役に握手を求めて張り切って行列に並んでいる。
…………悪目立ちしない訳がない。
当然、並ぶ前からジロジロと視線を集めていた上に、案の定ベインはすぐに、魔導騎士団のファンと思われる観客たちに声を掛けられた。
…………しかし。
「これ、【ナナリー】さんの握手会の列なんだけど。
そういうとこで別の奴にサインだの握手だの求めてくんの、おかしいよね。」
「えっ……?あ、あの」
「別に『歌劇団の人に失礼』とかイイコト言う気はないけどさ。
単純に。俺、いま目立ちたくないんだけど。どっか行ってくんないかな。」
「…………手遅れだろ。」
ゼンがボソッと横でツッコむ。
俺も同意だ。この状況で「目立ちたくない」といまだに思っているお前が理解できない。
俺はもちろん、人見知りのゼンでさえすでに「目立ってしまっているからもう諦める」という次の段階に進んでいるぞ。
お前も早くこちら側へ来い。
「……お前。もう少し態度を柔らかくしたらどうだ?」
俺はベインに声を掛けにきた女性客二人と、続けて声を掛けにくるつもりなのか少し離れて握手会の列を取り巻いている人々に気を遣って、そっとベインを諭した。
するとベインは、不満そうに俺を横目で見て反論してきた。
「は?何で?俺が握手会開催してるわけじゃないんだけど。
俺何か間違ったこと言った?非常識なのはあっちっしょ。休日にサイン書いて握手する義理ある?
ま、平日でもしないけどね。俺芸能人じゃないから。そもそもサインとかないし。握手とか何の意味もないし。」
「握手会の列に並んでいるお前が言うな。」
矛盾の塊のような発言に俺が思わずツッコむと、ベインは俺とゼンと声を掛けてきた女性客二人に向かって、気怠げな三白眼をスッと細めて言い放った。
「ゼンもアスレイも。お前らお人好しのクラウスとラルダに慣れ過ぎ。
んでもってお二人さんはさ、優しく笑顔で『ありがと〜』っつって握手してもらいたいんなら、大人しくこの【ナナリー】さんの握手会の列にでも並べば?ちょうどいいじゃん。
最後尾あっちだよ。」
「…………はい。」
「……すみませんでした。」
態度最悪のベインに列に並ぶことを勧められた女性客二人は、気まずそうな顔をしてベインが指差した方へと去っていく。
そしてその様子を見ていた他の客たちも、ベインの周りからスッ……と引いていった。
……ベイン。お前は今、確実にファンを失望させたぞ。
俺とゼンが残念な後輩 兼 部隊長のベインに呆れていると、10mほど距離を取られたところから、威嚇するように勇敢な客の一人に叫ばれた。
「こんなところで握手会にまで並んで──【ユキア】様がどう思われるか、考えないんですか!」
「は?うっざ。今ユキア関係ねーだろ。お前誰だよ。」
………………。
「ベイン。お前、アンチ製造機か。」
俺は居心地が悪いのを通り越して、ベイン……いや、魔導騎士団全体の好感度が心配になってしまった。
俺視点でのベインは、気取らない性格が憎めない、明るく愉快な元同僚だ。
しかし、こうして客観的に見ると……まあ、あまり感心できない発言や行動をしがちな人間ではあるな。
ゼンもかなり粗暴な言動をしがちだが、ゼンの方が対人関係においては安心できる。
たしかに目つきが悪く口も悪くすぐに蹴りを繰り出してくるものの、何だかんだで弟のユンを長年一人で育ててきただけあり、根底には常に思いやりと一定の配慮がある、面倒見のいい兄貴肌の人間だ。
実際、ゼンも場違いな要求をしてくる魔導騎士団ファンを嫌悪するタイプの人間だが、ベインと違ってゼンは面と向かって彼らを突き放すような真似はしない。
だが一方で、ベインはよく言えば素直で単純明快。悪く言えば思いやりの精神に欠ける。
まさに今のように、機嫌が良くないときや自分が納得いかない状況なときは、平然と威圧的な内容を言い放つ癖がある。さらにゼンの睨むような鋭い目つきとはまた違う、眠たげな据わった目つきも、また「ヤバさ」を増強している。
まあ……それもよく言えば「危険な色気」の一種なのかもしれないが……言動から「不健全で攻撃的」な印象が強く残ってしまいがちなのが勿体無い男ではあるな。ベインは。
女子生徒に「私はベイン様のファンだけど、裏で彼女殴ってそうだから実際の彼氏にはしたくない。」と酷い評価をされているのを聞いたことがあるが……要は、人によってはそういう印象を抱かれがちな雰囲気だということだ。
……だったら何故ファンでいられるのか。「遠くから見ている分には問題ない。遠慮のない物言いにスカッとする。」「むしろそういう尖っている感じが『天才』っぽくて好き。その上であえて優しくて甘ったるい香りの香水をつけてくれていたら、もう完璧。」らしい。ファン心理というのはなかなかに難しいものだな。
「こっから1時間待ちとか、居心地悪いにも程があるんだけど。次誰か来たらアスレイ対応しといてよ。」
「もう誰も来ないと思うぞ。お前の態度のせいでな。」
そうして俺とベインは、いつもよりも明らかに口数が少ないゼンに最低限の気を遣いつつ、何だかんだで開き直って久々の雑談を楽しみながら待ち時間を消費していった。
そしてやはり俺の読み通り、もうベインに声を掛けてくる者は存在しなかった。
◇◇◇◇◇◇
「おー。もうすぐだね。」
順調に列が進んでいき、俺たち三人はテントの中に入り、列の先にいる歌姫ナナリーを目視できるようになっていた。
「ゼン、自分で聞く?……っつっても、なんかやたらと回転早いし。見た感じ長々話してる余裕はなさそうだね。」
ベインがゼンの顔を横目で見ながら考える素振りをする。
たしかに列の先頭の様子を見るに、皆、割と早口気味に「劇すごく良かったです!感動しました!」もしくは「ナナリーさん好きです!これからも応援してます!」を伝えることしかできていないように見える。
なかなかシビアな時間制限だ。
これでは、ゼンがナナリーに知り合いかどうか確認するのは難しいだろうな。
俺と同じことを思ったのか、ベインはゼンがまだ頼んでもいないのに謎にやれやれといった表情で華麗なる計画を立てた。
「仕方ないな。……任せな。ここは俺が部下のために速攻でナナリーさんに確認してやるよ。」
先ほどから感情を押し殺すように静かにしているゼン。
そんなゼンが返事をする前に、ベインは堂々と一旦列を抜けて、何やら前方のスタッフに向かって話をして、また列に戻ってきた。
「入れ替え含めて一人当たり制限時間10秒だって。
だから俺らはまとめて3人で行かせてもらうことにした。これで制限時間30秒。……余裕だね。」
ベインは交渉の結果を俺たちに報告して、「本来は一気に3人っての、やっちゃ駄目なんだってさ。……面倒なこともあるけど、こういうときは有名人で得したと思うよね。スタッフに顔知られてて良かったわ。」と言って軽く笑った。
そうこうしているうちに列はサクサクと進んでいき、あっという間に先頭まであと2人──20秒になった。
果たしてゼンの心の覚悟はできているだろうか。
窺う余裕も無いままに、俺たちはあっさりと列の先頭に強制的に進めさせられた。
◇◇◇◇◇◇
「今日は来てくださってありがとうございます!」
もういい年齢のそれなりに威圧感のある男三人に向かって、まったく疲れを見せずに可憐な笑顔を魅せる歌劇団の看板女優【ナナリー】。
舞台上と発声法が違うためだろう。透明感のある伸びやかな美声とは違い、可憐ながら少し掠れた素朴な声が印象的だった。
舞台映えするようにかなりしっかりと化粧をしているが、もとの顔面も整っているのであろうことは容易に想像ができる。そして笑った目元の柔らかな印象が聖女役そのままに、彼女の清楚系女優の地位を決定付けていた。
彼女の声を聞いた瞬間、隣でゼンが一瞬身体を強張らせた気配がしたが、ベインはゼンの様子を窺うことなく聖女ナナリーに直撃していった。
ベインは彼女の差し出した手を笑顔で握り返しながら「あ、どうも。めっちゃ良かったっす。」と普通に感想を述べた。
そしてそのまま彼女と目を合わせて、握手していない方の親指を立てた左手でゼンをクイッと示しながら、即座に本題に入っていった。
「あの〜【ナナリー】さんって、元はウェルナガルド出身だったりします?
こいつ、ウェルナガルド出身の【ゼン】っつー奴なんですけど。ナナリーさん知り合いだったりしません?」
…………すると、
それまで誠意ある笑みを浮かべていた歌姫聖女ナナリーは、表情を消して呆然とした。
「………………ゼン……さん?」
まるで時間が止まったようだった。
その中で呟かれた彼女の一言で、ゼンは一体どういった感情なのか……読み取ることはできなかったが、息を呑んでその鋭い目を大きく見開いた。
「はい、時間です。お次の方どうぞ〜。」
俺たち三人は左側の出口に向かうよう、そっとスタッフに遠慮がちに右肩のあたりを押されて誘導された。
それを見た彼女はハッとして、慌てて俺たち──いや、ゼンに何かを言おうとした。
「あのっ……すみません、待ってください!私──」
「次の方〜。」
スタッフの手により俺たちがナナリーの前から流されて次の客がナナリーの前に来てしまったところで、ナナリーはゼンに向かって駆けつけて来ようとした。
「──私っ!【ナナリー】の従姉です!!
私、今あの子の名前を借りているんです!
あの……っ、お話をさせてください!貴方にお伝えしたいことがあるんです!!」
「ちょっ、──ナナリーさん!?」
スタッフの人たちが慌てながら彼女を引き止める。
次の客も、後ろに並んでいる他の客たちも困惑する中、ナナリーは必死にゼンに向かって叫んだ。
「待ってます!この劇場で!この後、絶対に待ってるので!スタッフの人に名乗っていただければ通れるようにしますので──」
「ナナリーさん!」
「っ、貴方たち、とりあえず出てください!」
俺たちはそうして、予想外の状況に混乱しながらも仕事をこなそうとするスタッフたちに背中を押されてテントの外へと追いやられた。
テントを出る直前に、背後から最後に
「待ってます!明日まで公演があるので──今日も!明日でも!待ってます!!」
という、彼女の必死の声がした。
◇◇◇◇◇◇
「…………従姉だってね。【ナナリー】は『芸名』だったってことか。」
ベインの直撃により判明した真相。
ゼンの見解は、ほぼ正しかったと言って良いだろう。
──本人ではないと思うが、似ているところもある気がする。
たしかに同性でほぼ同じ年齢の血縁者であるならば、若干の面影があるのも頷けるだろう。
テントから出たところで、それまで寡黙になっていたゼンが、緊張の糸を切らしたのか盛大に溜め息をついた。
「はぁ〜…………そういや、近くのでかい街に仲良い従姉いるっつってたな。アイツ。」
ゼンはボソッとそう呟いて、腕を組んで俯いた。
「………………行きたくねぇ〜……。」
俺とベインは、ゼンが続けて口にした消極的な言葉に静かに首を傾げた。
「何故だ?」
立ったまま項垂れているゼンは、俺の問いに沈んだ声で答えてきた。
「俺を知ってるっつーことは、アイツがあの従姉に俺の話してたっつーことだろ。
…………内容、予想つくから聞きたくねえんだよ。」
「…………ああ。そういう。」
俺とベインは何となく察した。
そして俺たち二人を代表して、ベインが哀れむようにそっと相槌を打った。
──亡き彼女の面影を持つ従姉から、10年以上の時を超えて、当時のゼンへの想いを語られる。
すでにラルダと結婚し、身を固めているゼンにとっては……まあ、心中複雑どころではないだろう。
「で、どうすんの?ゼン。」
ベインが尋ねると、ゼンはしばらく項垂れたままの姿勢で固まってから、先ほどと同じ沈んだ調子でこう答えた。
「……とりあえず王城行って、ラルダに話して──……その後、ユン呼び出してユンと二人で行ってくる。」
──妻に事前に報告し了承を得た上で、弟を連れて、一対一を避けて会いに行く。
配偶者のラルダを微塵も不安にさせない、完璧な良い夫だな。お前は。
…………場の空気の調整は全部ユンに丸投げするつもりだろうがな。
「いいんじゃないか?……今日はユンと一緒に思い出話に花を咲かせてこい。」
俺はゼンに気を遣いそう言ったが、ベインは笑ってこう言った。
「そうそう。どうせなら楽しんできなよ。
──んでもって、一日二日くらいなら『夫』を休業して『傷心休暇』を取ってもいいんじゃね?
明日と明後日、無断で休んでもいいよ。俺が適当に体調不良ってことで処理してやるから。
立ち直れたらまた元気に出勤よろしく。」
それを聞いたゼンは、普段よりも数段キレの悪い蹴りを無言でベインに繰り出した。
◇◇◇◇◇◇
そうしてテントを出て一連の話が終わり、視野を広げた俺たちはあることに気が付いた。
「………………最悪。」
普段から気怠げな目つきをしているベインが、より一層死んだような目をして吐き捨てる。
握手会場のテントを出た俺たち三人……いや、ベインへの嫌な注目は、今まさにピークに達していた。
先ほどの歌姫ナナリーとの握手会での会話。
俺たち視点では、ベインによるゼンのための華麗なる事実確認だったのだが、周囲からはそうは見えなかったようだった。
振り返ってみると、彼女が「ゼンさん」と呟いたのは俺たちの前で一度だけ。それも呆然としながら小声で、だ。
──となると、我々の後方に並んでいた客たちにはどう見えたか。
まず速攻でベインが積極的にナナリーに握手を求めに行き、俺とゼンの二人を差し置いて笑顔で彼女と握手を交わし長々と会話を繰り広げ──……その後、立ち去るゼン──ではなくベインに向かって彼女が「貴方とまだ話したいです!待ってます!今日また来てください!」と叫んで訴えていた──……
……そのようにしか見えなかっただろう。
「(あんな一瞬でナナリーさんを口説いたのか?!さすがの手腕だぜ!俺もいつかああなりてえ!)」
「(嘘でしょ?!こんな演目の聖女役の女優にまで手を出すつもりだなんて!見境なさ過ぎ!!)」
「(それか、もしかして……ベイン様はもう『聖女』っていう属性そのものが癖になっちゃってるんじゃない?ユキア様と別れて拗らせちゃったのね……可哀想……っ!)」
「(しかも駆け落ちした勇者側が振られるエンドで興奮したってこと?!それで聖女のナナリーさんに感謝を──?!高度な趣味ですこと!)」
「(ということは……やはり!この劇の脚本はベイン様の事実に基づいたものだったのか!ベイン様監修だったのか!)」
……などの囁き声がそこかしこから聞こえてきた。
「…………俺さ、別にイイ人だと思われたいわけではないんだけどさ。」
「……ああ。」「知ってる。」
「…………さすがにクソ過ぎると思わね?この状況。」
「……お気の毒に。」「何か悪いな。」
「本当。ゼンは俺に蹴り入れてないで、もっと感謝すべきだと思うんだよね。」
「その通りだな。部下のために自身の好感度をかなぐり捨てたお前の自己犠牲の精神には、俺でも涙を禁じ得ない。……礼を言え、ゼン。」
「ありがとな、隊長。さっきは蹴ってごめんな。謝るわ。……明日はお前も『傷心休暇』取っとけよ。」
俺たちはベインに一匙程度の同情をした。
今日はすでに嫌な注目は浴びきったと思っていたが……上には上があるものだな。俺の読みも甘かった。
聖女ユキアとの駆け落ちの事実もあり、見た目の印象もあり、王都劇場での一連の言動もあり──……観客たちに大変不本意な誤解をされてしまったベイン。
来週にはまた一つ、王都民の中でベインの新たな色恋沙汰の噂が流れて、ファンとアンチの二極化が進むことだろう。
俺とゼンは珍しく心が折れかけているベインに憐れみの目を向けながらも、収拾がつかなくなってしまったベインの評判を仕方なく放置することにした。
◇◇◇◇◇◇
ゼンの思いがけない収穫とベインの半ば自業自得な評判が目立った、本日の男三人の歌劇鑑賞。
嫌過ぎる注目の的から外れるために、俺たち三人はそそくさと王都劇場の敷地を出た。
そしてそのまま、開演前よりは若干元気が出てきたもののいまだ心中複雑そうなゼンを、俺とベインは温かく見送った。
「──……にしても。
ゼンは本当に真面目だな〜。まあ分かってたけど。
あんな夫ならラルダも安心だね。」
劇場から離れてしばらく適当な方向に歩いて、完全に人の目が無くなったところで、気を取り直してきたベインがラルダの非公表の夫ゼンを素直に褒めた。
それからベインは
「あ!そういや今更だけどさ。アスレイはアスレイで、子どももうすぐ産まれるんだっけ?
……みんな偉いな。良い夫してるわ。……月日が経つのは早いもんだね。」
と、感慨に耽りながら俺に質問をしてきた。
「もう産まれた。」
「え?マジ?おめでと〜!……いつ産まれたん?今、何ヶ月?」
「来週で5ヶ月になる。」
「早っ!性別どっち?」
「娘だ。」
「へ〜!そんで奥さんの方はもう大丈夫なん?アスレイこんなとこ来てて平気?」
「妻は先月から仕事に復帰している。本人が暇で仕方ないと言い出してな。
……俺は妻に『最近ずっと週末も家にいて調子が狂うんじゃないか』と言われて、今日は外に出てくるようむしろ促されてきた。
まあ、家には世話係も余るほどいるからな。俺がいてもいなくても正直何も変わらない。」
「奥さん相変わらずだね〜。アスレイの妻できるだけあって強いわ。感謝しときなよ、マジで。
……っつか、世話係を余るほどつけてるアスレイも親馬鹿っぽくて笑えるね。『正直何も変わらない』って言いながら5ヶ月家で娘を愛でまくってたわけか。」
先ほどまでの1時間では魔導騎士団関連の雑談が中心だったため、俺は今さらながら、久々に会ったベインにこの上なく平和で典型的な近況報告をした。
「俺、何も考えないでアスレイに声掛けちゃってたけど。問題なさそうで良かったわ。
アスレイも今日は束の間の『父親』休業日ってことね。
……いいね。存分に羽伸ばしとけば。」
「そういう言い方もできるな。」
俺が軽く相槌を打つと、色恋沙汰の残念な噂が耐えない男ベインは、しみじみしながら感想を漏らした。
「でもそこで『羽伸ばす』っつって他の女に走らないところが、ゼンやアスレイ──ってか魔導騎士団のみんなの素晴らしいところだよね。素直に尊敬する。
俺さ、ずっと『恋人や夫婦なんて、裏で浮気や不倫してんのが普通だ』って思ってたんだよね。そうでなくても1年もすればみんな冷めてるもんだと思ってた。
だから王都来て魔導騎士団入って、マジでびびったし感動した。『婚約者に一途』とか『円満な夫婦』って本当に存在するんだ〜って。
今もアスレイの話聞いて俺、割と感動してる。」
……まあ、価値観の形成には家庭環境が大いに影響するからな。
ベインがパルクローム領主の婚外子──要は不倫相手との間にできた子だという事実も、少なからず今の発言に繋がっているのだろう。
昔、ベイン自身から聞いたことがあるが……ベインは11歳になるまでは、両親間の慰謝料と訴訟の脅し材料にされながら母親のもとで育てられ、それからは係争に負けて親権を押し付けられた父親のもとで、ほぼ放置状態で育てられていたらしい。
実の両親と父親の正妻の崩壊した三角関係を、誰からも望まれなかった婚外子として幼い頃から見続けていれば──……そういった擦れた価値観になってしまうのも、致し方ないことではあるか。
…………それにしても。
「その価値観でよく《駆け落ち》までしたな、お前は。
駆け落ちこそ『一途な愛』の最たるものじゃないのか。」
俺が少々踏み込んでそう指摘すると、ベインは目を見開いて驚いてきた。
「え?そうなん?
俺ん中だと《駆け落ち》って、衝動的にやっちゃう『気の迷い』の最たるもんなんだけど。
現に今日の劇でも、最後は別の奴とくっついてたじゃん。大抵はそんなもんっしょ。」
…………俺はどこからどうツッコむべきなんだ。
お前、ファンの前でそれを言ってみろ。アンチ激増必至だぞ。
「……ベイン。まさかお前は、自分で『気の迷い』だと自覚しながら《駆け落ち》を決行したのか?
1年もしたら冷める前提だったのか。お前の思考回路は一体どうなっているんだ。」
俺が呆れながら尋ねると、ベインは
「ん〜……俺、アスレイと違ってそういうの説明すんの苦手なんだよね。」
と言ってぼーっと遠くを見て少し考えてから、ベインなりに素直な言葉をぽつりと口にした。
「実際、今でも『気の迷い』だと思ってんだけど。向こうもそうであってほしいし。
でも、まあ……読み誤ったんだと思うよ。俺が。いろいろと。」
……………………。
「お前の『読み』は人外に特化し過ぎだ。少しは『人の心の機微』を学べ。」
俺は何度目か分からない指導を後輩にした。
だがしかし……機微が欠けているからこそ、ベインは一線を超えた強さを手に入れたのだろうとも思うが。
──「痛み」や「死」に対する恐怖心。
魔物を前にすれば誰もが抱く人間として当然の感情を、ベインはほとんど持ち合わせていない。
ただ純粋に目の前の魔物の行動を読んで、パズルを解くようにその場で「最適の一手」を繰り出し続ける。
一見似たような天才肌でもゼンとは違い、ベインに「様子見の一手」は存在しない。何故ならば、この男には戸惑いも躊躇いも無いからだ。
「最小限の被害で魔物を倒す」ための最短ルートを迷いなく一気に駆け抜ける。第1部隊員からすれば、ベインはこの上なく頼もしく恐ろしい統率者だ。
理性のある人間が抱く複雑な感情を排除して、相手を本能的に理解する。
戦闘においてはたしかに優秀な性質だが、こと恋愛においては……事故が起きる気しかしない性質だな。
事情はよく知らないが、恐らくベインは、虚しい冷めた価値観を持ちながら「最適の一手」として《駆け落ち》を躊躇いなく選択して──……
その結果、1年どころか彼女が逮捕されて9年経った今でもまだ、自分と彼女の「気の迷い」を理解しきれずにいるのだろう。
──「幸福」や「生」に対する執着心。
──……自身に向けられる「好意」や「愛情」に対する喜び。
ベインはこれらも、ほとんど持ち合わせていなかった……いや。単純に、知らなかったようだからな。
少なくとも、実家のパルクローム領主家で父親と正妻とその息子に虐げられ放置され続けていた、およそ11年前までは。
俺の指導を受けたベインは心底不満そうな表情で、何度目か分からない同じ返しをしてきた。
「アスレイにだけは言われたくないんだけど。自分のこと棚に上げんなよ。」
◇◇◇◇◇◇
「──で、どうする?この後。
せっかくの『父親』休業日なんだし、アスレイの行きたいとこにどこでも付き合うよ。
早いけど飯にしてもいいし。」
時刻は午後の4時ちょうど。
夕飯にするにしては早過ぎるが、まあその気になれば胃に入らないこともない。
酒に弱いゼンが離脱したことだ。久々に酒に強いベインと二人で、ワインの飲み比べが楽しめる店に行くのも悪くはない……が、
「そうだな。……どうせなら今から陽が落ちる前にギルドに行って久しぶりの実戦でも楽しむか。
当初の予定通りでいく。もともとそのつもりで装備服を着てきてしまっているからな。夕飯はその後だ。」
俺の案にベインは素直に乗ってきた。
「お、いいね〜。アスレイと俺の二人だけで狩り行くの、何気に初じゃね?」
「お前は一度武器を取りに帰るか?」
俺が手ぶらのベインを見てそう尋ねると、ベインは余裕の笑みを見せた。
「いや、いい。面倒くさいから。このままギルド行っちゃおうよ。
ギルドの武器装備屋で適当に安い大槌買ってく。大槌が無かったら戦棍か……最悪、剣でもいいかな。」
「……やれやれ。ゼンも、ベインも。ギルド育ちの天才肌の奴らは俺たち王都貴族の理解を超えるな。」
俺が素直に感心した。
ここまで才能の差を感じると、嫉妬する気すら起きない。
「俺からしたら、アスレイやラルダたちの方が意味分かんないけどね。
アホみたいに金持ってる貴族や王女様のくせに、わざわざ魔物の前に喜んで出てってさ。
ぶっちゃけ変態の巣窟だよね、王国魔導騎士団って。」
「否定したいところだが、反論が思いつかないな。許してやろう。何とでも言え。」
ベインの失礼な感想に俺がそう返すと、ベインは今度は悪そうな顔になって俺を煽ってきた。
「そんじゃ、早速行くか。アスレイ。
引退してから3年?4年は経っちゃったっけ?腕鈍ってない?平和な依頼にしとこうか?」
「鈍っていないと言えば嘘になるが、期待外れとまではいかないはずだ。
お前と二人きりで魔物を追って山を駆けるなど、二度とない機会だろうからな。今日は存分に実戦魔法を満喫するぞ。
俺の鈍り具合を読んで、お前は適当に立ち回ってくれ。」
男二人。衆目を離れ、日頃の己の役割を忘れて。
束の間の人生の休日を謳歌するとしよう。
そうして俺は、普段とは違う戦棍を手にしたベインとともに、一日限りの野良冒険者へと転身した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
前書きにも書きましたが、ベインは連載「駆け落ち聖女の懲役40年」の登場人物です。
ファンにもアンチにも遠慮しない彼のような作品ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
(ちなみにベインの「アスレイにだけは言われたくない。自分のことを棚に上げるな。」発言がどこから来ているかは、小話1-2「国民感謝の打合せ」でご確認いただけます。)




