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婚約者様は非公表  作者: 湯瀬
おまけの小話
77/93

小話2-2 ◆ 平民男が望むプレゼント

連載作品を投稿した記念に書きました。

ユンとセレンディーナの平和な凸凹恋愛模様と、そんな二人を見守る、また別の二人のお話。

全6話(執筆済)で基本毎日投稿の予定ですが、前半3話と後半3話の間に数日とるかもしれません。


よろしければ連載「御主人様は悪役令嬢」とあわせてお読みください。

 週末。デートの日がやってきた。


 白いブラウスと青紫のフレアスカート。

 そこに、シルエットは少しだけ妥協して、フラットなパンプスを組み合わせた。今日はとにかく靴擦れなどを気にせずに、たくさん街を歩きたいから。

 悩みに悩んで決めたコーディネートに、ようやく届いた眼宝玉のイヤリングを合わせて、壁に掛けられた姿見の前に立つ。


 ……これからこの姿で、わたくしは今日ユンに会う。


 鏡の中にいるわたくしの顔は、まるで自分ではないかのように浮かれて頬が緩んでいた。

 鏡に映った自分の姿にこんなにも胸が躍るなんて。一体いつ振りだろう。


 いずれにしても、こんなだらしない顔はユンには見せられない。

 わたくしは一呼吸置いて気を引き締めて、抜かりがないか全身をくまなく確認した。そして最後に一回りして、耳元で揺れるイヤリングの煌めきを目に焼き付けてから部屋を出た。



◆◆◆◆◆◆



 ──ユンはもう眼宝玉の存在すら忘れてしまっているかもしれない。


 そんなことを懸念していたわたくしだったが、ユンは違った。

 ユンはわたくしの姿を見て駆け寄りながら、すぐにわたくしの耳元にある、大ぶりな存在感のあるイヤリングに自然と目を向けた。

 そしてユンは、そのイヤリングが自分の贈った眼宝玉のものであることに気が付いたらしく、微かに眉を上げた後、少しだけ恥ずかしそうに──でも、とても嬉しそうに破顔した。


「おはようございます!セレンディーナ様。

 ()()、俺が贈ったやつですよね?完成品が届いたんですね。

 よくお似合いです。……ありがとうございます。使ってくださって。」


 やはり恥ずかしいのか、ほんのり顔を赤らめながら笑うユン。


 4ヶ月も経ってしまったというのに。まだわたくしは何も言っていないというのに。

 ……こんなにもすぐに気付いて反応をするなんて。


 もしかしたら、ユンは想像していた以上に、わたくしへの贈り物をずっと気にしてくれていたのかもしれない。

 もしかしたら、わたくしが思っている以上に──……わたくしは今、ユンに、好きになってもらえているのかもしれない。


 そんな浮かれたことを考えてしまう。


 わたくしは少し浮ついた気持ちのまま、ユンに「ええ。こだわり抜いた分、通常よりもだいぶ時間が掛かってしまったの。でもその甲斐があって、理想のものができたと思うわ。」と言った。

 ユンは笑って「そうだったんですか。無事にできてよかったですね。」と言って頷いて、それからわたくしの耳元に改めて目を向けた。


「光の加減かもしれませんけど……なんだか、キラキラしてますね。そういう加工なんですか?」


 ユンは完成したイヤリングを見ながら、コテンと首を傾げて平民らしい素朴な感想を口にした。


 ……装飾用アクセサリーに興味が無いユンの割には、着眼点は悪くない。

 そこはわたくしが特にこだわった部分の一つだから。


 大ぶりの割に主張は控えめな、儚げな輝きの眼宝玉。その魅力は損なわずに、しかし地味になり過ぎてしまわないように、眼宝玉を華やかに魅せるためは何の素材で彩るべきか。職人とともにかなり頭を悩ませたのだ。


 わたくしは嬉しくなった。


「ええ。よく気が付いたわね。

 メインの眼宝玉を()()()()()()()()ために、金属部分──イエローゴールドの上にも、細かな宝石を散りばめたのよ。」


「あ、………………なるほど。」


 ユンはまったく理解が追いついていなさそうな顔をしながら頷き、こちらへ少し近付いてきた。そしてじっとわたくしの耳元を観察し……複雑そうな顔をして呟いた。


「よく見ると……そのイエローゴールドと()()()()()の宝石たちの方が、眼宝玉よりもだいぶ……けっこうなお値段しそうな気が…………大丈夫でしたか?」


 わたくしはそれを聞いてハッとして、とても焦ってしまった。


 ──まさかユンは、加工に使った()()()()()()()()()()に気後れして、また自分が贈った眼宝玉に自信を無くしてしまっているのだろうか。


 高価な宝石に慣れていないユンならば、そんな筋違いなことを考えてしまっていてもおかしくはない。


 わたくしは今日はユンを絶対に傷付けたくなかったから、ユンが誤解しないようにしっかりと説明をすることにした。


「……ユン。」

「ハイ。何でしょう?」

「心配しないで。貴方がくれた眼宝玉が一番よ。誤解しないで頂戴。

 この眼宝玉には値段なんて付けられないの。1兆リークでも100兆リークでも到底足りないの。分かるかしら?」

「あ、えっと……ありがとうございます。恐縮です。」


 ユンが目を泳がせながら口先だけで感謝をしてくる。


 ……まだきちんと理解できていないようね。


「だから、貴方が気後れする必要など一切ないの。貴方が不安になる要素など、どこにもないの。

 加工に使ったゴールドも宝石も、すべては貴方の眼宝玉のために存在するのよ。()()()()()で価値を比べては駄目。

 いいこと?ユン。

 ()()()7()()()程度に、ユンのプレゼントが劣る訳がないのよ。だから自信を持ちなさい。……理解できたかしら?」


 するとユンはハッと息を呑み、両手を胸の前で握りしめて縮こまりながら泣きそうな目をして「──ってことは……そっ、そのイヤリング、7()()()()()()()しちゃったってことですか?」と震え声を出した。


「違うわ。それは()()()()()()ゴールドと宝石と、それらの加工にかかった値段よ。

 貴方がくれた眼宝玉自体には100兆以上の価値があるの。だからこのイヤリングには値段なんて付けられないの。

 ……ねえ、ユン。お願いよ。お願いだからわたくしを信じて。

 貴方がくれた宝玉が、一番美しくて綺麗なの。一番輝いているの。

 だから大丈夫よ。他はすべてただの引き立て役。勘違いしないで。」


 わたくしの言葉を聞いたユンは、涙こそ流していないものの、滅茶苦茶な顔をした。

 真っ赤になりながらくしゃくしゃな顔をして「お゛わぁ゛〜……こっ、怖いよぅ〜……どうしようぅ……」と野良猫のような奇妙な鳴き声と共に謎の泣き言を言った。


 わたくしが「何が怖いの?何かまだ不安なの?」と尋ねると、ユンはギュッと目を瞑りながら眉間に皺を寄せ「うぅ……」と弱々しく(うめ)いた。

 それからしばらく固まっていたが、やがて小さな声でボソボソと喋り出した。


「……セレンディーナ様に喜んでいただけたようで、よかったです。……嬉しいです。」

「ええ。」


 ようやく伝わったようだ。……良かった。


「……落として失くしたり、盗まれたりしないように、くれぐれも気をつけてくださいね。」

「当たり前じゃない。」


 そんなことするわけないじゃない。わたくしの一番の宝物だもの。

 万が一盗まれても、どんな手を使ってでも必ず取り返す。そして窃盗犯は確実に処刑台に送る。当然のことだ。


「…………や、やっぱり、それ付けて外を出歩くのはやめておいた方がいいような気が──……」

「何でそんなことを言うのよ。使わなきゃ意味がないじゃない。」


 やはり伝わっていなかったのか。この男、なんて面倒なのかしら。


「ユン。さっきから何度も言っているでしょう?貴方が気後れする必要なんてないのよ。

 これを付けて外を歩くことの何が心配なの?誰もが一目見て分かるほどに素晴らしいものなのよ。きっと皆、このイヤリングに見惚れるはずだわ。」


 するとユンは「だっ、だから怖いんですぅぅ」と言ってまた顔をくしゃくしゃにした。


 わたくしは首を傾げてしばらく考えて──そして理解した。



 …………なるほど。()()()()()()だったのね。



「ユン。貴方って、意外と嫉妬深い性格なのね。」



 わたくしはようやく納得した。

 きっとユンは、自分が贈った眼宝玉を身に付ける婚約者(わたくし)の姿を他人に見せたくないのだろう。


 ユンはそういった性格の持ち主ではないと思っていたけれど……わたくしは誤解していたのかもしれない。


 そう思ってわたくしが頷くと、何故かユンは「ひぃ〜ん!どうしてそうなるんですかぁぁ〜!」と否定して「……うぅ、一週間の野宿旅に行きたい……助けて兄ちゃん……」と意味不明なことを呟いた。


「ユン。意味の分からないことを言っていないで、さっさと行きましょう。

 せっかく今日はこの眼宝玉のイヤリングを付けてきたんだもの。わたくしはずっと、これを付けて貴方と街を歩くのを楽しみにしていたのよ。

 今日はいろいろなところに行きましょう。そしてたくさん歩きましょう。早くしないと時間が勿体無いわ。」


 わたくしが急かすと、ユンはしばらくくしゃくしゃな赤い顔で固まった後に、何かを諦めて覚悟を決めたように「……セレンディーナ様のことは、何があっても守りますんで。怪しい奴が近付いてきたら、すぐに対処しますんで。……頑張って警備しますね。」と宣言をしてきた。


 ……「警備」って何よ。


 ユンに「何があっても守ります」と言われたのは嬉しいのだけれど、どうせならもっと自信を持って格好良く言って欲しかった。

 ユンは魔導騎士団に入団できるほどの強い男。ただの警備兵などよりも、よほど頼り甲斐のある男なのに。


 …………なんて勿体無い男なの。



 それからユンは何故か「……今日は馬車で移動しませんか?」と意味の分からない提案をしてきたけれど、わたくしはいつものようにユンに移動を頼んだ。


「馬車で移動していたら散策の時間が減ってしまうじゃない。」

「お゛わ゛ぁ〜……っ」

「変な鳴き声を出さないで。早く連れて行って頂戴。」

「ひぃん……そのイヤリング、落とさないように気を付けてくださいね。」

「分かっているわよ。しつこいわね。」

「……ハイ。じゃあ、行きます。」


 そう言ってユンはわたくしを抱き上げた。


 ……けれど、いつもと違ってユンはわたくしの頭を抱え込むようにして、きつく自分の胸に押し当てるようにして抱いた。


 先ほどの言動からして、イヤリングが落ちないように気を遣ってくれているのだろう。


 頭では分かっていたけれど、どうしようもなく胸が高まって、そして緊張してしまった。

 聞こえてくるのが、ユンの心臓の音なのか、わたくしの心臓の音なのか分からなかった。


 ……このイヤリングを付ければ、ユンはこうして抱いてくれるのか。


 イヤリングを見て喜んでもらえれば良いとだけ思っていたけれど。思いがけない効果もあるものだ。

 わたくしは心の中で、デートのときには特にこのイヤリングを多用しようと決めた。



◆◆◆◆◆◆



 ブランチを食べて、大通りをのんびりと散策して。それから新進気鋭の若手芸術家たちの作品を多く展示している、あまり大きくはないが界隈では有名な民営美術館に足を運んだ。

 ユンは芸術分野については、その生い立ちもあり、もともと完全に知識のない素人ではあった。しかし特に、今回の美術館にあるような現代芸術家たちの作品に関しては感性が追いついていないようだった。


「…………これなら俺にも描けそう。」


 首を傾げ過ぎて、顔の角度がほぼ横向き……90度近くになっているユンが、今一番王国で注目されている天才女性画家の大作を前にして、舐めた発言を繰り出す。

 従来の写実的な表現を打ち破り、人や物に内在する本質を可視化させようとする昨今の芸術家たちの魂を削る試み。芸術への情熱と衝動と、冷静な理性と深淵な思考。新たな世界への果敢なる挑戦。それらが遺憾無くぶつけられたこの作品の迫力を、この男は微塵も感じ取れていないようだった。


 この男の絵画の腕は知らないが、今度何か描かせてみようか。


 そんなことを考えながら、わたくしはふざけた感想を連発するユンとともに作品を見て回った。



◆◆◆◆◆◆



 美術館を出て、近くにあるカフェに入り一息つく。

 そこでわたくしは、ユンにようやく、ここ4ヶ月ずっと聞きたかったことを尋ねることにした。


「ねえ、ユン。」

「はい。」


「……貴方、この婚約記念の眼宝玉のお返しに、何か欲しいものはある?

 わたくしからは、何を贈ればいいかしら。」


 わたくしはユンにそう尋ねた。



 わたくしは四大公爵家の令嬢。当然、贈り物を選ぶセンスも磨いてきている。

 しかしこの4ヶ月、ずっとユンに何を贈ろうか、これまでのありとあらゆる知識を総動員させて考えてきたけれど、しっくりくる答えを見つけることができなかったのだ。


 1年と4ヶ月ほど前。交際を始めた、記念すべき初デートの日。

 あの日に初めて見たユンの職員寮の殺風景な部屋と、「私物を置くと自分の家みたいになるから落ち着かない」という言葉。

 ……あの光景を思い出すと、どれもがユンへの贈り物としては相応しくないように思えてしまったから。


 かと言って、食品のような消え物や、ただの衣服などでは、到底この眼宝玉のお返しとしては釣り合わない。わたくしの想いの1割も伝わらない気がする。


 実用性の高い武器や装備品などならばユンは喜ぶかもしれないが、その場合はわたくしが勝手に用意して渡すよりも、ユン自身に選ばせた方がいいだろう。ユンにはユンなりのこだわりがあるだろうから。


 ……いずれにせよ、ユンに直接欲しいものを聞いて、わたくしがそれを叶えるのが一番いい。

 それが一番、ユンの記憶に残る「贈り物」になるはずだ。


 わたくしは結局、そう結論付けたのだった。



 わたくしの質問を聞いたユンは、少し眉を下げながら遠慮がちに笑った。


「あ、いえ。そんなお気遣いなく。

 セレンディーナ様に喜んでいただけただけで俺は充分満足なので。

 ……それに、結局加工でセレンディーナ様の方にお金をだいぶ掛けさせちゃったし。むしろ申し訳ないくらいです。」


 ……この男。

 まだそんなことを言っているのか。

 どちらがいくら支払おうが、何も関係ないというのに。わたくしたちはもう他人ではないのに。

 いい加減、もう四大公爵家の令嬢であるわたくしの婚約者としての自覚を持ってほしい。


 それともまだ、ギルドで氷牙豹の双剣を買おうとした学園の2学年のときのように「施しなど欲しくない」と言うのだろうか。

 それが平民の矜持だとでも言いたいのだろうか。


「ねえ、ユン。あんな()()()()()()()の話に、いつまでも固執しないで。

 ……ユンは何もいらないの?わたくしからは何も欲しくないというの?」


 わたくしが強めに再度そう尋ねると、ユンは少しだけビクッとして、それからそわそわと縮こまった。


「あ、いや……その、えーっと…………その、一つだけ、一応あるにはあるんですけど……。

 ちょっと、お願いするのも野暮というか、何というか。なんか、恥ずかしくって。

 ……でもせっかくだし……どうしようかな……。」


 そう言ってほんのり顔を赤らめて俯き、両手で自分の指をいじりだすユン。


 これはユンが、惚れている相手に見せる姿。4ヶ月前に初めて見せてくれた、世界一愛らしい姿だった。


 あの日以来、ユンのこの姿は見ていなかった。どうやらこの姿は相当希少なようだ。

 今日もまた、目の前のこの男は可愛くて可愛くて仕方なかった。


 ……なんだ。欲しいもの自体はあったのか。

 それならば、とっとと言えばいいものを。何をそんなに躊躇っているのだろう。

 こんなにも可愛い顔をして、一体ユンは何をわたくしに望むつもりなのか。


「遠慮しなくていいわ。何でも言いなさい。」


 わたくしはそう言いながら、柄にもなく緊張し身構えてしまった。

 思わず硬くなってしまったわたくしの声にピクリと反応したユンは、顔を強張(こわば)らせたわたくしの姿を見て──……まるで「言わなきゃよかった」とでも言いたげな、傷ついたような目をした。

 それから、それを誤魔化すようにしてまた視線を手元に落として、無理矢理笑いながら、虚し過ぎる望みを口にした。



「あっ、あの……本当に大したことじゃないっていうか、気にしないで欲しいというか、忘れてくださって全然構わないんですけど……その……、


 …………俺、一回でいいんで、セレンディーナ様の笑った顔を見てみたいなって。


 ……それだけです。」



◆◆◆◆◆◆



 そこからのことは、ほとんど何も覚えていない。


 わたくしがユンにどう返事したのかも、その後どうやって家に帰ったのかも、記憶にない。


 ただユンが「あの、本当にお気になさらないでくださいね。全然、無理しないでください。セレンディーナ様に不満があるわけではないので。変なこと言ってごめんなさい。困らせちゃいましたよね。」と、いろいろ言いながら眉を下げて笑って、わたくしを懸命にフォローしていたような気がする。



 ……わたくしは、一体、今まで何をしていたのだろう。



 ユンと知り合って3年、さらにそれからユンと付き合って1年以上。

 今は婚約までしているというのに。


 まさか、わたくしは今までずっと、一度もユンに笑いかけたことすらなかったというのか。


 自室で呆然としながら、わたくしはこれまでの日々を振り返った。


 初めて出会った日、わたくしはユンに怒鳴っていた。

 初めて告白した日、わたくしは泣きながら叫んでいた。

 初めてのデートの日、わたくしはユンを傷付けた上に責め立てた。

 初めてプレゼントを貰った日、わたくしはユンを不安にさせていただけだった。


 ……わたくしはたしかに、一度も笑っていなかった。



 一昨日もお兄様に「ずっと顔がにやけている」と指摘されたばかりなのに。

 ユンからのプレゼントは、本当に、本当に、本当に嬉しかったのに。

 ユンと一緒に居るときはいつだって、わたくしはとっても幸せなのに。


 ……わたくしの想いは、一つもユンに伝わっていなかった。

 …………わたくしが、たったの一度も伝えていなかった。



 今日、ユンは勇気を出してわたくしに伝えようとしてくれた。

 自分から今さらそんな低次元なことを頼むなんて、婚約者として、きっと恥ずかしくて辛かったに違いない。屈辱だったに違いない。


 わたくしはそのときどうだっただろう。


 ──顔を強張らせて、笑顔からさらにかけ離れて、ユンをさらに絶望させた。


 勇気を出して言おうとしたユンを、わたくしは非道にも傷付けた。



 わたくしは自分が情けなくて仕方なくて、涙が止まらなくなってしまった。

 プレゼントを貰って能天気に浮かれていた自分が、馬鹿で愚かで仕方なかった。


 わたくしは泣きながら手鏡を取り出して、ユンが目の前にいることを想像しながら、笑顔になろうと試みた。


 …………上手くできない。つくれない。


〈目の前にいるユンが笑っている。わたくしはユンに嬉しいことを言ってもらえて、胸が痛いくらいに幸せな気持ちになって、ユンに好きだと伝えたくなった。〉


 ユンに会う度に、毎回毎回、何度も何度も起こっているこの状況を想定して、何度も何度も必死になって口角を上げようとしたけれど、わたくしは上手く笑えなかった。


 鏡には、口元がみっともなく歪んだだけの、醜い女が映っているだけだった。


 …………笑えていない。美しくない。


 こんな顔じゃ、ユンに喜んでもらえない。ユンに「可愛い」と言ってもらえない。

 ……っ、ユンに、幻滅されてしまう。


 わたくしはもう、どうすればいいか分からなかった。


 こんな簡単なことすらできない自分が憎くて憎くて仕方がなくて、涙が止まらなくなってしまった。


 わたくしは何時間も、情けない自分に涙した。夕食もとらずに泣き続けた。

 そうして泣き続けて、涙を枯らして、わたくしはようやく決心をした。



 わたくしが泣いている場合ではない。本当に泣きたいのはユンの方なのだ。

 だから「できない」じゃない。「分からない」じゃない。できなくても、分からなくても、それでも「やる」しかない。

 これ以上、ユンを傷付けないために。ユンに安心してもらうために。



◆◆◆◆◆◆



 幼い頃は、公爵令嬢としての勉強やレッスンが思うようにこなしきれなくて、上手くできなくて悩んで泣いたこともある。

 しかし、それらは最終的に努力と工夫でなんとか乗り切れた。


 だから、わたくしは努力をすべきなのだ。工夫をすべきなのだ。

 ただがむしゃらに鏡相手に笑おうとするだけで駄目なら、頭を使うべき。


 わたくしはまず早速、お兄様の部屋に行って助言を求めた。

 行き詰まったときにアドバイスを求める相手は、教師でも親でもよいのだけれど、やはり双子の兄というのが一番便利な存在だ。

 年齢も近く、能力も近く、互いの思考がよく分かっている。

 お兄様からのアドバイスで、勉強やダンスの(つまず)いていた箇所を解決したこともたくさんある。

 笑うことに関しても、お兄様の方がわたくしよりも()()()得意だろうから、良い参考になるだろう。


 そう思ってお兄様に「婚約者の前で笑う方法」を尋ねたのに、お兄様は今回は珍しく参考にならなかった。


 ユンを今この瞬間も傷付けているからこそ、一刻を争うというのに。すぐに解決しなければならない重大な問題だというのに。

 真剣なわたくしに対してお兄様は「無理矢理するものでもないだろ。自分がどういうときに笑っているか考えて、自然に、素直な態度を取ればいいだけだ。」と、役に立たない具体性に欠けるアドバイスらしき言葉を並べただけだった。

 わたくしが「そんな曖昧な考えだけで解決できたら苦労しないわ。」と言ったら、お兄様が呆れたような目で「……ユンも可哀想に。」と呟いたものだから、わたくしはまた焦ってしまった。


 ……そうよ。そうよ!だから早くしなければいけないのに!


 わたくしは目にまた涙が浮かんできてしまった。

 頼りになると思ったはずのお兄様は、全然頼りにならなかった。

 わたくしはすぐにお兄様の部屋を出て、また別の案を考えることにした。


 しばらく考えて、わたくしは一つの案を思いついた。

 そしてわたくしは、急いで今月の王都の劇場の演目スケジュールを端から端まで確認した。

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