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婚約者様は非公表  作者: 湯瀬
おまけの小話
76/93

小話2-1 ◆ 平民男が贈るプレゼント

連載作品を投稿した記念に書きました。

ユンとセレンディーナの平和な凸凹恋愛模様と、そんな二人を見守る、また別の二人のお話。

全6話(執筆済)で基本毎日投稿の予定ですが、前半3話と後半3話の間に数日とるかもしれません。


よろしければ連載「御主人様は悪役令嬢」とあわせてお読みください。

 婚約者のユンが不在の、わたくしの婚約パーティーから一週間が経った週末の朝。

 わたくしはいつものように、ユンと王都にデートに行くべく、ユンのいる魔法研究所の職員寮の前に来ていた。


 しかし、今日はいつもとは違う点が二つある。


 一つは、今日が「ユンが正式にわたくしの婚約者になってからの初めてのデート」だということ。

 そしてもう一つは──何故か初めて、ユンが「今日は以前わたくしに教わった宝石工房のある通りに行きたい」と目的地を指定してきたことだった。


 一つ目はいい。それはただの事実だから。


 しかし、二つ目については、わたくしは見当がつかなかった。


 ユンが宝石工房に行きたがる理由。


 ──婚約者として、わたくしと揃いの婚約指輪でも作ろうとしている?


 ……まさか。あの男に限って、そんなことはないだろう。


 ユンは以前、アクセサリーの類について「どうにも気になってしまうから付けたくない」と、はっきりと言い切っていた。

 中には自身の魔力増幅を目的とした、魔法石を使った戦闘用アクセサリーという代物も存在しているのだが、そういったものについても「俺、戦闘用アクセサリーを魔道具として見るのは割と好きなんですけど……ただ、自分では使いたくないっていうか……戦うときにはつけたくないんですよね。何だか魔力の出力量が狂うような気がしちゃって気持ち悪いんです。どうせ魔法石で出力を増やすなら、アクセサリーで自分の魔力に直接作用させるんじゃなくて、武器に嵌め込んでそっちを強化して使いたい派です。」と言っていた。


 ユン自身がいつもそんな調子だったから、わたくしには、彼が宝石工房に今さら行きたがる理由がうまく予想できなかった。

 婚約指輪をはじめとする装飾用アクセサリー、もしくは魔法石を使った戦闘用アクセサリー──……一応、一通り想像はしてみたものの、どれもユンが望むにしては不自然で、彼らしくなく、どうにもしっくり来なかった。



 だからわたくしは、職員寮から「おはようございます!セレンディーナ様!お待たせしました!」と言っていつも通りの笑顔で出てきたユンに、早々に尋ねることにした。


「ねえ、貴方。今日は何故、宝石工房に行きたいの?」


 するとユンは「……あっ。」とだけ言って、呑気な笑顔を終わらせた。

 そしてそれから、視線をわたくしから外して何だか恥ずかしそうにながら、鞄からゴソゴソと黒い布製の小袋を取り出した。

 冒険者たちがギルドでの素材納品に使いそうな、何とも実用性重視なデザインの小袋。いかにもユンらしいその小袋を、ユンはそわそわと、少し顔を赤らめながら遠慮がちにわたくしに差し出してきた。


「あの、えーっと……これです。

 それで、今日はこれを何かに加工とか……できたらいいかなって。……どうぞ。」


 いつもよりもだいぶ歯切れが悪いユン。わたくしはユンが何が言いたいのか、いまいち捉えきれなかった。

 わたくしはとりあえず差し出された袋をそのまま受け取り、物を見てユンの言っていることを把握しようとした。

 袋を開けて中を覗く。


 ──そこには、大きくて丸い、二つの宝玉があった。


 わたくしは慎重に……当然、素手では触らずにハンカチを使って袋の中からその宝玉うちの一つを取り出して、外の光と空気に触れさせながら観察をした。


 わたくしの瞳の色に近い金色に、光の加減でたまに差し込まれる、紫にも紺色にも藍色にも見えるオーロラのような煌めき。

 それは初めて見る、何とも不思議な宝玉だった。


 …………こんな宝石は知らない。


 わたくしは四大公爵家の令嬢として、宝石の鑑定くらい当然できる。しかし、わたくしの知識の中には、この目の前の宝石に合致するものが無かった。


 ──無名の宝石。


 しかし、わたくしはこの宝玉に一瞬にして目と心を奪われた。


 これが世界一美しい宝石であることは間違いない。


 わたくしの審美眼と直感は、すぐにそう確信していた。


 わたくしの知識にないところからすると、もしかしてこれは宝石ではなく鉱石の類なのだろうか。

 ……いや、こんなにも美しい鉱石があるならば、宝石として世間に評価されないわけがない。わたくしが知らないわけがない。だとしたらこれは一体、何なのだろうか。


「……これは何かしら?」


 わたくしが尋ねると、ユンは恥ずかしいのか、赤面したままわたくしから目を逸らしながらボソボソと答えた。


「えっと……紫速竜の眼宝玉です。

 先週の婚約パーティーの日に、自分で狩って作りました。


 その……柄にもないことして、アレなんですけど……


 セレンディーナ様との婚約記念に贈ろう、って思って。」



◆◆◆◆◆◆



 わたくしはあまりにも驚いて、嬉しくて、幸せで──言葉にできない感情が溢れてしまって、随分と長い間、固まってしまっていた。


 ──「柄にもない」。


 たしかにその通りだ。

 わたくしはユンを誤解していた。ユンがそんな風に、記念に何か贈り物をしようなどと考える人間だとは思っていなかった。

 ユンには最初からそんなことは望んでいなかったし、最初から期待もしていなかった。


 固まっていたわたくしが何とか言葉を発する前に、ユンが今度は不安げに的外れなことを言ってきた。


「あっ、あの!すみませんでした。いきなり変なの渡して、困らせちゃいましたよね。

 全然、そんな……その、別に加工せずに引き出しにしまっちゃってもらってもいいですし、もし趣味に合わないようなら売っちゃってもいいんで。

 そんなに高くはならないと思いますけど、数万リークにはなると思うんで。それで美味しいものでも食べに──「ユン。」


 わたくしは思わず怒りを滲ませながらユンの言葉を遮った。


 今……この男、何と言ったのか。


「……貴方、わたくしが婚約者から贈られた物をいきなり売り飛ばすような女だと思っているの?」

「いっ、いえ!そんなことは……」

「じゃあ何よ。何でそんなことを言うのよ。堂々としていればいいじゃない。何をそんなに怯えているのよ。」

 

 ……言いながら、わたくしはユンを責めてしまっていることに気が付いた。


 違う。違う。わたくしは今そんなことが言いたいんじゃない。そんなことをしたいんじゃない。わたくしはユンに──


 わたくしの鼓動が一層早まり心がどうしようもなく乱れたとき、わたくしの思考に被せるようにユンの声が耳に入ってきた。


「……ごめんなさい。

 俺、実はお付き合いしている人にプレゼントをするのって、初めてで。いろいろ考えたんですけど、自分のセンスに自信がなくって。言い訳しちゃいました。

 ……情けないですよね。本当にすみませんでした。」


 遅れて、目に映るユンの姿をわたくしの脳が理解した。



 ユンは両手を胸の前で握って、耳元まで真っ赤にして、眉を下げて唇を巻き込んで……涙こそ浮かべていないけれど泣きそうな顔をして、わたくしの目ではなく、わたくしの手元にある眼宝玉を見つめていた。



 ──わたくしはようやく、知ることができた。


 ユンがわたくしに惚れている姿を、ずっとずっと、うまく想像できずにいた。ユンという男が難しすぎて。

 ……でも、ようやく分かった。


 ユンは、惚れた相手には可愛らしくなる男だった。


 普段は飄々としているくせに。ずっと笑っているくせに。

 ユンはいざとなったら、こんなにも初々しく、弱気になる男だった。



 ──ユンは世界一、愛らしい男だった。



 わたくしは胸が張り裂けそうだった。

 すべての感情が一気に溢れて、わたくしは死にそうだった。


 ユンがわたくしに惚れてくれているという事実を、初めて心の底から実感できた。

 そしてそんなユンを……わたくしは今、責め立ててしまった。


 人生で一番の幸福と、人生で一番の後悔が一気に押し寄せる。

 わたくしは必死になって、何とか口を開いた。


「ユン。わたくしは嬉しいわ。本当よ。本当に、本当に嬉しいわ。」


 滅茶苦茶なわたくしの脳が、また遅れて一つ、理解した。


 ユンは「お付き合いしている人にプレゼントをするのって、初めてで。」と言っていた。


 ……わたくしは今、世界一愛らしいユンの「初めて」で「一番」を貰えたのだ。


「わたくしの宝物にするわ。一生、ずっと大切にするわ。

 ……だから、お願いよ。お願いだから『売る』なんて言わないで。

 わたくし、ユンから貰って困るものなんて一つもないわ。」


 わたくしの声は震えていたけれど、今日だけは、今だけは絶対に泣くわけにはいかなかった。

 わたくしは必死に耐えて、ユンの顔を見続けた。


 ユンはゆっくりと、恐る恐るわたくしの顔を見て、そして少しだけ救われたような表情をした。

 わたくしは懸命に、続けてユンに伝えた。


「ユン。貴方の提案通り、宝石工房へ行きましょう。王国で一番腕のいい加工職人に頼んで、一生使えるアクセサリーを作るわ。」


 それを聞いたユンは、ようやくほっとしたように力を抜いて、眉を下げて笑った。


「ありがとうございます。セレンディーナ様。」



◆◆◆◆◆◆



 1年かけてすっかり慣れたユンの音速移動で、宝石工房のある通りまで移動する。

 ユンに抱えられて移動している間も、通りに着いてから歩いている間も、わたくしはあれこれと考えていた。


 ユンがくれた紫速竜の眼宝玉。

 加工するならば絶対にアクセサリーがいい。文鎮などの道具や、置き時計などの調度品に使ってしまっては勿体無い。わたくしはこのユンからの贈り物を身に付けたいのだ。

 ただ、アクセサリーにするにしては、この眼宝玉はかなり大きめだ。指輪やブレスレットにはまず使えないだろう。

 ネックレスならば作れるかもしれないが、二つの大ぶりなまん丸の宝石を使ったネックレスに合わせるドレスとなると、かなり限定されてしまいそうだ。それでは困る。できるだけ汎用性の高いものにして、なるべくたくさん使いたい。

 イヤリング……ならば、大ぶりではあるがデザイン次第ではうまく使えそうだ。ユンの魔力が込められた、美しく煌めく儚げで繊細な色合いのイヤリングを耳につける自分を想像するだけで、胸が高鳴る。

 それか、髪飾り。一つずつ違うデザインにして二つの髪飾りを作って日によって使い分けてもいいし、二つの眼宝玉を組み込んだ大きな髪飾りを一つ作ってもいい。髪飾りの方が、使い方の幅は広がりそうだ。

 とにかく、大きさ的に、イヤリングか髪飾りのどちらかしか無いだろう。


 すると、わたくしがずっと無言だったせいか、ユンが少しだけ心配そうに「どうかしましたか?」と尋ねてきた。


 今日は特に、もうこれ以上ユンを不安にさせたくなかったから、わたくしはきちんとユンに考えていたことをすべて伝えた。


 わたくしはユンのプレゼントを何に加工するかを考えていただけ。ユンが不安になることなど何一つない。


 しかし、それを聞いたユンはホッと安心……はせずに、代わりに「えっ?削って加工しないんですか?このまま使うんですか?」と驚いた。


 …………そんなこと、考えもしなかった。


 わたくしが「ユンから貰ったものを削って減らしてしまうなんて勿体無くてできない。」とその瞬間に思ったことをそのまま伝えると、ユンは「あ、そうですか。」と言ってから、少し俯き視線を逸らして、両手の指を合わせていじいじとしながらポツリと「……加工しやすいようにと思って大きめなの選んじゃった。そっか。……ちょっと失敗しちゃったかな。」と呟いた。


 わたくしは初々しくて弱気な愛らしいユンを、衝動のままに強く抱きしめた。

 一体、どこまで可愛くなるというのだろうか。このユンという男は。


 ユンはわたくしの突然の行動に驚き目をまん丸にした後、顔を赤らめながら眉間に皺を寄せ、口を尖らせて「……ここ、けっこう人通りあるんですけど。」と文句を言ってきた。



 これはユンと付き合い始めてから知ったことだけれど、ユンは意外にも、人前で恋人らしいことをするのが苦手で嫌いなようだった。


 あれは初めてのデートから1ヶ月ほど経った、たしか4回目のデートのときだった。

 わたくしはその日の最初に「せっかくデートをしているのだから、今日は手を繋いで歩いてみたい。」とユンに我儘なお願いをしてみた。道行く人々を見て、お兄様と婚約者様の姿を思い出して、ふと思ったことだった。

 するとユンは、笑顔を消して苦い顔をして「俺、人前でそういうことをするのが個人的に苦手なんです。ご期待に添えず申し訳ありません。」と断ってきた。

 初デートの日に躊躇わずあっさりとわたくしにキスをしてきたというのに。女性相手に()()()の経験はしてきているらしいのに。普通は逆ではないのか。意味が分からない。

 そう思って素直に聞いたら、ユンは「別に人目がなければいいんです。」と返してきた。


 単に、生まれついての性格なのかもしれない。

 それか人目に関して、何か過去に嫌な経験の一つでもあるのかもしれない。


 わたくしは理由は分からなかったけれど、ユンが珍しく頑なだったので一旦納得することにした。そしてそれ以来、ユンの言う通りにしていたのだった。

 ……実際にユンはその日、人目のない場所に行ったところで「先ほどは失礼しました。」と申し訳なさそうに笑って、優しくわたくしの手を取ってくれたから。


 ユンが恋人らしいことをする姿は、本当にわたくし一人しか見ることができないということか。

 これはこれで、特別感があっていい気がする。……むしろ、この方がいい気がする。


 わたくしはそのとき、そう認識を改めたのだった。




 …………でも、貴方がこんなにも可愛い今くらいは、許してくれたっていいじゃない。


 なんてケチな男なの。



 わたくしは少し不貞腐れながら、空気を読まずに不満を漏らすユンを解放して宝石工房へと入った。



◆◆◆◆◆◆



 わたくしは早速、パラバーナ公爵家御用達の、信頼できる工房で一番の腕利きの職人と相談を始めた。


 彼の腕と職人としての矜持は充分に理解していたけれど、それでも万が一、少しでも手を抜かれることのないよう、職人の指名料と、出来による礼金と対応による心付け、さらに今からの相談料も時間単位で上乗せすることを約束した。

 隣にいたユンはギョッとしてわたくしの方を見たが、わたくしはそれを当然無視した。ユンから贈られたこんなにも美しい眼宝玉に対し、金を惜しむなどあり得ない。

 初老の職人の彼は、穏やかに微笑んで「必ずやご期待に応えます。」と頷いた。


 それからわたくしは職人と共に、あれやこれやと考えた。

 まず、イヤリングにするか、髪飾りにするか。それを決めるのに1時間。

 悩みに悩んでイヤリングにすると決めてからは、どのような素材で、どのようなデザインにするかを3時間。


 この眼宝玉は大切な宝物。生涯身に付けるものなのだ。金、銀、プラチナ……どんな金属を使ってこれをイヤリングに仕上げるか。安易な素材を選んで眼宝玉の美しさを損なわせたり、すぐに劣化して使い物にならなくなったりしては意味がない。

 今流行りのデザインにして、十年後、二十年後に使えなくなってはいけない。かと言って無難な古臭いデザインにして、今のわたくしが使うことができなくなってしまっては本末転倒。


 わたくしは「王国の伝統的なデザインをベースに、普段使いがしやすく、パーティーなどの公の場でも身に付けられるような、どんな年齢、どんな年代、どんな服装でも馴染むような、洗練された派手すぎない、しかし華のあるイヤリングにしたい。」と職人に伝えた。

 職人は苦笑しながら「何とも難しい要求ですな。」と言いながら、紙にいくつかのデザイン案を描き始めた。


 ユンは最初の1時間ほどはわたくしの隣に座って大人しく話を聞いていたけれど、わたくしのその要望を聞いたところで相当時間が掛かりそうだと判断したのか、無言で静かに席を立ち、工房の隅にあった別の椅子のところにそっと移動し、足を組んで座り直した。

 そして鞄からノートとペンを取り出して、膝の上にノートを広げて何かを黙々と書き始めた。


 ユンも一緒にイヤリングのデザインを考えてくれようとしている──……訳はない。


 この男はどうせ、何か研究のことでも考えているのだろう。手を止める度に器用にペンをくるくる回して、時折ペンの軸の端で頭を掻きながら、何かをひたすらに書いていた。



 そうして3時間掛けてようやく納得できるデザインに辿り着いたわたくしは席を立ち上がり、ノートに何かを書くことに集中しているユンのもとへ行って声を掛けようとした。


「あ、終わりましたか?……ちょっと待ってください。えーっと……」


 ユンは私が声を掛ける前に、気配で察したようだった。

 ノートから顔を上げずにペンを走らせること数秒。区切りのいいところまで書き切ったらしいユンは、満足気にノートを閉じて立ち上がった。


「それじゃ、行きましょうか。」


 にっこり笑うユンは、いつも通りのユンだった。

 それから遅すぎる昼食を食べて、少しだけ通りを散策しながら他愛もない話をしていたらすぐに夕方になってしまったので、ユンに公爵家の門の前まで送ってもらった。


 ユンはその間、もうあの「わたくしに惚れた姿」は見せてはくれなかった。



◆◆◆◆◆◆



 あれから4ヶ月以上も経ってしまった。


 仕方ない。あの職人は腕が良く、我が公爵家だけでなく数々の有力貴族を顧客に抱えている。優先度の高い依頼以外はこちらを先にするように追加で金は積んだけれど、それでも待つことになるとは思っていた。

 それに加工に使う金属や素材も、最上級のものを妥協せずに入手して惜しみなく使うよう指示していたから、ある程度の期間が必要になるのは覚悟の上だった。


 ……でも、こんなにも遅くなってしまうなんて。


 公爵家にようやく届いた、特注の眼宝玉のイヤリング。ユンからの婚約記念のプレゼント。わたくしの、一生の宝物。

 わたくしは受け取ってすぐに、その出来を確認すべく傷付けないように慎重に箱を開封した。

 何重にもなっている箱を一つ一つ開けて、最後に専用のケースの蓋を開ける。


 そこには、神秘的で儚げな輝きの眼宝玉に、繊細で上品な装飾が施された──世界で一番美しいイヤリングがあった。


「……最高だわ。」


 わたくしは思わず溜め息とともに独り言を呟く。


 そっとケースから持ち上げてみると、眼宝玉は窓から差し込む陽の光を受けて、金色の中にある淡いオーロラの色合いを変化させながら煌めいた。

 煌めくイヤリングがそっと揺れる。その揺れによって、装飾に使われた小さな宝石たちも小さな星のように(またた)く。


 本当に……最高だわ。


 いつまでも見ていられる。いくら見てもまったく飽きない。

 これが、婚約者(ユン)からわたくしに贈られた、わたくしの──……


 わたくしが広間で悦に入りながらイヤリングを眺めていたら、いつの間にか広間に来ていたお兄様がわたくしに唐突に話しかけてきた。


「何をそんなににやけてるんだ?

 ……まあ、想像はつくけど。」


 わたくしはいきなりお兄様の声で現実に引き戻されてしまった。


「……お兄様。何ですの?

 兄妹といえど、女性に対してそんな空気の読めない声の掛け方はあり得ませんわよ。」


 するとお兄様は呆れた顔をして言い返してきた。


「30分以上前に通りがかったときも、お前、ずっとそうやってたぞ。

 僕が声を掛けなかったら一日中ずっとそうやってたんじゃないか?むしろ現実に引き戻してやったことを感謝してほしいくらいだ。」

「まあ!もうこんな時間だったんですのね?」


 わたくしはお兄様に言われて時計を見て素直に驚いた。

 イヤリングを受け取ってから、気付けばもう1時間近くが経っていた。


「それ、もしかして眼宝玉か?

 ……なるほど。ユンらしいと言えばユンらしいな。発色も特徴的だ。こんな風にもできるんだな、眼宝玉って。……何の魔法使ったんだろう?それとも、元の魔物の特徴か?」


 お兄様が図々しく横に座って、図々しくわたくしが持っているイヤリングを観察してくる。


「それにしても、また随分と金を掛けて加工したんだな。セレナらしいと言えばセレナらしいけど。

 ……ユン、倒れるんじゃないか?これ見たら。」


 わたくしがまだ一言も言っていないのに、お兄様は勝手に推理して勝手に感想を述べはじめた。

 ずけずけとうるさいけれど、わたくしの双子の兄だけあって目の付け所は悪くない。わたくしはお兄様に説明をしてあげることにした。


「ええ、そうなの。

 紫速竜の眼宝玉なんですって。錬成するときに使った魔法は聞いていないけれど。

 こんなにも美しい眼宝玉が作れるだなんて、さすがはわたくしの婚約者ね。そう思わない?」


 するとお兄様は「紫速竜?!」と驚いた。

 紫速竜は森林地帯に生息する小型の魔物。特に人間などを襲う恐れはなく、素材も特別な使用用途はないため、魔物生態学や魔法薬学の試験に出てくることはない。せいぜい教科書のコラムに軽く記載されている程度の、一般の知名度は低めな魔物だ。

 ただ、ひたすら()()()()魔物らしい。肉眼では捉えることすら困難なため、素人が捕まえるのは不可能だ──と、中等部の頃の教科書のコラムに書いてあった記憶がある。


「紫速竜を狩って婚約者に贈るって……ユン、野生味が溢れすぎだろ。どんだけ速いんだよアイツ。

 ……まあ、さすがはセレナの婚約者だな。世間一般の常識に収まらないところが。」


 わたくしはお兄様の言葉に頷いた。


「ええ、そうなの。ユンは時には常識に囚われない、斬新な発想もできる素晴らしい男なのよ。

 わたくしもそんなユンに()()()戸惑うこともあるけれど、お陰で視野が広がることも多いわ。

 今回なんてまさにそう。わたくし、今まで眼宝玉でアクセサリーを作るなんて発想はしたことがなかったの。でも4ヶ月前、ユンに貰ったこの眼宝玉を見た瞬間に確信したの。こんなにも美しい宝石は世界中のどこを探しても他にないって。眼宝玉こそ至高の宝石にして最上級の装飾品よ。もっと世に出回るべきだわ。今まで無かったことが不思議なくらい。いっそのことパラバーナ家で新規事業を立ち上げても良いのではないかしら。」

「はいはい、分かった分かった。」


 まだ話の途中だというのに、お兄様が何とも適当に頷きながらわたくしの話を遮ってきた。まったく、失礼にも程がある。


 ……まあ、いいでしょう。

 この話はまた今度、お父様に改めて打診してみればいい。

 眼宝玉というのは、一言で表すならば「魔物の目玉」。魔力を持つ生き物を、魔力をもって一気に燃やすことで錬成される。元となる魔物の目玉に、錬成するときに使用する魔法が凝縮されてできる、遺骨のようなものだ。……遺骨ならぬ、遺眼球。特に魔法石としての効果も無い。

 しかし、わたくしの勘だけれど、これは一度「眼宝玉は魔物の死骸の一部」という負のイメージさえ払拭できてしまえば、従来の宝石よりも安価で個性的な装飾品として貴族のみならず庶民の間でも流行するに違いない。

 無害魔物の乱獲を防ぐ規定を設けたり、粗悪品や偽物を弾く鑑定法を確立する必要はありそうだけれど。それらを何とかできれば、割と早期に実現できそうではある。


 わたくしがつらつらとそんなことを考えていたら、お兄様が珍しくわたくしに笑いながら尋ねてきた。


「……それで?セレナ。

 次のデートのときにユンに見せるのか?この眼宝玉のイヤリング。」

「ええ、もちろんよ。」


 わたくしはそう反射的に答えた。

 すると、わたくしが自分の発した言葉について考えるよりも先に、お兄様が笑顔のまま頷いた。


「そうか。ま、何にせよ、セレナによく似合うと思うぞ。それ。

 ユンに気付いてもらえるといいな。」


 ………………。


 そう言って立ち上がり、広間を去っていくお兄様の背中を見つめながら、わたくしはハッとした。


「……そうよ。

 こんなことをしている場合ではないわ。」


 わたくしも独り呟いて立ち上がる。


 そうよ、そうだわ。

 もう週末は……次のデートは明後日じゃない。


 こんなことをしている場合ではない。急いで明後日着ていく服装を考えなければ。

 ああ、イヤリングに合わせて服を特注している暇がないわ。やっぱりユンに見せるのは、合わせる服をきちんと用意してからに──……

 でも、ダメだわ。わたくしはもう4ヶ月もユンを待たせてしまっている。ユンはもう眼宝玉の存在すら忘れてしまっているかもしれない。

 少しでも早くユンに見せないと。ユンに気付いてもらえなくなってしまうかもしれない。


 わたくしは頭の中であれこれと考えながら、急いで自分の手持ちの服を確認すべく広間を出て自室に向かった。

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