小話2-4 ◆ 侍女の私の疲労感
連載作品を投稿した記念に書きました。
ユンとセレンディーナの平和な凸凹恋愛模様と、そんな二人を見守る、また別の二人のお話。
全6話(執筆済)で基本毎日投稿の予定です。
よろしければ連載「御主人様は悪役令嬢」とあわせてお読みください。
侍女の私【エリィ】がお仕えしている、私と同い年の御主人様。
まるで恋愛小説の悪役令嬢みたいな、四大公爵家のご令嬢。その名も【セレンディーナ・パラバーナ】様。
私は中等部の頃はラケールの街の公爵家別邸で、高等部の頃は御主人様の通っていた魔法学園の学生寮で、それぞれ住み込みで侍女として働いてきた。別の学校に通いながら。
そして高等部の卒業と同時に、私は1年半ほどエゼル王国に留学して──……つい最近、1年半振りに期限付きの「セレンディーナ様お付きの侍女」として仕事に復帰した。
そしてそして、なんと!ななななんと!
私がちょっと留学しているその間に!!
こんな厄介な性格の御主人様に!!!
──ご婚約者様ができていました!!!!
イエーーーイ!!拍手ーーーーーっ!!!
お相手は御主人様の初恋でずっと片思いだったあの学園の隣の席の男の子。「平民の魔力持ち」の【ユン】様だった。
正直、無理だと思っていたんだけど。どうしてこんな大逆転でご婚約まで至ったのか。
私は御主人様に何度もお聞きしたんだけど、御主人様はその経緯を教えてくれなかった。でも気になって仕方がなかったから、後でこっそりアルディート様からお聞きして……なんとなく察した。
──……うん。結局ゴリ押ししたんですね。御主人様。
それで、ユン様に本気でキレられた苦々しい記憶までセットで付いてきちゃうから、私には話したくなかったんですね。
……すべてが私の予想の斜め上すぎた。
まあ、とにかく!
経緯はどうあれ、今はちゃんと両思い!
みんなハッピー!幸せだらけ!もう何も憂うことはない!!
侍女として復帰した2日目には御主人様のご婚約の件をお聞きして「なーんだ。心配して戻ってきて損しちゃった!あと1年間、自分が寿退職するまでは、御主人様の惚気と自慢話を聞き続けるだけのお仕事かも。」なんて思っていたんだけど。
…………やっぱり御主人様は読み切れない。
最近の御主人様は、私の呑気な予想とは正反対のご様子だった。
◆◆◆◆◆◆
恋をしている御主人様は、威圧的でも横暴でもなく、とっても初々しくて可愛らしい。
そんな可愛らしい御主人様は、今日も今日とて、大変可愛らしく頭を悩ませていらっしゃった。
「ねえ、エリィ。」
「はい。」
「どうして貴女は、いつもそんなにヘラヘラと笑っていられるの?
どうして今も口角を上げたままでいられるのよ。貴女はただわたくしの部屋にいて仕事をしているだけじゃない。何も楽しくなんてないでしょう?」
…………は?
などと、ここで御主人様に腹を立てるようでは、専属侍女として二流。
私は御主人様の意図を察して、一流の侍女としての微笑みを浮かべたまま、御主人様のお気持ちに寄り添った。
「……そうですね。
常に心を穏やかに整えることを意識しているからでしょうか。
そうすれば、深く考えずともこの表情を保つことができると思います。」
御主人様、またアレを気にして沈んでるんだろうな。
──ご婚約者のユン様の「一度でいいから、笑った顔が見てみたい」っていうお言葉を。
こんな調子で、御主人様はここ数週間ずっと暗いお顔で思い悩んでいらっしゃった。
ご婚約者様を今まで傷つけていたであろうことを悔やみ、このままでは失望されてしまうと焦って泣いて……お部屋でそれを繰り返していた。
……今もまた、その件に関していろいろあれこれ考えて思い詰めているんだろうな。
そう思って、私は私なりに、御主人様の悩みに答えようとした。
すると御主人様は、私の方を見てがっかりしたような顔をした。
「……はぁ。なるほど。
つまり貴女は、わたくしと違って常にお気楽で能天気な性格で、何も考えていないからこそ間抜けな顔をしていられる──ということね。」
………………あ゛?
一流侍女の私は腹を立てた。
ちょっと御主人様!わざわざ負の方向に言い換えなくたっていいじゃないですか!
ご自分がそんな簡単なこともできない初等部以下のポンコツ表情筋だからって、私に八つ当たりしないでくださいます?!
せっかく御主人様のために何かアドバイスができたらと思って、ちゃんと真面目に答えたのに!
顔には一切出さずに心の中で文句を言う。でも御主人様はそんな私の内心には微塵も気付かずに、続けて質問をしてきた。
「……じゃあ、逆に貴女が笑えないのは、一体どんなときなの?
逆に笑顔がつくれなくなってしまうとき。」
──今です!御主人様に理不尽な暴言を吐かれた今この瞬間です!
とは言えないから、私は私なりに、腹の立つ御主人様の質問に真面目にお答えした。
「そうですね。……何か不愉快なことを言われたり、耐え難い辛い出来事に遭遇したり。自分の気持ちが処理しきれなくなってしまったときでしょうか。
例えば……感極まってしまったときなどは、嬉しくても泣いてしまうかもしれません。
あとは、不慣れな相手や場所や状況で緊張して身構えてしまうときでしょうか。そういうときは、辛うじて笑顔にはなれるものの、不自然で引き攣ってしまうと思います。」
私は回答の一番上に御主人様への苦情を捩じ込んだけど、御主人様はそんな私の訴えは微塵も気にせずに、目を輝かせて声を上げた。
「そうよ!それだわ!」
「……はい?」
「さすがじゃない、エリィ!貴女もたまには役に立つのね!どうしてわたくし、気が付かなかったのかしら!」
御主人様がいつもの冷たい真顔ではなく、年相応の可愛らしいお顔ではしゃぎだす。
……あの、御主人様。いま普通に笑っていらっしゃいますよ。お鏡をお持ちしましょうか?
自分が可愛らしく笑えていることに気付いていない御主人様は、私の言葉を聞いて何かを閃いたようだった。
「……そうよ、そう!
わたくし、今までずっとユンとは外で会ってばかりだったの!公爵邸であっても、家族で顔合わせをしたり、食事をするときだけだったの!それがいけなかったのよ!問題は『不慣れな環境』だったのよ!」
それから御主人様は、とっても嬉しそうにこう言った。
「いつも過ごしているこのわたくしの部屋ならば、わたくしは緊張せず、普段通りにリラックスして過ごせるはずだわ!」
──なるほど。「お部屋デート」ってやつですね。
御主人様にさっきは一瞬腹を立てたけど。
でも、こんなにも不器用で可愛い御主人様を見ちゃったら、侍女の私としては応援せずにはいられないよね。
私ははしゃいでいる御主人様に向かって、そっと笑って教えて差し上げた。
「御主人様、今まさにとてもお可愛く笑っておられますよ。」
私の言葉を聞いた御主人様はハッとして壁に掛かっている姿見を見て、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
そして我に返って顔を引き締め直しながらも、ようやく見えた問題解決の兆しに自信をつけたようだった。
……まあ、「ご婚約者様がお部屋にいらっしゃる」というシチュエーションこそが、何よりも特別な「普段とは違う不慣れな状況」だとは思うけどね。
一流の侍女は、御主人様が喜んでいらっしゃるところに水を差すような野暮なことはしない。
私は心を穏やかに整えることを意識して、深く考えずに表情を保ちながら「実物のユン様を見るのが楽しみだなぁ〜」なんて、能天気なことを考えていた。
◆◆◆◆◆◆
「ここよ。」
「あ、どうも。……お邪魔しまーす。」
そしてやってきた、御主人様のお部屋デート当日。
時刻は午後の2時過ぎくらい。
御主人様のお部屋でワクワクしながら待つこと約10分。
入り口の扉のところから御主人様の聞き慣れた声と、挙動不審感が漂よう控えめな声が聞こえてきた。
長年お話だけでしか聞いていなかった「平民の御方」こと、ユン様がついにいらっしゃった。
私は先ほど御主人様に「わたくしはユンを迎えに下に行ってくるわ。貴女はついてこなくていいわよ。……ああ、最後に何か抜かりがないか確認をして、ここで待っていて頂戴。」と指示をされていたので、部屋中の調度品の配置から備えてあるティーカップの取手の角度まできちんと細かく整えて、バッチリ笑顔を浮かべておいた。
うわー!ユン様だ!
はぁ〜なるほど!こういう感じの御方だったんだ!
御主人様に続いて遠慮がちに入ってきたユン様を見て、私はそっと頭を下げながら一人で内心はしゃいでいた。
御主人様からユン様の具体的な容姿は教えてもらっていなかったけど。たしかにちょくちょく漏れ聞いていたお話の通り、どっちかっていうと、ビシッと整った所謂「イケメン」っていうよりは、なんだか可愛くて人懐っこい感じの雰囲気の御方だった。
垂れ目がちの印象的な目元をはじめとする、全体的にほわっとした感じのお顔のパーツ。お髪の色はくすんだ金色で、庶民感があって見ていて落ち着く感じがする。
御主人様は全体的にバチッと決まってるお顔だし、お髪の色は青藍色でガツンと目に飛び込んでくる感じだから……こうして並んでいるのを見ると、とにかく「真逆」な雰囲気あるな。
……うんうん。でも、そこがかえって「お似合い」じゃない?
御主人様みたいな人の横にユン様がいると、なんだか一気にほっこりする。
上手く言えないけど、こう……見た目からでは分からない御主人様の可愛らしい一面を、ユン様が代わりに体現してくれてる、みたいな。
御主人様にない親しみやすさというか……いい意味での隙を与えてくれてる感じがする。
そんなユン様は、御主人様に連れられてお部屋の中に入って開口一番、垂れ目がちの目をまん丸にして素直な感嘆の声をあげた。
「──えっ!?うわ!でっかくて白いピアノある!!」
……感想が庶民すぎる。
ドキドキのお部屋デート。婚約者の自室に初訪問。プライベートの空間を目にしてまず最初に抱くご感想。
御主人様もそれを当然意識してたのに。
好きなお色、調度品の趣味──少しでもセンスがいいと思ってもらいたい乙女心。最後の最後まで、これでいいかどうか、何度も何度も気にしてそわそわしてたのに。
……ユン様はそれを「でっかくて白いピアノ」で消費した。
うん。……まあ、いいんじゃないかな。
ユン様は、お部屋の広さはさすがに覚悟していたんだろうとは思うけど。そこに目に飛び込んできた意外なサプライズってことで。
驚きの白ピアノから意識を外して視野を広げ始めたらしいユン様は、続けて部屋の中に控えていた私を認識したようだった。
私と目が合ったユン様は、弾んだ声で「あ!」と言って、それから嬉しそうににっこりと笑った。
「もしかして、この方がセレンディーナ様の侍女の【エリィ】さんですか?
はじめまして!ユンです。お邪魔します。」
そうしてぺこりと私に向かって頭を下げてくださるユン様。
……ん?何だろう?ユン様、私のこと知ってるのかな?
御主人様からお話でも聞いているのかも。「わたくしにはとっても非常識で図々しい生意気な侍女がいるのよね。」とか言われてそうだな。……まあ、いいですけど。
私はそんなことを思いながら、すかさずに礼を返した。
「こちらこそ、お初にお目にかかります。
本日はよろしくお願いいたします、ユン様。」
するとユン様は頭を上げて、それから少し眉を下げて困ったように笑った。
「なんだかエリィさんに『様』付けで呼ばれるのって、違和感ありますね。よければ普通に呼んでください。」
──……けっこう困る提案きたな。
私は御主人様のお顔を横目で軽く確認してから高速で返答を考えた。
この場合、侍女として何よりも優先すべきは「御主人様がどう思っているか」。
御主人様はチラッと見た感じだと、いつもよりも若干……ほんの少〜しだけ表情が硬かった。
これを「初めてお部屋にご婚約者様をお招きして緊張されている」と取るか、「御主人様は嫉妬深い性格」と取るか。
御主人様が嫉妬深い性格だとしたら、私はどれだけユン様が気さくに歩み寄ってくださろうと、ある意味では素っ気なく対応し続けるべきだよね。それが御主人様にとって一番安心するだろうから。
同い年の女性の私が、初手からユン様と「ユンさん」「エリィさん」って呼び合って笑い合っていたら……もし御主人様がそれを恋愛的な面で快く思わなかったら……えっ?もしかして私、恋敵ないし浮気相手認定されてクビになったりする?
……でも、御主人様が別にそこまで嫉妬深い性格じゃなくて、私のいつもより素っ気ない態度にむしろ苛ついたりしたら。
どうしよう。今日は御主人様、ユン様の前で笑顔になるためにわざわざお部屋デートを企画されたんだもん。私も和やかな雰囲気を作るお手伝いをすべきなのかもしれない。
それに、ユン様が私の素っ気ない態度に戸惑われたり悲しまれたりしたら……それはそれで後々厄介なことに……。
あぁ〜!どうしよう!
御主人様はこのユン様が「初恋」な「恋愛初心者」。今まで他の例が無い分、完全にこれはノーヒントの二択問題!
くっ……唸れ!私の御主人様限定「人読み」スキル!!
今こそ御主人様がどっちの性格なのかを当てないと!
私が高速で葛藤していると、ユン様はそれを察しているのかいないのか、ごく自然に今度は御主人様の方を向いて、軽くコテンと首を傾げながら質問をした。
「……というか、むしろ俺の方がそう呼ぶべきなんじゃないですか?エリィさんってたしか男爵家のご令嬢なんですよね?俺の方が身分低くないですか?
こういう場合ってどうすればいいんですか?」
──っ!ユン様〜〜〜!!
私は心の中で感激の涙を流しながら拍手した。
ありがとうございます!ユン様!!
ユン様にしかできないムーブ!それは「直接御主人様に正解を聞くこと」!
これなら御主人様は私に怒ったり苛つくことはない!良かった〜!!
すると質問された御主人様は、ユン様に冷ややかな視線を向けてこう返した。
「……はぁ。貴方、一体何を言っているの?
貴方は今、この場では『公爵令嬢の婚約者』なのよ?そしてエリィは一介の侍女でしかないの。貴方の方が格上に決まっているじゃない。
何よその威厳のない態度。上に立つ者としての自覚が微塵もないのね。情けない男。まったく、先が思いやられるわ。」
…………えぇー……御主人様。
もしかして、ユン様の前でもいつもこんな感じなんですか?
笑顔がどうこう以前に、これはちょっと。
裏ではあんなに可愛いのに。本人の前でこんなんじゃ、いつか愛想尽かされちゃわない?大丈夫かな。
……最後の「先が思いやられるわ」は御主人様の無自覚な本音部分だろうけど。
御主人様、ユン様との先のこと──今後これから何度もこのお部屋にお呼びするつもりなこととか、結婚後にこの公爵邸で一緒に暮らすであろうこととか──きっと普段からいろいろ想像してるんだろうな。それが今うっかり滲み出ちゃったんだ。
可愛いなぁ。……ユン様にこういう部分がちゃんと伝わっているといいんだけどな。
ユン様は御主人様のトゲトゲとしたお言葉を受けて素直に「あっ、ハイ。すみません。」と謝った。
そしてそれから、微塵も何も気にしていなさそうに軽く首を捻って何かを考えていた。
……御主人様のトゲトゲ発言に傷付いていないようで良かった。
けど、御主人様の可愛い本音にも気付いてなさそう。
ユン様。実は「すみません」が許されてるだけでも、相当な特別扱いなんですよ。私をはじめとする他の人間は、御主人様に対しては「申し訳ございません」じゃないとダメなんです。
これ、分かりづらいんですけど、ユン様への御主人様なりの「愛」なんです。……そりゃ分かんないか。
私がひっそりと安堵しつつも残念な気持ちでいると、ユン様は何か結論を出したようで、再びにっこり笑顔で私に向かってこう言った。
「ってことは、俺が決めちゃってもいいんですかね?
……じゃあ、やっぱり堅苦しく『様』付けせずに、俺のことは普通に呼んでください。
今日はよろしくお願いします、エリィさん。」
──って、おーい!!結論はそっちですか?!
私は戸惑いながらも、言われた通りに「それでは、よろしくお願いいたします。ユンさん。」と返した。
……頼まれちゃったらそう言うしかないし。
御主人様の方からなんだか凍てついた空気が流れてきているような気がする。
大丈夫です!御主人様!私、絶対に浮気とかする気ないんで!ユンさんにもその気なんてないと思いますんで!どうか、どうか怒らないでください!
私はハラハラしながら心の中で祈った。
この侍女の仕事も御主人様のお相手もすっかり慣れたものだし、普段なら「主従」として怯えることなんてもう全然ないんだけど。
……ただ、「同い年の女性」として恋愛絡みで御主人様がどうなるのかは、まだ未知の領域だ。
私は何年もお仕えする中で、御主人様がいかに恋愛に不器用で、ユンさんに一途なのかを見てきた。だからこそ、今のこの状況が怖くて仕方がない。
……しかし。
そんな私の心情など当然知る由もないユンさんは、笑顔のまま続けて恐ろしい発言をした。
「俺、エリィさんには一度お会いしてみたいなーってずっと思っていたので、今日こうしてお話できて嬉しいです。」
「へっ?」
私が意表を突かれて間抜けな声を上げた瞬間。もう誰が聞いても分かるくらいの不機嫌全開な御主人様の声が鋭く耳に飛び込んできた。
「…………何故。」
──うわぁーーーっ!!!?
ごっ、御主人様!私は何もしていません!というか、今初めてお会いしたばかりですし!
ユンさん!!何でいきなりそんな意味深なこと言うんですかー?!?!
私が冷や汗をかいていると、ユンさんは笑顔のまま御主人様の方を見て、素直に理由を教えてくださった。
「俺、実は学園の高等部の頃、アルディートからエリィさんの話を少し聞いていたんです。
『妹のことを考えて寄り添ってくれる、エリィさんっていういい専属侍女がいるんだ』って。
あと、そのエリィさんが『自分の弟を貴族学校に通わせる資金を稼ぐために、中等部の頃から住み込み侍女として働いている』っていう話も。
それで、何だかエリィさんって、俺の兄ちゃんみたいだなーってずっと思っていたんです。……俺も、兄ちゃんが自分を犠牲にしてひたすら頑張って金を稼いでくれたお陰で、学園に通えるようになったから。」
それからユンさんは、私の方にとても温かい笑顔を向けてくださった。
「俺は『誰かのため』に頑張って仕事ができるような人間じゃないので、兄ちゃんやエリィさんみたいな人のこと、本当に尊敬してるんです。格好いいなぁって。
……自分にできるかは分かりませんけど、いつか俺もエリィさんのように、誰かの役に立てる人間になりたいです。」
…………ユンさん。
ユンさんの姿に、私の弟のテオが重なる。
そういえば弟のテオも、貴族の魔法学校に進学が決まったとき、こんな風に私に純粋な感謝と笑顔を向けてくれたなぁ。……あのときは嬉しかった。
姉として、別に見返りが欲しかったわけじゃない。でも弟からのこういう言葉って、それだけで充分すぎるくらいに報われた気分になれるんだよね。「ああ、頑張ってよかった。」って。むしろ「ありがとうテオ。私がここまでやってこれたのは、あなたがいてくれたお陰だよ。」って、弟に感謝したくなるんだ。
きっとユンさんのお兄さんも、私と同じことをユンさんに思っているんじゃないかな。
「ありがとうございます。ユンさん。
こちらこそ……そんな風に思っていただけていたなんて、光栄です。」
私はユンさんのお言葉に感慨深くなりながら、頭を下げてお礼を言う。
…………そして。
私はスッと頭を上げて、ユンさんの隣にいる御主人様とバチッと目が合った。
御主人様は私と目を合わせたまま、真顔で静かに一言、こう言った。
「………………そう。」
──っ!あああぁあーーーッ!!?
顔には出さずになんとか耐えたけど、私の心の中は一瞬でガッタガタになった。
やっちゃった!なんかユンさんのいい感じの笑顔といい感じのお言葉に流されて、うっかり弟を思い出してしみじみしちゃってた!!
──ハッ!?今、無自覚だったけど私、テオのこと考えながら自分の頬も緩ませてた?!もしかして私、うっかりユンさんと微笑み合ったりしちゃってた?!
ああぁあーーーッ!!!
御主人様が高等部に入学したその日に、ユンさんのことを「笑顔で周りを誑かす『猛毒』」って言って動揺していたことを思い出す。
悪役令嬢シリーズの主人公の平民の女の子とユンさんを照らし合わせて「相当な『強敵』」と評していたあの光景が蘇る。
そうか……そっか。
こういう人だったんだ。ユンさんって。
たしかにこれは「猛毒」で「強敵」だわ。
御主人様やアルディート様のように、一目で圧倒されたり惹きつけられるような「迫力」はたしかにないかもしれない。
でも、ユンさんにはこっちがつられてしまう何かがある。気が付いたらユンさんの空間に取り込まれてしまうような、いつの間にか流されてしまうような。ユンさん側には狙ってやってる雰囲気や悪意は全然無さそうなのに、こっちだけ妙に振り回されてしまうような……そんな不思議な感覚。
まさに破壊力抜群の「愛嬌」ってやつ。
……うん。たしかに性別こそ違うけど、悪役令嬢シリーズの主人公の平民の女の子がもし現実にいたら、こんな感じなのかも。
こう……ただ生きてるだけで周りが勝手に絆されていって、勝手に味方になってくれる感じ。
私は御主人様が昔おっしゃっていたことに時を超えて納得しながら、同時に今現在の御主人様にヒヤヒヤ、ハラハラしていた。
……どうしよう。御主人様の今の「………………そう。」って、何が、どう「そう」だったのかな。
怒ってた?大丈夫だった?……何とも思ってないといいんだけど。
御主人様は無言のまま動かない。さっきまであんなに張り切っていたのに。
そしてそんな御主人様の心境が読めなかったせいで、私は一瞬動くのを躊躇ってしまった。
このまま私が「では、ユンさん。どうぞこちらにお掛けください。」って誘導しちゃっていいのかな。それとも、御主人様がユンさんに対して何か言うか私に指示してくるのを静かに待つべき?
ひぃ〜ん!!来客接待も含めて、侍女の仕事にはすっかり慣れたと思ってたけど、こんな特殊な来客はどうしていいか分かんないよー!誰か助けてー!!
そうして私がほんの数秒固まりながら心の中で弱音を吐いていると、先にユンさんの方が動き出した。
遠慮がちに少し肩を丸めて、心許なさそうに両手の指を胸の前でいじいじさせて──それから、もう一度控えめにキョロキョロと部屋の中を見回しながら、照れくさそうにはにかんだ。
「…………えへへ。なんか、緊張しちゃうな。
セレンディーナ様のお部屋に来るの、初めてなんで。……どうしよう。」
──って、えぇー!?!?
私は思わずびっくりしてしまった。
ユンさん、これ全部素でやってます?!
可愛い!女子!!完璧な恋愛小説の主人公ですか?!
お部屋に来た初手で言わないで時間差でじわじわと照れてくるところがまず天然ですごいし、最後に小声で「どうしよう」って添えたところが、さらにやばい!一味違う!あざとさを超越した、はるか高みにいる!!
ユンさんは普通に男性なはずなのに。何故か私は今、学年……いや、学校で一番可愛い女子の照れ姿を見ているような錯覚に陥ってしまった。
コロコロと変わるユンさんの笑顔の引き出しの多さに、私の脳が麻痺しだしてきている。……人間の笑顔って、何百種類もあるんだな。勉強になります。
そんな女子も真っ青な圧倒的主人公ムーブをかますユンさんを見て、御主人様はハッとしたようだった。
なんとか御主人様は気合を入れ直したようで、ぐっと真剣な顔つきになってから平静を装ってユンさんに話しかけた。
「まったく、何を馬鹿なこと言っているのよ。いいから、さっさとこちらに来て座りなさい。
……エリィ、何か飲み物を用意して。そうね、冷たいフルーツティーがいいかしら。」
──って、御主人様ー!?なんでここでそういう反応になっちゃうんですか!!
「ふふっ、そんなに緊張しなくていいのよ。今日ユンがわたくしの部屋に来てくれて嬉しいわ。(ニコッ!)」て素直に言えばそれで本日の目標達成!ついでに甘い空気にもなるし!そうすれば私も安心できるのにー!!
一体何なの?!このお二人!!
私と御主人様に両極端な思わせぶり発言をしまくっている、振れ幅がすごい天然なユンさん。惚れと照れが空回ってツンツントゲトゲしまくっている、恋人に厳しく当たりのキッツい御主人様。
あまりにも凸凹すぎる。側から見てると、お互いに相手を嫉妬させたり怒らせたりしてもおかしくない言動をしまくってるんですけど。
っていうか、さっきからユンさんと御主人様で会話成立してます?してなくないですか?噛み合ってるんだか噛み合ってないんだか、もう全然分からないよ〜!
……ああ、誰か助けて。
御主人様をサポートする気満々で、ユンさんにお会いするのを楽しみにしていた5分前までの自分が嘘のよう。
今はもう、この空間で普通に呼吸するだけで手一杯なんですけど。
私はなんとか「かしこまりました。」と言って、身体に染みついた動きでフルーツティーを2杯分ご用意する。そして零さないように慎重に、お二人の前によく冷えた特製フルーツティーをそっと置く。
御主人様はいつもよりも硬い表情で、ユンさんはニコニコしながらも興味深そうに、それぞれが私の手元を見つめていた。
……緊張するんですけど。お願いですから注目しないでください。
あの、私とお茶のことは気にせず、お二人で和気藹々と話してくださっていていいんですよ?
何とか御主人様のご指示通りフルーツティーを提供し終えた私。
ユンさんはこちらを向いてふんわりと微笑んで「ありがとうございます。」とお礼を言ってくださった。それを受けて、お返事の代わりにそっと一礼した──んだけど、私は頭を下げながら、自分がユンさんにうっかり軽く微笑み返してしまっていたことに気が付いた。
──だって!そりゃそうでしょ!無理ですよこんな風にお礼を言われて素っ気なく返すなんて!一介の侍女にはできませんって!!
ご丁寧にありがとうございます。ユンさん。でもお願いですから、今は私のことは空気だと思って無視してください。侍女ってそういうものなんです。……私も庶民同然の田舎出身者なんで、使用人の存在が気になっちゃう気持ちはよく分かるんですけど。
今さら引けなくなって笑みを顔に携えたままになっている私を見た御主人様は、硬いお顔のまま「……もう下がっていいわよ。また声を掛けたら来て頂戴。」とおっしゃった。
私はご指示を受けて「かしこまりました。」と言ってそっとお部屋を退室して、それから廊下をしばらく歩いて階段を降りて──……階段の下の観葉植物の隣まで来たところで「ぶっはぁぁ〜……!」と盛大に息を吐きながらその場にお行儀悪くへたり込んだ。
あぁああ〜〜〜!!もうダメ!!
まだ10分も経ってないのにこの緊張感!疲労感!!
御主人様を応援するために侍女として戻ってきたはずなのに!なんて難しいの?!
ああ、侍女の仕事は奥が深い……。
「…………私も、何か飲もう。」
……うん。今は自分でお茶を淹れる気力すらない。使用人仲間に、美味しいお茶と軽食を用意してもらおう。そうしよう。
私はぽつりと独り言を呟いて、それからのろのろと立ち上がり使用人専用の食堂に向かった。




