小話2-6 ◆ 侍女の私の使命感
連載作品を投稿した記念に書きました。
ユンとセレンディーナの平和な凸凹恋愛模様と、そんな二人を見守る、また別の二人のお話。全6話(執筆済)。
よろしければ連載「御主人様は悪役令嬢」とあわせてお読みください。
「じゃあ、今日はありがとうございました!
晩飯までもらっちゃって。長々とお邪魔しました。」
外もすっかり暗くなった夜の8時。
約6時間に渡る「御主人様の初めてのお部屋デート」と「侍女の私の初めてのご婚約者様接待」が終わろうとしていた。
結局、後半3時間はアルディート様もずっとご一緒だったからデートって感じではなかったけど……まあ、それもまたいい過ごし方だよね。これから先も、また何回でもこういう日はやってくるんだし。
私は御主人様とアルディート様と一緒に、ユンさんをお見送りするためにお屋敷の外へ出て、正門へと続く道のところまで来ていた。
今日はいろいろあったけど、ユンさんも笑顔だし、アルディート様も話したいことはお食事中に話せたようだったし、私も侍女としてだけじゃなく普通に輪に混ぜて楽しませてもらっちゃったし。いい一日になったんじゃないかな!うんうん。
私がそう思っていたら──……急に、静かに声も上げずに、ユンさんの隣にいた御主人様がそっと涙を流し始めた。
「エ゛ッ?……何でですか?」
御主人様の突然の涙に気付いたユンさんが困惑する。
…………あっ、そういえば。
私は御主人様の涙の意味を察した。
そうでした。そういえば今日、御主人様はユンさんの前で笑う予定でした。
前半3時間は見てないから分からないけど、少なくとも後半3時間では、たしかに御主人様、笑ってなかったかも。ツンツンしつつ楽しそうにはしてたけど。……でもツンツンしちゃってたからなぁ。うん。
アルディート様は私と違って御主人様の今日の目的は聞いていないはずだけど、双子の勘なのか御主人様の涙の意味を一瞬で察したようで、やれやれといったように困ったような顔をした。
この場で唯一まだ察していないユンさんが、困惑しながら御主人様に尋ねる。
「あのー……すみません。俺、何かしちゃいましたか?」
心当たりが無いなりに申し訳なさそうにするユンさん。それに対し、御主人様は弱々しく首を振った。
「違うの。違うのよ。……っ、でも、でもわたくし、今日もまた上手くできなかった。
自分の部屋ならば自然に笑えると思ったのに……また貴方にキツく当たってしまっただけだったの。わっ……わたくしは最低だわ。」
そう言ってぐすぐすと泣きながらハンカチで顔を覆う御主人様。
こんな姿を人前で隠す余裕すらないなんて。自分のことを「最低」だなんて言っちゃうなんて。
高等部の頃にも思ったことだけど──……やっぱり本当に、ユンさんだけは特別なんだな。
御主人様にとっては、こんなにも深刻な問題なんだ。「ご婚約者様の前で素直に笑えない」っていうことが。
私の認識がまだ甘かったかも。御主人様……ここまで思い詰めていたんだ。
でも、神妙になる私とは違って、メソメソする御主人様を見たユンさんは露骨に不満そうに口を尖らせた。
「えぇー???
もしかして、今日お部屋に呼んでいただいたのって、そういうことだったんですか?
……っていうか、セレンディーナ様。もしかしてこれからこうやって毎回泣く気ですか?」
……………………うん。
まあ、それもそうですよね。
私はセレンディーナ様お付きの侍女として今一瞬ちょっと神妙な感じになっちゃいましたけど。ユンさん目線では完全にそうですよね。
あの、ごめんなさい御主人様。
恋に不器用な御主人様を応援したい気持ちは山々なんですけど……でもぶっちゃけ、今かなり「めんどくさい女」になってますよ。
一回くらいなら「こんなことで泣いちゃうなんて。可愛いなぁ、もー。」って思えますけど。繰り返されるとさすがに鬱陶しいというか……毎回毎回、何も悪くないのにデートの最後にいきなり泣かれるのは……はっきり言って、うざったいと思います。
ユンさんが面倒くさそうな顔を隠しもせずに、アルディート様の方を見る。
アルディート様も何だか呆れたような顔をして、ユンさんの視線を受け止めていた。
お二人の無言のアイコンタクト。
(……ねえ。もう後はアルディートに任せて帰っていい?毎回こうなるの、さすがにしんどいんだけど。ちょっと双子の兄として、次までに何とかしといてよ。)
(うちの妹が本当にすまないな、ユン。……でも、僕にもできることとできないことがあるから。悪いけどユン、フォローしてやってくれないか?)
私はそんな聞こえないはずのやりとりを、不思議なことにはっきりと聞き取れた。
無言のアイコンタクトで応酬を続けること数往復。
先に折れたのは、どうやらユンさんのようだった。
アルディート様から視線を外して、目の前で涙を流す御主人様の方へと向き直った。
……呆れたように眉を下げて、優しく、柔らかく笑いながら。
「…………セレンディーナ様。
別にいいですって、もう。そんなにいちいち気にしないでください。
俺、今日とっても楽しかったですよ?セレンディーナ様はどうでしたか?楽しかったなら、それで良くないですか?」
御主人様は涙を一生懸命ハンカチで拭いながら、デートの最初では上手く言えていなかった飾らない本音を伝えていた。
「……わたくしも楽しかったわ。今日はユンが来てくれて嬉しかったの。」
ユンさんはそんな御主人様の言葉を聞いて、にっこり笑って頷いた。
「そうでしたか。よかったです。
いつもみたいに外に出掛けるのもいいですけど、こうしてのんびり過ごす週末も悪くないですね。またお部屋に呼んでくださいね。」
そして御主人様の涙が引くのを待つユンさん。
さっきアルディート様とは面倒くさそうに視線でやりとりしていたものの、今こうして御主人様と向き合うユンさんには、その気配はもうなかった。
すっかり暗くなった夜の空の下。
公爵邸の明かりがギリギリ届く、ほんのりと明るく照らされた正門へと続く道。生暖かい風が吹き木々の葉が擦れ合う音が微かに聞こえる。
そんな穏やかな空気の中、そう何分も掛からないうちに御主人様は落ち着いてきたようだった。
ユンさんはしばらくそれを静かに見守っていたけど、不意に何かを閃いたようで「あ、そうだ!」と声を上げて、チラッと私とアルディート様を見てから、御主人様にコソッと耳打ちをした。
その何かを聞いて、一気に目を見開いて顔を真っ赤にして「ユンっ!!」と焦ったように怒った声を上げる御主人様。
そんな御主人様を見て、ユンさんは「よかった!完全に涙、止まりましたね!」と言ってけらけらと笑った。
──なんだ。全然心配いらなさそう。
私はアルディート様と並んで、少し離れたところにいる御主人様とユンさんのご様子を見守りながら感慨に耽った。
ユンさんが今、何を言ったのかは分からないけど。
御主人様が今、何にそんなに焦って照れているのかは分からないけど。
今の御主人様、とにかく、とっても幸せそう。
……よかった。
私が何かいちいちサポートなんてしなくても、御主人様とユンさんのやりとりにいちいちヒヤヒヤしなくても──お二人はちゃんと、仲良くやっていけているんだ。
御主人様にちゃんとした婚約者様ができた今はもう、侍女の私にできることなんて……ここには何もないのかもしれないな。
そんな風に考えていたら、不意に、私の隣に立っているアルディート様が静かに話しかけてきた。
「セレナがこうして今ユンといられるのも、エリィさんのお陰だな。……ありがとう、エリィさん。」
「……えっ?」
突然の感謝のお言葉に戸惑う私。
私の間抜けな反応を聞いたアルディート様は、そんな私の顔を見て苦笑した。
「覚えているかな?エリィさん、一度だけ僕に相談をしてくれたことがあるだろう?『侍女として、無自覚に恋煩いをしているセレナのことが心配だ』って。」
「……はい。覚えています。」
高等部3学年の頃。
一介の侍女のくせに出しゃばって、御主人様の片思いを何とかしようだなんて考えて、浅はかな行動に出た……あのときのことだ。
私はそのときの自分のことを思い出して、少し恥ずかしくなりながら頷いた。
「あのとき、たしか僕はエリィさんにこう言っただろう?
『セレナに恋心を自覚させるつもりはない。どうせ叶わない恋なら、気付かないまま終わらせた方がいいと思っている。』って。
実はさ、僕は本当に、最後まで口を出すつもりはなかったんだ。
セレナには何も言わずに卒業して……それで、セレナが後から気付いて傷付いたりしないように、ユンにも迷惑をかけないように、僕も卒業したらユンとは疎遠になる覚悟をしてたんだ。
……双子の片割れの僕だけがユンと変わらずに友人でいることは、正直、難しいだろうと思っていたから。セレナの恋心だけじゃなくて、僕の友情もそこで終わらせなきゃいけないんだろうなって。」
「……そうだったんですか。」
「でも最後の最後で、僕は考えを変えたんだ。
──卒業パーティーの会場にパートナーも連れずに、侍女の一人も連れずに来て……いるはずのない平民のユンの姿を必死に探しているセレナを見て。
そのときに、セレナを心配してくれていたエリィさんのことを思い出したんだ。
『ああ、今のセレナにはもう、セレナを心配して側にいてくれる侍女のエリィさんもいないんだ。このまま終わってしまったら、セレナは本当に独りぼっちになってしまうんだ。』……って、そう思った。
だから、僕はセレナに声を掛けたんだ。
『お前はユンが好きなんだろ。だったら最後にちゃんと想いを伝えてこい。』って。
もしエリィさんがセレナの侍女じゃなかったら……エリィさんのあの相談がなかったら、多分僕は、最後まで黙ってすべてを終わらせてしまっていたと思う。
セレナと僕と、ユンの関係をすべて。」
「………………。」
私はセレンディーナ様お付きの侍女。
だからセレンディーナ様の考えていることは、すべてではなくても、ある程度は察せているつもり。
──でも、その双子の片割れのアルディート様の考えていることは、今この瞬間まで何も汲み取れていなかった。
私はこれまでに御主人様の、レックスの──いろんな人の人間臭い一面を見る度に「ああ。貴族令嬢、貴族令息って言っても、決して完璧なんかじゃない。みんな私と変わらない、同い年の人間なんだ。」って、何度も何度もハッとさせられてきた。
それでもまだ、私はアルディート様のことだけは、心のどこかで「私とは次元が違う『完璧なご令息』」だと思ってた。
アルディート様だけは常に絶対に正しくて、何でもそつなくこなせる気がしてた。
年齢なんて関係なく、すでに完成された人。人間臭さなんて微塵もない、すべてを達観してる人。……そんな風に、どこか無意識に感じてた。
アルディート様が「周りに自分自身を見てもらえない。『四大公爵家のアルディート・パラバーナ』としてしか見てもらえない。」ってずっと辟易していたことは、知識として知っていたはずなのに。
私はまた改めてハッとさせられた。
そして今ようやく、アルディート様の、等身大の同い年としての姿が見えた気がした。
──御主人様は「完璧で傲慢」な悪役令嬢様だけど、裏ではとっても努力家で、自分の恋心にすら気付けない「真面目で不器用」な女の子だった。
対してアルディート様は、双子の片割れでお顔はそっくりなんだけど、中身は全然違うと思ってた。……でも、もしかしたら、そんなことはないのかも。
──アルディート様は「完璧で善良」なヒーローなんだけど、裏では何とか上手くやりきろうとして、自分の本心すら殺しちゃう「真面目で不器用」な御方かも。
アルディート様が、使用人たちと御主人様の間に立って何とか双方をフォローしようとする姿を、私はこれまでに何度も見てきた。
私はずっと「アルディート様は人格者だな〜。御主人様と双子で大変そう。」なんて呑気に思っていたけど。
……でも本当はアルディート様も、器用になんてできなくて、いっぱいいっぱいで辛かったのかも。
大切な妹がこれ以上周りに嫌われてしまわないように、僕が上手くやらないと。癖の強い妹の分まで、自分がパラバーナ公爵家の人間として好感度を稼いでおかないと。……そんな使命感が常にあったのかもしれない。
そんなアルディート様にようやくできた、気兼ねなく話せて尊敬できるお友達。妹のことも嫌わずに、笑って普通に接してくれるお友達。
それが高等部1学年のときのユンさんで──そのユンさんに、よりによって御主人様が惚れちゃったんだ。
御主人様みたいにこうやって泣いたりはしないけど、本当はアルディート様も、どうしていいか分からなくてずっと泣きたかったんだろうな。
大切なお友達のユンさんを困らせたくない。
自分の半身のような双子の妹を悲しませたくない。
──僕はただ、妹の恋を応援したいだけなのに。ただ、ようやくできた友達と、ずっと仲良くしていたいだけなのに。
そんな当たり前のことすら、簡単なことすら……「四大公爵家のアルディート・パラバーナ様」には、難しくて難しくて、頑張っても上手くできなかったんだ。
二人のそれぞれの気持ちを知っているのは自分だけ。何とかできるのは自分だけ。そんな中で悩んで悩んで、御主人様とユンさんの両方を傷付けないような落とし所を見つけようとして──自分自身の「ユンとずっと友達でいたい」っていう、当たり前でささやかな願いを殺してしまおうとしていた。
御主人様は人前で素直になるのが下手だけど……アルディート様もそこはそっくり同じなんだろうな。
二人とも、四大公爵家子女としての理想を体現しようとして、自分の弱い部分を隠していいところだけを見せようとして頑張っちゃう。
御主人様が高飛車な態度になって孤立しちゃいがちなのに対して、アルディート様の場合は、妹を守りながらみんなにいい顔をし続けようとした結果……誰にも頼れなくなって一人で抱え込んじゃうんだ。
四大公爵家の後継ぎっていう、同い年の中では誰よりも高い地位にいるから。他の貴族のご令息たちよりも。双子の妹の御主人様よりも。
だから「誰か助けて」「僕はどうすればいい?」「何かアドバイスが欲しいんだ」って素直に口に出すっていう発想が、そもそも頭にないのかもしれない。
きっと「僕が答えを出さなきゃダメなんだ」「僕が最後には決めないと」って、生まれながらに、もう先入観のように思い込んでるのかもしれないな。
私はそんなことを考えながら、今さっきの光景を思い出した。
アイコンタクトで、泣いている御主人様をお互いに押し付け合うユンさんとアルディート様のことを。
……よかったですね。アルディート様。
アルディート様はまだまだ四大公爵家の後継ぎっていう、重すぎる責任と将来を背負っている。
でも、大切なお友達のユンさんが御主人様の婚約者っていう立場まで来てくれたことで……少なくとも御主人様のことに関しては、少しずつ素直に言えるようになってきてるんだ。
「助けてくれ、ユン。」「何とかしてやってくれないか。」って。
きっと、アルディート様はそれだけでも、今はだいぶ楽に息ができるようになっているんだろうな。
私がそんなことをしみじみと思っていると、アルディート様は最後に、私にこう言ってきた。
「前に言ったのと真逆なお願いになってしまうけど……エリィさん。
よければこれからも……君が侍女でいてくれる残り1年の間だけでも、セレナに何かあったら遠慮なく口出ししてやってくれないか。
エリィさんなりに、セレナのことをサポートして支えてやってほしいんだ。
……どうやらセレナは、僕が思っていたよりも何倍も不器用らしいから。」
さっきは「今さら侍女の私にできることなんて何もない」なんて思ったけど。
まだまだ御主人様の侍女として、私にもできることはあるのかも。自分が思っていたよりも、御主人様と──それから御主人様の片割れのアルディート様に、「同い年の人間」として何か貢献できるのかも。
一介の侍女でありながら、滅多に他人に頼らないアルディート様にこうして頼りにしてもらえたことを嬉しく思った。
そしてその嬉しいお言葉に、私は笑って頷いてお答えした。
「かしこまりました。
お任せください。アルディート様。」
私が侍女でいられる期間は、あと1年。
全力でお支えさせていただきます。
完璧そうに見えて意外と裏では不器用な、パラバーナ公爵家の双子のご兄妹を。
◆◆◆◆◆◆
御主人様のご婚約者のユンさんは、御主人様が泣き止んだのを見届けた後、もう一度にっこり笑って別れの挨拶をしてくださった。
「では!今日はありがとうございました!
セレンディーナ様もアルディートもエリィさんも、明日からエゼル王国、いってらっしゃい!
お気をつけて。楽しんできてくださいね!」
そうしてくるっと踵を返して、正門の方へと向かっていくユンさん。
私はユンさんの背中を見てお見送りをしていたはずなのに、いつの間にかユンさんの姿は闇に紛れてスッと消えてしまっていた。
「さて、じゃあ戻ろうか。
僕たちも明日に備えて早めに寝ておかないと。」
アルディート様が公爵邸の明かりの方へと歩き出す。
──これにてようやく、本日の御主人様のご婚約者様の接待終了。
私は御主人様とともにアルディート様の後について邸内へと戻りながら、今日の残り業務と明日の準備のことへと頭の中を切り替えた。
久々の投稿を覗いてくださった方、長い連載をここまでお読みくださった方、ありがとうございました。
前書きでも触れましたが、こちらの後半3話は連載「御主人様は悪役令嬢」に登場するエリィ視点のお話となっております。
エリィとセレンディーナが築いてきた関係性が気になる方は、そちらもぜひ覗いてみてください。




