12 ◆ 平凡令息と平民男の7年間(6)
本編開始までの間に起きた、ユンの奮闘と崩壊。そして今、ユンはセレンディーナのどこに惹かれているのか。とある同級生視点からの答え合わせ編(全6話)です。
第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
…………ユン、元気かな。
学園を卒業して1年と数ヶ月が過ぎた。
何でもない平日の昼下がり。
僕はぼんやりと、ユンとの思い出を振り返っていた。
数ヶ月前に送った、僕の結婚パーティーの招待状。
続々と返信や連絡が返ってきていて、だいたいの参加者はもう分かった。
ただ、7年間共に過ごしたルームメイト、平民のユンからの返信はまだ無かった。
パーティーの日までは残り3ヶ月を切った。……どっちかというと、もう2ヶ月に近いか。残り2ヶ月と1週間半だ。
返信期限まではあと少し。僕はユンはもう来ないものとして考え始めていた。
僕は招待客を考えるときに、ダメ元でユンをリストに入れた。
……ユンは平民だし、卒業してから一切関わりないし。どうせ来ないだろうな。
そう思いつつも、僕はユンに招待状を送った。
一応、卒業後に魔法研究所の職員寮に入ることは聞いていたから、連絡を取ろうと思えばいつでも取れたけど。あの頃のユンに、僕なんかに時間や意識を割く余裕なんてなかっただろうから、僕は卒業してからの1年間、まったく連絡を取らなかった。
だから、1年振りにいきなり結婚パーティーの招待状だけ送られてきて、ユンは戸惑ってるかもしれないな。
それか、まだそれどころじゃないくらい辛い日々を送っているか。そのどっちかだ。
◆◆◆◆◆◆
お父様は、僕が学園時代の友人で招待する人を挙げたとき、やっぱり予想通り怒ってきた。
お父様が期待していたような人脈は、そこには無かったから。
僕はお父様の期待を背負ってわざわざ中央校にまで行ったけど、そこで得た友人は、だいたい子爵家、男爵家。稀に伯爵家や侯爵家──の、次男や三男。そんな感じだった。
僕としては、結婚相手になったアメミラさんを見つけられただけで、中央校に通った価値があったと思っているけど。お父様はそうではないらしかった。
僕が作ったリストを見て「どいつもこいつもパッとしない!しかも平民なんて呼ぶのか?!そんなことするくらいなら、同学年のパラバーナ公爵家のアルディート殿にダメ元で一通送れ!」と怒鳴った。
でも僕はそのとき、昔と違ってお父様に言い返した。
「僕の友人たちを馬鹿にしないでください。僕は……お父様や子爵家のために友達を作ったんじゃない!」
僕は学園での7年間で成長した。僕はもうお父様にただ言われるだけの人間じゃいられない。
これからは、アメミラさんのことだって夫としてちゃんと守らなきゃいけないんだ。友人たちを馬鹿にされたら言い返せるくらいの力は必要だ。
……そんな感じで、初めて僕が子爵家の場の空気を凍らせたのが数ヶ月前のこと。
そんな一回でお父様の価値観が変わるわけもなく、お父様は「平民の奴の返信なんてもう待たなくていいだろう!さっさと人数を確定させろ!」とここ最近ずっと催促し続けてきていた。僕は「返信期限まではまだ時間があります。」とだけ言い続けていたけど、正直、もう諦めていた。
そしていよいよ返信期限まであと4日に迫った、ある日。
お父様が広間に入ってきて早々に、珍しく僕のことを褒めてきた。
「お前!でかしたぞ!!」
僕は何も心当たりがなかったから「何がですか?」と素直に聞いた。
するとお父様は、満面の笑みで意味不明なことを言ってきた。
「たしかに貴族には、時として駆け引きや計算高い行動も必要だ。だが、そこまで親に隠す必要はないぞ。
ちゃんとした狙いがあるなら、最初からそう言うんだ。」
僕は本気で意味がわからなかったから「何の話ですか?」と返した。
お父様はそんな僕を見てニヤニヤしながら「あくまでとぼける気か?これを見ろ。」と言いながら、僕に一通の手紙を渡してきた。
それはうちの子爵家が数ヶ月前に送った、僕の結婚パーティーの出欠用紙だった。
──もう来ないと思っていた、ユンからの返信だった。
「何故お前は平民なんかを招待するのかと思っていたが、こういうことだったんだな!」
お父様の腹の立つ筋違いな言葉の意味が、その用紙を開いてみて分かった。
そこには、ユンの「出席」の意思表示とともに、同行参加者の記入欄への記載があった。
──〈婚約者 セレンディーナ・パラバーナ〉。
◆◆◆◆◆◆
「この度は……ご結婚おめでとうございます……。」
僕の結婚パーティー当日。
ユンは返信に書いてあった通り、本当にセレンディーナ様を連れて会場に現れた。
…………でも、顔色が悪い。
パーティーは冒頭の挨拶が終わって最初の歓談時間に入ったばかり。だというのに、ユンはすでに死にそうだった。
「ユン、来てくれてありがとう。……具合悪そうだけど、いけそう?」
僕が聞くと、ユンは力なく首を振った。
「……ごめん、ちょっと無理かも。……すみません、セレンディーナ様。ちょっと休んできていいですか?」
すると、横にいたセレンディーナ様は人形のような真顔を崩して半目になった。
「来て早々パートナーを置き去りにしようだなんて前代未聞よ。とんだ度胸がおありだこと。」
「すみません……。」
まったく血の気の感じられない顔のユンに、セレンディーナ様は呆れながら言った。
「仕方ないわね。ここで倒れられるよりはマシだわ。とっとと行きなさい。」
「ぁ、ありがとうございます……。」
ユンは僕の顔色もセレンディーナ様の顔色も窺う余裕がないのか、そのまま両手で胃を抑えながらフラフラと去っていった。
セレンディーナ様がユンの背中に向かって「ユン」と声を掛ける。その声に反応して、ユンは具合が悪そうにギギギギ……とぎこちなく振り返った。
「後はわたくしに任せなさい。」
セレンディーナ様が真顔で言い放つ。
それを聞いたユンは少し目を見開いてから、顔色は悪いものの、ほっとしたように柔らかく笑った。
「ありがとうございます。」
そう言ってユンはまた去っていく。でもその足取りはさっきまでよりも少しだけしっかりしたようだった。
──ああ、よかった。
セレンディーナ様は、ちゃんとユンのことを守ってくれるんだ。
僕がそんな風に思っていると、セレンディーナ様が真顔のまま僕とアメミラさんに、優雅に礼をしてきた。
「改めまして。この度はご結婚、誠におめでとうございます。」
僕たちは慌ててセレンディーナ様に礼をする。セレンディーナ様はそんな僕たちを真顔で見つめたまま、信じられない言葉を口にした。
「気持ちばかりではありますけれど、本日のお祝いと今後益々の子爵家のご発展をお祈りいたしまして、こちらの領地の公共事業に我がパラバーナ家から10億リークほどの援助をさせていただきますわ。
貴方のお父様である子爵様にも、後ほどわたくしからお話をさせていただきます。」
「じゅっ、10億?!?!」
僕は思わず声をあげてしまった。隣のアメミラさんも目を見開いて口を開いて固まっていた。
「少額で申し訳ありませんけれど。」
セレンディーナ様は真逆の捉え方をして、僕に頭を下げた。
「いっ、いえいえ!違います!むしろ10億だなんて大金……そんな、どうして……」
僕がしどろもどろになりながらセレンディーナ様に尋ねると、セレンディーナ様は表情一つ変えずに答えた。
「だって、貴方は7年間、寮のルームメイトとしてユンを支えてくださったのでしょう?
ユンの恩人は、パラバーナ家の恩人でもありますわ。恩人の晴れの日を祝わない道理などないでしょう。」
僕は混乱しながら訊いた。
「それ……ユンに言われたんですか?ユンが言ったんですか?」
ユンが「10億」だなんて、セレンディーナ様に言ったのか?……ただ寮で同室だっただけの、僕のために?
そんな僕を不思議がるように、セレンディーナ様は軽く首を傾げながら言った。
「『それ』が『10億の資金援助』のことでしたら違いますわ。わたくしと父の判断です。ユンは何も知りません。
ですが、『それ』が『恩人』のことでしたらその通りですわ。ユンがわたくしに言ってきたんですの。
『パーティーは怖いし無理だけど、彼は自分の恩人だから、彼の結婚パーティーにだけは出席したい。』と。」
「……ユンが?」
驚く僕に、セレンディーナ様は……少しだけ真顔を崩して、呆れたように……でもとても優しげに微笑んだ。
「ええ。自分の婚約パーティーですら一瞬たりとも顔を出さずに逃げ出したくせに何を言うのかと思いましたけれど。
ですが、ユンがわたくしにこう言ったのです。
『彼が7年間同室でいてくれたから、学園を辞めずに卒業できた。
彼じゃなかったら、自分は死んでいたかもしれない。』と。
ユンが軽々しく『死ぬ』などと言わない人間なのはご存知でしょう?ですから、きっと言葉の通りです。
ユンは貴方がいなければ、学園にも、この世界にすらもいられなかったかもしれない。
……そう考えれば、10億など端金もいいところですわ。1兆でも足りません。」
ユンがセレンディーナ様に言った「自分は死んでいたかもしれない」という言葉。僕はその意味をすぐに察することができた。
僕が優れていたとは思わない。僕がすごいことをしたとも思わない。
でも、僕がユンの事情をひたすら黙っていたのは、正しい判断だったんだ。
誰か他の同級生に相談したり、先生に言ったりしなかった。ルームメイトの変更希望も7年間しなかった。
──それをしたらユンが一気に壊れると思った、あの判断は間違ってなかったんだ。
ユンはそんなささやかすぎる僕の行動を、ちゃんと生きる支えの一つにしてくれていたんだ。
僕はずっとずっと誰にも言わずに黙り続けていたけど、今日ここでセレンディーナ様に向けて初めて、少しだけユンのことを仄めかすような質問をした。
「セレンディーナ様は、ユンのことを……どのくらいご存知なんですか?」
婚約者のセレンディーナ様に、ユンは打ち明けたんだろうか。夜は魘されて毎晩ろくに眠れないことを。
ユンは白状したんだろうか。ある時期から一層眠れなくなって苦しんだ挙句、夜中に寮を抜け出して適当な女性たちと関係を持ってしまっていたことを。
ユンは話したんだろうか。追ってくる魔物の幻影に取り憑かれて、死の恐怖に苛まれながら毎日必死に双剣を振り続けていたことを。
セレンディーナ様は知っているんだろうか。ユンは卒業する最後の日まで、結局何一つ解決できずに静かに壊れ続けていたことを。
ユンは……今はちゃんと救われているんだろうか。
僕の言葉を聞いたセレンディーナ様は微笑みを消して、また無表情に戻った。
「………………何も。
わたくしはまだ何も知りませんわ。貴方が知っていることも、推測することはできますけれど、合っているかどうかは分かりません。……きっと間違っていることでしょう。
けれど、ユンが言おうとしないんですもの。仕方ありませんわ。そもそも、何を聞くべきかも分かりませんし。一体いくつあるのかも知りませんし。」
「……そうですか。」
……ユン、大丈夫かな。
セレンディーナ様と、これから上手くやっていけるのかな。
…………やっぱり、ダメなんじゃないかな。
もしバレたら清純な貴族のセレンディーナ様に、ユンの心は最悪な形で叩き割られちゃうんじゃないかな。
余計なお世話だと分かっていながらも、僕は心配になってしまった。でも、そんな僕の心配を嘲笑うかのように、セレンディーナ様は不敵に笑った。
「逆に貴方に聞きますけれど、貴方はその『ユンのこと』を知って、彼をどう思いましたの?幻滅しまして?嫌いになりまして?」
僕はそれを聞かれて、寮生活の7年間と、離れて交流がなくなってからの何もなかった1年半を思い返した。
「僕は、ユンのことを……すごい人間だと思っています。
僕だったら絶対に無理だ。僕だったら絶対に耐えられなくてすぐに死んでる。でもユンは今もちゃんと生きてる。
……僕はユンに出会えて、友達になれて、本当によかったと思っています。」
僕は頭が良くないから、洒落た言い回しもできなかったし、うまくまとめることもできなかった。
ただ思ったことを、ありきたりな言葉で言うことしかできなかった。
でも、セレンディーナ様にはちゃんと伝わったようだった。セレンディーナ様は当然だと言わんばかりの顔で頷いた。
「ええ。そうでしょうね。
だったら何の問題もないわ。
わたくしがユンの隠し事をいずれ知っても、わたくしはただユンをより一層好きになるだけ。
わたくしに今相談してこないということは、どうせわたくしに言ったところで解決できるものでも、良くなるものでもないのでしょう?
だったら、聞く意味なんてないじゃない。
わたくしが惚れ直すタイミングがずれるだけで、あとは何も変わらないわよ。」
ああ、そっか。そういうことか。
僕は今まで、セレンディーナ様の性格を誤解していた。
ユンの法則を、まだちょっと掴みきれていなかった。
でも、いま分かった。
僕は急に、答え合わせができた。
ユンが僕を「恩人」だと言ってくれた理由。
ユンが「多分無理」って言っていたはずのセレンディーナ様と、結局婚約までした理由。
ユンは、友人や恋人に助けてほしい人じゃない。理解してほしい人じゃない。
──ただ、側にいて放っておいてほしい人なんだ。
自分の抱える辛さや苦しさを、解決してくれなくてもいいから、勘違いしたままでもいいから、ただそっとしておいてほしいんだ。
それで、普通に一緒にいてほしいんだ。
入寮してすぐの頃、悪夢に魘されてるユンに「あまりにも酷かったら言う」とだけ言って、とりあえず黙って過ごすと決めた。
ユンが寮を抜け出して外で女性と寝るようになってからも、心配はしたけど問い詰めなかったし、誰にも告げ口や相談をしなかった。良くないことだと思っていても、僕にはどうしようもできないと思って黙っていた。
狂ったように剣を振っているのを見ても「大丈夫?」とは聞かなかった。
……それで良かったんだ。
ユンは最初から、僕に助けてほしくも、理解してほしくもなかったんだから。
きっとユンは、セレンディーナ様からも僕と同じような雰囲気を感じ取ったんじゃないかな。
これまでお付き合いをしてきた中で、セレンディーナ様はユンに何かしらの違和感を抱いた違いない。
でも「わたくしはまだ何も知りませんわ」の言葉通り、セレンディーナ様はユンの悩みを、ユンの抱えている事情を、無理に聞き出そうとせずに今まで放っておいてきたんだろう。
セレンディーナ様だって、本当は恋人として、聞きたいに決まってる。知りたいに決まってる。
ユンのことを好きならば、救ってあげたいに決まってる。もっと頼られたいに決まってる。
それでも、セレンディーナ様はそうしていない。
セレンディーナ様は相手に理想を押し付けるタイプかと思ってたけど、全然違った。むしろ真逆だ。
セレンディーナ様は誰よりも、ありのままのユンを受け入れて、ユンの好きなようにさせているんだろう。
──自分の取るべき態度だけを決めて、ユンのことはどうしようとも思っていない。
これが僕とセレンディーナ様の共通点だったんだ。
それでユンは、そういう人のことを信頼できるって判断して、徐々に取り繕うのをやめていくタイプなんだろうな。
部屋に着くなりベッドに倒れ込むようになっていった、あの頃みたいに。
香水の匂いを消さずにそのまま諦めて帰ってきちゃった、あの日みたいに。
下手にユンから悩みを聞き出して一緒に解決しようと奮闘せずに、ただ放っておけばいい。何か起きたらそのときは、ただ自分の感想や意思だけを、素直にユンに伝えていればいい。
そうしていれば、そのうちユンの方からだんだん隠すことを諦めてくるはずだ。
……あの日中の笑顔を捨てて、開き直って「もういいや」って言いながら。
「……セレンディーナ様。」
「何かしら?」
「烏滸がましいかもしれないんですけど、7年間ユンとルームメイトだった僕が気付いたこと……お伝えしてもいいですか?」
セレンディーナ様が目を見開いて、身体を少し強張らせた。
……うん、やっぱり。
セレンディーナ様も本当は知りたいよな。聞きたいよな。ユンのこと。
でも申し訳ないけど、その期待には応えられない。僕はユンの秘密は誰にも言わない。
代わりに、今気付いたユンへの「答え」を伝えることにした。
──ユンには、本当に幸せになってほしいから。セレンディーナ様と、このままうまくいってほしいから。
「僕は7年間ユンの抱える事情に気付いても、それを誰にも言いませんでした。同じ部屋で、思ったままのことを口にして、あとは黙って見ているだけでした。
……ユンに何かしようともしませんでした。どうせ僕には何もできないと思ったので。
でも多分、ユンはそれを望んでいます。
そしてセレンディーナ様は、今それができています。
ユン本人に聞こうとしない。他の誰かにも相談しない。ユンに何かしようと働きかけない。
これからも、そうしてあげてください。
ユンの方から何か言いだすまで……いや、言いだすことはないかもしれませんが、いずれ隠すのを諦めてボロを出してくると思います。
その日まで、変わらずセレンディーナ様なりに、ただ普通に接してあげてください。
それで、その日以降は、正直に思ったことをそのまま言って、あとはただ見守っていてあげてください。
多少無神経でも大丈夫です。変に気を遣う必要はありません。
ユンはきっと、そういう人のことが好きなんです。」
セレンディーナ様は僕の言葉を聞いて、ぐっと口を結んで、少しだけ言葉を詰まらせてから返事をした。
「…………分かったわ。」
辛いこと言っちゃったかな。
よく考えたら、今のって「ユンを救えるのは婚約者の貴女じゃない」って言っちゃったようなもんだよな。
それって、かなりキツイよな。……っていうか、かなり失礼だったかもしれない。
セレンディーナ様を怒らせたかもしれない。10億の話も消えちゃったかもしれない。
でも、後悔はしていない。だって僕は誰の前であってもユンとの友情を取るって、入学初日に決めていたから。それにこれは、ユンへの正しい接し方に気付いた僕にしか伝えられないことだったから。
そう思っていたら、セレンディーナ様は目を伏せてしばらく何かを考えて、それから静かに長いまつ毛で縁取られた黄金の目をスッと開いた。そして人形のような真顔で口を開いた。
「資金援助額は20億リークに訂正させていただきます。
少額で申し訳ありませんけれど。」
……10億が消えるどころか、倍になった。
僕と隣にいるアメミラさんが口を開けて呆然とする中、セレンディーナ様は「では。」と優雅にカーテシーをして、青藍色の髪を靡かせながら去っていった。
学園の入学初日、学食ごときの豪華さと値段ではしゃいでいたユンを思い出す。
セレンディーナ様はさっき「ユンは知らない」って言ってたけど、もしユンに「お祝いで20億もくれてありがとう」って僕が言ったら「え?!?!何それ?!?!」って驚きながら卒倒しちゃうだろうな。
……僕はこのことは逆に、ユンには言わずに黙っていることにした。
◆◆◆◆◆◆
僕の結婚パーティーは順調に進行していった。
招待した人たちはみんな僕とアメミラさんに祝福の言葉をかけてくれて、奮発して用意した料理を食べてくれて、奮発して呼んだ演奏団の音楽に合わせてダンスを踊っていた。
僕はダンスも下手だけど、主役だから1曲目は張り切って頑張った。僕にしては練習通りに上手くできたし、アメミラさんが幸せそうに笑ってくれたし、周りの人たちも盛大に拍手してくれたから、人生で初めてダンスが楽しいと思えた。
2曲目以降は僕にもちょっと気持ちの余裕ができたから、チラチラとセレンディーナ様の様子を見てみた。
セレンディーナ様は独りで立食コーナーに立ち、白けた目で踊る僕たちを見ながら、マカロンを1曲に1個のペースでもぐもぐと食べていた。
完璧超人セレンディーナ様は、ダンスの腕も当然完璧。同年代の中では頭ひとつ抜けて上手いし華もある。双子の兄アルディート様と揃って評判だ。
どこのパーティーでも毎回1曲は双子の兄妹で組んで、技術も表現もずば抜けた優雅なダンスを披露していた。
……それなのに、セレンディーナ様はずっと婚約者がいないままだった。
…………で、ようやく婚約者ができたと思ったら、それはダンスのダの字も知らない野生児のユンだった。
宝の持ち腐れって、まさにこのことだよな。
パートナーと踊れないどころか、パートナーは今この場にすらいないし。ユンが容赦なくセレンディーナ様を腐らせてる。
僕はセレンディーナ様にそっと同情した。
だから僕は、ダンスの時間も終盤になり、そろそろパーティーの締めの挨拶の時間が近付いてきたタイミングで、セレンディーナ様に声を掛けに行った。
「セレンディーナ様。」
「何かしら。」
セレンディーナ様が真顔で答える。セレンディーナ様の手にはまた新たなマカロンがあった。
……ユン。早く戻ってこないとセレンディーナ様の食べるマカロンの数が二桁になっちゃうぞ。
僕は内心そう思いながら「もうすぐパーティーが終わりになるのですが……ユンは戻って来れそうですか?」と聞いてみた。
するとセレンディーナ様は呆れたような顔をしながら、僕に頭を軽く下げた。
「申し訳ございません。すぐに探してまいりますわ。」
僕は慌てて「あっ、いえ!そういう意味ではないです!」と言ったけど、セレンディーナ様はそれには反応せず、不思議な質問をしてきた。
「このお屋敷の中で、一番背が高く葉が多く茂っている木はどちらにあります?」
「……はい?」
「わたくしの勘ですけれど、ユンはそこにいると思いまして。」
「ああ、なるほど。」
僕は不思議と納得してしまった。たしかにユンなら木の上にいそう。
僕が「それなら多分、屋敷の外れにある栗の木ですね。」と言って場所を説明すると、セレンディーナ様は「ありがとうございます。」と礼をしてさっさと行ってしまった。
去り際の顔には「まったく。世話が焼ける男だわ。」と書いてあった。
◆◆◆◆◆◆
僕が緊張しながらも最後の挨拶を終えて、会場全体の空気が緩くなった頃、セレンディーナ様はユンを連行して帰ってきた。
……本当に「連行」という言葉がぴったりだった。
申し訳なさそうにしょぼしょぼ歩くユンの前を、セレンディーナ様が背筋を伸ばした美しい姿勢で颯爽と風を切り髪を靡かせながら歩いていた。
手錠こそつけていないけど、まるで諦めて運命を受け入れたコソ泥と、それを容赦なく署に引っ張っていく敏腕警備兵のようだった。
これから僕と彼女は、招待客をお見送りすべく会場から正門の方に移動しなければならない。
だから、これがユンに話しかけられる最後のチャンスだった。
僕はセレンディーナ様とユンの方へと駆け寄って、萎れたユンに「ユン、おかえり。」と声を掛けた。
ユンは萎れてこそいたものの、会場から離れて休んでいた甲斐もあって、だいぶ顔色はよくなっていた。それで、僕の姿を見て申し訳なさそうに眉を下げて笑った。
「ごめんね。せっかく招待してもらったのに、結局全然居られなかった。」
僕は首を振る。
「いいよ全然。今日はきてくれてありがとう。」
それから僕は、寮にいた頃と変わらない、いつもの口調で訊いてみた。
「ユン。最近、調子どう?」
するとユンは僕の顔を見て、今度は嬉しそうに笑った。
「うん、まあまあいい感じ!
……ねえオーレン。俺ね、オーレンには話したいことがたくさんあるんだ。いろいろあったの。この一年半。」
ユンはいつでもにこにこしてるけど、僕には違いが分かった。だから僕はそのまま思ったことを伝えた。
「ユンがそこまで元気に笑ってるの、久しぶりに見た。」
僕の感想を聞いたユンは、一瞬目を丸くしてから、さっきよりももっと嬉しそうに破顔した。
「あはは!ありがとうオーレン!
やっぱりオーレンってすごいなぁ。一緒にいて一番居心地がいいや。」
ユンはとっても残酷な奴だと思う。
──「オーレンには」。「一番居心地がいい」。
隣にいる婚約者のセレンディーナ様のことを、平気でズタズタと言葉の刃で傷付けていた。
……でも、僕はそんなユンに注意をするつもりはない。
だって、それだけユンはあの7年間辛かったんだから。
それだけ僕に、感謝してくれているんだから。
隣にいるセレンディーナ様への気遣いを忘れちゃうくらいに。
……同室が僕じゃなかったら死んじゃってたって本気で思うくらいに。
セレンディーナ様はそんなユンの横で完全に半目になって、無言で宙を見ていた。「婚約者であるわたくしの前でよくもそんなことが言えるわね。無神経な男。」って思っていることは誰が見ても明らかだった。
うん。やっぱり、セレンディーナ様がユンの婚約者にはぴったりだ。
ここで自分が一番じゃないことを怒ったり悲しんだりするような人じゃ、きっとユンには付き合いきれない。呆れるくらいがちょうどいいと思う。
僕はユンに「ユンってまだ職員寮にいるんだよね?明日、僕から通話するよ。日程決めて一緒に何か美味しいものでも食べに行こう。」って返した。
するとユンは、僕が入学初日に昼食に誘ったあのときみたいに、ぱあっと顔を綻ばせて「やったー!楽しみ!連絡待ってるね!」と言って頷いた。
僕は次に会うときに、今日発見したことをユンにも伝えてあげようと思った。
でも、ユンの「放っておいてほしい」性質をそのまま本人に伝えるのもどうかと思うから、言い方はちょっと変えるつもりだ。
……どうしようかな。
──元同室の僕から見て、ユンとセレンディーナ様はお似合いだと思うよ。けっこう居心地いいんでしょ?
……かな。
うん。このくらい言えば充分伝わるだろうな。
元同室の僕には分かる。僕がそう言ったら、多分ユンはキョトンとして首をコテンと傾げてしばらく考えてから、笑ってこう返すことだろう。
「言われてみれば、たしかに。
今のところ、オーレンの次に居心地良いのはセレンディーナ様かも。」
って。
ユンは残酷で無神経だから、多分こう言う。
そしたら僕もちゃんと本音で返してあげよう。
「僕も、ユンと一緒にいるときが一番楽だよ。」
って。
7年間一緒に過ごした、取り繕わなくていい相手。
何度注意しても直らない駄目なところも、見ていてイラつく欠点も、どうしようもなく気が合わない部分も、お互いによく分かってる。
今はまだ婚約者よりも、配偶者よりも楽な相手。
……お互いに結婚して7年くらい経ったら、そこで逆転するかもしれないな。
…………あ、そうだ。
お土産代わりに、ルームフレグランスも買って持っていってあげようかな。アレがあった方が、ユンはちょっとだけよく眠れていたから。
高等部の頃のユンには余裕が無さすぎて、買い足して補充する係は3年間ずっと僕だったから、ユンは多分忘れてる。
僕が渡したら、きっと目をまん丸にして手をパチンと叩いて「あーっ!それそれ!そうそう忘れてた!なんか足りないと思ってた!」って言って、ものすごく喜ぶに違いない。
男になっても大人になっても、圧倒的歴代最強の可愛さを誇る、人懐っこいあの笑顔で。
僕たちは別にすごく気が合う訳じゃない。だから一番の理解者じゃないし、一番の親友でもない。一番大切な人でもなければ、お互い何か特別な力になれる訳でもない。
──でも、僕たちは間違いなく、生涯で一番のルームメイトだ。
…………そっか。そうだ。……そうだよな。
僕とユンは、それだけで充分だったんだ。それ以上の肩書きは、僕らの間には必要ない。




