7 ◇ 魔導騎士団副団長ドルグス
全16話+後日談(数話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
「ふーっ、さすがに疲れたな。」
ようやく一息つける時間を得た俺は、魔導騎士団宿舎の執務室にある自分の席に座り脱力した。
日々様々な業務に追われてはいるが、さすがにここ最近の多忙さは「魔導騎士団副団長ドルグス・モンド」としての業務の範囲内なのか微妙なところだ。
……ギリギリ、業務の範囲内だろうな。
俺は自分を納得させて溜め息をつく。
団長のサポートは副団長である俺の仕事だ。たまたま俺が副団長を務める現在、上に立つ団長が「第一王女」という特殊な人物というだけ。
そしてその第一王女が、ただいま荒れているというだけだ。
◇◇◇◇◇◇
特に今年の新入団員には勘違いしてほしくないと思うのだが、まず、団長のラルダは決して公私混同し感情を乱すタイプの人間ではない。むしろ誰よりも私情を挟まず鉄の仮面を被り役目を全うする人間だと思っている。
だからこそ、ここ最近荒れているラルダを宥めることに俺は苦心しているのだ。通常ではあり得ないことだからこそ、彼女がいかに危険な精神状態であるかが分かる。
俺も詳しい経緯は把握していないが、もともとラルダは交際を始めた4年ほど前からずっと、ゼンとの正式な婚約を望んで王宮の人間たちと交渉していたらしい。ただ、当然のように身分の差とラルダの国民人気の高さ、政略的な旨みのなさが問題視され、二人の関係は長い間認められなかった。
その間、粘り強くラルダはゼン以外とは結婚する意志がないことを示し続けた。そして最終的に自分が降嫁して平民になると主張しだし、兄の第一王子がそのラルダの肩を持ったことにより、ゼンとの交際は正式に認められた。
しかし、それで終わりではなかった。
今度は正式な婚約者としてゼンが国民の理解を得るために、ゼンへ爵位を授けることが検討されたのだ。
そして、あろうことか王宮側から提案されたのは「『ウェルナガルドの悲劇』を生き抜いた英雄として、ゼンに一代限りの『ウェルナガルド』の爵位を与えよう」というものだった。
ただの平民の一人と結婚するとなると貴族からも平民からも不満が出るだろうが、「魔導騎士団の団長として民を守るため剣を振るう勇敢な王女」と「大災害を生き延び魔導騎士として立ち上がった平民の英雄」の結婚ならば国民たちに広く受け入れられ、ラルダと王家の印象もさらに上がる。……そういう話だった。
たしかあれは2ヶ月ほど前の話だったか。
あのときのラルダはまだ何とか団員の前では団長として毅然と振る舞えていたが、裏では大荒れで大変だった。
ラルダは「ウェルナガルド」の名をただの好感度のための道具として利用しようとしたこと、何よりそのようなくだらない意図で、よりによって悲劇の生存者であるゼンに「ウェルナガルド」を名乗らせようとしたことに激怒した。
「ラルダ王女が王城で暴れ狂い周りの備品を破壊しだした。王城の衛兵では止めきれないから助けてくれ。」との緊急連絡を受け、俺とゼンで城に乗り込み、泣き喚くラルダを羽交い締めにして止める羽目になった。
ゼンはそのときまで騎士団の敷地以外の王宮内部に足を踏み入れたことがなかったのだが、そこで一気にいろいろと察することとなった。
事情を知ったゼンは「ラルダが発狂しすぎていて俺が怒る隙が無かった」と苦笑していたが。
それからまた王宮側との話は二、三度拗れたが、なんとか「機を見て公表し、国民の理解を得られるようラルダ王女が直々に発信する場を設ける」さらに「国民の反応を見て、必要であればゼンに新規の爵位を授ける」ということで落ち着いた。
……それで落ち着いたはずだったのだが。
外交上の都合からなのか、今日のエゼル王国の王族来国に間に合わせるため、急遽相手を伏せた状態での婚約発表がされてしまった。
「またラルダに荒れ狂い拒否されたら間に合わない」と判断した王宮側が本人達に無断のまま行うという、最悪な形で。
そしてついに、ラルダの鉄の仮面は剥がれてしまった。
王城の中で暴れ狂ったときでも何とか保っていた騎士団長の顔を、上手く作れなくなってしまった。団員達の前で泣き叫んだり職務放棄しないだけマシではあるが、普段しないような八つ当たりに近い怒りを団員の前でも見せるようになった。
不幸にもゼンは、そんな状態の中で緊急の討伐遠征に行くことになってしまった。討伐対象の魔物が複数の大型飛行種で危険度も高いと予想されたため、後衛最強のゼンがいる第1部隊で行く必要があったのだ。
極めつけが今日の公開訓練。ラルダは予定よりも5分遅れて到着し、雰囲気最悪の中で訓練を行い、予定よりも15分早く切り上げて終えた。国民への感謝の念を誰よりも強く持ち、普段から周りにファンを大切にするよう説いているラルダが、観覧席を一瞥すらしなかった。
クラウスが「さすがに今日の態度は目に余る。自分はいいが部下まで巻き込むな。」とラルダに注意をして、彼女が項垂れながら王城に向かったのがつい先程の話。
俺はなんとかラルダと団員の間を取り持ち、陰でラルダを宥めるように奮闘しているが、根本的な解決に導けるのはゼンしかいない。
ゼンはゼンで、最近気掛かりな点があるのだが……それはこれから本人に確認するとしよう。
ラルダの婚約の件、進むも退くも、ハッピーエンドもバッドエンドも、すべては結局ゼン次第だ。
だからゼン、早く帰ってこい。
そう思いながら俺は執務室で第1部隊帰還の報告を待つのだった。
◇◇◇◇◇◇
「第1部隊先行隊、ただいま帰還いたしました!軽傷2名、中傷重傷死亡0名!詳細は後ほど隊長よりご報告いたします!」
「ご苦労だった。無事で何よりだ。……ああ、先行隊ということはゼンも戻ってきているだろう?アイツに俺から話があるから少し待機するよう伝えてくれないか。」
「承知しました!」
夜の8時。予想よりも早い到着報告に俺は感謝した。
先行隊と本隊の帰還は数時間ほどの差が出る。ゼンと話すには充分時間があるだろう。
俺は今書きかけていた書類だけ手早く処理し、席を立った。
ゼンはすぐに見つかった。彼は談話室の奥の長椅子に足を組んで座り、腕組みをして眉間に深い皺を寄せながら目を瞑っていた。
──ゼン。やはり、お前は。
俺はゼンに入り口の方から声を掛ける。
「ゼン!ちょっと来い!」
俺の声にすぐに反応して目を開いたゼンは、頭の中から何かを振り払うように首を軽く振りながら立ち上がった。
◇◇◇◇◇◇
「……アイツまだ来てねえじゃん。何の用スか?」
俺に執務室に連れてこられたゼンは、生あくびをしながら入り口近くのソファーにドカッと大股を開いて座った。順当にラルダのことで呼び出されたと思っているのだろう。概ね正解だが、俺がまず先に話したいのはゼン個人についてだ。
俺は右側にある副団長用の席に座り、両肘を机につき口の前で手を組みながらゼンに話しかけた。
「団長……ラルダが来るまでに、お前と久々にゆっくり話そうと思ってな。」
「はあ。」
ゼンはいまいちピンときていないような間抜けな声を出した。
「……なあ、ゼン。お前は今、幸せか?」
「は?」
「お前はこれでいいのか?」
「どういう意味ッスか?」
「どうもこうも──」
俺は敢えてゼンに問いかける。
「お前また最近、眠れていないんだろう?」
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
俺はゼンが入団した頃、第1部隊長を任されていた。
当時の団長から個別にゼンを頼まれたことを覚えている。
「ウェルナガルドの生き残りの平民がお前の部下になる。すでに団長の自分でも敵わない程の出鱈目な強さだが、筆記試験はすべて空欄。恐らく字の読み書きすらできないのだろう。戦力としては貴重だが、手綱を握るのは容易くないはずだ。同期で視野が広く万能型のアスレイを同じ第1部隊に配属する。アスレイと共にゼンを上手くサポートするように。」
早速入団1ヶ月目に、ゼンがあろうことかラルダ王女と揉めて怪我を負わせたと報告を受けたときは頭を抱えたが、それ以降は大した問題も起こさなかった。
ゼンは戦闘では毎度期待以上の活躍をし、学が必要なときは素直にアスレイに頼るないし丸投げをし、口調は荒いが指示には大抵素直に従った。むしろ涼しい顔をしながら興味のままに突然新魔法や変則戦法を試しだそうとするアスレイの方が厄介なまであった。
……訂正しよう。ゼンは一人では大人しいが、アスレイと組み合わさると厄介だった。所謂「悪友」というやつだ。まあ、それはまた別の話だ。
しかし、一つだけ別の心配事があった。
新入団員の訓練期間を終えて、第1部隊として幾度かの討伐遠征に出た頃だった。
はじめはアスレイからの報告で気が付いた。
──どうやら、ゼンはまったく寝ていないようだ。
戦闘時の動きも申し分なく、本人が道中の宿の環境に不満を抱えている様子もない。だがアスレイによると、ゼンは夜な夜な部屋を抜け出して無許可で外へ出たり、起きて何か作業を始めたりして、殆どベッドに入りすらしないらしいのだ。
今はまだ2日ほどの行程であるから良いものの、今後は1週間以上にも渡る長期の遠征も出てくるはずだ。そうなれば確実に支障が出てくる。
隊長の俺はアスレイと共にゼンにその事実を確認しに行った。
ゼンは最初、適当にはぐらかそうとしていたが、俺が「睡眠不足は肉体や脳に大いに影響する。体調管理を怠ると肝心な場面で仲間を危険に晒すぞ!」と強めに問いただすと、ゼンは観念したように白状した。
ウェルナガルドが全滅したあの日から、悪夢に魘されるようになった。
自分の両親が眼前で喰われ、友人や隣人たちが次々に殺されていき、町中が燃えていく光景を毎晩のように夢に見る。
夢だと分かっていてもそれが何より疲れる。
だからなるべくまとまった睡眠を取らずに、肉体の疲労に合わせて細切れに休息を取るようにしている。その方が自分にとって精神衛生上良い。
という話だった。
「まあたしかに隊長の言う通り、寝ねえ影響もなくはないんスけど。……つっても、別に普段からあんま寝てねえから問題ないッスよ。もう何年もずっとコレなんで。昔の方がもっと酷かったし。最近はだいぶマシっつーか、むしろ調子良い方なんで。」
そう言って頭を掻くゼンに、俺とアスレイは掛ける言葉が見当たらなかった。
俺はなんとか「そうか。今後困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。無理はするなよ。」と絞り出すのが精一杯だった。そしてゼンは軽く「へーい」と返事をして、用事は終わったとばかりに去っていった。
それ以降、俺はゼンの体調にさりげなく気を配り観察するようになった。
真剣な訓練中も、真面目な会議の間も、ゼンは生あくびが多い。今までは平民らしく太々しい態度だと呆れていたが、理由が分かると複雑な心境になった。
模擬戦の待機中に突然ふらっと端の方へ歩いて行ったかと思うと、胡座をかいて座り込んでうたた寝し始めていたこともあった。
騎士団員のほとんどからは態度の大きい奔放な奴だと思われていただろう。だが、俺やアスレイの他にも勘が良く事情を察した者もいたようだった。どのように捉えられていようと、最終的にはその比類無き強さとさっぱりとした憎めない性格で、ゼンは騎士団員達に受け入れられていった。
ゼンは決して自分の弱味を見せようとしないが、睡眠という一点に着目すると実は驚くほど分かりやすい。
どれだけ平静を装おうとも、表情を取り繕おうとも、夢見だけはコントロールしきれないのだろう。
体調が良いときは単純に生あくびが減り、体調が悪かったりストレスを感じているらしいときは逆に眠そうにしていることが多いのだ。
騎士団の環境が合っているからなのか、ただ時間が経過して大人になっているからなのかは分からないが、ゼンの寝不足問題は年々改善されてはいるようだった。
一度「最近は眠れているのか」と声を掛けたことがあるが、そのときは素直に嬉しそうに「世話になっている宿屋が快適でよく寝れるんスよ」と笑って返してきた。
故郷が目の前で全滅した過去。それほどの傷は一生消えることはないだろう。
たとえ一生消えなくても、少しでも減ればいいのだ。悪夢に苛まれる夜が、少しでも。
そう思っていたが……
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「ゼン、お前はまたここ数ヶ月ほどストレスを感じているだろう。……ラルダとの婚約のことか。」
「んー…………いや、別に。」
「嘘つけ。それ以外に何があるか。」
ここ数ヶ月でゼンの身の回りで変化したことといえば、ラルダとの婚約の話しかない。
ゼンはどこか遠い目をしながら、何かを考えているようだった。
俺は思いきって切り込んでいく。
「お前達は今でもちゃんと仲が良い。それは知っている。だが、お前はアイツの隣にいると辛いんじゃないか?」
「………………。」
「ラルダだって当然お前のそれには気付いているぞ。」
「………………。」
「ラルダ本人が原因なのか、周囲の人間が原因なのか俺には分からない。だが今のお前には確実に悪影響なんだろう?お前はこれからも一生苦しむつもりなのか。」
本人は「慣れている」と昔言っていたが、本来ならとっくに精神が壊れていてもおかしくないだろう。
ゼンの寝不足はマリッジブルーなどという言葉が当てはまるものではない。過去の凄惨な現実……文字通りの「悪夢」に毎晩魘され、その度に心身が削られていく。またここ最近深刻になってきているそれを、一時の事だと片付けて良いわけがない。
ラルダは気付いていたからこそ焦っていた。「ゼンが自分と共にいることで不幸になるかもしれない」という現実を否定したくて必死になっていた。
結果、例のウェルナガルドの爵位の一件でゼンに逆に宥められることになってしまったわけだが。その翌日、俺の前でラルダが「ゼンにいよいよ愛想を尽かされてしまう」と泣いていたことまではゼンは知らないはずだ。
「…………いや、本当にアイツのせいじゃねえし。」
ゼンは長考の後に口を開いた。
「王宮でまた何か言われているのを聞いたか。」
「んー、まぁ多少は……でも別にそれもそんな関係ないっつーか。」
そして手を組んで親指をクルクルと回しながら呟いた。
「……ただの、俺の問題なんで。」
それはどういう意味かと催促しなければ、ゼンは決して口を割らないだろう。傷を抉りにいくようで心苦しかったが、追及することにした。
「お前が自身のことを話したくない性格をしているのは百も承知だ。しかし……だ。俺の勘だが、今回の件はお前一人で抱えていても悪化するだけだ。俺が解決してやれることはないだろうが、それでも『誰かに話すだけで楽になることもある』と学べ。」
するとゼンは、仕方がないといったように溜め息をついて話し始めた。
「別に……大したことじゃないスけど。
ただ俺、今までは弟とあの宿屋に依存してたんで。」
おや?本当にラルダや王宮のことではないのか?
ユン……というのは、ゼンの4つ下の弟だ。
そして「あの宿屋」はたしか、王都の宿屋「クゼーレ・ダイン」のことだろう。
「依存、とは?」
俺が質問すると、それも言わされるのかと言いたげな嫌そうな顔でゼンが俺を見てきた。
「言葉のまんま。
俺はあの日から『弟を生かす』ことだけを考えてきた。そのために俺は魔物を殺して、故郷から逃げて、金を稼いで、王都へ来た。
弟を大切に思ってんのは全然嘘じゃねえけど……それ以上に全部『弟のためだ』って思ってないとダメだった。弟を通して物事を考えねえと、一瞬で精神崩壊しそうになった。……死んだ方が楽だと思えて。」
言わんとしていることは分かる。たった13歳の少年が一人で抱えるには辛すぎた惨劇。辛い現実を抱えながら生き抜くためには、日々の恐怖や不安を「弟のため」という使命感で上塗りして誤魔化さないといけなかったのだろう。
ゼンが魔導騎士団に入団した理由も「弟を王都の学園に通わせるため」だった。王都で金を稼ぎながら、弟の側にいるための手段が魔導騎士団だったのだ。
ずっと、ずっとそうやって生きてきたんだな。お前という奴は。
俺が神妙に聞いていると、ゼンが「ひとりで部屋にいるときにゴキブリが出るとすげえ焦るけど、誰かもう一人が隣にいて自分よりビビってるとゴキブリが出ても意外と冷静に対処できる……みたいな?」と急にしょうもない例えを出してきた。
そんなスケールの小さい例えをしなくても充分伝わっているというのに。お前という奴は。
……あんなにも戦闘は強いのに、お前も人並みにゴキブリが苦手なのか。意外だな。
「宿屋はまあ、なんっつーか、普通にあそこが一番寝れるんスよね。…………多分、距離が丁度いい。騎士団ともうまく離れられる。あと、宿屋の親子は下手に気ぃ遣わなくてよくて、楽に過ごせる。」
ゼンは騎士団宿舎に入っていない代わりに、王都の宿屋に泊まり続けている。その宿泊代を払い続けるとなると、それなりの金額がかかるはずだ。さらに去年までは全寮制の学園に弟を通わせるための学費や生活費も払っていたらしい。魔導騎士団は高給ではあるが、楽な生活ではなかっただろう。
実際にゼンは、討伐遠征のときは必ず金になりそうな魔物の部位をちゃっかり持ち帰るし、道中でもいつの間にか希少な薬草などを取ってきている。そうまでしてでも、ゼンは宿屋の一室という空間が欲しかったのだ。自分のささやかな安息のために。
ゼンが「騎士団もいい奴らだけど貴族ばっかだからな。寝るなら騎士団宿舎よりあっちの方が家みてえで楽。」と付け足す。先ほどの例えとは違い、これは素直に頷ける。まあ、分かるな。俺も貴族とはいえ辺境の出身だから、王都や王宮の雰囲気を堅苦しく感じることはある。
「だから──、」
ゼンは少し躊躇いながら続けた。
「本当に、ラルダは関係ねえんだ。
ただ、今年ユンが就職して、自分で稼げるようになって、それで…………なんっつーか、急にどう生きていけばいいか分かんなくなった。
…………最近、あの日の夢の中で、そのまま俺も死ぬようになったんスよ。現実の通りじゃなくなった。
ユンをなんとか魔物の群れから逃して、ユンの姿が遠く見えなくなって、それで俺は安心した瞬間に頭から喰われて一瞬で死んじまう。……俺の親父とお袋みたいに。
俺はもしかしたら、本当はずっとそうなりたかったのかもしれねえと思うようになった。俺も親父やお袋と一緒にあの日に死んじまって、それで楽になりたかったんだ。きっと。」
そう言いながら、ゼンは俺の前で項垂れていった。
「……ラルダが大切なのも嘘じゃねえ。
でも、弟っつー言い訳がなくなって、その上結婚してあの宿屋にも帰れなくなったら、俺は……どうなるか分かんねえ。さっさと死ぬ気さえする。俺が、弱えから。」
「…………。」
「ラルダを弟の代わりにするっつーのも違うしな。……いや、頭では分かってるんスよ。別に『普通に生きればいい』って。」
「ゼン……。」
「俺よりもユンの方がずっと強え。アイツはちゃんと生き方が分かってる。学園で勉強して、研究員になって。将来の夢みてえなのがある。過去の夢で死んでる俺とは正反対だな。」
それはお前がすべての苦痛からユンを守って、育ててきたからだろう。
ラルダは、今度はお前を幸せにしたいと願っているだけだ。ユンだって、兄に自由になってほしいと願って自立したのではないか。
そう言ってやりたかったが、俺が言ったところで何にもならない。
だから俺は、ゼンに違うアドバイスをした。
「それを全部、ラルダに伝えてみろ。」
俯いていたゼンが、驚いたように頭を上げてこちらを見る。
「弱さも情けなさも、ラルダに話して泣いてみろ。夫婦ってのはお互いの弱いところを受け入れて補ってこそだろう。
お前だって今まで散々弱ったラルダを支えてきたじゃないか。
……ゼン。お前が弱いなら、ラルダだってお前を同じように支えるさ。
お前は化け物じみた腕の持ち主だが、お前だって誰かに守られていいんだ。弱さを見せてもいいんだ。
弱さを曝け出して支え合う。その相手に、ラルダはお前を選んだんだ。だから、お前はラルダを選んでちゃんと信じろ。」
平和な人生を送ってきた俺は、本来ゼンに説教などできる立場にない。だが、俺はめいっぱい先輩面を振り翳して、最強の部下に語ってやった。
「それが『普通に生きる』ってことだ、ゼン。」
◇◇◇◇◇◇
「どうだ?少しはスッキリしたか?」
「はあ、まぁ。あざっす。」
照れくさそうに素っ気なく返事をしているが、どうやらゼンには響いたようだ。
「9時過ぎたか……そろそろ来るかもしれないな。」
俺は懐中時計で時間を確認する。
「ラルダが来たら、お互い腹割ってゆっくり話せよ。」
「へーい。」
ゼンがソファーに寝そべりながら返事をしてくる。
退屈そうに伸ばした足を組んで足首を回していたゼンが、不意に俺に話を振ってきた。
「ドルグス副団長、なんでまだ独身なんスか?」
「お前……デリカシーって知ってるか?」
なんで(あんなに夫婦のこと熱く語れるのにいい歳して)まだ独身なんスか?という内心が透けて見える。
失礼な奴だが、純粋な興味から聞いているのも分かるので、俺は何でもないことのように答える。
「昔……お前くらいの若さのときにな、二度ほど婚約まで行ったがどちらも結婚直前に破談になった。それで、もう懲りた。」
「へぇー……大変だったんスね。お疲れ様デス。」
「お前は失敗するなよ。」
「へーい。」
すると扉の向こう側から、焦ったように廊下を歩いてくる音が小さく聞こえてきた。
「来たか。」
「なんか靴違うッスね。ふーん。ヒール履くとアイツでも歩幅半分くれえになんのな。歩きづらそ。」
「ゼンお前、狩猟者みたいだな。」
「音確認するの普通じゃないスか?俺、第1部隊の奴なら全員足音で判別できるし。」
「……すごいな。普段から聴覚強化魔法を使っているのか?」
俺たちは呑気に話しながらラルダを待ち構えていた。
この数秒後、煌びやかな晩餐会のドレス姿のままの彼女が突撃してくるとは知らずに。