11 ◆ 平凡令息と平民男の7年間(5)
本編開始までの間に起きた、ユンの奮闘と崩壊。そして今、ユンはセレンディーナのどこに惹かれているのか。とある同級生視点からの答え合わせ編(全6話)です。
第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
クゼーレ王国の王立機関は、就職試験や面接が一番最後の時期にある。
王城勤務の各職種、王国魔導騎士団、王立総合病院、王国図書館、王立科学研究所……ユンの第一志望の、王立魔法研究所。等々。
この辺りの就職試験は、3学期に集中していた。
僕はこの時期、ひたすらユンを応援していた。
応援と言っても「頑張れ!頑張れ!」とか「やればできる!いけ!ユン!」とか言うんじゃなくて、ユンの勉強の邪魔にならないように大人しくしたり、ユンが相変わらず風呂上がりに髪びっしょりのままうろついていても文句を言わずに黙っていてあげたり……そんな感じだった。
あとは、ユンに頼まれて選考書類に目を通して誤字脱字や内容をチェックしたり、面接の模擬練習に付き合ったりしたくらい。
ユンには「あ゛ぁ〜!あ゛りがどぉ〜!」って滅茶苦茶感謝されたけど、僕はユンよりも頭が悪かったから、正直あんまり役に立てた気はしなかった。
ユンが週末に試験や面接に行くときも、変に緊張させないように、なるべく僕は普段通りに振る舞った。
ただ、順調に選考を突破していったユンが最後──卒業式の2週間前、最終面接に行く直前に「何か一言アドバイスちょうだい!」ってお願いしてきたから、僕は求められた通りに応援がてらアドバイスをした。
「もし困ったらとりあえず全力で『にこっ!!!』ってしときなよ。いつもみたいに。
やばくなっても頭真っ白になっても、ユンならそれで絶対乗り切れるよ。だから、頑張れ。」
髪も切って声変わりもして背も伸びて、この7年間でもうすっかり「男性」になったユン。
だけど相変わらず、天性の愛嬌力は健在だと思う。だからいざとなったら、研究所の所長クラスの人が相手でも「にこっ!!!」てしておけば割とまじで、本気で大丈夫だと思う。
僕はそう思って、素直に伝えた。
そうしたらユンは「うわー!やばい全然役に立たない!ありがとー!!行ってきまーす!!」ってすごい失礼なことを妙なテンションで叫びながら、でも僕のアドバイス通り「にこっ!!!」て思いっきり僕に向かって笑ってから出て行った。
…………うん。そうそう、それそれ。
いけるじゃん。頑張れ、ユン。
僕は投げやりなユンの笑顔を受け止めながら、心の中でもう一度声援を送った。
◆◆◆◆◆◆
ユンの最終選考の結果は、卒業式の前日の夕方に届いた。
面接を終えて帰ってきてから2週間ずっと「ねえ。いくら何でもギリギリすぎない?……もはやこの試験時期の設定がこの国最大のシステムの欠陥だよ。早く改正したほうがいいよ。」ってぐちぐち言い続けていたユン。
でもいざ封筒が届いたら、ユンは「ああー!早い早い!卒業式の後でいいじゃん!何で今見せてくんの?!」って文句を言っていた。
「代わりに開けてぇ……。」
「本当に僕が開けていいの?」
「ダメ。」
「じゃあ自分で開けなよ。頑張れ、ユン。」
ユンは「ふぐぅ……っ」って顔をしわしわにして唸りながら恐る恐る封筒を開けて中を見た。
そして、本当に久しぶりに、ぱあっと満面の笑みを見せた。
「受かったぁーーー!!!」
「やったじゃん!ユン!!おめでとう!!」
僕も柄にもなく、思わず叫んだ。
ここ数年間で一番嬉しい瞬間だった。
僕たちのこの寮部屋の空気も、久しぶりに底抜けに明るくなった。
何年振りだろう?こういうの。
「やったー!母ちゃん!俺、やったよ!!」
ユンは最高に嬉しそうにニコニコしながら、珍しく「兄ちゃん」よりも先に「母ちゃん」って言っていた。
僕はユンから、書類には書かれていなかった本当の魔法研究所の志望動機も聞いていたから、ユンから自然と漏れたその言葉に物凄く嬉しくなった。
うん。そうだよな。やったな、ユン!
ユンは亡くなったお母さんがずっと言ってくれていた「ユンは天才だわ!将来は学者さんかしら!」っていう言葉を、今ようやく実現できたんだ。
ユンは本当に、本当にすごい人だ。
「おめでとう、ユン!!本当におめでとう!!」
僕は惜しみなく、何度もユンを祝った。
「ねえ、ユン。寮の通話機借りてさ、お兄さんにも報告してきなよ。きっと喜ぶよ。」
僕はユンにそう提案をした。それを聞いたユンは、すっごく嬉しそうな顔をして「うん!でも俺、今日は直接兄ちゃんに言ってきちゃおうかな!!」って言って、そのまま合格通知を片手に走って部屋を出て行ってしまった。
ユンが久しぶりに嬉しそうで、本当に良かった。
ユンはこの1年間、お兄さんにろくに会うことすらできていなかったから、きっとお兄さんも驚くだろうし……それに絶対、お兄さん喜ぶだろうな。
ユンはこの7年間、本当に物凄く頑張った。
冷静になって考えると、ユン自身は今はもうボロボロで、ガタガタで、滅茶苦茶な状態なんだけど。
……でも、今日くらいは忘れてもいいよな。
だって、ようやく全部報われたんだから。
お兄さんの期待に応えて、ユンは7年間、頑張って一人でやり切った。それでお兄さんに最高の報告ができるんだ。
「兄ちゃん兄ちゃん!見て見て!俺、魔法研究所に受かったよ!
母ちゃんが言ってたように、俺、本物の学者になれるんだ!
──全部全部、兄ちゃんが俺を学園に通わせてくれたお陰だよ!ありがとう兄ちゃん!」
って。ようやく、ユンはお兄さんに言えるんだ。
今日くらいは、不安も恐怖も苦しさも辛さも全部忘れて、お兄さんと楽しく笑ってお祝いでもして過ごしてほしいな。
僕はそんな風に思いながら、卒業式前夜を一人、寮部屋で過ごした。
翌朝、少し寝不足そうだけどニッコニコで戻ってきたユンと一緒に、僕は学園生活最後の日──卒業式へと向かった。
◆◆◆◆◆◆
卒業パーティーが終わった午後10時過ぎ。
僕は婚約者のアメミラさんと別れて、寮の自室に戻った。
この前、ユンは「平民の俺がパーティーなんて出られる訳ないじゃん。俺は昼間の卒業証書の授与が終わったら、晩飯食べて久しぶりに早めに寝よっかな。……あ、卒業式の日って学食やってたっけ?」とか何とか言っていたから、もう着替えてベッドで休んでるかもな。
そう思いながら部屋のドアを開けたら──ユンは不在だった。
……王都に出てるのかな?
フラフラ気分転換しに行ったか、例の応急処置でもしに行ったか。
そんな風に考えていたら、いきなり廊下側……背後から声を掛けられた。
「あ、おかえりー。お疲れー。」
「うわぁああっ?!?!……って、なんだ。ユンか。」
ユンは昼間の学生服のままで、まだ着替えてすらいなかった。「驚かせちゃった?ごめーん。」と言って笑っていたけど、その顔は何だかとってもくたびれていた。
「びっくりしたー……っていうか、ユンまだ帰ってきてなかったんだ。何してたの?出掛けてたの?」
僕が質問すると、ユンは部屋の中に入ってきてドアを閉めてドサッとベッドに腰掛けて、立っている僕を一度見上げてから視線を泳がせた。
「うーん。いや、出掛けてはいないけど……。
卒業パーティーの時間さ、何となく寮に戻る気にもなれなかったから、学園の敷地内でのんびり休んでたんだ。
……そしたらなんか、セレンディーナ様が急に俺のところに来てさ。」
「え?」
あ……でも、そういえばセレンディーナ様、ダンスの時間にはいなかったかも。
セレンディーナ様がいたら意識してなくても絶対に目に入るに決まってるもんな。目立つし。
僕がパーティーの光景をなんとなく思い出していると、ユンがちょっと照れくさそうに、口を尖らせて小声でもごもごと言った。
「…………なんか、いきなり告白された。」
「え?何?聞こえないんだけど。」
僕が特に空気も読まずに聞き返すと、ユンはそんな僕を不満そうに睨みながら顔をほんのり赤らめてもっと口を尖らせた。「何度も言わせないでよ」って顔だった。
「……だから、告白されたの。なんか『好き』って言われた。」
──は!?
「『X』じゃん!!!!」
セレンディーナ様、やっぱり「Xの再来」だった!!
僕が思わず驚いて叫ぶと、ユンはビクッとして「えっ?!……は?何で『X』?」と戸惑った。
それから「それで、話聞いたりして……帰るタイミングがよく分かんなくなっちゃってたら、こんな時間になっちゃった。」と、ぼそぼそと付け足した。
……ユンって、最終日に告白される運命にあるのかな。
ユンは何だか照れ半分、戸惑い半分みたいな微妙な表情をしながら「俺、まったく予想してなかった……っていうか、そんなの考えたこともなかったんだよね。別に嫌われてるとは思ってなかったけど……全然そんな気配もなかったし。いつからだったんだろう?」と不思議そうにしていた。
「最初からじゃない?」
僕は素直に思ったことを言った。
……うん。セレンディーナ様は最初からだよ。だって入学式の日からXと同じだったもん。
するとユンは揶揄われたと思ったのか、またムッと口を尖らせて「もー、何それ。そんな訳ないじゃん。適当に言ってるでしょ。」と文句を言ってきた。
適当じゃないんだけどな。……まあ、いいか。ユンに言ってもどうせ伝わらないだろうし。
「それで、ユンは何て返事したの?」
「一旦『保留』って言っといた。」
「へーぇ。…………は?何それ。」
僕が遅れて首を傾げると、ユンは拗ねた。
「だって、しょうがないじゃん。今まで考えたことなかったし。
いきなり言われてびっくりしちゃって、頭回らなかったんだもん。」
僕は……でも、ユンの反応が意外だと思った。
ユンなら、そんな「今まで考えたこともない」ような相手から告白されたら普通に断りそうだけどな。ユンは対人関係については別に優柔不断って訳でもないし。
どっちかっていうと、Xとの最終日のときみたいに、自分の感情からくる感想と結論をスパッと出してくる印象がある。
それに何より、身分差があり過ぎるし。
セレンディーナ様は四大公爵家の長女。そのお相手になるなんて、僕みたいな子爵家長男でも無理。そのくらい次元が違う相手だ。平民のユンなら尚更だろう。
不意打ちを喰らってびっくりしていたとしても、ユンならそのくらいは理解できるだろうし、ちゃんと判断もできるはずだ。
……だから、ユンがセレンディーナ様に対する返事を引き延ばしたのが意外だった。
そんな風に、ユンらしくなく引き延ばしたってことは──……
「『保留』ってことは、ユンの中では、けっこう可能性あるんだね。」
僕はユンの話を聞いて、そう思った。
でもユンは、僕の言葉をあっさり否定してきた。
「んー……いや。一応ちゃんと考えてみるけど、多分無理……っていうか、お断りするしかないと思ってるよ。さすがに非現実的過ぎるし。」
……なんだ。ほぼ結論出てるじゃん。
「じゃあ何でユンは『保留』にしちゃったの?」
僕は思ったことをそのまま訊いた。
何でそんなややこしい状態にしちゃったんだろう。ただでさえユンはここ最近余裕がないのに。自分の首を締めてるだけじゃん。
するとユンは、自分でも不思議そうに「何でだろう?んー……そうだなぁ……」と言って首を傾げてしばらく考えて、それからぼんやりと答えた。
「なんか、ちょっと『勿体無いな』って気がしちゃったんだよね。すぐ断っちゃうのが。」
それからユンは、ポツリと呟いた。
「俺、今まであんなに真っ直ぐに『好き』って言ってもらえたことなかったから。
…………だから、けっこう嬉しくなっちゃったんだと思う。」
僕はアメミラさんと婚約したときに、彼女から真っ直ぐに好意を伝えてもらったときのことを思い出した。
だから、ユンのその言葉に妙に共感してしまった。
「……そっか。」
──分かる。嬉しいよな。それだけで、一気に幸せになれるよな。
それから僕はぼんやりと考えた。
……セレンディーナ様は、ユンで本当にいいのかな?
たしかにユンはいい奴だけど、抱えてるものが暗すぎるし重すぎる。セレンディーナ様じゃユンを何とかするのは無理な気がする。
それに、ユンは尊敬できる奴だけど……正直、性格的にも合わない気がする。ユンは、ロマンチストなセレンディーナ様が憧れてそうな王子様とは違って割と無神経だし、見た目がおっとりしてるだけで中身は超が付くほどの野生児だし。
……ユンにとっては、どっちがいいんだろう?
正直、付き合ったらセレンディーナ様に傷付けられちゃう可能性の方が高いと思う。セレンディーナ様はきっとユンに理想を押し付けて、理想と違ったらユンを酷く罵るだろうし。ユンはもう潔白な人間じゃないから、バレたらやばいことになりそう。
それにそもそも公爵令嬢と平民だし。本当に付き合うとなったら、向こうはまだしも、ユンにとっては辛いことばかりになるんじゃないかな。なんやかんやでユンの方が公爵家に合わせていろいろ価値観や常識を変えてかなきゃいけなくなるだろうから。
だったら、最初からやめといた方がいい。
……でも、もしかしたら奇跡が起きて、ユンが幸せになれるかもしれない。この現状をだらだら続けてても、ユンはどんどん苦しくなってくだけだし。いつかは抜け出さなきゃいけないと思う。
だったら、この一発逆転に賭けるべきなのかも。
どっちがいいのかは分からないけど、僕はそんな風に考えながらユンに思ったことをそのまま伝えた。
「まあ、ゆっくり考えれば?
ユンが幸せになれるなら、どっちでもいいんじゃない?」
それを聞いたユンは「幸せ……ねぇ。」って言って苦笑した。
「魔法研究所に入れただけで充分幸せだし。いいよ、あとは適当に生きてければ。
俺はもうこんなんだしさ、これ以上望んだって仕方なくない?
っていうか、セレンディーナ様もこんな俺に何を期待してんだろうね?なんか別人の幻覚でも見えてるんじゃない?
……本当、趣味悪いよね。」
………………。
ユンのこんなにも投げやりな言葉を聞いたのは、もしかしたら初めてかもしれないと思った。
ユンが鼻で笑って吐き捨てるように言ったのが、聞いていてすごく辛かった。
だから、僕が言えた義理じゃなかったけど、何様なんだよって感じだったけど……でも、僕はユンにはっきり伝えた。
「たしかに身分差があり過ぎて非現実的だけどさ。
でも、趣味悪くはないよ。ユンを選ぶなんて、セレンディーナ様は見る目あるなって思うよ。」
ユンが僕にアメミラさんとの婚約話が持ち上がったときに言ってくれた言葉。
言い方はかなりウザかったけど、僕の自己肯定感を上げてくれた言葉。
それを僕は、今度はユンに伝えた。
………………あ、
「そうだ。ユン、明日ケーキ買いに行かない?」
僕は唐突に思った。
ユンが「え?何いきなり。いいけど。」って言いながらコテンと首を傾げる。
そんなユンを見ながら、僕は笑って提案をした。
「せっかくだから、明日は二人で卒業祝いしようよ。
あと、『今後どうなるかは分からないけど、とりあえず最後にモテて良かったね。〜学生時代に告白された青春記念パーティー〜』も一緒に。」
その場での即興だったからタイトルはぐだぐだになったけど、ユンはちゃんと気付いたようだった。
「うーん、たしかに。言われる側になるとけっこうウザいね。
でもケーキは楽しみ。ありがとー。」
そう言って笑うユンを見て、僕はちょっとだけホッとした。
◆◆◆◆◆◆
卒業式の次の日。
僕とユンは久しぶりに二人で王都に行って、あのメロンショートケーキで有名な店に1時間並んだ。そしてそこで、メロン……ではなくユンの希望で苺のショートケーキを買って帰って、寮の部屋でまた行儀悪く二人で両端から直接フォークで食べていった。
ユンが機嫌良さそうに「うまーっ!」って喜んでいたから、提案して良かったと思った。
「そういえばさ、ユンはもう引越し先は決まったの?」
僕が苺にフォークを刺しながら何気なくユンに聞いたら、ユンはケーキをリスみたいに頬張ったまま答えた。
「ふぉん。ふぁふんふょくふぃんふぉー。」
「口の中身を飲み込んでから喋りなよ。」
僕はユンに注意をしつつも、ふと「こんな庶民らしい行儀の悪さもあと数日で終わりなのか」と思って、急に寂しくなってしまった。
ユンはそんな僕の感情には絶対に気付いていなかったと思う。普通に口の中身を飲み込んで、特に反省も恥じることもせずに「うん。多分、職員寮。」とただ普通に言い直した。
「魔法研究所を受けたときに、書類でも面接でも希望しといたし。内定してから1週間以内に連絡くるって言ってたから、ここの退寮日までには決まるんじゃないかな。」
「ギリギリじゃん。」
「ねー。本当嫌なんだけど。」
「もし『職員寮には入れません』って言われたらどうするの?」
「んー、大丈夫だとは思うけど……もしダメって言われたら急いで王都内で借りれそうな物件探す。」
「うわー……頑張れ。」
ユンは面倒くさそうに溜め息をついて「はぁ〜あ。早く連絡来ないかなぁ〜。」と言いながらまたケーキを口いっぱいに頬張った。
◆◆◆◆◆◆
それから3日後、無事にユンは王立魔法研究所の職員寮への入寮が決まった。
ここ数日、大量の教科書や参考書を片付けつつ私物を箱に詰めたり、部屋の大掃除をしたりしていた僕たちは、これで二人とも無事に行き先が決定した。
──僕は実家の子爵家。ユンは研究所の職員寮。
いよいよ別れのときが近付いてきた。
「……ユンはまだ寮生活が続くんだな。」
僕がなんとなくそう呟くと、ユンは「羨ましい?」と冗談を言って軽く笑ってきた。
そんなユンの言葉に、僕は素直に頷いた。
「うん。いいなぁって思う。
……僕、あんまり家族と仲が良いわけじゃないから。子爵家に帰るの……正直、気が重い。」
ユンの方が僕なんかよりもずっと辛い人生を送っているのは明らかだったから、ユンの前ではあんまり愚痴を言わないようにしてたけど、そのときの僕は気が緩んでしまっていた。
みっともなく弱音を吐いた僕に、ユンは少しだけ驚いたように目を見開いた。
そしてそれから「そっか。大変だね。……アメミラさんは大丈夫そうなの?」と訊いてきた。
……そうだよな。大事なのは、そこだよな。
僕は自分に言い聞かせるようにしながら、ユンの質問に答えた。
「うん。僕はアメミラさんを守らなきゃいけないから、気が重いけど、これからは家でも頑張る。
それで、アメミラさんに安心して子爵家に来てもらえるようにするんだ。」
それを聞いたユンは、他人事なのに、まるで自分のことのように嬉しそうな顔をした。
「──すごい、格好いい!
うん。頑張って!応援してる。」
◆◆◆◆◆◆
そして、ついにやってきた退寮日。
……7年間の寮生活の、最終日。
よく晴れた気持ちのいい日だった。
大したことない、どっちかっていうと質素な子爵家の馬車が、昼過ぎ頃に高等部の男子寮の前に到着した。
僕は実家に持ち帰る荷物を馬車に積み込んだ。ユンは一緒に、僕の荷物を部屋から持ってくるのを手伝ってくれた。
そうしてあっさり数往復で荷物が積み終わった。
最後に忘れ物がないか確認をして、僕は馬車に乗るために、お世話になった寮を出た。
ユンは当然のように僕を見送りに、一緒に馬車のところまで来てくれた。
「……ユン。
僕、ユンがルームメイトで本当に良かった。
──7年間、ありがとう。」
ありきたりな言葉しか出てこなかったけど、僕は7年間の感謝を込めて、ユンに心からのお礼を言った。
ユンは僕の言葉をしっかり受け取って、それから嬉しそうに笑った。
「うん、俺も!
7年間ずっと同部屋でいてくれて、本当にありがとう!
──じゃあね、元気でね!」
ユンは平民だから、ユンの方から貴族の僕に私的な連絡を取ることはない。現に、ユンは僕の連絡先を聞こうとしなかった。
ユンは気さくでけっこう無神経で図太くて、僕たちの学年で一番身分の高い四大公爵家のアルディート様とタメ口で仲良くして、同じ四大公爵家のセレンディーナ様からは告白までされちゃうような奴だけど。
でも、ユン自身はちゃんと線引きが分かってる奴だから、こういうとき子爵家長男の僕に、自分から「また会おうね!」なんて軽々しく言わない。
分かってた。ユンはそういう人間だ、って。それが世界の常識だ、って。
……分かってたけど、寂しかった。
学園内では身分は関係ない。だから僕たちは対等な関係。
でも、それも学園を卒業したら終わっちゃうんだ。
身分が上の僕からユンに連絡をしなければ、今日で僕とユンの友情も終わり。一生、ユンに会うことはないんだな。
僕が乗り込んだ馬車に向かって、にっこり笑って手を振ってくれるユン。
僕はその笑顔を見ながら、7年前、中等部の入寮日に初めてユンに会ったときのことを思い出した。
信じられないくらいの美少女がいると思って、女子寮と間違えたと勘違いして慌てて門まで走って出ていったあの日のこと。
あの日も、ユンはにっこり笑ってた。
あれから7年間。僕もユンも、大きくなったよな。
子爵家でずっと惨めでつまらない人生を送っていたパッとしなかった僕は、入学初日にユンをXから助けるために勇気を出して、そこから少しずつ変わっていった。
だんだん毎日が楽しくなって、アメミラさんっていう婚約者もできて、それでもっと頑張ろうって決意ができて……だんだん自分に自信がついた。
僕は7年間で大きく変われたと思う。
周りから見たら大したことないかもしれないけど、それでも僕にとっては大きな変化だ。
それで、ユンも……7年間で、変わったよな。
誰がどう見ても可愛さ圧倒的歴代最強女子のユンに衝撃を受けたあの日から、僕はユンのことを少しずつ知って、ずっと見てきた。
7年間、ずっと変わらず頑張り続けたユンを、それでどんどん変わっていくユンを……僕は何もせずに、何もできずに、ずっと見てきた。
あの純粋だったユンがどんどん壊れていく様を、僕はただ眺めているだけだった。
僕自身は成長できた。
……けど、ユンのことは全然、助けてあげられなかった。
僕たちは7年かけて、お互いの真の理解者にも、相談相手にも、親友にも……何にもなれなかった。
──僕たちは7年間、ただのルームメイトだった。
「………………ごめん、ユン。」
僕は、ユンには届かない謝罪をしながら、ちょっとだけ馬車の中で泣いた。
たくさん成長できて充実した、楽しかった学園生活が終わった日。
僕の唯一の反省点で、唯一の心残りは、ルームメイトのユンを最後まで助けられなかったことだった。
この数週間後にユンはゼンとラルダの婚約内定の話を聞き、そこでもまた兄を祝うことができず、最後の崩壊を起こします。
そしてそのまま学園の友人たちとも離れた独りぼっちの新生活が始まります。
その大崩壊状態の現状を何とか乗り越えようとしたユンが、兄のために無理矢理出した結論が、初登場時(第1部第9話)に繋がります。




