10 ◆ 平凡令息と平民男の7年間(4)
本編開始までの間に起きた、ユンの奮闘と崩壊。そして今、ユンはセレンディーナのどこに惹かれているのか。とある同級生視点からの答え合わせ編(全6話)です。
第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。
中等部1学年の頃のクラスメイトたちの間では、ユンに内緒で密かに、セレンディーナ様が「Xの再来」と言われていた。
ユンたちと同じクラスの友達の情報によると、事あるごとに「これだから平民は」とか、「平民らしい理解し難い発想ね」とか、失礼なことを度々ユンに言っているらしい。
でも、さすがにここはもう高等部で、セレンディーナ様は公爵家のご令嬢。Xのときのような幼稚で過激な暴言はないっぽい。
まあ、平民平民って連発して見下すのも充分酷いとは思うけど。
ユンはセレンディーナ様がXに比べて攻撃力が低いせいか、あまり気にしていないようだった。
……というか、何なら嫌味があんまり通じていないようだった。
僕とユンが日中一緒になるタイミングは週に一度、2クラス合同の講義の授業のときだけだったけど、そこで何となくユンとセレンディーナ様の様子は把握できた。
「ユン。一体何なの?使いにくそうなことこの上ない、みすぼらしい、そのペンは。」
「……はい?」
「ペン先もよく見たら少し曲がっているじゃない。書くときに引っかかってしまうのではなくて?平民は皆、こんな安物を使っているの?まったく。見るに耐えないわ。」
「うーん。これ、中等部の頃に学園の購買で買ったやつなんで、平民の俺以外にも使ってる人はいるんじゃないですか?」
「…………あら、そう。」
「でもたしかに、そろそろ替え時かもしれませんね。ちょうどいいや。今日、新しいの買いに行ってきます。」
「……そうね。そうしなさい。」
………………。
たしかにユンは野生児だから人より若干は鈍いけど、別に鈍感というほどではない。
なのにユンとセレンディーナ様は、Xとはまた若干違った方向にすれ違い続けていた。
僕はなんとなく察した。
Xのときもそうだったけど、ユンは自分への好意に特に鈍いんだろうな。「自分が好かれているかも」っていう発想がないのかもしれない。
ユンは明るくて気さくな性格をしてるけど、実はすごく自己肯定感が低いから。
そういえば前に「兄ちゃんは俺と違って格好良くてすごくモテる」って言ってたから、そのせいかも。僕も弟たちの方が優秀って言われ続けて劣等感がすごくあったから、その感覚はちょっとわかる。アメミラさんが婚約者になったときのことを振り返ると、自分もまさに「えっ、僕なの?!嘘だろ?!」って感じだったし。
あとは多分、第一印象のせいだろうな。
ユンはXのことを初日からずっと「平民の俺を不快に思って暴言を吐いてくる奴」って思い込んでいた。
きっと今、セレンディーナ様のことは「平民の俺を珍獣だと思って話しかけてくる高位貴族のお嬢様」って思い込んでるんだろう。
実際、セレンディーナ様がトゲトゲと「平民」って言う度に、領地見学に来たご令嬢の質問に答える案内役の領民のような返答をしていた。
一目惚れされてウザ絡みされてるとは、露ほども思っていないようだった。
……まあ、セレンディーナ様はXよりも分かりにくい気がするし、なんなら僕の勘違いかもしれないけど。
本当にただ平民を見下しつつ好奇の目で見ているだけの可能性もある。
ただ、中等部からの友達の間では、セレンディーナ様は完全にXに重ね合わせられていた。真実がどうかは別として。
◆◆◆◆◆◆
高等部になっても相変わらず夜眠れずに苦しんで苦しんで、重い溜め息をついてこっそり寮を抜け出すユンを見ながら、僕はぼんやりと考えた。
──もし、Xが転校せずにいたら……いろいろと変わっていたのかな。
Xはユンとどんどん仲良くなって、そのうち一番の親友になって。
それでいてユンの不調にちゃんと気付いて、僕と違って相談に乗って──……僕と違って、ユンがこんな風になっちゃう前に、「そんな馬鹿なことを考えるなよ!ユンは一時でも俺が惚れた奴なんだ!もっと自分を大切にしろよ!」なんて、熱い語りでユンの腕を掴んで引き止めて、違う道を一緒に探してあげる。
親友のXに救われている。そんなユンがいたのかもしれない。
相変わらず日中は明るく元気に、お得意の切り替えの早さで楽しそうに笑って過ごすユンを見ながら、僕はぼんやりと考えた。
セレンディーナ様は入学初日からずっと、どうやらユンを気にしているっぽい。
アルディート様はたった数ヶ月で、ユンとすっかり意気投合したっぽい。
中等部1学年の頃の「一目惚れのX」の再来と言われているセレンディーナ様。
叶わなかった「未来の親友X」の代わりに現実で仲良くなったアルディート様。
Xの役目を担える二人がここに揃っているとして。
もう少しだけ、早ければ──
──ユンが崩壊した中等部3学年の終わりまでに、この双子兄妹が間に合っていれば……いろいろと変わっていたのかな。
セレンディーナ様のお陰で気が紛れて、アルディート様のお陰で救われている。そんなユンがいたのかもしれない。
セレンディーナ様が本当にXみたいにユンに惚れていたとしても……残念だけど、絶対に想いは成就しないだろうな。
だってユンはすでに、大切に育てられた箱入りの貴族令嬢のセレンディーナ様が思い描くような、潔白な人間じゃなくなってるから。
身分差どうこう以前の問題だ。もし仮にセレンディーナ様がユンの裏の姿を知ってしまったら、きっと彼女は一方的に失望して絶望して激怒して、「よくも騙したわね!この穢らわしい平民が!」って叫んで、ユンのすでにボロボロな心を最悪な形で叩き割って止めを刺すような気がする。
アルディート様が今後ユンの唯一無二の親友になったとしても、ユンが自分の口から彼に真実を告げて悩みを相談したとしても……正直もう手遅れだよな。
だってユンはすでに、取り返しがつかないくらい、潔白な人間じゃなくなってるから。
アルディート様が有能どうこう以前の問題だ。誰も起きてしまったことは変えられないし、過ぎてしまった時は戻せない。
ユンはそれを分かっていて、それでもその道を選んでしまった。
この前、ふと思い出して「そういえば6箇条、ちゃんと守ってる?」とユンに聞いたら、ユンは「え?何それ?」と首を傾げてた。僕が「ユンの真人間認定基準だけど。自分で宣誓してたじゃん。」って言ったら、苦笑しながら「ああ、あれか!うんうん。細かくは忘れちゃったけど、ちゃんとしてるよ。大丈夫。俺、まだちゃんと真人間。俺の中では基準満たしてる。」って、雑な判定を下してた。
「……まあいいや。細かい項目は忘れてても、そもそもあれはユンの価値観に基づいてたものだから。ユンの価値観が変わってないなら、それで大丈夫なんじゃない?」
そんな感じで、僕は僕で雑に納得をした。
中等部組のみんなは「Xの再来」なんて言って、中等部の頃と高等部の今を重ね合わせてるけど、ユン本人はだいぶ変わっちゃったよな。
Xが惚れた、あの見た目は完全に「可愛さ圧倒的歴代最強女子」だったユン。
中身はとんだ野生児で、夜には悪夢に魘されてて……それでもちゃんと、健全で純粋な笑顔だったユン。
──今のユンの裏の姿を知ったら、Xは悲しんで泣いちゃうだろうな。
浴室から出てきたユンの背中を見ながら、僕はぼんやりと考えつつ、4年半で言い慣れた一番の文句を言った。
「……ねえユン。服着ないでうろつくのはもういいけどさ、せめてもっとちゃんと髪を拭けよ。床びっしょびしょに濡れてんじゃん。」
◆◆◆◆◆◆
さすがにもうこれ以上、ユンが崩壊することはないだろうと思っていた。そんな僕の考えは甘かった。
ユンがさらにもう一段階崩壊したのは、高等部3学年……学園生活最後の年でのことだった。
何も悩みを持たない健全な貴族子女でも、この1年で一気に病み、狂う。
そのくらい過酷なクゼーレ王国の「就職活動」。
人生を賭けた熾烈な生存競争に──……ユンは、意外な角度から苦しめられることになっていった。
◆◆◆◆◆◆
学園卒業後の進路は、大きく分けて二つある。
一つは「後継組」。もう一つは「就職組」。
後継組っていうのは、僕みたいな貴族の長男や、長男じゃなくても実家に戻って家の仕事を手伝う予定の子女のこと。自分の実家の事業や領地を発展させるために、事業運営や領地経営、貴族間交流、王国の内政などに携わるための準備をする。
でも進路自体は決まっているし、他の人との競争もないから、はっきり言って気楽ではある。
……まあ、それこそ四大公爵家の長男のアルディート様みたいな人は、プレッシャーがすごいと思うけど。
クゼーレ王国は大国だから、四大公爵家それぞれにも小国に匹敵するくらいの力がある。四大公爵家を継ぐというのは、言うなれば、一国の王様になるようなものだ。
僕だったら卒業したくなくて吐いてると思う。
そういえば、四大公爵家の後継者といえば、実戦魔法学のアスレイ先生もそうだけど。
四大公爵家の長男でありながら「未来ある君たちのような若者の成長を手助けできる講師という仕事は、私にとってまさに天職ですね。」とか100%嘘でしかない胡散臭いことを言いながら楽しそうにしているアスレイ先生は、申し訳ないけど、どう考えてもおかしいと思う。
しかも元魔導騎士団員らしいし。とにかく肩書きが凄すぎて一部の学生たちからはすごく尊敬されて憧れられているんだけど、僕的には意味が分からない。何がしたいんだろう?あの人。
……申し訳ないけど、はっきり言って変人だと思う。
就職組はその名の通り、卒業後に就職する人たちのこと。家を継ぐ予定がない長男以外。婿入りして婚約者の家を継ぐ人は後継組になるけど、そうじゃない次男や三男、四男あたり。
たまにご令嬢でも「家の外で仕事をしてみたい」って言って就職を目指す人はいる。
……あとは、この学園でただ一人の平民、ユン。
ユンも当然、就職組だ。
大国クゼーレ王国の貴族の就職はかなりハイレベルで競争も激しい。
王立魔法学園は、中央校以外にも東部校、西部校がある。地方にも有名な魔法学校はたくさんある。
優秀な学生たちがたくさんいる。そんなライバルたちを蹴落として、ちゃんと自立したり、いいところに就いて実家に箔をつけなきゃいけない。
家を継ぐのとはまた違うプレッシャーがかかるのが就職組。この最終学年の過ごし方だけで言えば、就職組の方が大変で辛いだろう。
ユンは僕と違って成績が良い方だから、就職自体は問題なくできそうではある。
それにユンは庶民だから、そもそも貴族基準で考えなければ、余裕で仕事は見つけられると思う。王立魔法学園出身なんて、それだけで庶民の就職市場なら引く手数多だろう。
でも、ユンは妥協しなかった。
ユンはちゃんと真っ向勝負で、クゼーレ王国の貴族子女たちの就職競争の世界に飛び込んでいった。
◆◆◆◆◆◆
ユンは頑張った。
今まで以上に必死に勉強していたし、今までと違って放課後や週末にギルドに出掛けなくなった。
ギルドで小銭稼ぎができなくなった分、今までコツコツ貯めていたらしい引き出し貯金を切り崩しながら、学食や購買の一番安いメニューで適当に食事を済ませているようだった。
たまに、夜どうしても寝られなくて苦しくなったときに、応急処置のために寮を抜け出す程度。
あとは全部勉強や就職活動に時間を費やしていた。
とはいえユンは、勉強自体はそこまで辛そうじゃなかった。
ユンはもともと成績は良い方だし……実はけっこうオタク気質なところもあったから。
ユンは出会ってすぐの頃に「ウェルナガルドってド田舎だったし、ウェルナガルド出てからは兄ちゃんとずっと二人でいたからさ。俺、あんまり娯楽らしい娯楽って知らなくて。本を読むか、魔法を自分で考えて遊ぶくらいしかしてこなかったんだよねー。あとは狩り。」って話していた。
その発言通り、ユンは中等部の頃はすごい速さで教科書以外にも本をたくさん読んでいたし、授業で習った魔法を平気で型から外して勝手に改良するっていう、貴族子女なら絶対にやらないような変な遊びをよくしていた。
中等部の4学年頃からは、ユン自身に余裕が無くなってきちゃってたから、そうやって遊んでる姿はたまにしか見れなくなっちゃってたけど。
でも、ユンはもともと勉強が嫌いな人間じゃなかった。というか、むしろ勉強自体を遊びのように楽しめる人間だった。
……まあ、そうでもなければ、家庭教師をつけたこともない平民がいきなり魔法学園に入れるわけないもんな。当然と言えば当然か。
だから、ユンは勉強は辛そうじゃなかった。
ユンが辛そうにしていたのは、別のことだった。
ユンは見た目とは裏腹に超野生児でもあるから……むしろそっちの方が辛そうだった。
毎日勉強漬けになって、週末も就職先候補の研究や説明会が入ってきて、全然ギルドに行けなくなったユン。
4学年に上がってしばらくしてユンは、ふとした瞬間によくあの動きをするようになった。
──中等部1学年の頃、Xに教科書を隠されたときにキレてやっていた、不自然な手の動き。
愛用の双剣を回す、あの手癖。
僕はだんだんその無意識の動きが増えていくユンを見て「ストレス溜まってるなー」程度に思っていたけど、僕が思っていた以上に、その症状は実は深刻だった。
◆◆◆◆◆◆
4学年に上がって1ヶ月も経たないうちに、ユンはギルドに行く代わりに、勉強の合間にふと思い立ったように机から立って、5分くらい双剣を素振りするようになった。
双剣をクルッと回してパシッと掴んで、それから目にも留まらない物凄い速さで素振りするユンは、すごく格好良かった。
休憩時間の気分転換かなと思いつつ、最初は「おおー!ユンって、やっぱりすごいんだね。剣術の授業と全然違うじゃん。」なんて驚いて呑気に鑑賞したり、「間違えて机斬らないでよ。」なんて冗談を言ったりしていたし、ユンもそんな僕に「斬らない斬らない。大丈夫、大丈夫。」って笑って返したりしていた。
でも、だんだん……ユンのこの行動は、単なる息抜きじゃなくなっていった。
僕は貴族令息らしく昔から剣術は一応習ってはいたけど、才能がなかったから全然大した腕じゃなかった。
だから、達人の「気」なんてものは全然分からないんだけど、そんな僕でも分かるくらい、ユンの素振りは徐々に鬼気迫るものになっていった。
……要は、感心とか感動を通り越して、だんだん見ていて恐怖を感じるようになった。
僕たち貴族は所詮「剣術」っていう、型に則って手合わせする程度のものしかやったことがないけど、ユンはその双剣で、何度も何度も、実際に魔物の息の根を止めてきたんだ。
ユンの剣は、僕たちとは違う。実際に生き物の命を奪ったことがある剣だ。
だから、雰囲気が違うのは当たり前なのかもしれない。
そう思って一度納得はしたものの、同じ寮の部屋にいて……同じ空間にいて、僕は情けないことに日に日に本気で怖くなっていってしまった。
そんなことないって分かっているのに、ユンに殺されるんじゃないかと思うようになった。そのくらいユンの剣は怖かった。
それである日、ついに僕はそのユンの素振りのうちの一振りで、当たっていないのに、けっこう距離があるのに──僕の首がスパッと切られたと錯覚してしまった。
──僕は一瞬、本当に「死」を体験した。
「………………ユン。さすがに怖い。」
僕はユンを見たまま一瞬本当に息ができなくなって血の巡りが止まったように手足が痺れて、何も動けなくなった。
それから何とか呼吸を再開して、引き攣れた喉から何とかその言葉を発した。
「あ、ごめん。」
ユンはそんな僕の声で、ふと我に返ったようだった。
それから普段の顔に戻って、気の抜けた声で謝ってきた。
空気がいつも通りになったユンに安心して、僕もだんだん落ち着いてきた。血もまた普通に身体を巡り出した気がする。
それで僕は、ユンに思ったことをそのまま質問した。
「ユン、今のまじで怖かったんだけど。ユンの本気って、そんな感じなの?本気っていうか、狩りのとき。」
するとユンは「うーん」と首を捻って目線を上に向けて少し考える素振りをしてから答えた。
「いや、別に?よく分かんないけど、俺、普通だよ?」
……魔物狩りする人の普通がまずよく分からない。
「まあ、何でもいいや。
でも僕、今ユンに本気で斬られたかと思った。そのくらい怖かった。」
僕がそう言うと、ユンは一瞬気まずそうに目を逸らして「あ、ごめん。気を付けるね。」と言ってきた。
「え、ユン?
……ねえ。本当に斬らないでよ?やめてよ?なんかその反応、洒落にならないんだけど。」
僕がユンの怪しい挙動に文句を言うと、ユンはぐっと口を結んでから、申し訳なさそうにそっと僕と目を合わせて「ごめん。俺……今、一瞬どこにいるか忘れてた。」と恐ろしいことを自白した。
「は?……え?ちょ、本気で怖いって!!」
僕はユンの気持ちも何も考えずに、本気で引いてしまった。でも仕方がなかったと思う。だって怖かったから。
「じゃあ、僕がここにいるのも忘れてたってこと?!嘘だろ?!
ちょっ、本当に死んじゃってたかもしれないじゃん!怖いから部屋でやるのやめて!」
達人の「精神統一」なんてものも僕には分からないけど、とにかくユンが今ヤバいくらい集中しちゃっていて周りが見えなくなっていたらしいことは分かった。
焦る僕を見てユンは「うん。これからは外でやるようにするね。」って素直に反省してきた。
僕はそんないつものユンにホッとしながら、ふと思った素朴な疑問を言った。
「ねえ。何で最近ユン、そんな怖い素振りしてんの?
最初は僕、勉強の合間の気分転換かと思ってたんだけどさ。そんなんじゃ、ユン自身も気分転換にならなくない?」
それを聞いたユンは、少し暗い表情になって「いや……双剣の腕が鈍ったら、なんか俺、魔物に殺されちゃいそうで、最近なんか怖くって。」と言ってきた。
「どういうこと?」
「……俺もよく分かんない。」
ユンはそう言った後に、しばらくまた無言で双剣をクルクルと回した。
それからユンは双剣を回すのをやめて、双剣を握りしめて……その手元を見つめながらボソッと、
「……俺、弱いから。これ以上弱くなったら、死んじゃうから。」
って呟いた。
意味が分からなかった。
僕が部屋で見てるユンは、化け物みたいに強かったから。
現に今だって、ユンの殺気だけで、僕は本気で殺された幻覚を見て動けなくなった。
そんなの、剣の師匠の手本を見ていても、他のどんなに成績のいい人と手合わせをしても感じたことはない。ユンが初めてだった。
魔物狩りする人の普通がまず分からないけど、それでも、ユンは絶対に弱くはない。それだけは分かる。
でも、多分……そういうことじゃないんだろうな。
鈍い僕は、それでも意味が分からないなりに、何となく察した。
ユンのこれも多分、ユンの抱えるトラウマの一つだ。
夜に悪夢に魘されちゃうのと同じような、ユンのどうしようもない悩みの一つ。
……多分、ユンは今、普通の学生みたいに学園で勉強だけしてて、発狂しそうになっているんだ。
……多分、ユンは戦ってないと、魔物に殺されちゃうって思い込んでるんだ。
そう思わざるを得ないくらい、ずっと怖い毎日を過ごしてきたんだ。ウェルナガルドの悲劇で魔物の大群に襲われた、その日からずっと。
僕が今、ユンに殺された幻覚を一瞬見たように。
もしかしたらユンは最近ずっと、魔物に殺される幻覚を見続けているのかもしれない。
忙しくて魔物狩りに行けなくなって、身の安全はむしろ確保できてるように思えるけど。
ユンにとっては違うんだろうな。逆に「自分は魔物をちゃんと倒せるんだ」って実感ができなくなって……それで怖くなっちゃってるのかも。
……うん、多分こうだ。こういうことだ。
僕は魔物狩りの素人なりに、そういう結論に至った。
◆◆◆◆◆◆
それからユンは、勉強の合間に部屋で素振りをすることは無くなった。
でも酷い顔色をして急にガタッと席を立って、毎日双剣を持ってほんの数十分だけ、どこかに行くようになった。
それで相変わらず、夜中に眠れなくて部屋を抜け出して行ったりもしていた。
──……ユンは、もう滅茶苦茶だった。
学園生活最後の年。
僕とユンの寮の部屋には、もう、あの中等部の頃の雰囲気はほとんど残っていなかった。
別に喧嘩もしてないし、仲も悪くなってない。普通に会話もするし、朝食や夕食を一緒に食べることももちろんあった。
他のどの部屋もそれなりに……特に就職組はみんなピリついていたし、最終学年はそういうものだと言ってしまえばそれまでなんだけど。
でも、そういう意味じゃない。上手く言えないけど。
──ユンはもう、生きてるような死んでるような、とにかく滅茶苦茶な状態だった。
僕は最後の一年は、はっきり言って辛かった。
実家を出て、学園生活を何だかんだで楽しんでいた僕だけど、この最後の一年間だけは苦しくて、早く終わらないかなって思っていた。
ユンの就職活動はもちろん応援してたけど、どっちかっていうともう心配でそれどころじゃなかった。
僕はそんなごちゃ混ぜな自分の感情を誤魔化すように、ユンにつられて一緒に狂ったように勉強した。
◆◆◆◆◆◆
…………それで、最終学年の2学期末。
なんか無駄に、僕の学年順位がすごく上がった。
ずっと中の下か、下の上くらいの成績だったのに。ここにきて初めて、総合40位を取ることができてしまった。
婚約者のアメミラさんに「すごい!」って褒められた。複雑だったけど、それに関してはちょっと……だいぶ嬉しかった。
部屋に帰って何となくユンにそのことを言ったら、たまたまその日は落ち着いていたユンに「えー!良かったね!やったじゃん!」って呑気に笑って祝われた。
「……ユンのせいなんだけど。」
あれだけ狂ってる姿を見せられたら、僕だけのんびりしてる訳にはいかないじゃん。
僕は複雑な気分のままユンに若干の八つ当たりをした。
それを聞いたユンは、目を丸くしてキョトンとして、それから「あはは!何それ!お陰じゃなくて、せいなんだ?」って言って他人事みたいにけらけら笑った。
ユンのその笑顔が、昔と同じ純粋なものなのか、狂って壊れているものなのか──……7年目のルームメイトの僕の判別では…………そのときは、後者だった。




