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婚約者様は非公表  作者: 湯瀬
第三部
61/93

9 ◆ 平凡令息と平民男の7年間(3)

本編開始までの間に起きた、ユンの奮闘と崩壊。そして今、ユンはセレンディーナのどこに惹かれているのか。とある同級生視点からの答え合わせ編(全6話)です。

第三部(全16話)執筆済。基本毎日投稿予定です。

 中等部3学年の終わり頃のある週末。

 ユンはまた、久しぶりにお兄さんと泊まり掛けで遊びに行っていた。


 最近ユンはすごく疲れてたから、お兄さんに会えるのはいい息抜きになりそう。良かったな、ユン。


 ……なんて思いながら、出掛けるユンを見送った。



 だけど、帰ってきたユンの表情は、僕の予想とは真逆の暗い顔だった。



「おかえり、ユン。……何かあったの?」


 ん?珍しいな。ユンがお兄さんと会った後にこんなに暗い顔をしてるなんて。初めてのことじゃないかな。

 ……ああ、ユンが髪を切ってきたとき以来かも。でも、それは暗いっていうよりは疲れてるって感じだったからな。……うん。やっぱり初めてだと思う。こんなユン。


 僕はそんな風に思いながら、普通にユンに質問をした。

 僕に質問されたユンは、ノロノロと顔を上げて僕と目を合わせて、それからまた下を向いた。


「ううん。別に。何もない。」


 ユンはそう言って一度だけ誤魔化して……その後、何故かポツリと言い直した。


「…………兄ちゃんに彼女ができたんだって。

 今までと違って……びっくりするくらい、すっごく……いい人だと思う。」


 それを聞いた僕は、何も考えずにただ浅い感想を言った。


「へぇー!よかったじゃん、お兄さん。上手くいくといいね。」



 ……今思えばあの僕の言葉は、これまでの人生で一番、人を傷付けた言葉だった。



 僕の言葉を聞いたユンは、本当に心と表情がバラバラになったような、虚しくて滅茶苦茶な笑顔を()()()()



「うん。……やっぱ、そうだよね。」



 ──そのとき、ユンの心がボキッと折れた音がした。



 ………………あ、やっちゃった。


 僕……今、何だか言っちゃいけないことを言っちゃった気がする。



「……あ、ユン。えっと……その、」


 僕の喉元まで禁句の「大丈夫?」が出かかった。そして僕が一瞬言い淀んでつっかえたところで、ユンは「風呂入ってくる」とだけ言って、そのまま浴室に行ってしまった。



 …………………………。



 ………………ああ、そっか。



 僕は一人でしばらく考えて、それでようやく遅れて気が付いた。


 ユンはお兄さんに素敵な彼女ができたって聞いて、咄嗟にうまく喜べなかったんだ。きっと寂しくなっちゃったんだ。

 お兄さんが大好きだから。たった一人の家族だから。


 それで、多分ユンはそんな自分のことが、誰よりも何よりも許せなかったんだ。

 ……お兄さんが大好きだから。たった一人の家族だから。


 そのことを今、赤の他人の僕の浅い感想で、ユンに改めて突きつけちゃったんだ。


 ──「()()()、身内の幸せは喜んであげるものだよね。」って。



 …………ごめん。ユン。



 その日はなんだかお互い気まずくて、ろくに会話もしないまま終わった。

 ユンは浴室から出てきた後にベッドには入らずに、何も言わずに部屋を出てどこかに行ったきり、朝まで帰ってこなかった。



◆◆◆◆◆◆



 それからのユンは本当に酷かった。


 ほぼ毎晩、自覚がある方の、あの叫んで飛び起きる方の──……お兄さんが死んじゃう方の夢を見るようになった。


 毎晩毎晩、叫んで飛び起きて、僕が「うわっ?!」て起きる度に「ごめん、ごめん本当……」って謝って頭を抱えてた。



 そうしてすぐに新学年の前の長期休暇期間に入ったから、僕は一度実家に帰省した。


 僕の帰省期間中に少しは改善するかなーって密かに期待をしていたけど、ユンの状態は改善するどころかますます酷くなっていた。

 ユンは休暇期間中も、寮で一人で、お兄さんを祝ってあげられない自分を責め続けて、どんどん自分を追い詰めて、それで眠れずに苦しんでいたようだった。



 そんな全然大丈夫じゃない状態で迎えた4学年。中等部最後の年。

 ついにユンと僕はクラスが別れてしまったけど、ユンも僕も、もうそれどころじゃなかった。


 ユンは相変わらず毎晩のように汗びっしょりで叫びながら飛び起きた。

 僕は毎晩のようにユンに驚かされて起こされた。


 僕はユンのことが心配だったけど……正直、図太く寝直せる性格とはいえ、けっこう自分の睡眠にも影響のあるレベルだったから僕も困った。

 ユンは当然、僕が困ってることに気が付いていた。ユンは申し訳なさと、どうしようもなさで、いつも半泣きで頭を抱えてた。


 ──……それで、ついにユンは夜にはほとんど寝なくなった。


 夜の時間は課題をやったり、何か作業をしたりして、夜更かしをするようになった。それはそれでどうなんだと思ったけど、少なくとも僕はまた夜通し寝れるようになったから、僕的にはそっちの方がまだマシだった。

 代わりにユンは、学園の授業が終わったら速攻で寮に戻って僕が帰ってくるまでの間に寝たり、登校前の朝の時間や夕食の時間に姿を消すようになった。

 多分、僕の知らない場所でこっそり隠れて1、2時間ずつ休んでいたんだと思う。


 でも、そんな生活サイクルに変えたところで……僕はいいけど、ユンは大丈夫なはずがなかった。

 ユンは日中は相変わらずニコニコしていたものの、だんだん目に見えて顔色も体調も悪くなっていった。

 それで、ついに授業も一コマ、二コマ、半日……一日……出られなくなって休むときが増えていった。


 多分、授業中にうっかり意識を飛ばして寝ちゃって、それで授業中に「兄ちゃん!!」って叫んで飛び起きることだけは絶対に避けたかったんだろう。

 今のユンだったら、これまでみたいなうたた寝程度じゃ収まらなさそうだから、そう判断するのは納得できた。


 ちなみにどうして他クラスの僕がユンの授業の中抜けを把握できていたのかというと、寮の同室として、ユンのクラスメイトから課題や配布物を預かったりしていたからだ。


「なあ。今日ユン授業にいなかったから、これ渡しておいて。次回までの課題。」

「分かった。」

「何かさ、最近ユンちょくちょく休んでるけど、体調悪いの?珍しいよね。ユンって超健康優良児って感じなのに。」


 こんな感じで、僕はユンのクラスメイトから話を聞いていた。


 たしかに、僕は年に数回風邪を引いたりするけど、ユンはほとんど病気にはなったことがない。

 だからかえってユンの欠席はけっこう目立っていたし、周りの皆も、珍しい事態に驚いているようだった。


 僕はそうやって話を振られる度に、曖昧に「なんか最近、体調崩してるみたい。」とだけ返していたけど、1ヶ月近くこの状態が続いて、だんだん僕も誤魔化すのが難しくなってきてしまった。

 周りから「ユンの体調不良、けっこう長引いてるね。もう病院は行ったの?何の病気だって?」みたいに言われるようになってきて、先生にも「ユンくんは真面目だから素行に心配はないと思うけど、一体どうしちゃったのかしら?君は何か知っている?」って聞かれるようになっていった。

 僕はそんなに器用な返しができる人間じゃなかったから、何とか「うーん、なかなかスッキリ治りきらないみたいですね。でも、変な病気とかではないみたいです。」と、あくまでもタチの悪い風邪みたいな雰囲気を醸し出すので精一杯だった。



◆◆◆◆◆◆



 そうしてさらに1週間くらいが経った。


 その間もユンをずっと黙って見てきていたけど、全然改善する様子がなかったから、僕はついにユンに口を出すことにした。


「ねえ、ユン。このままだとさすがにヤバイ……っていうか、しんどいんじゃない?授業全部出られなくなるよ。」


 だからって、どうすればいいかは僕には分からないんだけど。


 ……一度しっかり休み取って、気分転換してくるとか。


 そんなんじゃダメだろうな。だって、3学年の終わりの長期休暇でも全然ダメだったから。


 ……先生や友達に相談するとか。


 でもユンが今こうして隠してるってことは、ユンは誰にも相談したくないんだろうな。

 かと言って、僕が勝手に誰かに相談するのも違う気がするな。解決できる気もしないし。ただユンの悩みを言いふらすだけの人になって終わりそう。それは絶対に嫌だ。


 ……お兄さんに、もう思い切って全部話して、助けを求めるとか。


 僕は正直、それしかないと思っている。ユンのことを救えるのは、きっとお兄さんしかいない。



 でも、それだけは絶っっっ対に、ユンはやらないよな。



 だって、ユンは何としてでも悟られたくないんだから。夜眠れなくなっても、学園の授業にすら出られなくなっても、精神が崩壊しかけても──……お兄さんの前では、絶対に笑っていなきゃいけないんだから。


 お兄さんに()()は、バレちゃいけないんだ。

 ユンにとっては、お兄さんが生きる支えで……お兄さんこそが、生きる理由のすべてなんだ。


 ──本当は、兄ちゃんに彼女ができちゃって寂しい。


 ──兄ちゃんがいなくなっちゃったら、俺はもう頑張れない。


 ──悪いけど俺は、兄ちゃんの幸せを、素直に喜んであげられない。


 そんなことをお兄さんに言うくらいなら、本気で、冗談抜きで、ユンは死ぬことを選ぶと思う。



 …………まあ、僕から見たら、全然、ユンが間違ってると思うんだけど。


 お兄さんに会ったことはないけど、お兄さんは絶対、ユンがお兄さんを大切に思ってるのと同じくらい、ユンのことを誰よりも大切に思ってる。


 だって、子爵家(うち)みたいな貴族でも負担に感じる程のバカみたいに高額な学費を払ってまで、弟を学園に通わせてくれてるんだから。

 女子みたいな見た目だった頃のユンが襲われそうになったとき、激昂して相手の男たちを殺そうとしちゃってたくらいなんだから。

 それに何よりユンは、お兄さんにとっても、一緒に「ウェルナガルドの悲劇」を生き残った、たった一人の肉親なんだから。

 大切じゃないわけがないじゃん。誰が見たって分かるよ。


 きっとユンが泣きながら「俺はもう無理だよ。助けて兄ちゃん。」って本音を言えば、お兄さんはすぐに飛んできてくれるはずだ。

 彼女なんかよりもユンのことを優先して、ずっとユンの側にいてくれるはずだ。


 ユンは今、自分がお兄さんの「一番大切な人」じゃなくなっちゃったことが怖くて、ショックで、でもそれをお兄さんに言えなくて悩んでる。お兄さんの幸せを邪魔したくなくて我慢してる。


 ……でも、今でも絶対、お兄さんの中ではユンが「一番大切な人」だと思うんだけどな。


 ユンは間違ってる。そんなの、鈍感な僕でも分かるのに。

 何でユンはこんな当たり前のことすらも分からないんだろう。ここまで苦しまなくていいのに。……見てるこっちまで辛くなってくるよ。



 でも、さすがに口には出せなかった。


 言ったらいよいよユンが狂っちゃいそうだったから。



 僕は結局、最初の声掛けだけで、後は黙ってユンを見つめていた。

 寝るわけでもないベッドの上で、座って頭を抱えて固まっていたユン。ユンは僕の声を聞いても、こっちを見ることすらしなかった。


 それで、しばらく無言の時間が続いた。


 ………………。


 ユンには反応する気がないのかなと思って、僕が諦めてユンから目線を外そうとしたとき。


 ようやく一言、ユンが消えそうな声で呟いた。



「…………何とかする。」



 ユンが頭を抱えて、今にも泣く寸前の顔をして、暗い部屋の中で呟いたあのときの光景は、僕は一生忘れられないと思う。



 ユンはそう言って、しばらくまったく動かずに固まっていた。

 それからユンは、まったくユンらしくない、完全に感情が全部ごっそり抜け落ちたような無機質な表情をして、静かに部屋を出て行った。



◆◆◆◆◆◆



 あの「何とかする」の日から、ユンはだんだんまた普通に過ごせるように戻っていった。

 日中、授業にちゃんと出るようになったユンを見て、周りのみんなも先生も「体調良くなったんだね。良かったね。」って言っていた。最終的に「風邪を拗らせて治るまでに時間がかかったんだな」って程度に思われていたようだった。

 寮の部屋でも少しずつ、夜また寝るようになっていった。相変わらず毎晩魘されてはいたけど、叫んで起きる頻度は減った。このくらいなら僕も問題なく過ごせそうだった。


 ……でも、何か違和感はあった。


 僕は鈍感だから、その違和感が何だかなかなかピンとは来なかった。


 夜に抜け出す日が若干増えたかなって程度。


 相変わらず苦しそうな日は本当に苦しそうで、頭を抱えていたから、多少は仕方ないと思うけど。マシになってるってことは、何かいい解決法でも見つけたんだろうな。

 僕は前向きにそう捉えていた。


 ただ……何となく、あの日以来、ユンが何かを諦めていたような気がした。

 それで、何となく、普通に過ごせるようになってきているのに、ユンの心は折れたままな気がした。


 でもそれ以上のことはよく分からなかった。


 そのまま僕は、ユンには特に何も言わずに過ごしていた。

 そうして数ヶ月が経った頃。僕はある日突然、違和感の答え合わせができてしまった。


 ユンが突然、僕の前で取り繕うことを完全に諦めたからだ。



◆◆◆◆◆◆



 ユンはその日、明け方……朝の6時前くらいに帰ってきた。

 その日たまたま僕は朝に課題をやろうと思って早めに起きていたから、ユンを普通に出迎えた。


「あ、ユンおかえ──クッサ!!」


 僕は思わず顔を顰めた。

 ユンは死んだような目をしながら「だよねー。ごめん。自覚ある。」と抑揚のない声で謝ってきた。


 そして僕は、気付いてしまった。


「………………え?


 これ、もしかして……()()()()()()の匂い?」


 たまーに、パーティーとかで嗅ぐ、女性の強めの香水の匂い。


 頭の回転の早くない僕が、この事実をもとに考えている間、ユンは無言で諦めの境地に至った顔をしていた。


 そして無言のユンに見守られて、僕はようやく真相に辿り着いた。


「えっ、ユン…………『何とかする』って…………()()()()()()なの?

 お、女の人と……()()()()()()の?」


 ユンは「さすがに今日はバレると思ったけど、もう誤魔化す気力もなくて。早く着替えたかったから帰ってきちゃった。」と、虚しい遠回りの自白をした。




 ユン……そんな………………嘘だろ?




 それって…………それって………………、





「………………合法?……合意?…………避妊してる?」



 沈黙の後、僕は最低限の確認をした。


 変な薬キメたり、金払って売春?買春?したり、同意なくしたり……してないよね?

 知らない人との間に子どもができちゃったりしてたら、庶民とか関係なく、本当に洒落にならないからね?


 僕にはその辺りの知識は全然ないけど、とりあえず真っ先に不安になったのが()()だった。

 そういう感じで一夜限りの遊びをしてる人たちって、正直言ってやばい印象しかない。


 するとユンは少しだけホッとしたような顔をして「あはは、気になるの()()なんだ。ありがとう。」と言ってから、「大丈夫大丈夫。そこら辺は、さすがにね。」と苦笑した。



 ………………じゃあ、まあいっか。


 全然良くないけど。

 でも、ユンが壊れて死んじゃうよりはいい。



 …………でも、そっか。

 そういう意味だったんだ。ユンの「何とかする」って。



 そう思いながら、僕は素直に質問することにした。

 ……これはユンと何年も一緒に過ごして分かったこと。ユンには変に気を遣わずに、なんなら無神経かなと思うくらいでも、思ったことはそのまま言った方がいい。


「それで結局、調子はどう?

 ユンはうまく寝れるようになったの?」


 ユンは何とも中途半端な顔をして「うーん」と首を捻って、それからまた苦笑した。


「まあ、うん。無いよりはマシかな。こう言うのもアレだけど……けっこう気は紛れるし……まあ生理現象だし、寝落ちはできるよね。悲しいかな、ちょっと最近、()調()()回復してきた。」


 僕は複雑な気持ちになって、酸っぱいレモンを食べたときのような顔をしてしまった。


「体調とのバランス次第だろうけど…………戻ってこれるようにはしときなよ。」


 ()()先に死んじゃう前に。


 我ながら「戻ってこれるように」って何だよって思ったけど、なんとなく出た意味不明の言葉を、ユンはしっかり受け取ったようだった。

 ユンは笑って頷いて「それは俺も怖いから気をつける」と言って、その後、今ここで即興で考えたらしい5箇条の宣誓をいきなり僕にしてきた。


「どう?俺が道を踏み外さないための『真人間認定基準5箇条』。もう若干踏み外してる感あるけど、そこは諦めるとして。」

「僕は一体、何を聞かされてるんだ?まあいいけど。」


 ユンの宣誓の内容は、ちゃんと合法で、相手とも後腐れなくするもので、ユンが当初の目的を忘れて中毒や依存症にならないようにするためのものだった。「学園生活を真っ当に送れなくなっちゃったら、本末転倒だから。」とユンは最後に付け足した。

 僕はその宣誓の内容について少しだけ考えて、それからユンに言った。


「一個、僕が追加してもいい?」


 僕がそんなことを言い出すなんて思ってなかったんだろう。ユンは意表を突かれたといったように目を丸くして「え?何?」と聞いてきた。

 僕はユンの目を見てはっきり伝えた。


「『ちゃんとした交際相手ができたら、他の人とは関係を持たないようにすること。』

 これも大事じゃない?真人間認定基準なら。」


 本当に大切な彼女を悲しませるようなことは絶対にしちゃいけない。

 当たり前だけど、大事だと思う。


 僕は自分の婚約者のアメミラさんのことを考えながら、そう言った。


 するとユンは「たしかに」と頷いて……悲しそうに眉を下げて笑った。


「でもさ、こんな俺には、もう手遅れじゃない?そもそも俺にそんな人、できるかな?」


 ユンの自虐は、辛かった。

 一度折れたユンの心は、もうすでに死にかけだった。


 でも、僕は不思議と悲しい空気にはならずに、いつも通りのテンションで答えられた。


「うん。できると思うよ。ユン、いい奴だし。余裕だと思う。だから絶対に6箇条、守りなよ。」


 そして僕は軽く1箇条の宣誓をした。


「それさえ守っていれば、僕はユンには何も言わないよ。別に、誰にも、何も言わない。」


 言いながら気付いた僕は、最後に一つ付け足した。


「あ。例外として、今日みたいにあまりにも香水臭かったら文句言うわ。僕の服にも匂い移りそうだし。」


 それを聞いたユンは、声をあげて笑った。


 数日後、思考回路が単純で馬鹿な僕たちは、部屋にルームフレグランスを導入した。

 どうせなら、最初から部屋を自分たち好みの匂いにしてしまえ理論。週末に王都に繰り出して店に行って、謎にはしゃぎながら二人で片っ端から匂いを嗅ぎまくった。途中から二人でもう鼻がおかしくなってよく分からなくなっていたけど、最終的に何とか選んだ。


 ……うん。ほのかに部屋に香る……星糖柚子(ゆず)だっけ?がいい感じ。爽やかだけどちょっと甘い感じ?よく分からないけど、いいんじゃない?


 心なしか、僕自身の寝付きが良くなった気がする。

 気のせいかもしれないけど、ユンもほんの少しだけ、いつもよりは上手に寝れているような気がした。



◆◆◆◆◆◆



 ユンが悲しい応急処置法を確立して、うちの寮部屋にルームフレグランスが導入された。

 それが、中等部4学年での最大の変化だったと思う。

 そうして僕たちは4年間の中等部生活を終え、高等部へと上がった。


 相変わらず僕は部屋割希望のアンケート用紙の備考欄に「僕は内向的な性格なので、理解のある、今同室のユンがいいです。」と書き続けた。ここまで来たら、それなりに効果はあるような気がしていた。


 それで、ちゃんと高等部でもユンと無事、同室になった。


 クラス割については、僕たちは中等部の4学年のときにも別のクラスになっていたから、正直もうあまり気にはならなかった。


 ただ、クラスが一緒だと寮の部屋でも「明日、小テストあるんだっけ?」「あ、そうだった!たしか範囲ここから10ページ分だったよね?」とか、「そういえば、魔法史の授業で先週先生がなんか言ってた気がするんだけど、覚えてる?」「ああ、次の授業で杖使うから持ってこいって。」みたいなやりとりができて楽なんだよな。

 昨年度はそこら辺が意外と不便だなって感じた。だから、どうせなら一緒がいい。


 その程度の感じで、貼り出されたクラス表を見た。


「……ユンは1組で僕は2組か。」

「ほんとだぁ。また別れちゃったね。残念。」


 ユンも中等部の入学式の日に比べて、だいぶ慣れた感じにはなっていた。それでも「残念」って言ってくれたことが嬉しかった。

 ちなみにアメミラさんとも別のクラスになってしまった。……というか、中等部の1学年以来、一度も同じクラスになったことがない。でも、正直ちょっと恥ずかしいから、違うクラスなのはありがたかった。


「高等部どんな感じかな?」


 ユンが少しだけそわそわしながら僕に話を振ってくる。


「あんまり変わらないんじゃない?」

「えー?でもさぁ、校舎も制服も変わったし、同じ敷地内とはいえ、ちょっと『新たな環境』って感じしない?」

「そこしか変わらないんじゃない?」


 僕がつまらない返しをしていたら、ユンは口を尖らせて「もー、夢がないなぁ。もっと盛り上がっていこうよ。」と不満そうに言ってきた。


「他の『新たな環境』って、例えば?」

「うーん、………………んー…………」

「……高等部からある実戦系の授業とか?」

「そうそう。」

「……高等部から入学してくる新しい人たちとか?」

「とかとか。」

「……学食。購買。カフェテリア。」

「あ!それ一番楽しみかも!でも中等部とメニュー一緒だったらつまんないよね。」

「何で僕が全部挙げてるんだよ。ユン、全然自分で考えてないじゃん。」


 そんな大して中身のないやり取りをしながら、僕たちは入学式の会場に向かった。


 そして僕たちは高等部の入学式をつつがなく終えて、それぞれのクラス教室に行った。


 さっきはユンに「あんまり変わらないんじゃない?」って言ったけど、入学式を終えて高等部の教室に入って席に着くと、なんだか実感が湧いて気分が上がってきた。


 ──高等部生活、楽しみだな。


 我ながら「僕らしくないな」って一瞬思ったけど、多分、僕は中等部でいろいろと変わったんだと思う。

 あの子爵家を離れて寮に入って、何人か友達もできて、婚約者もできた。

 気付かないうちに、僕は自分の人生を楽しめるようになってきていた。


 そんな風にひっそりと自分の成長を感じていたら、突然、廊下にまで響き渡る怒鳴り声がした。



「『()』でしょう!?馴れ馴れしいのよ!この平民が!!」



 …………………………



 ……びっくりしたぁー。



 …………っていうか、「平民」って、ユンのことじゃない?


 僕は何事かと思いながらすぐ隣のユンの教室に行き、すでにできかけていた他クラスの野次馬に紛れて廊下の窓からこっそりと様子を見た。そこには、目をまん丸にして固まるユンと、その隣の席でユンをものすごい剣幕で睨むご令嬢がいた。


 僕はその瞬間、咄嗟に二つのことを思った。



 ──なんか、「X」みたいな人がいるぞ。


 ──あのご令嬢はたしか、僕たち世代の超有名人。パラバーナ公爵家のセレンディーナ様だ。



 ………………。


 ……ユンって、入学式の日に怒鳴られる運命にあるのかな。


 でも今回は、中等部のときと違って僕が助けるまでもなく、すぐにユンの元に駆け寄っていった人物がいた。


 僕たち世代の超有名人。パラバーナ公爵家のアルディート様だった。


「いきなり何をしているんだ!セレンディーナ!お前──……」


 アルディート様はセレンディーナ様を咎めようとしていたけど、ユンはお得意の人懐っこい笑顔を振り撒きながら、怒鳴りつけてきたセレンディーナ様に謝罪をして、フォローに入ったアルディート様に感謝をしていた。


 …………僕の出番じゃなくて良かった。


 僕は素直にそう思った。

 ド派手な四大公爵家の双子兄妹。綺麗とか美人とか格好いいよりも先に「怖い」がくる貴族子女の筆頭格。あんなキラキラバリバリした世界に、僕は飛び込んでいきたくない。

 今思えば、Xの方がまだ立ち向かいやすかった。それに、他のクラスにまで飛び込むのはさすがに勇気がいり過ぎる。


 ……ユンは平然としてるし、何ならもうアルディート様を呼び捨てにして気さくに笑っちゃってるけど。


 僕とユンは寮が同室なだけで、やっぱりクラスの中ではあんまり気が合わないっていうか、いる場所がちょっと違うよな。


 僕はそんな風に思って、ユンたちから目線を外してまた自分の教室に戻った。

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― 新着の感想 ―
この時点で兄のところに行って助けてもらって寝られるようになっていればなあとか思うけれど、この時点はこの時点でまだそういうタイミングでもないのかどうか…。 それにしてもこのご友人の理解力と対応力がすごい…
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