小話2-5 ◆ 侍女の私の敗北感
連載作品を投稿した記念に書きました。
ユンとセレンディーナの平和な凸凹恋愛模様と、そんな二人を見守る、また別の二人のお話。
全6話(執筆済)で基本毎日投稿の予定です。
よろしければ連載「御主人様は悪役令嬢」とあわせてお読みください。
現在、私がお仕えしている御主人様【セレンディーナ・パラバーナ】様は、ご婚約者の【ユン】さんを、初めて自室にお招き中。
ご婚約者様に今日こそ笑顔を見せたい御主人様は、今ごろきっと不器用ながらに奮闘中。
そして侍女である私は、この後またお声が掛かるまで、使用人専用の休憩室の一つで待機中。……全身を脱力させながら。
あ〜もう、自分でも自分の気持ちが分からない。
御主人様の可愛らしい健気な恋を応援したいからこそ、すぐにでも助っ人として呼ばれることを期待している気持ちが半分。
でも、ユンさんと御主人様のやりとりがあまりにも危なっかしいせいで、もうユンさんがお帰りになる瞬間まであの空間に呼ばれたくない気持ちが半分。
そんなところかな。今の私は完全に五分五分の状態。
……はぁ。
さっさと御主人様、ユンさんの前で素直に「ニコッ!」て笑ってくれないかな。この2時間半くらいの間に、目標達成してくれていればいいんだけど。それでもって、私の存在なんか忘れちゃうくらいに甘〜い空気になっててくれたりしないかな。
………………落ち着かない。
私はなんとなく……勘だけど、そろそろお呼び出しされそうな気がしたから、御主人様のお部屋の扉が見える位置で待機をすることにした。
……まあ、この休憩室にいてもいいんだけど。
他の使用人経由で「セレンディーナ様が呼んでますよ」って教えてもらえるだろうから。移動なんてする必要はないんだけどね。
でも、今日は特別。御主人様のことが気になっちゃって、うまく大人しく座っていられない。
私はそわそわしながら御主人様のお部屋の前の長い廊下の端にそっと立って、様子を窺うことにした。
◆◆◆◆◆◆
………………何分経ったんだろう。
さすがに気が早すぎたかな?
御主人様のお部屋の扉からはけっこう距離があるから、お部屋の中の音はここからじゃ何も聞こえない。
だから、お部屋の中の様子なんて全然分からない。
さっきからちょくちょく他の使用人仲間が通り過ぎる度に、亡霊のように静かに廊下の端に立っている私に一瞬だけギョッとして、でもすぐにそれから無言で「……ああ。今日はセレンディーナ様のご婚約者様がお部屋にいらしてるんだっけ。お疲れ様です、エリィ。」みたいに納得した顔をして去っていっている。
そうしてこのフロアの使用人たちの間には、緩やかにお嬢様を見守るなんとも言えない温か〜い空気が流れだしていた。
そんな中、この温か〜い空気の廊下に、使用人以外の人物が不意に現れた。
「──!?
……ああ、エリィさんか。びっくりした。
どうしたんだ?こんなところで。」
亡霊状態の私にお上品に驚きながらも他の使用人たちと違ってお声を掛けてくださったその御方は、御主人様の双子の片割れであるお兄様──今日は所用で外出しておられた、【アルディート・パラバーナ】様だった。
「おかえりなさいませ。アルディート様。」
私はアルディート様にご挨拶をしてから「本日は御主人様のお部屋に、ご婚約者様のユンさんがいらしているんです。御主人様からそろそろお声が掛かる頃かと思いまして、私はこちらで待機させていただいています。」と簡単に説明をした。
すると事情を聞いたアルディート様は「ああ、なるほどな。」と言って笑ってから、御主人様のお部屋の扉の方を見ながらこう呟いた。
「そうか。ユン、来てるのか。
……まあ、邪魔しちゃ悪いとは思うけど。いるなら僕もユンに話したいことがあるんだよなぁ。帰る前にちょっとだけ話せたりしないかな。」
私はその呟きを拾って、アルディート様に「でしたら、ユンさんがお帰りになる際に、私からお声掛けしましょうか?」と提案した。
すると、次の瞬間──
──ガチャリと扉の開く音がして、少し離れた扉の向こうから、ひょっこりとユンさんの顔が出てきた。
「アルディート!おかえり〜。」
それからユンさんは部屋の中を振り返って、何かをセレンディーナ様にお伝えして、軽快にタタッとこちらに駆けてきた。
「ちょうどよかった!
セレンディーナ様も『そろそろエリィを呼ぼうかしら』ってさっき言ってたんだ。二人とも来る?」
そう言ってニコニコしながらコテンと首を傾げるユンさん。
あまりにも自然に出てきたユンさんに私がキョトンとしていると、アルディート様が驚きながらユンさんに話しかけた。
「相変わらずすごいな、ユンの地獄耳は。さすがに聞こえないだろうと思ってたんだけど。」
──えっ?!ユンさん、もしかしてさっきのアルディート様の呟きを聞いて出てきたの?!どういうこと?!
アルディート様の感想を聞いたユンさんは苦笑した。
「いやいや。別に地獄耳じゃないから。あんなの素で聞き取れるわけないじゃん。たまたま今、聴覚強化魔法使ってただけだよ。
さっき言ったように、セレンディーナ様がエリィさんを呼ぼうとしてたからさ。外に誰かいるかなーって思って。」
それからユンさんは「じゃ、行こう。」と言いながらくるっと踵を返して、御主人様のお部屋へと向かって歩き出した。
そんなユンさんの後ろ姿を見ながら、アルディート様は私に「それじゃあ、僕たちもお邪魔させてもらおうか。」と言って、ごく自然にユンさんに続いて歩き出した。
「あっ、……はい!」
私は慌ててお二人を追いかけて、御主人様のお部屋へと再度足を踏み入れた。
◆◆◆◆◆◆
「悪いな。二人のデートの邪魔をして。」
「悪いと思っているなら、お兄様は来ないでいただけます?」
白々しく謝りながら遠慮なく座るアルディート様と、思いっきり不愉快そうにその兄の様子を睨みつける御主人様。
私は御主人様に指示された通りに、御三方に温かい高級ココアをお淹れした。「……ユン。貴方、さっき『ココアを飲んでみたい』と言っていたけれど、いる?」と訊いていたから、多分そういう会話もしてたんだろうな。普段お部屋で御主人様が何を飲んでるのかとか。
……ふふっ。微笑ましいなぁ、御主人様。
そんなことを思いながらテーブルの上に皆さんの分のココアをそっとお出しする。ユンさんは「わー!ありがとうございます!」と、またにっこり笑ってお礼を言ってくださった。
……うん。まあ、大丈夫そうだな。
今はアルディート様もいらっしゃるせいか、それとも3時間近く経って御主人様とユンさんの緊張もほぐれているせいか、どちらにしてもさっきよりは全然ヒヤヒヤしなかった。
「アルディートお疲れ様。今日はどこ行ってたの?婚約者様のところ?」
「いや。今日はお父様と商会の会合に行ってた。」
「へぇー、そんなのもあるんだ?休日なのに仕事大変だね。」
「ユンの方こそ、今日の午前中は研究所の仕事してきたんだろ?昨日セレナに聞いたぞ。」
「あ、今日のは仕事ってほどじゃなかったから。先輩たちが開発したストレス解消用の攻撃魔法の実演要員になってきただけ。むしろ趣味だね、どっちかっていうと。」
「何だそれ。ストレス解消用って。」
ユンさんとアルディート様がごく自然に会話を始める。
御主人様はそんなお二人を見て、少し不貞腐れたようにムスッとしながらココアに口を付けていた。
……御主人様、きっと学生の頃もこんな感じで、学園で同性同士仲良く雑談をしているお二人を羨んで嫉妬してたんだろうな。可愛いなぁ。
そんなことを思っているうちに、気付けばお二人の話題はゆるっと今日の話から明日の予定へと進んでいっていた。
「──それで、セレンディーナ様とアルディートは明日からはエゼル王国に行くんでしょ?
すごいね〜貴族様って。外国にまで用事があるなんて。なんか、かっこいいなぁ。」
ユンさんが庶民らしく素朴な感想を零す。
御主人様は、そんなユンさんに嫉妬と拗ねからか、もはや笑顔とは対極の表情を浮かべながら冷ややかな言葉を投げかけた。
「何を呑気なことを言っているのよ。貴方もわたくしに付いて外遊に行く機会なんて、これからいくらでもできるのよ?
そういえば、貴方。語学系の成績はとりわけ低かったわよね。恥を晒さないように、せめて日常会話くらいは学園の教科書でも使って今のうちに復習しておきなさい。」
…………ああ、御主人様。
きっと普段から、ユンさんと将来的に外国に旅行に行くこととかも想像してるんだろうな。なんなら今回も、本当は一緒に行きたかったんだろうな。
……可愛いんですけど、言い方と表情で全部台無しです。
ユンさんは御主人様の分かりづらい「次は貴方と一緒に行きたいわ」アピールに対して、「えぇー?……はぁ、まぁ。時間があればやっときます。」と、絶対にやる気のない適当な返事をしていた。
……ユンさん、語学系科目はあんまり好きじゃなかったのかな。
「──まあ、用事といっても今回は大したことないけどな。親戚に会うついでに、軽く取引先を視察させてもらうだけだから。
ちなみにエリィさんも帯同してくれる予定なんだ。」
アルディート様はそんなお二人のやりとりを聞き流しつつ、私の方を軽く見ながらサクッと補足をしてくださった。
アルディート様はアルディート様で、昔からその場にいる使用人を空気扱いせずにけっこう気にかけたり話しかけたりしてくださる方なんだよね。普段はそれがとっても嬉しいし、ホッと肩の力も抜けるんだけど。
……御主人様がムスッとしている今に限っては、あんまりありがたくないかも。
その補足を受けてユンさんは私の方を見て「え!エリィさんも外国まで行っちゃうんですか?!すごいですね、公爵家の侍女さんって。そんなこともお仕事でしちゃうんですね。うわぁ〜みんなかっこいいなぁ〜……お疲れ様です。」と目を丸くして、庶民らしく純粋に驚いていた。
そんなユンさんに、アルディート様がまた補足の説明をしてくださった。
「エリィさんはつい最近までエゼル王国に留学していたから、語学の心得もあるってことでね。僕とセレナの向こうでの世話もせっかくだから引き受けてもらったんだ。こっちとしても慣れている侍女の方がありがたいし、本当に助かるよ。
それに、ご婚約者のレックス様も今エゼル王国にいらっしゃるし。……彼に会わせてあげる時間はスケジュール的にちょっと取れないかもしれないけど。」
「いえ、お気遣いなく。ご同行させていただけるだけでも嬉しいです。」
私とアルディート様がそうやり取りをした、次の瞬間。
ユンさんがいきなり今日一番の大きな声を出した。
「──え!!?」
ユンさんの突然の大声に、私たちは三人ともびっくりして目を丸くする。
アルディート様が代表して「急にどうしたんだ?ユン。」と尋ねると、ユンさんは私たち三人以上に驚いたように目をまん丸に見開いて、それからゆっくりと口を開いた。
「………………ねえ。
その、エリィさんのご婚約者の『レックス様』って、もしかして……【レックス・アーケンツォ】?」
ユンさんの突然の反応にアルディート様が首を傾げながら「そう。アーケンツォ伯爵家のレックス様。」と返すと、ユンさんは目をまん丸にしたまま数秒固まって──……それから、いきなり一人で大爆笑をし始めた。
「えぇーっ!?嘘ぉ!!?
──まじで『X』なの!?!?
うわーーー!やっば!!こんなことあるんだ!!?
わーーー!!貴族社会、狭ーーーっ!!」
文字通りお腹を抱えて、目に涙を浮かべて笑うユンさん。
御主人様が戸惑いながらも「ユンはレックス様を知っているの?」と聞くと、ユンさんは爆笑しながら御主人様の質問に答えた。
「──あっ!ハイ!
俺、レックスとは中等部1学年のとき同じクラスだったんで!あっちは2学年から東部校に転校しちゃいましたけど!
っ、いや!すみません笑っちゃって!本当すみません!でもまさか、こんなところでレックスの婚約者様にお会いするなんて思ってなくて──ッ!!
ッヒー!!やばい偶然過ぎる!すごーーーっ!!」
そうだったんだ。それはたしかに、びっくりするかも。すっごい偶然だもんね。
……でも、何がそんなにおかしいんだろう?
ユンさん、レックスと特別仲が良かった──とかなのかな?
私が不思議に思っていると、ユンさんは何とか爆笑の峠を越えたらしく、涙を手で拭いながら笑って私にこう言ってきた。
「あっ、エリィさん。レックス、元気にしてますか?
今度会ったときに『婚約と結婚おめでとー』って伝えておいてください。別に伝えなくてもいいですけど。」
私は奇妙なテンションのユンさんの言伝を「あ、はい。ありがとうございます。伝えておきます。」と、とりあえずありがたく受け取った。
アルディート様が「そうだったのか。……そんなに仲が良かったなら、今度レックス様にユンも会ったらどうだ?多分、帰国したら公爵邸にも寄ってくださるだろうから。」とユンさんに言うと、ユンさんは笑いながらもしれっと謎の返しをした。
「いや、別にわざわざ会わなくていいよ。そんなに仲良くなかったし。」
「「「…………?」」」
私と御主人様とアルディート様は、三人揃って困惑した。
──えっ?……どういうこと?
こんなにも大爆笑した割に、レックス自体には驚くほど興味がなさそうなユンさん。……さっきから一体、どういうノリなんですか?
ユンさんはそんな私たちにはお構いなしに「はー!やっば!今度オーレンに絶対話そう、コレ。」と、謎の決意をしていた。
◆◆◆◆◆◆
「はぁ〜……それにしても懐かしいなぁ。どんな顔してたっけ?レックス。もう忘れてきちゃったな。
職員寮に帰ったら中等部1学年のときのアルバムでも掘り起こして見てみようかな。」
ひと段落着いたユンさんが、ココアを飲みながら何気なしに呟く。
それを聞いたアルディート様が、またそれを何気なしに軽く拾った。
「それなら、今あるかも。公爵邸に。」
「え?あるの?何で?アルディート達は高等部からしかいなかったじゃん。」
ユンさんが当然の疑問を口にする。御主人様も心当たりがないようで、ユンさんの横で静かに可愛らしく首を傾げていた。
「ああ、まあそうなんだけどさ。
たしかお父様の書斎の隠し本棚のところに、王立魔法学園三校のアルバムが、僕たちの前後3学年分くらい、全部取り揃えて置いてあった気がするんだ。
……多分、セレナの婚約者候補探しに使ってたんだと思う。」
ユンさんの疑問に答えながら、最後にボソッと一文付け足すアルディート様。
…………ああ、そういえば。
今でこそユンさんがいらっしゃるけど。御主人様の婚約者探し、いろいろと大変だったよなぁ。
私も何度、釣書をお渡ししては突き返されてきたことか。
……うん。お疲れ様でした、公爵様。
アルディート様からの余計な情報を聞いた御主人様はあからさまにムッとしていたけど、御主人様が何か文句を言う前に、ユンさんが先に反応を示した。
「へぇ〜。あのアルバム、そんな風に使うこともあるんだね。大変だね、貴族様って。」
「せっかくだからお父様から借りて持ってこようか?」
そう言いながら軽く私と御主人様の表情を確認しつつ立ち上がるアルディート様。
えぇー!いいんですか!?
やったー!ありがとうございます!さすがアルディート様!!
私は内心こっそりはしゃいで、アルディート様に笑顔でそっとお礼の意を示した。
多分、私と御主人様に気を利かせてくださっているんだと思う。「二人とも、それぞれの婚約者の昔の写真、気になるだろ?」って。
──ハイ!ありがとうございます!写真めっっっちゃ気になります!!中等部に入学したての頃のレックスなんて、絶対に可愛いに決まってるもん!!
御主人様も御主人様で私と同じようにユンさんの昔の姿が気になったらしく、アルディート様に文句を言うのをやめて口を閉じて、ムッとした表情の代わりにそわそわとした可愛らしいお顔になっていた。
分かる。……分かります、御主人様。
楽しみですよね!婚約者の昔の写真を見るの!
私は今は「同い年の女性」として、心の中でそっと御主人様と堅い握手を交わした。
◆◆◆◆◆◆
お部屋を出ていくアルディート様を視線だけで見送ってから、ユンさんはごく自然に私に笑顔で問いかけてきた。
「──ところで、エリィさんはレックスとどうやって出会ったんです?東部校で一緒だったんですか?」
──……けっこう困る質問きたな。
ユンさんは恐らくこの待ち時間を潰すためのただの雑談のつもりなんだろうけど。
……私とレックスの出会いに関しては、若かりし頃の御主人様の非道な行為抜きには語れない。
まさか御主人様のご婚約者様であるユンさんに、馬鹿正直に「実はですね。中等部4学年の頃、御主人様が侍女の私への当てつけのようにレックスとのお見合いを設定したんです。でも当日、御主人様はそのお見合いの場で散々レックスに冷たい態度をとった後、あろうことか『わたくしには相応しくないから、この男はエリィにあげるわ。』って、お見合いのお下がりをくれるつもりで、レックスと侍女の私を残してその場からいなくなっちゃったんですよ!──どうです?!最悪ですよね?!これが私とレックスの『出会い』です!」なんて、言えるわけがない。
御主人様と私とレックス。全員にとってのある意味での苦い思い出。まあ、結果良ければすべて良し……と言ってもいいのかもしれないけども。
……でも、さすがにユンさんに話しちゃいけないよね、このエピソード。
だってもしこれを話した結果、ユンさんがドン引きして「えっ?セレンディーナ様って、そんなに性格が悪い人だったんですか?うわぁ……失望しました。そんな人とは付き合えません。別れましょう、俺たち。」とかなっちゃったら──……まずい。まずいって。最悪すぎる。
もしそうなったら、侍女をクビになるどころじゃない。四大公爵家の権力をもって、謎の罪で打ち首の刑にさせられてもおかしくないって。私はまだ死にたくない。
想像しただけでゾワッと鳥肌が立つ。
……どうしよう。どう答えればいいんだろう。適当に嘘でもついておこうかな。
私がそう考えていると、ユンさんは呑気に「あ、それとも普通にお見合いでもしたんですか?貴族同士ですもんね。」と追加でお言葉を付け足してきてくださった。
「はい。レックスとはお見合いで出会いました。」
──御主人様の。
私はすかさずユンさんのパスに全力で乗っかった。
そうです、出会いは至って普通の貴族によくある「お見合い」です。……自分のじゃないですけど。
でも嘘はついてない。うんうん、これなら大丈夫!
いま私、地味に完璧に危機を回避できたんじゃない?
御主人様の好感度を保ちつつ、ユンさんに嘘はつかない。
私は我ながら上手く立ち回れたなと、ひっそりと心の中で自画自賛をした。
ユンさんは、のほほんと「へぇ〜。そうだったんですか。」と私の返答に素直に頷いて──それから、恐ろしい言葉を呟いた。
「ふぅん。……後でアルディートにもレックスの話聞いとこ。」
「──っ、ユン!!」
御主人様が慌ててユンさんの名前を呼びながら立ち上がる。
ユンさんは突然の御主人様の行動に驚いて、ビクッと身体を強張らせた。
「えっ?!な、何ですか?」
怯えるユンさん。
……それはそう。だってユンさんからしたら意味が分からないもんね。御主人様がいきなり何に慌てだしたのか。
「ダメよ。お兄様に聞くなんて。」
御主人様が、明らかに意味不明な命令をユンさんに強い口調で押し付ける。
ユンさんは「えっ?何でですか?」と、至極当然な返しをした。
「何でも何もないわ。
……というか、何故わざわざお兄様に聞くのよ。何でそんなことをするのよ。」
御主人様がもはや言いがかりとしか言えない威圧的な質問をぶつける。
ユンさんは素直に「えぇ?……だってさっきアルディートが『レックスは帰国したら公爵邸にも来るだろう』とか何とか言ってたし。アルディートとレックスって意外と仲良いのかな〜って思って。」と、戸惑いながらも理由を説明されていた。
「……ユン。」
「ハイ。」
「ダメよ。」
「……ハイ?」
「いいから、黙ってわたくしの言うことを聞きなさい。レックス様のことをお兄様に聞いたら承知しないわよ。」
「………………?」
「返事は?」
「……はぁ。」
………………御主人様。
そんな態度じゃ、レックスのエピソード関係なくそのうち愛想尽かされちゃいますよ。
過去の最悪なエピソードを隠すために、現在進行形でユンさんからの好感度をダダ下げしにいっている御主人様。
御主人様は一刻も早く安心したいのか、歯切れの悪いユンさんに「さっさとまともな返事をしなさい。」ともう一度催促……というか強迫していた。
ああ〜!もう不器用過ぎますって御主人様!
……ほらぁ!ユンさん完全に怯えながら困惑しちゃってますよ!どうするんですかコレ!
アルディート様、早く帰ってきてください!もう私、限界です!
私がそう心の中で叫んだとき、
「──お待たせ。持ってきたぞ。」
ノックの後に扉が開く音がして、アルディート様が爽やかな空気とともにお戻りになられた。
息が詰まり過ぎて呼吸ができなくなりかけていた私は、顔にこそ出さなかったものの心の中でドバーッと涙を滝のように流しながらアルディート様のご帰還に感謝した。
「あ!アルディートおかえり〜。」
御主人様に理不尽に怒られ詰め寄られていたユンさんが、パッとお顔を明るくさせてアルディート様を出迎える。ユンさんはどうやら気持ちと興味を早々に切り替えたようだった。
御主人様はというと……まだユンさんがアルディート様に質問しないか心配なのか、少し強張った表情でユンさんを見つめていた。
「せっかくだから、ユンとレックス様が載ってるやつ全部持ってきた。」
そう言ってドサッと積み重なったアルバムをテーブルの上に置くアルディート様。ユンさんはその中から一番上にある一冊を手に取り、躊躇うことなく開いて「うわー!懐かしー!……ってか、俺こういうの、いつももらったまま全然開かないで片付けちゃってたから、何なら今初めて見るかも。」とけらけら笑いながらページを捲り始めた。
……ああ、アルディート様が戻ってきて良かった。
私やっぱり、御主人様とユンさんだけの空間は、まだ怖くて耐えられないのかも。
私は侍女として情けないことを考えながら、自分もアルバムへと気持ちを切り替えた。
◆◆◆◆◆◆
「──あ、クラス名簿の写真だ!レックスいた!
あ〜!そうそう!こんな顔してたわ!」
さっそく中等部1学年の頃のレックスを見つけたらしいユンさんは、ひとりで懐かしそうに笑いながらレックスの姿を思い出しているようだった。
「ちょっとユン!貴方ひとりで見ていないで、わたくしたちにも見せなさいよ!」
そんなユンさんの隣で、御主人様が文句を言いながら首を伸ばして覗き込もうとしている。
御主人様ー!ご指摘ありがとうございます!ユンさん、私にもレックス見せてください!
私もそわそわしつつ、テーブルの方にそそくさと近寄った。
ユンさんは「あ!すみませんでした。俺ばっかり見ちゃってて。……はい。これレックスです。」と言いながらテーブルの真ん中にアルバムを開いて置き、胸から上の正面の写真が並んでいるページの中の一人を指さした。
──そこには赤髪で橙色の瞳の、キリッとしているけれどどこか幼い、やんちゃな雰囲気のある幼いレックスの姿があった。
「うわぁー!レックスだ!!
若い!幼い!可愛いー!何だかちょっと生意気そう!!」
私は思わず侍女の立場を忘れて、素ではしゃいだ声を上げてしまった。
レックス、今とは少し雰囲気が違うかも!
今はけっこう大人びてて落ち着いてるっていうか、本当に「正統派の格好いいご令息」って感じがするんだけど、この写真のレックスはそれこそちょっと生意気そう……っていうか、年相応な荒々しさがある感じがする。
わぁ〜!これはこれで新鮮!!見れて良かった〜!!
はしゃぐ私を見たユンさんは、少し興味あり気に「レックス、今は割と違う感じになってるんですか?」と聞いてきた。
「はい、そうですね。
今はけっこう大人びた雰囲気というか、落ち着いているというか……この写真よりも顔つきが柔らかい感じがするかもしれません。」
私が素直にそう返すと、ユンさんは楽しそうに「へえ!そうなんですか。じゃあ、他年度の東部校のアルバムも見てみよーっと。」と言いながら、平積みにされたアルバムの山に手を伸ばしかけた。
「ちょっと、ユン!貴方の写真はどこなのよ!まだ貴方を見ていないじゃないの!」
御主人様が可愛らしく憤慨しながら、そんなマイペースなユンさんを引き止める。
ユンさんは御主人様に指摘されて、伸ばしかけていた手を止めて「……ああ。俺は多分、次のページにいますよ。姓氏がないんで、名簿順だといっつも最後だったんで。」と軽く言いながら、開いていたアルバムに手を戻し、レックスがいるページから一枚捲った。
「あ、いた。……俺、これです。」
ユンさんが迷わずスッと指を差した先。
それを見た私たちは全員、ギョッとして固まった。
………………えっ?
……ちょっ、これ、嘘でしょ???
えっ?何これ──……なっ、
「何ですかこの美少女ーーーっ!?!?!?」
私は完全に侍女の立場を忘れて、素で叫んでしまった。
──そこには、長い金髪を一つに括った、クルッとしたまつ毛にクリッとした大きな垂れ目の、超絶に可愛い素朴系天然最強美少女の写真があった。
……………は?
こ……これがユンさん???
……っていうか、これ、本物の人間ですか?本当に写真ですか?御伽話のお姫様の挿絵じゃなくて?姿絵みたいに盛ってるとかじゃなくって???
いや、写真でこの写りはおかしくないですか?!ってか、本当にこれユンさんですか?!?!
挙動不審で失礼なのは百も承知で、私は目の前のアルバムの超絶美少女と、この場に実在しているユンさんの顔を何度も何度も見比べた。
言われてみればたしかに、今とは髪型がだいぶ違いはするものの……写真の美少女のお顔の各パーツは、ちゃんと現在の実在ユンさんのそれをそれぞれ幼くしただけのものだった。
…………ほんとだ。……ちゃんと本人だ。
御主人様に至っては、信じられないものを見たかのようにアルディート様以上に目を見開いて、お上品な公爵令嬢の御主人様らしくなく口を開いてポカンとしていた。
「あっはっは!大袈裟だなぁ!
見た目が女子っぽかった自覚はあるんですけど、そんなに驚くほどですかね?今と髪型が違うくらいで、あとはあんまり変わってないと思うんだけどなぁ。」
「……いや、驚くほどだろ。これは。」
ユンさんのゆるい返しに、アルディート様がツッコミを入れる。
……うん。本当に。こんなの、誰だって驚きますって。
私が今までの人生の中で見てきた美少女といえば、それはもう「御主人様」一強だった。
あまりにも隙がなくお人形のようにバチッと整い過ぎていて、初めてお会いしたとき衝撃を受けたのを覚えている。
……でも、今その「一強」が崩れようとしていた。
御主人様とは全然違う。すべてがバチッと整っているわけじゃない。髪色も瞳の色も庶民らしくありふれてるし、目元も口元も、それぞれちょっとクセがある。なのに、それが全部いい感じに作用しまくっている。
……崩しの美。
この絶妙なクセのあるパーツによって、なんだか思わず守りたくなるような隙のある愛らしさが醸し出されている。
表情も、ビシッと決まっているわけじゃない。むしろ、全然写真に撮られ慣れていなさそうで、緊張で硬くなっていて……なんならちょっと微妙な表情になってしまっている。
……それなのに、それすらも可愛い。
人前で決め顔をするのがまだ不慣れな、田舎から出てきた純朴な天然美少女。まさに恋愛小説の主人公って感じ。
どっちが好みかは完全に分かれると思うけど。
昔の御主人様とこの中等部1学年のユンさん。この二人こそがまさに、系統の違う「超絶美少女の二大巨頭」だと、私は認識を改めた。……片方は男性なんだけどね。
自分の婚約者が、出会う前はこんなにも恐ろしい美少女だったと知った御主人様。
どうやら感情や思考が追いついていないらしく、珍しく困惑しきったまま、御主人様はぎこちなく現在のユンさんに問いかけた。
「…………貴方、どうして髪を切ったの?」
御主人様が辛うじて搾り出した疑問。それに対して、ユンさんはあっさりと答えた。
「いやぁ。髪はなんとなく適当にずっと伸ばしてただけなんですけど、それで当時あまりにも女子と間違えられちゃったんで。……さすがに面倒なことも起きたりしたので切りました。」
「そりゃそうだろうな。」
アルディート様がまた静かにツッコミを入れる。
……うん。私も完全に同意です。そりゃそうですよ。こんなの、絶対に100%女子と間違えられますって。
「昔の貴方もいいけれど……今の貴方の髪型も、よく似合っていると思うわよ。」
どうやら少しずつ頭を働かせ始めたらしい御主人様が、少し頬を赤らめながら俯いて、珍しく飾り気のない素直な感想を口にする。
それを聞いたユンさんは、少し照れくさそうに、そして嬉しそうに「そうですか?ありがとうございます。」と言って微笑んだ。
……御主人様。…………ユンさん。
ようやく素直な言葉を口にした御主人様の微笑ましいお姿に、ほわっとした気持ちになった──……そのとき、私はふと、一つの可能性に気付いてしまった。
………………ちょっと待って。
まさか……まさか、もしかして……、
「あのー……ユンさん。」
「はい。」
「つかぬことをお伺いしますが……」
「何でしょうか?」
ユンさんはコテンと首を傾げる。
私はそんなユンさんを見ながら、半ば確信を持って質問をぶつけた。
「…………もしかしてユンさん、当時レックスに……その──変な嫌がらせをされたり、していませんでしたか?」
いきなり変なことを言い出した私に、アルディート様が少し焦ったように「何を言っているんだ?エリィさん。」と戸惑いの声を上げる。
でも私は今、気付いてしまった。
今までバラバラに散りばめられていた謎の断片の数々が、レックスとユンさんのこの写真で、見事に一本に繋がってしまった。
──学園中の全男子が惚れてもおかしくない超ド級美少女のユンさん。
──今よりもやんちゃで生意気そうなツンツン感のあるレックス。
そして、レックスは私と出会ったとき、
──「初恋の子をいじめて冷たくあしらわれるようになってしまったことがトラウマで、それから自分磨きをして生まれ変わろうとした」って言っていた。
それから、悪役令嬢シリーズの本を読んでくれたとき、
──「悪役令嬢が自分の言動で破滅していく姿に、共感性羞恥みたいなものがある」って言って、苦々しい顔をしてた。
それで、今さっき。
──ユンさんは元クラスメイトのレックスのことを聞いて爆笑した割に、レックスとは「仲が良くない」とはっきり言い切っていた。
ユンさんは私やアルディート様、ツンツントゲトゲな御主人様にも、こんなに優しくて社交的なのに。レックスだけには妙に冷たいというか……レックス本人には会う気がさらさら無さそうだった。
……「レックスの初恋の相手が、ユンさん」ならば。
少しずつあった違和感が、一気にすべて解消できる。
私は婚約者だから分かる。
レックスは嫌な人間なんかじゃない。根っからの悪じゃない。
……そうだったんだ。レックス。
きっと、幼かった11歳の頃のレックスは、クラスメイトの「ユンさん」っていう美少女に分かりやすく一目惚れしちゃって……でも、それが実は「平民」でしかも「男子」で、どうしていいか分からなくなっちゃって……それで、11歳のお年頃の男子らしく、いじめたりからかったりして変な絡み方をして、結果としてユンさんに嫌われて冷たくあしらわれるようになっちゃったんだ。
それがトラウマで一番の後悔になっちゃって、それで「これじゃダメだ」って思って、自分磨きを頑張ることにしたんだね。
顔つきも変わって、他人を思いやれる優しい男性になって。そうして「今度こそ新しい恋をできるように頑張ろう」って決意して──それが、御主人様とのお見合いの……私と知り合ったあの日のレックスに繋がってたんだ。
アルディート様に続けて、ユンさんも戸惑いながら私の表情を窺って、少し困ったような笑顔で「えーっと……どうしたんですか?いきなり。」と、何かを濁しながら私に質問をし返してきた。
ユンさんは多分、私に気を遣っているんだろうな。さっき私が御主人様の最悪なお見合いエピソードを隠したように。
ユンさんからしたら「はい。実は俺、あなたの婚約者のレックスに昔めっちゃ嫌がらせされてました。レックスなんて大っ嫌いです。あいつ性格最悪ですよね。」なんて、口が裂けても言えないんだろうな。それをきっかけに、私がレックスに失望しちゃう可能性もあるわけだし。
私はユンさんに向かってそっと首を振って、それから謝罪と感謝の礼をした。
「……突然申し訳ございません。
私はレックスから以前、話を聞いていたんです。
『昔、仲良くなりたかったのに素直になれずに酷いことを言ったりして、嫌われてしまった相手がいる。そのことをとても後悔している。』って。
……お写真を見て気付きました。もしかしたら、そのお相手がユンさんだったのかもしれない、と。
大変申し訳ありませんでした。私の婚約者のレックスが、昔のこととはいえご迷惑をおかけしてしまって。嫌な思いをさせてしまっていて。
……彼は今、そのときの反省を生かして他者を思いやれる優しい人間に成長しています。
今の優しいレックスと私がともにいられるのは、ユンさんというきっかけがあったお陰です。ありがとうございます。」
私の突然の独りよがりな謝罪とお礼に、目を丸くするユンさん。
本当に独りよがりもいいところだけど……でも、私はもう確信していた。
そして、どうしてもユンさんに、レックスの代わりに謝罪と感謝を伝えたかった。
──ありがとうございます。ユンさん。今のレックスがいるのは、ユンさんのお陰です。
……でも、そんなことはユンさんには関係ないですよね。知ったことじゃないですよね。レックスがユンさんを傷付けてしまって、本当にごめんなさい。
アルディート様と御主人様が完全に困惑しているような気配がする。
私はしっかりと頭を下げた後、顔を上げてユンさんの方を見た。
私と目が合ったユンさんは、少しだけ困ったような顔をした後──私の表情から何かを察したのか、私を安心させるようにふわっと優しく笑った。
「あはは。何かレックスから聞いていたんですね。
……でも俺、別に嫌な思い出なんてありませんよ?
中等部1学年のときのクラス、とっても楽しかったです。
レックスも、当時から頭が良くて、格好良くて、優しい奴でした。」
「ユンさん……。」
見え見えのユンさんの気遣いに、申し訳なさと苦しさで胸がいっぱいになる。
私が思わずグッと顔を顰めると、ユンさんはそれを見て、もう一度──でも今度は少しだけ悪戯っぽく笑った。
「まあ、じゃあ、ついでに今度レックスにこう伝えておいてください。
『エリィさんって、レックスには勿体無いくらい素敵な人だね。よかったね。嫌われないように頑張って。』って。
……あ、あと『次会ったとき、何か美味い飯でも奢って。』って。
ん〜、それでいいかな。そんな感じで。」
レックスの初恋の人は、本当にすごい人だった。
私なんか足元にも及ばないくらいの美少女で、私なんか到底敵わないくらいに優しくてさっぱりした男前だった。
レックスが激しく後悔するレベルの嫌がらせも、御主人様の素直になれないが故の理不尽過ぎる言動も、笑って全部流しちゃう、器の大きすぎる人だった。
張り合う気すら起こらないや。
……こんなすごいユンさんの次に、私に惚れてくれてありがとう、レックス。
今度、私とレックスで、ユンさんに美味しいご飯、奢ろうね。
私はレックスの二番目の恋の相手として、一番目のユンさんに完全なる敗北感を覚えながら、もう一度深く頭を下げた。
「ありがとうございます。
……100回くらい、伝えておきます。」
私の言葉を聞いたユンさんは、声をあげて笑った。




